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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本のプレゼンス  

2024-07-12 18:29:50 | 文化

>東洋経済オンライン   >「30年で貧乏になった日本」で若者に起こった変化 気がついたら日本のプレゼンスも低下していた   >倉沢美左の意見・   >1日・   

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>日本の不自由さについて警告を発する『だからあれほど言ったのに』を執筆した内田樹氏に聞いた。   

>日本には外交的な哲学がない   

>――アメリカではイスラエルによるガザ侵攻に対する学生の抗議運動が活発でしたが、日本では抗議運動もささやかでしたし、報道も下火な感じがします。   

>日本はそもそも「抗議」とか「反抗」とか「抗命」ということに対して強い抑圧がかかる社会です。   

 

そうですね。今でも下におれ、下におれですね.   

 

>いったん大勢が決まると、全員がそれに流されてゆく。   

>あえて異を唱える人は「空気が読めないやつ」として排除される。   

 

日本人は忖度の民ですね。   

 

>外交も同じです。   

>国際社会の大勢がどちらに流れるかを日和見している。   

>ガザの虐殺についても、日本には外交的な哲学がない。   

>ただアメリカの尻についてゆくだけです。   

 

そうですね。日本人の学校教育は他人の受け売りと後追いの練習ですからね。   

 

>いまガザで行われているのは「ジェノサイド」であることは日本政府だってわかっているはずです。   

>遠い中東のことについて、どうせ日本には何もできることなどないのだから、あえてアメリカに逆らって自分たちの立場を明らかにするようなリスクを冒してもメリットはない、そう思っている。   

 

そうですね。自己の態度を明らかにしなければ自分は安全であると考えているのでしょうね。雉も鳴かずば撃たれたまいか。      

 

>でも、これは国際社会に対してあまりに無責任だと思います。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。とかく、この世は無責任。   

 

>現に、世界のさまざまな国がこの問題についてそれぞれの見識を語っています。   

>日本も独自のオピニオンを語るべきです。   

>東アジアの大国として、国際秩序がどうあるべきか、世界に向けて発信しなければいけない。   

 

そうですね。日本人には世界観 (非現実の内容) が無い。だから、あるべき姿 (非現実) と現実を比較して批判することができない。   

 

>日本政府はその責任を果たしていません。

 

そうですね。

神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。

 

>――何かをあきらめているのでしょうか。   

>国際社会に対して「世界はこうあるべきだ」というメッセージを発信することは、国連に加盟している193のすべての国民国家にとっての義務だと思います。   

>それがどんなに夢想的なものであっても、それでもその国がどういう未来をめざしているのかについては明らかにする義務がある。   

>しかし、日本の政治家で国際社会に向けて自分の哲学に基づいてメッセージを発した人は鳩山由紀夫首相が最後だったと思います。   

>それ以後、アメリカ追随以外のメッセージを発信した人はいません。

 

そうですね。他人の受け売りと後追いはわが国の教育の成果と言えますね。   

 

>日本は世界に発信することをやめてしまった   

>――つまり日本の世界的なプレゼンスがどんどん下がっていると。   

>そうだと思います。   

>国際社会におけるプレゼンスは、軍事力と経済力だけで決まるものではありません。   

>指南力のあるメッセージを発信する力も、国力の重要な構成要素です。   

>それは軍事や経済とは違う、もっと叡智的で道義的なものです。   

 

そうですね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

>「日本は今の世界をどう見ているか」「日本は、これからの世界はどうあるべきだと思っているか」を論理的で説得力のある言葉で語ること、これはあらゆる政治的リーダーの義務ですけれども、今の日本にそんなことを本気で考えている政治家はいません。   

>――かつてはもっと雄弁だったのでしょうか?   

>主権国家だった頃は、日本は固有のプレゼンスを持っていたと思います。   

>国際連盟ができたのは1920年ですが、大日本帝国は常任理事国に選ばれました。   

>アメリカが議会の反対で加盟できなかったので、常任理事国はイギリス、フランス、イタリア、日本の4国でした。   

>今から100年前の日本にはそれだけのプレゼンスがあった。   

>でも、軍部が暴走して戦争に負け、明治の先人たちが営々として築いたものをほとんど失った。   

 

そうですね。自業自得ですね。   

 

>でも、1960年代から奇跡的な経済成長を果たして、1980年代にはアメリカと並ぶ経済大国になった。   

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1980年代には、世界の時価総額トップ50企業のうち32社が日本企業でしたし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、「日本型経営モデル」が真剣に研究された。   

>でも、バブル崩壊で、日本は経済活動についての指南力を喪失しました。   

>その後も20年近く日本はアメリカに続くGDP世界2位の経済大国だった。   

>でも、もう世界に向けて「日本はこうやって生きていく。   

>みんなも日本に従え」という強い言葉を発することはありませんでした。   

 

日本人には意思が無い。浅薄で、思慮深さに欠けている。日本人に強い言葉など出るはずがない。   

 

>市民の規格化が過剰なまでに進行した   

>――政府や政治家のみならず、メディアもそして個人も「声を上げること」のリスクが大きくなっている感じがします。   

>人と違うことを、声を大にして主張することが損になってしまうというか。   

>もともと日本社会は同調圧力が強い国でしたが、バブル崩壊以後の「失われた30年」に市民の規格化は過剰なまでに進行したと思います。   

>これは日本が貧乏になったせいです。   

 

そうですね。  

現実の内容は一通りしかない。だが非現実 (考え・哲学) の内容は無数にある。非現実の内容が文として表現可能であれば、各人は個性的になる。      

日本人には現実があって、非現実が無い。日本語の文法には時制 (tense) というものが無いので非現実の内容は文にならない。日本語は写生画の言葉である。だから、日本人は思考停止に陥っている。   

 

>「パイが縮んでくる」と人々は「パイの分配」についてうるさいことを言い出す。   

>自分の取り分を確保するためには、他人の取り分を削らなくてはならないと考えるからです。   

 

それはちょうど力士の星の取り合いのようなものですね。   

 

どうやって他人の取り分を減らすか。   

>そのために、メンバー全員を何らかの基準で格付けして、スコアの高いものにたくさん与え、スコアの低いものの取り分を減らす。   

>それが一番フェアな分配方法だという話になった。   

>格付けに基づく傾斜配分という発想は、一見すると合理的に見えますけれど、実はかなり危険なものです。   

>というのは、全員を格付けするためには、あらかじめ同質化する必要があるからです。   

>全員に同じことをやらせないと、数値評価はできません。   

 

そうですね。同次元序列の戦いが序列 (順位) 争いの原則ですね。没個性の励みですね。      

 

>だから、「誰でもできることを他人よりうまくできる人間」にハイスコアを与えるというルールを採用した。   

>「生産性」とか「社会的有用性」とか「所得」とかあるいは端的に「成功」を数値化して、それを基準に国民を格付けすることにした。   

>でも、すでに金や権力を持っている人間にハイスコアを与え、貧しい人に罰を与えるような傾斜配分なら、ただ格差が拡大するだけにしかならない。   

 

没個性の社会は惨めですね。   

 

>若い人たちが「浮く」ことに感じている恐怖   

>それに、全員が同じことをやって、ただ相対的な優劣を競っているだけの社会で「新しいもの」が生まれるはずがありません。   

 

そうですね。それはどんぐりの背比べの惨めさですね。   

 

>お互いの足の引っ張り合いをし、「出る杭」を打ち、「水に落ちた犬」を叩く……だけしかやっていないんですから。

 

そうですね。個性撲滅の励みですね。日本残酷物語のようなものですね。      

 

>そんな社会で自分の見識を貫こうとするのは難しい。   

>少しでも人と違うことを言ったり、したりすると弾き出される。   

 

出る杭は打たれるか。   

 

>だから、今の若い人たちは「浮く」ことを病的に恐れています。   

 

正にそれは日本病ですね。

 

>集団から「浮く」というのは、要するに「競争から脱落する」ことです。   

 

そうですね。わが国の序列社会の序列競争からの脱落ですね。恐ろしい村八分ですね。非国民ですね。         

 

>だから、デモもストも起きないのです。   

>そういう抵抗の運動を始めるときは、最初に誰かが「誰もしないことをして、誰も言わないことを言う」というリスクをとらなければなりません。   

 

自由とは意思の自由のことですからね。意思の無い人間には自由そのものにも意味がない。不自由を常と思えば不足なし。      

 

>でも、抵抗の旗を立てても、誰もついてこなければ、その人は1人だけ「浮く」ことになる。   

>だから、怖くて誰もあえて戦おうとしない。   

>そうやって学生運動もなくなったし、労働組合も機能しなくなったのです。   

 

そうですね。猿真似では長続きはしませんね。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

 



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