6日(月)の朝、千葉に住む二番目の姉から電話がありました。
長姉の様子がおかしいので見に行けないかと言うのです。
久しぶりに電話をしたら、いつも電話口に出るはずの長姉が出ないで替わりに病気療養中の義兄が出たこと、
その義兄の声に張りがないし、加えて、長姉は吐き気がしているようだとも言います。
24年前の悪夢が甦り、落ち着いてはいられなくなりました。
しかし、夫は会議のため出かけた後でした。そのため、私は家を離れられません。
実家のすぐ側に住み、長姉の家にも近い妹に連絡すると、風邪のため病院へ行ったとのことでした。
姪(姉の長女)の携帯に連絡すると、定休日ではあるが、これから講習会がありその会場へ向っているのだと。
OH!万事休す。なんていうことでしょう。
24年前の悪夢とは・・・・・
6月○日 父が脳血栓のため入院
8月○日 父外出の許可が出る
8月○日 父救急車で病院へ戻る 高校野球を見て血圧が上がったらしい
8月○日 くも膜下出血と診断され、兄弟全員が招集されました。
「1週間以内に手術をしなければならない。しかし、手術をしたとしても100パーセント生きられるかどうかは分からない等等。結局、手術をお願いすることとなり、輸血用の血液を集めなければならなくなりました。
親戚、知り合いにお願いしてどうにか手術当日10名の方に輸血のために病院へ来ていただくことが出来ました。
8月25日 父くも膜下の手術を受ける
10月19日 いっこんま、帝王切開で娘を出産
10月25日 父退院 私の入院していた産婦人科へ母と弟が寄り、赤子を見る
11月6日 いっこんま退院 実家へ寄り、両親に赤子を見せる
11月8日 仙台の友人二人が来郡
11月9日 母倒れる 頭がが~んと痛くなり、吐いた。
11月10日 くも膜下出血のため手術
11月18日 母死亡
くも膜下出血の初期症状として、「ハンマーで殴られたような頭痛」と「吐き気」があるそうです。
ですから、姉の「吐き気」は大変気になりました。
午前11時、夫が会議を抜け出して帰って来ました。お客様の葬儀に出席するためです。
「あたし、姉ちゃんとこに行ってみるね」
「ああ、いいよ」
携帯で連絡していたので、内容は大体知っています。
(しかし、なんてやさしい人でしょう。感謝してます。)
夫が急いで着替えて葬儀へ行っている間に、私も出かける用意をしました。
姪(姉の長女)と妹にも用事が済み次第、姉の家へ行くよう連絡をして・・・
さて、姉の家へ行くまでの間、私はどんなに心配したことでしょう。
『布団の中で意識がなくなっている姉』と『側でおろおろする義兄』
私の目に写るものは・・・この二つでした。
ところがです。
姉の家に着くと・・・
当の本人は、顔色は悪いが洗濯したり家の内外をうろうろしているではありませんか。
ええ~~っ?!?!
程なく、姪も妹も心配顔で到着しました。
とりあえず、かかりつけの内科で診て貰うことになり・・・・・姪が連れて行きました。
その間、残った3人でおしゃべりをしながらの昼食です。
義兄の日頃の不満を聞いてあげました。
姉の病名はといいますと・・・・・風邪からくる吐き気だということでした。
点滴をしてもらって気分が良くなったのか、ニコニコ顔で帰ってきたのでした。
一件落着です。
この4時間余りの間に心配したり泣いたり笑ったりと幾つもの心の変容がありました。
今は、皆ほっとしています。
24年前の今日、母は未だ眠ったままです。時折右腕と脚がぴくぴく動いていました。
10日間の脳死状態のまま、11月18日の夕方に母は旅立ちました。娘が生まれて一ヶ月後でした。
山茶花の季節になると思い出す悲しい出来事です。
もう一つ。
その頃、義父が孫の生誕記念にとピンクの山茶花を買って来て、鉢植えのそれを陽の当たる縁側において嬉しそうに眺めていました。
その義父も孫の成長を見届けないまま逝ってしまい・・・・・
その後、義父の書類を整理していた時に義父の綴った歌を見つけました。
母を亡くし、悲しみをこらえている嫁を気づかう歌でした。
11月12日の東日本女子駅伝の結果報告
1位 群馬県 2時間20分37秒
2位 福島県 2時間21分30秒
3位 茨城県 2時間22分26秒
4位 神奈川
5位 千葉
6位 宮城
3区から一位をキープしていた福島は、最終9区で群馬のアンカー芳賀麻里奈にかわされ、惜しくも優勝を逃しました。
芳賀麻里奈は福島県の出身です。故郷に錦を飾ることが出来、最高の笑顔でゴールテープを切りました。
渋井陽子を擁し優勝候補に挙げられていた東京は、一区で思わぬハプニングがあり、注目の渋井が5人抜きと健闘するも9位に終わりました。
24年前の悪夢。
お姉さん風邪を拗らせただけでホッと安心しました。
くも膜下出血と言えば、私にも苦い思い出がありました。
ばぁちゃんが脳梗塞で倒れる2~3年前だったか、夫もくも膜下出血で倒れ手術をしました。
やはり頭をハンマーで殴られたような痛みだったと言います。
幸い早急の手術で、後遺症が残る事もなく現在に至っています。
いっこんまさんの24年前の暗い記憶が…居ても立ってもいられないような…そんな気持ち少なからず分かるような気がします。
本当に良かった。。。良かったですね! いっこんまさん。
ドキッとすることが多くなりましたね・・・。
兄弟や親との別れの思いでは・・・、
心の底にずしっと沈めて、
「いつか、も一度、まみえる日まで」と
自分に言い聞かせながら、
なんとか暮らしているような気がします・・・。
お姉さん、
大事無くて本当によかったですね・・・。
本当によかったです。
さざんかの思いでは、
辛い思い出なのですね・・・。
それでも、
寒さに向かって、美しい花をつけるこの花に
なぜか、強さをもらえるような気がします・・・。
短歌・・・ありがたいですね。
いっこんまさん、かわいいお嫁さんだったのね。
あいだ、あいだに挟まれるサザンカに呼吸を整えながら。。。
お姉様、大事無くて良かったですね。
ホッとしました。
24年前、何とめまぐるしくも重い時間を過ごされた事か。。。
お義父さんのお話、ホロリときました。
気丈に振る舞ういっこんまさんに胸を痛めてらしたんでしょうね。
その歌を見つけた時、嗚咽を漏らしたんじゃないでしょうか。
いっこんまさんはいつも人の事を気にかけてらっしゃいますよね。
ご自身の体も気遣って差し上げて下さいね。
自分の周りで起こった近親者との別れと重なった部分もありましたので、このようにして人は、いろんな場面を乗り越えて今があるのだと同感しています。
お姉さん風邪で良かったですね。
どうしても、悪いことを考えてしまいがちですから、いっこんまさんのご心配はよく分かります。
お大事に全快されますように。
それにしても、この山茶花の美しいこと。
美しさを見事に捉えていらっしゃるし、さまざまな表情が心理状態の現れとして感動的です。
昨夜、うかがったんですよ。
それで24年前のことを知り、
涙でコメントできませんでした。
そんなお辛いことがあったのですね。
でもそれを乗り越えられ、今のいっこんまさんがいらっしゃる。
人生の修行・・・苦しく、辛くとも人間を磨いてくださるんですね。
心の賢い先輩に続きます。
ありがとうございました。
うめももです。
山茶花の白い花の中に心の痛む思い出・・・。
「君見よ 双眼の色
語らざれば 憂いなきに似たり」
相田みつをさんの、この詩が浮かびました。
いっこんまさんが、普段おっしゃらずとも抱えていらっしゃる思いが伝わってきました。
お姉さま、本当に風邪でよかったです。
つい・・・書いてしまいました。
我が家も、孫が生れる頃、じい様が倒れ、生まれ変わりなどと心配いたしましたよー。今日も、じい様は孫と遊べました
後遺症がなくて良かったですね。
この間、やはり商売の関係の知り合いの方(30代)が、くも膜下出血で倒れて現在リハビリ中です。後遺症がないよう祈っています。
姉の風邪は大したことがなくて本当にホッとしました。
両親と姉がそんな病気ですから、私も検査すれば・・・分からないですね。
「いつか、も一度見える日まで」
そうですね。あちらへ行くのが楽しみになりますね。でも、「未だちょっと待って~」と言うとこですね。
かわいい嫁ではありませんが、義父の短歌にはホント泣かされました。
皆さんに見ていただきたくてもちょびママさんのような掲載の仕方が出来ませんので、思い切って身の上話を綴ってみました。
今度は父母が息を引き取る間際のこともブログに記録しておきたいと思っています。(生と死の観点から)
ちょびママさん、肩こりや目の痛さは解消しましたか?
私ももっと若い頃に目の奥が痛くなったことがあります。それで寝る前の読書を止めたのです。
頭が痛くなったら無理をしないですぐ寝ることにしています。