デンマークのユランズ・ポステン紙が掲載したムハンマド(私的にはマホメットなんですけど、原語音に近い方にします)の風刺画の問題。
風刺画と文明の衝突(川の果ての更に果てに)
ムハンマドの風刺画を載せる、という表現行為が表現の自由として許容されるか。また、イスラームの政教一致をどう考えるかなどについて三流意見を流しております。
風刺画と文明の衝突・2(川の果ての更に果てに)
単なる宗教上の問題か、他宗教で遵守すべき事柄についてどう踏み込むべきかについて、適当に。
問題の発端となったユランズ・ポステンのサイト
問題となっている風刺画
単なる文明の衝突から、格差の衝突…のような様相も呈してきましたね。
フランスでは一部の新聞が新たな風刺画を掲載し、またスウェーデンの極右政党もウェブサイトで同様の行為を行ったようです。これらの行為について、政府は「責任をもって言論をすべきだ」と批判をしているようですが。
ユランズ・ポステンについては若干軽率ながらも表現の自由を強く意識したものだったと思います。ただ、今回のフランス、スウェーデンでの風刺画は表現の自由や宗教というよりはむしろ、自国にいるイスラーム移民に対する不満などを表明したもの、と考えた方がいいのかなと思います。
知ってのとおり、イスラーム系の移民は欧州各地に大挙して流れ込んでいるわけですし、それによって治安悪化などが懸念されてもいるわけですよね(移民は何もイスラーム系だけに限らず、東欧など所得の低い国からも流れ込んでいるそうですけれど)。
去年起きたフランスでの暴動もそうした移民と治安機関との対立が発端となったわけです。おそらく、フランスの風刺画はその第二ラウンド的な部分も含んでいるのではないでしょうか。移民に対する不満などが現実としてEUの加速に待ったをかける事態にもなったわけですしね。
もちろん、離れたところから見ている私達にとっては非常に残念な話ということになるのですけれど。ただ、排外主義には排外主義の主張もあるわけですしね、このあたりは何とも微妙なところです。
米国でも去年の貿易赤字が過去最高だったことで、またぞろ中国・日本を狙い撃ちにした保護主義が進むのではという見方がありますね。
当然、今回の風刺画については表現の自由の意図するところも宗教タヴーに対する挑戦というよりは、自国の一部分(移民)に対する侮蔑的・差別的表現が許容されるかという要素の方が大きいでしょう。そうした差別的表現が許されるのか、という別問題の様相があるわけですよね。
もちろん、こういう部分についても原則として表現の自由は守られないといけない、ということにはなると思います。日本でも、人権擁護法案とか人権擁護条例に対して極めて否定的見解が多いわけですからね。それと同じ。
ちなみに今回の事件に対するブロガーの大半の反応は日中間における他国の反応とも似通ってるんじゃないかなという気もします。「中国の連中も行き過ぎだけど、でも怒るのも無理ないよね。日本が余計なことしているんだから」なんて思われているのでは。
となると、結局のところある程度までは認めざるを得ないというわけですね。個々の事例でもちろん、規制をかけたくなる事項は存在します。だからといって規制をかけようとすると、それ以外の真っ当な活動まで被害を被るわけでして。
スパムが嫌だからTB規制をかけると普通のところからもTBされなくなるのと似たようなものではないでしょうか。
ま、何だかんだ言って、時間が経つと沈静化してくるとは思います。その上でデンマーク首相が遺憾の意を表明して、ユランズ・ポステンはじめ新聞などは改めて謝罪、というところで落ち着くのではないでしょうか。
ただ、現実として今時点では暴動が起きまくっている。起こされているほうも「イスラームはやっぱり危険だ」と思っているかもしれない。となると、対立の融和点を見つけ出すのは容易ではないわけで。
実際、イランはNPT脱退などに関連して今回の話を持ち出しているともいいますし。
まあ、個人的には山藤章二さんのような風刺画であそこまでガンガンやり合うのも何だかなと風刺したくなる部分もあるのですが、現時点では不謹慎ですかね…
2のTB先でコメントしたのですが、イスラームともキリストとも異なり、どちらとも険悪な関係にない日本はこういう時の仲介役としてはかなり適任なのでは、と思うところもあるんですよね。
ただ、現在の日本が率先して仲介役をしようとするとも思えないですし、そんな能力もないだろうし…
あと、やっぱり日本もイスラームに対して偏見を持っているという部分もありますしね。同時多発テロの時に文芸春秋に立花隆さんの記事がありましたが、楽園思想に基づく暗殺者の存在をあたかも事実のように書き立てていましたからね。伝承としては存在しますけど、実際にいたかどうかはまだ判明していなかったと思うのですが…。あのくらいの人でも軽率に書いてしまうということで。
もちろん、これを書いている私自身、偏見のせいで間違えているという可能性はあります。偏見をなくすのは不可能でしょうけれど、できるだけ公平な目で見たいものです。
相変わらずうまくまとまらない…
複合的な社会現象を奇麗にまとめるのは大変です。
風刺画と文明の衝突(川の果ての更に果てに)
ムハンマドの風刺画を載せる、という表現行為が表現の自由として許容されるか。また、イスラームの政教一致をどう考えるかなどについて三流意見を流しております。
風刺画と文明の衝突・2(川の果ての更に果てに)
単なる宗教上の問題か、他宗教で遵守すべき事柄についてどう踏み込むべきかについて、適当に。
問題の発端となったユランズ・ポステンのサイト
問題となっている風刺画
単なる文明の衝突から、格差の衝突…のような様相も呈してきましたね。
フランスでは一部の新聞が新たな風刺画を掲載し、またスウェーデンの極右政党もウェブサイトで同様の行為を行ったようです。これらの行為について、政府は「責任をもって言論をすべきだ」と批判をしているようですが。
ユランズ・ポステンについては若干軽率ながらも表現の自由を強く意識したものだったと思います。ただ、今回のフランス、スウェーデンでの風刺画は表現の自由や宗教というよりはむしろ、自国にいるイスラーム移民に対する不満などを表明したもの、と考えた方がいいのかなと思います。
知ってのとおり、イスラーム系の移民は欧州各地に大挙して流れ込んでいるわけですし、それによって治安悪化などが懸念されてもいるわけですよね(移民は何もイスラーム系だけに限らず、東欧など所得の低い国からも流れ込んでいるそうですけれど)。
去年起きたフランスでの暴動もそうした移民と治安機関との対立が発端となったわけです。おそらく、フランスの風刺画はその第二ラウンド的な部分も含んでいるのではないでしょうか。移民に対する不満などが現実としてEUの加速に待ったをかける事態にもなったわけですしね。
もちろん、離れたところから見ている私達にとっては非常に残念な話ということになるのですけれど。ただ、排外主義には排外主義の主張もあるわけですしね、このあたりは何とも微妙なところです。
米国でも去年の貿易赤字が過去最高だったことで、またぞろ中国・日本を狙い撃ちにした保護主義が進むのではという見方がありますね。
当然、今回の風刺画については表現の自由の意図するところも宗教タヴーに対する挑戦というよりは、自国の一部分(移民)に対する侮蔑的・差別的表現が許容されるかという要素の方が大きいでしょう。そうした差別的表現が許されるのか、という別問題の様相があるわけですよね。
もちろん、こういう部分についても原則として表現の自由は守られないといけない、ということにはなると思います。日本でも、人権擁護法案とか人権擁護条例に対して極めて否定的見解が多いわけですからね。それと同じ。
ちなみに今回の事件に対するブロガーの大半の反応は日中間における他国の反応とも似通ってるんじゃないかなという気もします。「中国の連中も行き過ぎだけど、でも怒るのも無理ないよね。日本が余計なことしているんだから」なんて思われているのでは。
となると、結局のところある程度までは認めざるを得ないというわけですね。個々の事例でもちろん、規制をかけたくなる事項は存在します。だからといって規制をかけようとすると、それ以外の真っ当な活動まで被害を被るわけでして。
スパムが嫌だからTB規制をかけると普通のところからもTBされなくなるのと似たようなものではないでしょうか。
ま、何だかんだ言って、時間が経つと沈静化してくるとは思います。その上でデンマーク首相が遺憾の意を表明して、ユランズ・ポステンはじめ新聞などは改めて謝罪、というところで落ち着くのではないでしょうか。
ただ、現実として今時点では暴動が起きまくっている。起こされているほうも「イスラームはやっぱり危険だ」と思っているかもしれない。となると、対立の融和点を見つけ出すのは容易ではないわけで。
実際、イランはNPT脱退などに関連して今回の話を持ち出しているともいいますし。
まあ、個人的には山藤章二さんのような風刺画であそこまでガンガンやり合うのも何だかなと風刺したくなる部分もあるのですが、現時点では不謹慎ですかね…
2のTB先でコメントしたのですが、イスラームともキリストとも異なり、どちらとも険悪な関係にない日本はこういう時の仲介役としてはかなり適任なのでは、と思うところもあるんですよね。
ただ、現在の日本が率先して仲介役をしようとするとも思えないですし、そんな能力もないだろうし…
あと、やっぱり日本もイスラームに対して偏見を持っているという部分もありますしね。同時多発テロの時に文芸春秋に立花隆さんの記事がありましたが、楽園思想に基づく暗殺者の存在をあたかも事実のように書き立てていましたからね。伝承としては存在しますけど、実際にいたかどうかはまだ判明していなかったと思うのですが…。あのくらいの人でも軽率に書いてしまうということで。
もちろん、これを書いている私自身、偏見のせいで間違えているという可能性はあります。偏見をなくすのは不可能でしょうけれど、できるだけ公平な目で見たいものです。
相変わらずうまくまとまらない…
複合的な社会現象を奇麗にまとめるのは大変です。