>東京新聞 >戦争末期「集団自決」はどうやって始まったのか … 語り継ぐ沖縄 厳しい現実は「歴史修正」では覆せない >1日・
> 太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民80人余りが「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた沖縄県読谷村の自然壕(ごう)「チビチリガマ」。
>この悲劇の証言者は減っており、記憶の継承が課題になっている。
>沖縄戦を巡って政治家による「歴史修正」が繰り返される中、次世代に語り継ごうとする人たちを追った。
>(太田理英子)
>◆恐怖と混乱の中、身内同士の殺し合いが起きた
> ガジュマルの木に囲まれた浅い谷底に、横長に口を開くチビチリガマがある。
> 「18歳の少女がお母さんに頼んだ。『私を殺して』って。
>お母さんは『乱暴されて殺されるより、きれいな体のまま死んだほうがいい』と、包丁で首を刺した。
>それをきっかけに、始まってしまった」
> 地元で育ったガイドの知花昌太朗さん(37)は、落ち着いた声で、当時を再現するように語った。
> 米軍が近くの海岸から上陸した翌日の1945年4月2日。
>ガマには住民約140人が避難していた。
>恐怖と混乱の中、身内同士の殺し合いが起きた。
>ある人は毒薬を注射し、布団に火をつけた人も。
>死亡した83人の約6割は18歳以下だった。
>前日には、竹やりを手に米兵に向かっていった男性2人も死亡した。
> 知花さんは、軍国主義教育の下、住民は捕虜になると残虐に殺されると刷り込まれてきたとし、「敵は鬼畜米英と教えられ、外に出ることの方が怖かった」と説く。
>生存者らは長年、口を閉ざした。
>「おばあたちは皆、『死にたかったけど、できなかったさー』と言う。
>死んだのは身内。
>地域のタブーになったんです」
>◆「戦争の終わりはいつだと思う?」
> 知花さんは約3年前に、40年近くガイドを務めた父・昌一さん(77)を手伝い始めた。
>昌一さんが脳梗塞で倒れ、今年5月から本格的に引き継いでいる。
> チビチリガマが知られるようになったきっかけはノンフィクション作家下嶋哲朗さん(84)=東京都=が1983年に手がけた調査だった。
>地元で顔が広い昌一さんの協力により、生存者らは徐々に語り始めた。
>昌一さんはその記憶を伝えるべく、ガイドを始めた。
> 知花さんはただ父をまねるのではなく、伝え方を模索してきた。
>「極力オブラートに包まない。
>恐怖を感じなければ、残虐さが薄まってしまう」。
>修学旅行生には、いつも「戦争の終わりはいつだと思う?」と問いかける。
>生き残ったことに苦しみ続けた生存者らの思いを考えてもらい、こう伝える。
>「戦争は終わらせることが難しい。
>だから始めないこと、始めさせないことが一番だと思うよ」
そうですね。平和には抑止力が大切ですね。
>◆父が許せなかったもの
> ガイドを始めてから、「父のことを理解するようになった」という。
> 昌一さんは1987年秋、村内の国民体育大会の会場で、国旗掲揚台から日の丸を引き下ろして焼き捨てた。
>県内の学校では沖縄戦の経験から、政府による国旗掲揚の徹底に反発が強まっていた。
>昌一さんは器物損壊などの罪に問われ、有罪判決を受けた。
>その後は国に軍用地返還を求める訴訟を起こすなど、平和活動に身を投じたが、活動について家で語ることは少なかった。
> 知花さんは「チビチリガマの出来事を引き起こしたのは皇民化教育と軍国主義。
>その象徴だった日の丸や、戦争につながることが許せなかったと思う。
>父の行為は全部、チビチリガマにつながっている」と語る。
> 現在、地元出身のガイドは知花さんだけだ。
>「父は調査でタブーを破った立場として、語り継ごうと思ったはず。
>その責任を、自分も背負っていく」
>◆地元の若者の「悪ふざけ」にショックを受けた
> チビチリガマには近年、平和学習のために年間1万5000人規模の修学旅行生が訪れる。
> だが8年前には、ガマ内部の遺品や千羽鶴が破壊される事件が起きた。
>過去にも、昌一さんの日の丸焼き捨てを受けて右翼団体構成員が入り口の像を破壊したことがあったが、事件は県内の16〜19歳の少年4人による犯行だった。
> 「なんでまた、とショックが大きかった。
>しかも悪ふざけだなんて」。
>遺族会の与那覇徳雄会長(70)は当時を振り返る。
>少年らはガマの歴史を知らず、肝試しとして訪れていた。
> 器物損壊容疑で逮捕され、保護観察処分を受けた4人。
>更生プログラムの一環で、同村の彫刻家、金城実さん(86)と、犠牲者を追悼する野仏12体を制作した。
>金城さんは4人に、「踏みつぶした魂に、どうおわびを伝えられるか。
>その罪は一生背負わないといけない」と伝えたという。
> 与那覇さんも4人に、親族らがどう命を落としたのか、語った。
>反省を示した4人はその後も清掃などのためガマを訪れ、与那覇さんとも連絡を取るという。
>与那覇さんは「将来の世代に歴史を伝えてほしいと思い、向き合ってきた。
>事件を機に、自分たちもきちんと継承することが必要と思うようになった」と話す。
>◆「ただ現実に起きたことだけを、しっかりと」
> 沖縄戦を巡っては今年5月、体験者の証言などに基づく「ひめゆりの塔」(糸満市)の展示について、自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換え」と発言し、強く批判された。
>先の知花さんは「体験者が減る中、歴史の解釈を変えられてしまう危険がある」と、奮い立った。
>「僕らの世代が自分事として語り継ぐことが大事だと再確認した」
> 継承できなければ、少年らが起こした風化による事件や「歴史修正」は繰り返されるとし、こう力を込めた。
>「ガイドをする上で思想はいらない。
>ただ現実に起きたことだけを、しっかりと伝えていきたい」
>◆戦争に向かう中で「国体のために死ぬ国民づくり」が進んだ
> 1983年にチビチリガマを調査した下嶋哲朗さんは、日本軍の敗戦が濃厚となったサイパンや旧満州などでも日本の民間人らの「集団自決」(強制集団死)が起きたことを踏まえ、「集団自決は国家による自国民のホロコーストだった。
>沖縄だけの特殊事情ではなく、日本の戦争の本質だと捉えるべきだ」と指摘する。
そうですね。
> 明治期の「軍人勅諭」や「教育勅語」を発展させたのが、太平洋戦争開戦を前に「生きて虜囚の辱めを受けず」と定めた「戦陣訓」だった。
開戦当時の総理大臣であった東条英機は生きて虜囚の辱めを受けましたね。
>国民が国に生命をささげることを当然視する考えが、学校教育などを通じて人々に染み込んでいったという。
>「自国第一主義の方針の下、天皇を頂点とする国体のために死ぬ国民づくりが進められ、『強制の内発化』として起きたのが集団自決だった」
> チビチリガマの出来事は下嶋さんが調査を始めるまではタブーとされていた。
>「戦後、『一億総ざんげ』を掲げた国によって、犠牲への責任の所在は曖昧になった。
>沖縄が米軍統治で本土から切り離されたことなど悪条件が重なり、集団自決の調査と分析が進まなかったことも背景にある」
> 近年、戦時中の犠牲を正当化する動きに加え、「台湾有事」を想定した自衛隊基地の増強が進む現状に、「戦争へと向かう今の時局と戦前の時局は重なっている」と話す。
戦争を防ぐには抑止力が必要ですね。戦わずして勝つのが善の善ですね。
ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。
これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。
「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)
‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’ (マシュー・ポッティンジャー)
‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。
わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を相手国に見せつけながら、国家の最善を目指さなくてはならない。
> チビチリガマの出来事は「自立精神を教育などに摘み取られた個人が、自ら進んで国家に従った結果だった」とし、こう続けた。
そうですね。日本人には意思がない。家畜・社畜・国畜ですね。
>「チビチリガマの犠牲者は、ただ哀れみ悼むのでなく、なぜこの出来事が起きたのかを考え、歴史を学び直すよう訴えていると思う。
そうですね。
日本人には加害者意識も罪の意識もないから臆面もなく自己の被害だけを世界に向かって述べ立てることになる。体験談ばかりでは時代の展開はない。原因の究明とその対策の発案が必要である。
>同じ悲劇を繰り返さないため、自立した個人、市民として民主主義の道を進まなければならない」
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
>◆デスクメモ
> 「戦争の終わりはいつだと思う?」という知花さんの問いが重い。
>心身に傷を抱えたまま生きる人々。
>家族を失い、喪失感にさいなまれ続ける人もいるだろうし、苦悩を間近で見続けた人もいるだろう。
>戦禍の痛みを深く考えさせられる問い。
>歴史から目を背ける面々にも投げかけたい。(榊)
災害があれば ‘過ちは繰り返しませぬから’という。しかし日本人には真摯な反省がないので徹底した原因究明には至らない。これが歌詠みの世界のむなしい習いである。
日本人には意思がない。それで加害者意識もない。加害者意識が高じると罪の意識になるが、それもないので罪もない。日本人は天真爛漫として悪びれたところがない。まるで子供のようなものである。
罪の話や謝罪の話を日本人に持ち掛けると驚いて非人道的なたくらみをそそのかされているものと警戒される。魂の救いを求める日本人もいないことから、日本の宗教 (神道・仏教) も罪から距離を置いている。
日本人は恨みっぽい。加害者意識はないが被害者意識はある。加害者意識が被害者意識を抑えることがないから反省がない。それで恨みが止まらない。化け物までが「恨めしや―」と言って出てくる。
印欧語の文法には時制 (tense) というものがある。時制は過去・現在・未来の非現実の内容を表す構文を作る。意思は未来構文の内容となるから印欧語族には意思がある。
印欧語族には意思がある。それで加害者意識もある。加害者意識が高じて罪の意識になる。天真爛漫の顔が悪びれた顔になる。この時言語未発達の子供が大人になる。
災害があれば真摯な反省の下で徹底した原因究明が行われる。その真面目さで科学が発展する。科学は実験と観察の結果に自己のストーリー (非現実) を当てはめて作るものである。現実肯定主義の日本人には自己のストーリーがない。
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