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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

安達裕哉氏 1/2  

2020-12-27 16:18:04 | 文化

 

>社員の活力を引き上げるには?

>362991          知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 >長曾我部幸隆 ( 30 会社員 )           20/12/26 PM10 【印刷用へ】 >リンク

>私達は「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。  

 

特にわが国では ‘下と見られて’ 、待遇の割が悪くなりますね。  

 

>知性が人間そのものの優劣を決めるかどうかは私が判断するところではないが、実際知的であることは現在の世の中においては有利であるし、組織は知的な人物を必要としている。  

 

そうですね。 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>だが、「どのような人物が知的なのか」ということについては多くの人々の判断が別れるところではないだろうか。

 

そうですね。特技は様々ですね。   

 

>世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。  

 

序列社会の世俗的な物差しは様々でね。   

 

>だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 >彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」という。 >エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。 

 

簡潔にまとまりましたね。  

 

>一つ目は、異なる意見に対する態度

>知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

 

意見は人人により異なっていますからね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。 

 

>二つ目は、自分の知らないことに対する態度

>知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうとする。 >そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。>その結果、それを隠し学ばない

 

そうですね。’知らぬは一時の恥、知らぬは一生の恥’ ですね。

理屈は大人にも子供にも共通である。だから、大人と子供の対話も成立する。ところが、日本人は '理屈を言うな。理屈なら子供にでも分かる' とうそぶいて理屈を言う人を相手にしない。そして、自分たちにはもっと複雑で難しく重要な事柄があると心得ているようである。'心ここ在らざれば視れども見えず' であるから、自分たちの屁理屈に気づくことは無い。 (2/2へ続く)

 

 

 

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