>ダイヤモンド・オンライン >やりたいことはないけど大学に進学するのはありか。大学に行く意味と効果を考える。 >ビーやまによるストーリー・ >3時間・
(略)
>「やりたいこと」はないけど大学に行くのはあり?
>――今の時代、大学に行くのが当たり前のような雰囲気がありますが、実際はどうなのでしょうか。
>びーやま氏(以下:びーやま):そういった雰囲気は強いと思います。
それは同調圧力によるものですね。
>特に今の時代は学生数に対して大学の数が飽和状態ですから、選ばなければ誰でも大学に入れます。
> そのくらい大学が簡単なものになっていますから、明確な目的のない「なんとなく」という感覚で大学に入る学生は少なくないと思います。
>――それはいいことなのでしょうか。
>それとも悪いことなのでしょうか。
>びーやま:簡単に判断するのはむずかしいですね。
>いい面もあれば、悪い面もあるというのが僕の考えです。
>――どういうことでしょうか。
>詳しく教えてください。
>びーやま:先に悪い面からになりますが、大して勉強もせずになんとなく入る大学にどこまで意味があるのかというのはやはりあると思います。
> 勉強が好きでもない、高校でも勉強はしていない、だけどまわりが大学行くから自分も行きたい、でもつらいことはしたくないから、指定校推薦で余っているところに、というケースを本当によく見ますが、これで4年間なにを得られるのでしょうか。
> 貴重な時間とお金を使うだけのリターンを大学で得ることができるのかと考えたときにむずかしいんじゃないかと。
> このようなケースが散見される現状を鑑みると、「大学進学は当たり前」のような雰囲気のデメリットは確実にあると思います。
そうですね。大の大人が4年間大学内で遊ぶのですからね。
>――なるほど。
>ただ時間が過ぎていってしまう可能性があるということですね。
>びーやま:そうです。
>高校から大学に環境が変わっただけで、結局自分が変わっていないわけですから、ただ年齢だけを重ねるのと同じだとも言えるでしょう。
>これは非常にもったいないことです。
そうですね。無為無策の生活は精神的にも良くないですね。
>大学で学べるだけの能力を身につけよう
>――よく理解できました。
>ではいい面はなんなのでしょうか。
>びーやま:明確な目的がなくとも“勉強して”入った大学であれば、気づきが多いということです。
そうですね。学究的雰囲気の体験ができますね。
> 高校生のうちに将来の夢が明確に決まっている人はそう多くありません。
>もしくは将来の夢がある人でも少しずつ興味や関心は変わっていくものです。
> そういった学生が、高いレベルでさまざまな価値観に触れられるのは大学の大きな魅力です。
そうですね。低位の文化 (subculture) の人が高位の文化を体験できる唯一の機会ですね。
>「大学に入って勉強していたら、その道の研究者になりたくなった」「授業で学んだ分野を活かした職業に就きたい」などは、いい機会に出会えるからこそ生まれる感情です。
> 僕も教育学部で勉強をしていましたが、在学中は教育のなかでも「生涯学習」の分野にどハマりし、結局今でもこうして受験や教育にかかわるコンテンツを発信しています。
>ちなみに高校生のときは「なんとなくビッグになりたい」と思っていました。
> こういった大学での出会いが、その後の人生のテーマになることは多いにあるので、「なんとなく進学」も悪いことだけではないなと思います。
そうですね。’門前の小僧習わぬ経を読む’ ということですね。
>――たしかに、大学での学びが人生につながるというのはわかる気がします。
>びーやま:ただ、そこには条件があるとも思っていて、それは「ちゃんと勉強して大学に入ること」です。
> 大学での学びというのは誰にも強制されないところが特徴です。
そうですね。自主的な勉強が必要ですね。実力が発揮できますね。
>そのため、本人に勉強習慣がないと何も響かないんです。
>仮にいい授業があったとしても、それを受け入れるだけの能力が自分に備わっていないと意味がないわけですから、その準備として“勉強して”大学に入るというのがマストだと思います。
そうですね。
> なので、いいケースは「なんとなくだけど、いろんなものを見てから将来のことを決めたいから、勉強して大学に行く」というものです。
> これであれば理由は明確でなくとも、スタンスは大学進学にふさわしいと思います。
そうですね。
>――ちゃんと努力はすべきということですね。
>びーやま:そうですね。
>逆に、「できるだけ勉強はしたくないけど、大学にはいきたい」というのはNGです。
そうですね。それは見栄と外聞に囚われていてはダメですね。
> しかも、大学受験のいいところは、勉強している時間が自分の大きな成長機会になっている点です。
そうですね。没個性の励みですね。
>ツラいけど頑張って勉強する、遊びたい誘惑に打ち勝って勉強するという経験が人を大人にしていきますから、大学受験を通して大きく成長してほしいです。
そうですね。大学に良い思い出を残す人も多いですね。
>――ありがとうございました。
>大変勉強になりました。
>びーやま[著]
(略)
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>ダイヤモンド・オンライン >【東洋大学? 日本大学?】GMARCHに続く大学に序列はこの10年間でどう変わった? >オバタカズユキの意見・ >2時間・
>25年以上多くの読者に選ばれ続けてきた大学案内『大学図鑑!』が今年もパワーアップして発売された。
>現役生・OB・OGら5000人超のナマの声によってつくられた本書は大学選びのひとつの手段として選ばれている。
実験と観察により得られたデータですね。
>本記事では最新版である『大学図鑑!2026』の出版を記念して、内容の一部を抜粋、再編集してお届けする。
>日東駒専グループの序列は10年間でどう変わった?
> 日東駒専グループの序列はこの10年で大きく変化があった。
>まずは序列を大きく上げた大学が「東洋大学」だ。
>10年前までは僅差ではあるものの日本大学、専修大学に次ぐポジションであったが、現在は日東駒専を圧倒的に牽引する存在になっている。
> 東洋大生は愛校心が強く、日東駒専のなかでは自分たちが一番だと思っている。
愛校心とは序列社会における自己の序列に対する帰属意識が強いことですね。序列制度は個人主義の代わりですね。
>その証拠に、MARCHに東洋大の「T」を加えて、「TMARCH」とする声もチラホラ在校生からは聞こえてくる。
>「TMARCH」は冗談半分なところもあるとは思うが、いずれにしても人気が向上しているのは間違いなく、同時に就活サポートをはじめ、学生の満足度も高い。
>「日東駒専のなかなら東洋大」という学生がいるのも納得だ。
> 日本大学、駒澤大学、専修大学についてはひとくくりにされがちだが、その毛色は結構違う。
>日本大学はいろいろあれど、やはり知名度は抜群。
>10年経ってもこの傾向は変わらない。
>学生たちも元気で、「東洋大学と日本大学だったらどっちが上か」という議論では、「余裕で日本大学が上」と答える。
それはどうやって測定するのですかね。絶対基準がないですね。
>なんだかんだ言って大学が好きなのである。
それは恋愛の様なものですかね。
> 駒澤大学は「自分次第で良くも悪くもなる大学だと思う」(経営学部生)、「MARCHにも日大にもすべったけど、浪人したくなかったから、駒大にきた。
>『ここでいっか』みたいな感じ」(経営学部生)といった声が聞こえてくるように、達観している学生が多め。
教育内容に関する検討はどうなっているのですかね。
>現状は受け入れつつも、完全に諦めてはいない。
>「私の周りには積極的に道を切り開こうとしている人が多い。
>特に女子。
>自主的に留学する人も多い」(法学部生)という意見もあるように、やる気がある生徒がいるのもたしかな事実だ。
> 専修大学は「就職の専修」を名乗るだけあって、就職面の熱心さは日本有数。
>人気企業はコネがないとむずかしいと学生たちはいうが、最終的には多くの学生が優良企業に収まっていく。
> また、各種の講座に力を入れている成果か、人数は多いとは言えないが、公認会計士の合格者も毎年確実に出しているのも特徴。
>理系は「四工大」の2校が登場!
> 加えて、『大学図鑑!』では昨年度版から日東駒専グループに新たに理系の大学を3校追加した。
>それが、東京都市大学と東京電機大学と千葉工業大学だ。
> 文系の学生からすれば馴染みがないかもしれないが、東京都市大学と東京電機大学の2校は芝浦工業大学と工学院大学を含めた4校からなる「四工大」に数えられ、理系学生からすれば非常にメジャーな大学だろう。
> ちなみに四校大の難易度は芝浦工業大学がトップで、次に工学院大学が続き、3番争いを東京都市大学と東京電機大学がしているようなイメージだ。
イメージによる競争ですか。実験と観察に基づいた判定にならないものですかね。
>3番手争いというと聞こえは悪いかもしれないが、どちらも就職サポートは抜群で、コスパはかなりいい大学と言える。
> 千葉工業大学は今最もキテいる大学と言っても過言ではないかもしれない。
>こちらは四工大よりは劣るものの着実に存在感が増していて、2025年入試の志願者数は近畿大学や明治大学を抑えて全国1位に。
>もしかすると今後偏差値は上がっていくかもしれない。
偏差値教育で伸びる大学ですね。個性を伸ばす大学にならないものですかね。
> いずれにしても、理系大学のほうが勢いがあるというのはこのグループに限らず現在のトレンドだろう。
あくまでも人気に拘りますね。
今は昔、少しばかり知識の足りない〇〇〇という画家がいたが、彼はものの価値判断がたいそう苦手であったらしく、人物評価をする場合には必ず「その人は兵隊の位にすればどの位か」といつも聞いていたようだ。この様に序列的、物の価値判断は程度の低い者にも利用できるが、判断の基準が没個性的で、事物の一面しか評価できないため人物評価には不適当なことが多い。
高等教育 (大学・大学院) は個人の個性を伸ばすところ。
偏差値教育は没個性の励みを評価する方式。
日本人は個性には親しみがないが、没個性には親しみがある。
だから、入試地獄はあっても、高等教育は実らない。
(略)
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