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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

宗教のこと

2016-03-05 15:42:09 | 教育
・>無宗教という日本の国柄の宗教が高度です



一長一短があるのではないでしょうか。無哲学・能天気ではありませんか。



・>ある番組をちらっと見た時に、「特定の思想を持たないことが、日本人の思想である」というような検証を日本の民族・風習から論じていました。良い意味で自由であり、臨機応変に良いものは吸収するということです。



思想を持たないということは、世界観を持たないということでしょう。前世・現世・来世とか、過去の世界・現在の世界・未来の世界を分けて考えることは、時制を持たない日本語ではできませんね。

良いものは吸収するということも、時代に流されるということでしょうね。



・>これは、ある意味では、「日本は無宗教という宗教を持つ」とも言えると感じます。どんな宗教でも受け入れて、良いものは「認めてしまう」という特殊な面が日本人にはあります。



相手に世界観があるのに、世界観を持たない自分がその内容を認めてしまうということは、何も受け入れていないということでしょうね。

・>実は、外国にはこれが無いのです。古来から異教徒には厳しい国柄が大半です。今は外面的には、そんなことは無い、というものです。



そうですね。新教徒と旧教徒がお互いに迫害しあうようなことは、良くないですね。


・>しかし、外国人に「あなたの宗教は何ですか?」と質問をしますと、親しいと思っていた間柄でも一瞬のためらいの間をおいて、「それは非常にプライベートなこと」と返されて気まずい雰囲気になることがあります。


日本人のように、宗教が単なる派閥の違いとは考えられないからですね。



・>外国では、古来から宗教・宗派の違いにより、迫害や紛争を繰り返して来た長い歴史が存在する影響を否定は出来ません。また、その人が信じるものを知ることは、相手のすべてを知る大きなヒントにも成りかねないからです。



フリー・メイソンの会員のようなものですね。


・>だから、私は仕事の関係者でも「相手の宗教を聞かない」ということに注意しています。この質問の意味を、日本人は非常に簡単に考えている側面を持ちます。日本人のそういう感覚も良く分かるのですが、外国人には聞かないこともエチケットだと思います。明らかに服装で主張している人には問題はないですが。


大変、貴重な忠告をいただきまして、感謝いたしております。





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議会浄化

2016-03-05 15:37:50 | 政治




>丸山和也参院議員(自民)の「黒人奴隷」発言が批判を浴びている。またも愚劣な言葉狩りだ。うんざりする。丸山議員は、「オバマ大統領の誕生は、黒人が奴隷だった時代のアメリカ人には想像もできないことだろう」、と歴史的事実を述べたに過ぎない。




いつもの通り、‘問題発言’ と ‘言葉狩り’ の応酬になる。これは、不毛の議論であることは言うまでもない。時間の浪費である。




>かつてのアメリカには黒人奴隷制度があり、人種差別は今も根強く残っていることは、タブーでもなんでもない周知の事実だ。だからこそ、初の黒人大統領であるオバマ大統領が誕生したとき、アメリカでも日本でも時代の変化に大騒ぎしたのだ。




それで、どうした。そこが、この場の眞の問題である。議論のできる人間と、そうでない人間の差になる。教養の問題である。




>それがどうして、丸山議員がその事実を述べたら「人種差別発言」と批判されるのか。マスコミ各社はこぞって「問題発言」と報じた。しかし、具体的に何が問題なのかは言及を避けている。ただ「人種差別発言があった」と決めつけ、批判している。



丸山議員は ’あるべき姿’ の自己主張をしていないから、’黒人’ を結びつける要旨が見当たらない。言葉足らずというのか、無哲学・能天気というのか、言葉が宙に浮く。ここで、気分・雰囲気の問題になる。趣味に論拠なし。(There is no accounting for tastes.) だから、議論にならない。歌会のようなものか。

‘問題発言’ と ‘言葉狩り’ による対決で、失われる審議の時間も気にならない。そのうち、元の木阿弥に返るのか。賽の河原の石積みになるか。

ここらで、山本七平氏のいう ‘空気の研究’ でもしたら良い。だが、こうした論客は審議の場にはふさわしくない。議会浄化の為に退場して頂いたほうが良い。





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戦後でいい

2016-03-05 15:34:14 | 教育
>「私は「ずっと戦後でいいんじゃないの?」と思います。戦後70年、100年、200年…。「戦後」が続くことは、日本が戦争しないということだから。「もう“戦後”じゃないんです」みたいな言葉には、危機感を覚えます」



日本人には世界観がない。考えの内容が ‘グローバル’ (global: 全地球的) にも ‘ユニバーサル’ (universal: 全宇宙的) にも達していない。この世の ‘あるべき姿’ が脳裏に描かれていないからであろう。日本が (自分さえ) 善ければ、の発想の原点になっているのである。内容が、哲学 (非現実) に成らずして、処世術 (現実) になる。昔の修身教育・個人道徳のようなものか。自己中心的な人間の自己満足が目的になっている。米軍が身体を張って日本を守るというようなことが、この世の ‘あるべき姿’ になるであろうか。逆も成り立つ考え方か。現実の中に埋没してばかりいないで、広い宇宙を覗いてみる勇気はないのか。我が国においては、とかくこの世は無責任。国がひっくり返っても責任者は出なかった。



>「いつの間にか、大きな力に巻き込まれていく怖さを感じる。なんだろう、今聞こえてくる足音は」「あの戦争も、人々が『変だよね』と感じているうちに始まってしまったのではないのか」



あの戦争は、誰の意思により始められたか。’いつの間にか’ というけれど、宣戦布告はなかったのですか。

意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制がないので、日本人には意思がない。我が国には、神の意思もなければ、人の意思もない。人の意思を容認しない社会においては、加害者意識 (罪の意識) はなくて、被害者意識だけがある。アニマルのようなものか。意思(will) はなくて、 恣意 (self-will) がある。意思には文章があるが、恣意には文章もなく意味もない。それでは、説明責任は果たせるはずもない。意思のある行為をしていなければ、何が誤りであるかを理解することができない。だから、深刻な反省にも至らない。そして、過ちをくりかえす。’安らかに眠ってください’ は、ただ上辺だけの言葉である。心の底には届いていない。過ちを避ける努力も根性も見られない。浅薄な人間からは、浅薄な言葉しか出てこない。ずっと戦後でいいんですか?











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主観の暴走

2016-03-05 15:31:51 | 国際・政治
>「主観の暴走」、「都合のいいシナリオありきの意志決定」というキーワード。

>第二次大戦での敗戦しかり、原発事故しかり、経済政策の失敗しかり、いくらでも当てはまる状況が日本にはあります。

>たしかに、日本という国と日本人という国民の最大の欠陥の一つなのだと言えるでしょう。



‘主観の暴走’ とは、’独りよがり’ のことでしょうか。矛盾を気にしないシナリオは、常に自分の都合の良いものになるでしょう。

考え (非現実) とういうものが文章にならない。文章にならないものは、考えではない。考えもなく、行動に出る。これが暴走である。



>これを自ら意識的に修正できる力が発揮できなければ日本人はいくらでも破滅的な過ちをおかし続けるのでしょう。



そうですね。大切なご指摘だと思います。過ちは、繰り返しますから。

日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制 (tense) がない。だから、日本人には意思がない。

文章があれば、意味もある。意味が通らなければ、その矛盾を指摘することもできる。矛盾を除去すれば、正しい考えとなる。

日本人には意思はないが恣意 (self-will) が有る。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は文章の内容にならない。文章にならないものには意味もなく、矛盾も指摘できない。

恣意による暴走は、壊滅的な過ちを起こす。



英米の高等教育機関では、正しい考え方を教えている。実況放送・現状報告の内容 (現実) ばかりでは無く、時制を使った非現実の内容の作文も教える。

時制を使った作文は、非現実な内容になる。非現実の内容は脳裏に存在する内容であり、考えである。これにより、人間は考える人に成る。

これに対して、現実の内容は頭の外に存在する。考えのない人は、目の前の現象に一喜一憂するばかりである。

時制を使うと過去・現在・未来の文章内容をそれぞれ独立に展開できて、それぞれの世界が脳裏に出来上がる。各世界は、時制の一致 (the sequence of tenses) により独立して存在する。時制の一致により、非現実の過去・現在・未来の世界が過不足なく展開できる。時制に基づく文章が世界観の内容になり、正しい考えに発展する。

それぞれの非現実の世界は、考えの世界であるので個人個人で違っている。だから、お互いに意見を述べ合う価値が有る。世界の ‘あるべき姿’ を語ることもできる。だから、話が高尚になる。独りよがりも避けられる。



>それに気づいて自ら過ちを指摘して自ら正せる日本人が一人でも多くなるようにとメモさせていただきました。



それに気づくためには、英語で高等教育を受ける必要がありますね。だから、各国ともにエリートは子弟を英米に留学させることになります。政治家の国際会議は、英米の大学の同窓会のようなものになるのでしょうか。





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