>読売新聞 >佳子さま「まだあいさつ出来ていない方はいますか」… 最後の一人まで声かけねぎらう >読売新聞によるストーリー・ >7時間
> 【ロンドリーナ(ブラジル南部)=坂場香織】ブラジルを訪問中の秋篠宮家の次女佳子さまは9日(日本時間10日午前)、同国南部のロンドリーナ市で地元日系団体が運営するスポーツ施設を訪ねられた。
> 施設では約500人の日系人らが待ち受け、佳子さまは椅子に座る高齢者らとにこやかに握手を交わされた。
>歓迎行事では、太鼓グループなどによるパフォーマンスが披露され、佳子さまは手拍子をされていた。
> 終了後は約40人の出演者一人ひとりに「すごく格好良かったです」などと伝えられた。
>「まだあいさつ出来ていない方はいますか」と言って最後の一人まで声をかけ、日本文化に親しむ若者をねぎらわれていた。
佳子さまはブラジル政府首脳にはご挨拶しなかったのですかね。日伯友好の為ではなかったのですかね。皇室の方々の外遊には細かな心遣いと大きな目的が必要でしょうね。
日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望を与えることがない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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