我が家の義母は今年6月に満80歳になり、今でも元気に畑仕事をしている。
今日は敬老の日、それでも畑へ行った。
本人は、2.3年前から年齢を聞かれると「80歳」と答えていた。
「えっ? 若いですねー」と言われるのが快感となっていたらしい。
この手は私も使ってみたいと思う。
娘から愛情を込めて「おばあ」と呼ばれるようになったのは、
国中涼子演ずる「ちゅらさん」を見てからだ。
そのおばあは、平成8年2月に大病をしている。
それまでも冬になるとちょこちょこと寝込む事が多いので、
義父に「あんた、南国で出稼ぎしたらいいんでないのがい」とよく言われていた。
無事手術が成功し、3日目くらいに歩けるようになると、
「これ、私の腸なんです」と静かな声で言いながら、
同室の一人一人に挨拶代わりに切り取った腸の写真を見せて歩いて、義父をやきもきさせた。
手術時には恐怖感が全くなかったと言う。
病名を知らされたのは約一ヵ月後の退院の日で、それでも動揺する様子が見られなかった。
あれから9年経った今、医者の診察を全然受けていない。
初めのうち定期的に検査を受けていたが、「もうよっぱら」になり、
自分で作る「無農薬野菜」と「焼酎漬け」と「ウコン」など色々と、
そして、みのもんたの番組とだけが頼りなのだろうか。
ある時、「こんなにいろいろ呑んで、何が効いでっかわかんね」だの
「みんないなくなって、最後に一人になったらどうすっぺ」なんて心配したりで
私達家族の笑いをとっているが、一人残されることは?これはなんとも言えない。
私が先に逝くことだけはないことにしよう。
「父ちゃんが先に死んだら、この写真を見て笑うんだ」と、
旅先で大きな口を開いて何かをほおばる義父の写真を見てよく笑っていたが、
その義父が急逝して早や7年が経過したが、未だその写真を使ったことがない。
数あるアルバムの中から捜すのも容易でないので、この写真を見てもらいたい。
また、横浜に住む従兄のYさんが来て3人で話をしていた時のこと。
Yさんがお酒を呑みながら、
「おばちゃんはさあ、若い頃月に一度くらい具合が悪くて寝ていたんだよね」
と、確かにこう言った。
ん、ん、ん?なに? 一瞬、空気が淀んだとでも言おうか。静かになった。
嫁の私にそんな過去のみっともない事知られたくないのか?
私は隣に座っている義母の顔は見えないけれど、空気を察して静かに席を立った。
これは、きのうの敬老会で写したもの。
しわを気にしている風なので、
「80歳なんだから、しわがなかったらへんでしょう?」と言ったら、
「いや、これではありすぎる」と。確かにありすぎだ。
手術前、40数キロあった体重が38キロに減り、今夏は35キロまで激減した。
その結果がこの顔のしわに・・・・。
我が娘に「おばあは、顔だけ神経質だね」とよく言われている。
今朝は「おばあの後姿、歩く姿は、お母さんより若くみえるよ!!」と。
だけど、この間、近くで一人暮らしのおばさんがちょっと壊れたかのようなので、
「Nおばさん、最近ちょっと変だわね」と言ったら、
「私も1週間ぐらい前からなんだか変なんだよ。」
畑に行くのにフラフラしたと言うので、お医者さんに行く事を薦めると、
口にコップを運ぶ仕草をしてすましている。
全く、いつもそうなの。当たり前でしょう、お酒を呑めばフラフラするよ。
義父が叙勲の栄誉に輝いた時、義母は入院していた。
宮城まで行かなければならないし、和服も色留袖(?)と指定されているので、
外出してデパートへ行き、着物を買ってきた。勿論私が連れまわした。
天皇に謁見した時の顔は病気上がりのためむくんでいるので、
せっかく着物を新調しても肝心の顔が気に入っていないようだ。記念写真も押入れの中に隠してある。
いよいよ最後は今年の梅干で〆にしよう。
100キロもの梅を一人でもいで、なんと一人で漬けたのだ。
オニ嫁とも言える私は、一切手を出さないで相変わらず食べるだけの人となった。
このようにして親戚や知り合いに配っている。喜んでもらえるのが生きがいなのでしょう。
おひとつ如何ですか?
*新幹線で岩手花泉へ旅立つおばあ 8月20日*