酒酒楽楽

酒酒落落という言葉があるらしいですが、私の場合は『酒酒楽楽』で、お酒と共に楽しい人生を送りたいと考えております。

手編みのプレゼント

2005-09-30 10:08:27 | Weblog
Nさんから戴いた手編みの品。

86歳のNさんが一目一目丁寧に愛情込めてしっかりと編んでくれたもの。

履いてみると私の足にぴったりだ。

28足も編んで、みんなに上げたそう。

娘が、帰宅するなり見つけて一目で気に入り、自分のブログに載せた。

不思議な事に、娘と私の足のサイズが違うのに、娘の足にもぴったりしている。

毛糸のなせる技か?

尚、Nさんは近所のおばあちゃんで、誰からも好かれる人気者。

Nさんの周りにはいつもお友達がいっぱいで、笑いが溢れている。

とっても明るく元気なおばあちゃんだ。

香茸ごはん

2005-09-28 21:00:00 | Weblog
世の中、政界も球界も揺れに揺れているようだが、

それとは全く関係のない話題を一つ。


香茸(シシタケ)をいただいた。

家の中にいて「旬」をゲット。

手も足も汚さないでこんな珍しい茸をいただける幸せ。

香茸はマツタケには劣るかもしれないが、香りがとってもいい。

おいしいご飯が出来そうだ。

「HIROKOさん、乳がんに勝つ。」同級会で江ノ島への巻

2005-09-26 21:25:06 | 家族のこと
「死んだ方がいい」なんて、弱音を吐くようになったHIROKOさんだが、

話をちょっと前に戻したい。

*癌を告知された時のHIROKOさんの思いはどんなだったのか?
「乳房あるなしは問題ではない。1月に1歳になる孫(次女の長男)の世話をすることを楽しみにしていたので、その楽しみを奪われたという悔しさでいっぱいだった」

*乳房の全摘手術を終えて、家族代表の長女の話
「お母さんは、肉が多すぎるからもう片方も一緒に切り取ってもらえばよかった」

まあ、何とも楽観的な家族ではないか。

だがしかし、一応手術を終えてホッとした時の感想であることを付け加えたい。


そして、約半年間にも及ぶ抗がん剤の投与が始まった。

手足のしびれ、体のだるさ。前編に書いたように自分の体でなくなるのだ。

気分のいい時にスーパーへ行くと、近所の主婦に会い、

「あーら、HIROKOさん、手術したって聞いたけど右?左?」なんて聞かれて愕然とした。

心身ともに七転八倒の苦しみ。


あれから1年半。我が家に前記の干物が届いた。

中学校の同級会が思い出の地江ノ島で開かれ、HIROKOさんも参加したのだ。

参加者の中に、静岡で干物を扱う店を持つ友人がいたので、注文したという。

旅館では、一部の同級生に自分が癌の手術をしたことを告白し、

また、少しの迷いもなく大浴場に入れたという。

このことは、HIROKOさんが、身も心もすっかり元気になった証拠である。

私が干物を受け取って喜んだ訳はここにあった。


さて、今、HHIROKOさんは始めたばかりのハワイアンダンスに夢中で、

11月には旦那様と二人で本場ハワイのフラダンスを見るために旅行を計画中という。

また、もうすぐ次女に二人目の子供が生まれる予定である。

乳がんを克服し、新しい人生を歩み始めた私の実姉HIROKOさん、

諦めないで良かった、生きてて良かったね。


  


(写真:キンモクセイ  いい香りに誘われて辿っていきましたら蔵の前のキンモ            クセイが咲いていました。)

「HIROKOさん、乳がんに勝つ。」 セカンドオピ二ヨンの巻

2005-09-25 23:00:20 | 家族のこと


HIROKOさんから静岡産の干物が届いたのは今月半ばだった。

4人家族で食べきれないほどの干物に驚き、いや、驚きより嬉しさの方が大きかった。

その嬉しさは干物の美味しさゆえではなく、別に理由があった。


HIROKOさんが体の異常に気づいたのは、2003年の11月のこと。

それまで、定期検査を欠かさず受けていたのだが、

この年は孫達との海外旅行もあり、忙しさでついうっかりしていた。

近くの病院で検査を受け、ほぼ乳がんと判明。

乳がんの経験のある友達に相談すると、東京の癌研究会付属病院での受診を勧められた。

次の検査の時、恐る恐る主治医にそのことを話すと、

ありがたい返事が返ってきて、その上、紹介状まで戴いた。

これぞ正しく「セカンドオピにヨン」である。


東京の癌研に入院・手術をしたのは2004年の3月。

麻酔から醒めて私に電話があった。病人とは思えないほど明るい声だった。

同じような患者がいる病室は、まるでホテルにでもいるような雰囲気だそう。


その後3月末に、郡山駅前で癌のシンポジュームがあり、主治医の癌研のK先生(乳がんの権威)もパネラーとして来られた。

それを知った私も友達数人を誘って出席した。

休憩時間に先生に御礼を言いたいと、絶対に言わねばと思っていたが、私が入る余地などあるはずがなかった。

先生のかつての患者と思われる女性達が笑顔で先生を取り巻いていたのだ。


明るい気分で退院したHIROKOさんではあったが、抗がん剤を使い始めると苦しくなり、

自分の体であって自分の体でないような、癌との壮絶な闘いが始まった。

「こんなに苦しい思いをするのなら死んだ方がいい」と思い始めた。

          つづく

商工会女性部バレー大会(県中地区大会)

2005-09-22 22:41:39 | Weblog


先般、バレーボール大会が開催された。

市の大会でようやく5位入賞を果たした我がチームもこの大会の出場権を得、

今回は、前回やむを得ず出場できなかった強力なメンバーが加わったものの

エースアタッカーのMさんが、急遽仕事の関係で出られなくなり、

しかし、1試合目の都小路村商工会を2対0で破り、

つづく2試合目の天栄村商工会も2対0で破った。

難しいのは対中田町戦。このチームはいつも優勝候補なのだ。

このチームには、私が昔可愛がっていた5番のJちゃんもいる。

実家の畳屋さんのお手伝いをしている。

勿論我がチームに勝ってほしいし、Jちゃんも応援したいし複雑な心境の私。



応援団の中にお父様の姿も見られた。

このお父さん、私と同年代でもうお孫さんがいる。

ここで、急に自分を応援したくなった私 いっこんま3である。



そんなこんなで、試合の行方は?


私が中田町の他のお母さん達と仲良くしている間にどんどんアタックを決められて・・・

思いがけない?負け試合となりました。

それでも笑顔を絶やさない我が選手団。



じゃん。 第3位 おめでとう!!



こらこら、そこの後列のお二人さん、カメラはこっちですよ。

定休日につき いろいろと

2005-09-22 00:08:20 | Weblog

本日定休日につき、以前より会いたいと思っていた昔の教え子に連絡して会うことになった。

彼女が小学4年生の時からの付き合いだから、かれこれ30年位になる。

待ち合わせ場所に早く着いたので、近くの公園をデジカメ片手にブラブラ。

「水と緑がきらめく郡山市」と謳うわが市にはここ数年間に新しい公園がいくつも出来た。

麓山の21世紀公園もその一つ。

しかし、この「荒池公園」は昔からあった。


通路を挟んでこちらではゲートボールをする元気な高齢者が。

近くには市民文化センター、中央図書館、視聴覚センターなどがあり、また高級住宅街に、マンションもある。

こういう便利なところに住むのも悪くないなと考えながら、日差しがまぶしいので日影で休んでいると彼女がやって来た。

久し振りのおしゃべりをしているうちに予約の時間となり、

上はママとKちゃん。彼女には小学6年生を頭に女の子が3人いる。

家業の経理と68歳のお義母様のお世話が彼女の日課。

私のブログを見たくても見る暇がないそうだ。 


下は「野菜のクリームスープ」マイルドで実においしい。


最後にデザートとコーヒーOR紅茶が。(写真は省略したが以上10品で税込1575円。飲み物別)


これで、私たちは2時間半のそれこそスローライフを楽しむことが出来た。

2時半から小学校の鼓笛パレードがあるというので、そちらへ急ぐことになり、


娘のころは、市内全校参加でさくら通りで行われていたのだが、今は週休二日制で
練習の時間がとれないのだろうか?


今日は、この学校だけが、旧国道(4号)でのパレードとなった。

娘の小学校の頃は、ビデオカメラと一眼レフとを持ち、汗を拭き拭き追っかけをしたものだったが・・・・・

気がつくと、つま先で拍子をとったり、リズムに合わせて歩く私がいた。

珍しいものを見つけたのでご紹介しよう。



あの西田敏行もこの通りを幾度となく通ったに違いない。

少し南へ行くと彼の出身中学校がある。

最後は彼女の長女。6年生。
私にとっては孫みたいなもの。


我が家の昔乙女は80歳

2005-09-19 20:36:07 | 家族のこと
我が家の義母は今年6月に満80歳になり、今でも元気に畑仕事をしている。

今日は敬老の日、それでも畑へ行った。

本人は、2.3年前から年齢を聞かれると「80歳」と答えていた。

「えっ? 若いですねー」と言われるのが快感となっていたらしい。

この手は私も使ってみたいと思う。

娘から愛情を込めて「おばあ」と呼ばれるようになったのは、

国中涼子演ずる「ちゅらさん」を見てからだ。

そのおばあは、平成8年2月に大病をしている。

それまでも冬になるとちょこちょこと寝込む事が多いので、

義父に「あんた、南国で出稼ぎしたらいいんでないのがい」とよく言われていた。

無事手術が成功し、3日目くらいに歩けるようになると、

「これ、私の腸なんです」と静かな声で言いながら、

同室の一人一人に挨拶代わりに切り取った腸の写真を見せて歩いて、義父をやきもきさせた。

手術時には恐怖感が全くなかったと言う。

病名を知らされたのは約一ヵ月後の退院の日で、それでも動揺する様子が見られなかった。

あれから9年経った今、医者の診察を全然受けていない。

初めのうち定期的に検査を受けていたが、「もうよっぱら」になり、

自分で作る「無農薬野菜」と「焼酎漬け」と「ウコン」など色々と、

そして、みのもんたの番組とだけが頼りなのだろうか。

ある時、「こんなにいろいろ呑んで、何が効いでっかわかんね」だの

「みんないなくなって、最後に一人になったらどうすっぺ」なんて心配したりで

私達家族の笑いをとっているが、一人残されることは?これはなんとも言えない。

私が先に逝くことだけはないことにしよう。

「父ちゃんが先に死んだら、この写真を見て笑うんだ」と、

旅先で大きな口を開いて何かをほおばる義父の写真を見てよく笑っていたが、

その義父が急逝して早や7年が経過したが、未だその写真を使ったことがない。

数あるアルバムの中から捜すのも容易でないので、この写真を見てもらいたい。



また、横浜に住む従兄のYさんが来て3人で話をしていた時のこと。

Yさんがお酒を呑みながら、

「おばちゃんはさあ、若い頃月に一度くらい具合が悪くて寝ていたんだよね」

と、確かにこう言った。

ん、ん、ん?なに? 一瞬、空気が淀んだとでも言おうか。静かになった。

嫁の私にそんな過去のみっともない事知られたくないのか?

私は隣に座っている義母の顔は見えないけれど、空気を察して静かに席を立った。



これは、きのうの敬老会で写したもの。

しわを気にしている風なので、

「80歳なんだから、しわがなかったらへんでしょう?」と言ったら、

「いや、これではありすぎる」と。確かにありすぎだ。

手術前、40数キロあった体重が38キロに減り、今夏は35キロまで激減した。

その結果がこの顔のしわに・・・・。

我が娘に「おばあは、顔だけ神経質だね」とよく言われている。

今朝は「おばあの後姿、歩く姿は、お母さんより若くみえるよ!!」と。

だけど、この間、近くで一人暮らしのおばさんがちょっと壊れたかのようなので、

「Nおばさん、最近ちょっと変だわね」と言ったら、

「私も1週間ぐらい前からなんだか変なんだよ。」

畑に行くのにフラフラしたと言うので、お医者さんに行く事を薦めると、

口にコップを運ぶ仕草をしてすましている。

全く、いつもそうなの。当たり前でしょう、お酒を呑めばフラフラするよ。


義父が叙勲の栄誉に輝いた時、義母は入院していた。

宮城まで行かなければならないし、和服も色留袖(?)と指定されているので、

外出してデパートへ行き、着物を買ってきた。勿論私が連れまわした。

天皇に謁見した時の顔は病気上がりのためむくんでいるので、

せっかく着物を新調しても肝心の顔が気に入っていないようだ。記念写真も押入れの中に隠してある。

いよいよ最後は今年の梅干で〆にしよう。

100キロもの梅を一人でもいで、なんと一人で漬けたのだ。

オニ嫁とも言える私は、一切手を出さないで相変わらず食べるだけの人となった。



このようにして親戚や知り合いに配っている。喜んでもらえるのが生きがいなのでしょう。
おひとつ如何ですか?



*新幹線で岩手花泉へ旅立つおばあ 8月20日*



一日早めの地区敬老会

2005-09-18 22:34:04 | Weblog
明日は敬老の日。

この地区でも実行委員会(区長、民生委員、各種団体)を中心に敬老会の準備が進められていた。

昨日、会場となる小学校体育館に紅白の幕を張ったり、イスや座布団なども持ち込み全ての準備が完了した。

全ての準備完了。が、しかし、わたくし担当の「資料」だけが未だ出来上がらない。
出来上がらないどころか、ここになってミスが見つかりどうしようもないとこまで来ていたのだ。(そんなことは誰も知らない)

表紙と小学生の作文発表のページの挿絵のことで悩んでいた。
昨年と同じでは面白味がないし、かと言って自分でデザインできる能力もない。

昨年まではああでもない、こうでもないと捜す時間もあったような気がするが、
今年は時間もなかった。そうこうしている内に期限が来て上記のような事態となり・・・・・

で、印刷のやり直し、綴じ直しと時間がかかりようやく出来上がったのが、夜の12時前だった。

挿絵については、結局作文のページは昔から持っているイラストの本を参考にして、肝心の表紙は去年と同じにした。(まあいいや、どうせ誰も気がつかないんだから)

と、前置きが長くなってしまったが、今日はその敬老会当日。
75歳以上の高齢者180名を招待している。

市長代理のお祝いの言葉によると、市では約28,000名の高齢者をお招きし市内51の会場で敬老会が行われるそうだ。

また、市内には107歳をトップに100歳以上が40数名おり、そのうちの9名が男性で残りは女性。体育館の中を見渡しても如何に女性の高齢者が多いかが判る。

写真がピンボケとなってしまい悔しい思いの私だが、
米寿表彰6名、しあわせ金婚夫婦が4組あった。

で、いよいよ作文発表となった。
6人の小学生が大好きなおじいちゃんおばあちゃんに対する思いを綴っていた。

「おじいちゃんの野菜は美味しい」「おばあちゃんのかぼちゃの煮物が美味しい」
と、土地柄か野菜好きな子が多いように思われた。



こちらは、下組きれいどころによる「佐渡おけさ」

カメラを構えていた私は何故か「風の盆」の哀愁を思い起こされ、しばしシャッターを切るのを忘れていた。



次はスポーツ民踊(みんよう)の「芸者でダンス」 

私もスポーツ民踊は大好きだ。踊ったというより運動したという気持ちになる。

いつも面白い衣装で観客を楽しませてくれるチームだが、今日は何故か衣装が決まりすぎ?



これは大正琴の「琴生流りんどう会」のみなさん。

トレモロ?を聴いているうちに愛用のマンドリンを思い出す。

ケースに入ったままだからたまには出して弾いてみよう。



余興はこのほかにもあり、みんなそれぞれスターみたいな衣装を身にまとい、

一生懸命熱唱していたのだけれど、私の写真の腕が悪くてボツになってしまった。

私の方にいい笑顔を見せてくれた役者の皆さんに深く陳謝するのみ。

司会のOさんも慣れてきて余裕のナレーションだった。

最後に今日の引き出物というかお土産はじゃ~ん、これこれ。

箱の中身はなんでしょうか。 いろんな竹炭が入っているよ。




じゃ~~ん 認定証です。

2005-09-16 22:34:09 | Weblog
別に見せびらかすほどの事でもないのですが、

本日、EMインストラクター養成講座の最終日で、

一応初級の認定証をいただきましたので、ご報告いたします。

今後、私達の町の商工会女性部では、一般の方々向けの講習会を

早急に開いて、米のとぎ汁EM発酵液の作り方等を出来るだけ多くの人たちに

広めていくべく、準備を進めているところです。