人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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『淡谷のり子・いのちのはてに』(聞き手;北川登園)

2008-08-22 05:51:48 | 読書
辞書で「硬骨漢」と引くと「意志が強く金力や権力に屈せず、みだりに自分の主義
を曲げない男」と出てくる。硬骨漢の条件はなによりも抜群の実力を持つことであ
る。

硬骨漢の「漢」は男子の意味である。女性に対しては硬骨漢とはいわないが、男性
であれば間違いなく硬骨漢と呼ばれていたであろう、その人が淡谷のり子だ。

その「最後の自伝」、『淡谷のり子・いのちのはてに』(平成7('95)年。学習研
究社)を図書館で借り、一気に読んだ。

淡谷のり子は東洋音楽学校を卒業したクラシック歌手(「10年に一度のソプラノ」
といわれたらしい。)であるが、生活のため、当時蔑視(べっし)されていた流行
歌手の道に進んでいる。歌う前に、歌詞を自分のものにするまで何度も何度も読む
姿勢には尊敬させられる。


昭和12('37)年、盧溝橋事件、日華事変が発生した年に「別れのブルース」(藤
浦洸作詩、服部良一作曲)が大ヒット。昭和13年歌手生活10周年リサイタルで日比
谷公会堂を超満員にする。

昭和14年国民精神総動員運動「贅沢は敵だ」、「パーマネントは止めましょう」
に、「ドレスが私の戦闘服」とモンペもはかず、マニキュアも止めなかった。

昭和16年、中国大陸の慰問でも「別れのブルース」などを歌い、兵隊から大喝采を
受ける。戦中末期、特攻隊の前でも歌い、涙を流す。
軍歌も一つや二つは歌わなければならなかった。「勝ってくるぞと勇ましく」を歌
っていた。ばかばかしくて「天皇陛下万歳と」までくると、やけっぱちで、調子は
ずれの大声で歌ったら、大受けだった。(「軍国主義の暗黒時代」といってもそん
なものかもしれない。)
けっして反戦のつもりはなかったそうだが、命懸け、真似のできない反骨精神だ。
終戦後、書かされた始末書が山と出てきたという。

その淡谷さんで思い出すのは昭和40('65)年の「今の歌手は歌屋」発言である。
詳しくは本書を読んで知ったが、同年「週刊読売」12月5日号で、古賀政男、服部
正等とやった紅白歌合戦の出場予想で「歌って稼ぐ歌屋さんの氾濫時代」と言った
だけ、特定の歌手を中傷したわけではないという。それを発端にレコード会社、評
論家などを巻き込んで大論争となった。私の記憶では倍賞千恵子の「さよならはダ
ンスの後に」が槍玉にあげられていた。

淡谷のり子は明治40('07)年青森県生まれ。昭和に活躍し、20世紀末期の平成11
('99)年92歳で亡くなった。今年は生誕101年。毒舌で心の温かい人だった。



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