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政策活動費領収書  

2024-06-05 14:19:44 | 文化

>スポニチアネックス   >デーブ・スペクター氏 政策活動費領収書 10年後公開に「ふざけるな!!いっそのこと100年後と言え」   >スポーツニッポン新聞社に意見・  >19時間・   

> テレビプロデューサーのデーブ・スペクターが4日、日本テレビ系「ミヤネ屋」(月~金後155)に出演し、政治資金規正法の改正案で政策活動費の領収書について「10年後に公開とかふざけている」と痛烈に批判した。

 

そうですね。どうして公開が10年後になるのですかね。   

 

> この日採決の予定だった改正案だが、合意した維新が領収書の公開方法について反発。   

>自民党が「50万円を超えるものに限る」としたことに対し「全ての政策活動費の領収書を公開」と主張し、採決は5日になる見込みとなった。   

> 政治アナリストの伊藤惇夫氏は直前になってのバタバタに「自民と維新の合意の際に、維新が協議のときに全額公開とはっきり言ったのか、それともそこがあいまいのままになっていたのか、もしくは、はっきり言っていたのに自民党が50万円という数字を出してきたのなら裏切りになりますし、それをはっきりしないまま合意したのなら維新の側にも問題がある」と解説した。

 

全てが曖昧ですね。わが国は高文脈文化のせいですかね。   

[高文脈文化と低文脈文化の比較の例]  

《高文脈文化》の特徴:  言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に意思決定される/沈黙は不快ではない / [high-context culture: ハイコンテクスト文化]

《低文脈文化》の特徴: 伝達される情報は言葉の中で全て提示される。/ 正確性が必要とされる言語  / 言語に基づく / 双方の合意に基づいた契約の変更は容易ではない。/ 論理的に意思決定される / 沈黙はコミュニケーションの途絶として不快 / [low-context culture: ロウコンテクスト文化]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』   

 

> ただ、伊藤氏はそれ以前に「10年後に領収書を公開ということだが、これはいまだに理解ができない。

 

そうですね。日本人は難解がお好きなようですね。      

 

10年後なんて政党の離合集散があれば今の政党が残っている保証もない。   

>政治家だって消えている可能性が十分ある。   

>例えば確定申告で領収書は10年後に出します、と言って通りますか?」と首を傾げた。   

 

気の短い日本人ののんびりした話ですね。   

 

>加えて「この案は維新が出してきた。   

>ということは自民党と合意するつもりで動いていたということでしょう」と、自民のみならず維新にも疑問の声を上げた。   

> 番組のMCを担当するフリーアナウンサーの宮根誠司も、政治家全体の感覚のズレを指摘。   

 

我が国の政治家の感覚のズレですかね。   

 

>「政策活動費の廃止とか政治献金の禁止を野党は言っているが、国民としては全部表に出してくれればそれでいいという考えなのに」と話すと、デーブも反応。   

>「必要なものだったら堂々と使ってくださいと言っている。   

>その代わり、いろんなカラクリはなしでやってほしいという単純な話です。   

 

そうですね。単純明快な話ですね。   

 

>だから10年後とかふざけている。   

>それならいっそのこと100年後と言ってもらったほうがいい。   

>ここまで来て、まだ危機感がないのかと思う」とあきれ返っていた。   

 

日本人に危機感は無いですね。危機が目の前に迫るまでは。日本人は現実肯定主義ですからね。日本人に非現実 (考え・哲学) は無い。         

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)         

 

 

 

 



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