こやなぎ名人の25日の「わたまん」を読んでカナダ人の先生を思い出した。
先生の名前はフレミング・コリン。コリン先生。
昨年の今頃、公民館からの回覧板が回ってきた。
[ 英 会 話 教 室 ]
「カナダ人先生と一緒に英会話の勉強をしてみませんか。」
ネイティブなイングリッシュに触れるチャンスである。
入浴中に考えてみた。
中学校から何年も英語の勉強をやっているのに、
未だ嘗て、外国人と英語で会話をを交わしたことのない私。
お店に外国人が来た時も、
喉まで出かけているのに、一言もしゃべれない私。
どうしようと思っているうち、相手に日本語をしゃべられて
ぎゃふんとなる私。
一言の勇気がないからだ。
英会話教室で外国人の先生と話す機会があれば、きっと話せるはず。
56歳の今、このチャンスを逃せば、
もはや一生こんなチャンスには恵まれないだろうと思った。
よし、やってみよう!!と決意し
「あたし、英会話教室に行くぅ!!!」すぐに家族の前で宣言した。
私が家を開けるには、なんと言っても家族の絶大な協力がなければならないからだ。
こうして私の英会話教室通いが始まった。(と言ってもたったの7回だけれど)
(この日、ベッカムヘアーにしてご機嫌のコリン)
始まるちょっと前に行くと駐車場でコリンに挨拶できる。
Hello! Good evening.How are you?
これも自信になる。
職種が違う20代から60代のリタイア組まで約20人の仲間が、
コリン先生が持ち込んだ手作りの教材で遊びながら楽しく学んだ。
家に帰ってからも娘相手に香取真悟の『ベラベラブック』で。
閉級式の記念写真。
最後に一言ずつ御礼の言葉を言わされ、何人かが英語で話したのだが、
私は心の準備が出来ず、日本語で許していただいた。
その事が今でも悔やまれてならない。
*この後英会話のサークルを作ってみんなは今でも勉強を続けているが、
商売の関係で私は無理。
街で偶然コリンに会ったら勿論英語で挨拶をしたいとおもうが、私のことを
覚えていてくれるだろうか。
*コリンには今フィリピン人のフィアンセがいるそうだ。
先生の名前はフレミング・コリン。コリン先生。
昨年の今頃、公民館からの回覧板が回ってきた。
[ 英 会 話 教 室 ]
「カナダ人先生と一緒に英会話の勉強をしてみませんか。」
ネイティブなイングリッシュに触れるチャンスである。
入浴中に考えてみた。
中学校から何年も英語の勉強をやっているのに、
未だ嘗て、外国人と英語で会話をを交わしたことのない私。
お店に外国人が来た時も、
喉まで出かけているのに、一言もしゃべれない私。
どうしようと思っているうち、相手に日本語をしゃべられて
ぎゃふんとなる私。
一言の勇気がないからだ。
英会話教室で外国人の先生と話す機会があれば、きっと話せるはず。
56歳の今、このチャンスを逃せば、
もはや一生こんなチャンスには恵まれないだろうと思った。
よし、やってみよう!!と決意し
「あたし、英会話教室に行くぅ!!!」すぐに家族の前で宣言した。
私が家を開けるには、なんと言っても家族の絶大な協力がなければならないからだ。
こうして私の英会話教室通いが始まった。(と言ってもたったの7回だけれど)
(この日、ベッカムヘアーにしてご機嫌のコリン)
始まるちょっと前に行くと駐車場でコリンに挨拶できる。
Hello! Good evening.How are you?
これも自信になる。
職種が違う20代から60代のリタイア組まで約20人の仲間が、
コリン先生が持ち込んだ手作りの教材で遊びながら楽しく学んだ。
家に帰ってからも娘相手に香取真悟の『ベラベラブック』で。
閉級式の記念写真。
最後に一言ずつ御礼の言葉を言わされ、何人かが英語で話したのだが、
私は心の準備が出来ず、日本語で許していただいた。
その事が今でも悔やまれてならない。
*この後英会話のサークルを作ってみんなは今でも勉強を続けているが、
商売の関係で私は無理。
街で偶然コリンに会ったら勿論英語で挨拶をしたいとおもうが、私のことを
覚えていてくれるだろうか。
*コリンには今フィリピン人のフィアンセがいるそうだ。