けいた と おちぇの親方日記

わんこと暮らす、のんびり日記

小説「終わらざる夏(全3冊)」(浅田次郎著)

2014-08-15 18:00:00 | 書籍(コミック)
一昨日、浅田次郎さんの「終わらざる夏」全3冊の下巻が読み終わった。

今日は終戦記念日であるが、
いろいろと考えさせられてしまう作品であった。



これは、玉音放送の3日後の昭和20年8月18日未明、
ソ連軍に攻め込まれた千島列島の占守島(シュムシュ島)での話である。

「シュムシュ」の名のいわれは、
クリルアイヌ語で「美しき島」あるいは「親なる島」を意味する
「シーモリシ」という言葉が訛ったものだといわれているそうだ。

この作品では、
普通の人たちが戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。

「戦争は人と人がするものじゃないんだ。
 人間同士がどんなに仲が良くたって、国と国との戦争になれば、
 誰もが鬼になってしまうのよ。」

ひとりひとりは決して悪い人ではなくとも、
戦争となり、敵同士になれば、殺し合わなければならない。

本当に不幸なことである。



本作品の中には、疎開中の子供もでてくる。
そのひとりが次のようなことを心の中で言うシーンがある。

「自分の苦しみは決して口にしてはならない。
 他人の苦労はわがことと思って背負い、
 自分の苦労は語ってはいけないと、浅井先生がおっしゃっていた。
 だから譲やおばあさんの気持ちを思いやっても、
 母が死んでしまったことは口にしまいと静代は胸に誓った。
 難しいこととではない。日本人なのだから、
 遠い昔からそうやって生きてきた日本人なのだから。」

また、その疎開先の先生のこころを描くシーンでは。

「浅井マキ子は信念として、神仏に恃んだことがなかった。
 人間は他者に依存すれば必ず努力を怠ると思うからである。
 そのかわりいつも故人に倣って、照覧あれかしと祈った。
 神仏は見ていてくださる。それだけでいい。」

この他にも、占守島の鮭缶工場で働く女子挺身隊員たちが出てくる。
彼女たちの考え方、生き方の立派さ、素晴らしさが描かれている。

昔の日本人は立派であったと、改めて思う。



敗戦の日、疎開先から脱走してきた子供が
上野駅で迎えに来る母親を上野駅で待っているとき、
それまで付き添ってくれていた男が言う。

「二度と、戦争はするな。戦争に勝ちも敗けもあるものか。
 戦争をするやつはみんなが敗けだ。
 大人たちが勝手に戦争をしちまったが、このざまをよく覚えておいて、
 おめえらは二度と戦争をするんじゃねえぞ。
 一生戦争をしねえで畳の上で死ねるんなら、そのときが勝ちだ。
 じじいになってくたばるとき、本物の万歳をしろ。」

今、平和でいられることを感謝したい。
コメント
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