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科挙官僚 1/3

2019-08-03 12:01:53 | 政治

>最初は各藩にあった藩校の優等生が推薦されて日本の高等教育機関の難関校に入学しましたが、この入学は文字通りの推薦入学で、藩校の教師や周囲から秀才と認められたものが選ばれました。>従って最初はペーパー入学試験はありませんでした。 >旧制中学の第一回卒業生が出始まったころから、入学試験が始まりましたが、小学から中学を終えるまで、難関校は入学者がいなかったわけではありません。>すでに学齢に達していた子供や青年は推薦でそれぞれの学校に入学しましたから、入学試験が始まるまで5,6年の年月が必要でした。>この期間、中国の科挙のような試験はなかったのです。

我が国に試験地獄の無かった期間ですね。

>週刊新潮にコラムを連載している帝京大の高山教授によると、遣唐使の時代から日本の政府は中国の政治制度や文化を取り入れましたが、採用しなかったものに科挙試験、宦官そして纏足の3つを挙げています。>内閣や大臣、昔の関白、相国などの官名も中国の文献に由来します。>しかし科挙はそれ以後の歴代政権でも採用しなかったので、科挙官僚による亡国の歴史を見ずに済んだと述べています。

我が国のよき時代ですかね。

>ところが明治維新政府は高等教育学校に科挙試験のようなペーパー試験を採用してしまいました。 >さて、明治維新に生きた日本の英傑を、現在の偏差値入試に当てはめて、どの程度のものかを推定するのも意義があると思います。(中略)結論からいうと、明治維新を起こした日本人で東大に合格したものは恐らく一人もいなかったと推定されます。

それは、驚くべき結果ですね。

>なぜなら彼らは我利我利ではなく、この国家の近代化に興味があり、立身出世のために一日中机に向かうことなど考えられなかった人間達だったからです。

我利我利亡者は、処世術に専念しますね。処世術は、現実の内容に対する対処法ですからね。

>日本の政治腐敗や国家としての後進性は実はこの日本のエリート教育にあったと私は考えています。

そうですね。リーズン (理性・理由・適当) のない教育の結果ですね。リーズンは、日本人には縁のない考え (非現実) の内容ですからね。
現実の内容、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。考える必要はない。楽ちんである。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するためには、その文章内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、理解をしない。そして、忖度・推察を使って、日常の事柄を処理している。
しかし、理解と忖度は、お互いに似て非なるものである。理解は、話者の内容に関する事柄である。忖度は、聞き手の勝手に解釈した内容で、話者には何の責任もない。話者との内容を比較して忖度の間違いを指摘すれば、忖度の人は ‘だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’と言い訳をする。だが忖度の人は、初めから現実直視ができていない。これが我々日本人の大きな問題である。

>つまり日本の政治の腐敗の原点は創立順に陸軍士官学校、海軍兵学校そして東大なのです。

リーズンのない教育をすれば、どのような学校を作っても腐敗しますね。それは、批判精神がないからです。

>いずれも当時、超難関という教育機関の名門中の名門でした。

競争倍率で名門の価値が決まるのですね。わかりやすい価値ですが、それほど意義があるのですかね。


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