「その4・静止系が客観的な存在だと何が困るのか?(@時間の遅れ合成則)」では
『「相対速度で時間遅れの合成則が成立している不思議な理由は客観的に存在する静止系があるからです」が正しい表現となります。
そうしてこの状況はまた「ローレンツ変換は客観的に存在する静止系を許可している」と言う事を上回っていて「ローレンツ変換は客観的に存在する静止系を必要としている」=「ローレンツ変換から客観的に存在する静止系が出てくることは必然である」という状況の様に見えるのです。』
と随分と踏み込んだ表現をしました。
そうして「4-2・静止系が客観的な存在だと何が困るのか?(@時間の遅れ合成則)」においては
『さてそうであればますますこの「ローレンツ因子の合成則=時間遅れの合成則」が持つ意味を十分に検討する事が必要となるのです。』と書きました。
それでこのページでは「時間遅れの合成則が示している事」について再度、検討する事と致しましょう。
さて数式上に於いては「速度の加法則が成立するならば、恒等式として時間遅れの合成則は成立している」という事は疑う事ができない、数式上の整合性が存在しています。
となると問題は「その関係式が持つ物理的な意味」という事になるのです。
そうしてこの意味を考えると「今までは成立している様に見えた事=全ての慣性系は平等である」を疑わざるを得ない状況に追い込まれます。
そう言う訳で「時間遅れの合成則の関係式が持つ物理的な意味」を確認する事はなかなか難しいものでした。
まあそうなのではありますが具体的な事実として
・「時間が遅れる」という現象は「特殊相対論が予想している様に実際に起きている」と言う「多数の実験事実の積み重ねの存在」
とそうして
・「横ドップラー効果では赤方偏移のみならず青方偏移も起きる」という事実
それから
・「ハーフェレ・キーティングの計算のやり方では北極点上空に設定された慣性系が優先慣性系になっている」という事と「そのやり方で計算した場合に測定値が相対論が予想する通りの値を示している」という事実の存在。
これらの実験的な事実の存在によって「静止系が客観的な存在である」という事が強く示唆される状況になってきています。
そうであればそれらの実験的な事実を考察の中に加える事で「時間遅れの合成則の関係式が持つ物理的な意味」をより深く検討する事が出来る様になったと言えます。
さて前書きはそれくらいにして本論に入りましょう。
通説の解釈「sqrt(1-V^2)の割合でこちらの慣性系に対して相対速度Vで運動している相手の慣性系の時間の進む速度は遅れる」という立場にまずは立ちましょう。
その立場に立った途端に「時間遅れの合成則」は「優先される慣性系が存在する」という内容を示すものになります。
これは通常は『私が立つ慣性系』を「静止系として扱う」という事から出てきます。
そうしてその様に『私が立つ慣性系』を「静止系として扱う」為に『私に対して相対速度Vで運動している慣性系』は『優先権を失う事になる』のです。
つまりは「『私が立つ慣性系』を「静止系として扱う」と決めた時点」で『私が立つ慣性系』が「優先される慣性系になる」と「時間遅れの合成則」は主張しているのです。
さてその事実に対して「全ての慣性系は平等である」と主張してみてもその主張によってこの事がくつがえる事はありません。
それは「速度の加法則が成立している」という事を認めるのであればそのことと「時間遅れの合成則が成立している」という事が切り離せない事から来ています。
それに対して「全ての慣性系は平等である」論者が反論できるとしたら「2つの慣性系のうちどちらを静止系とするのか、決める事ができるのは『私=観測者』である」というものです。
それはつまりアインシュタインの主張「私が立つ慣性系を静止系として良い」という主張そのものです。
「時間遅れの合成則が主張している事=静止系が優先される慣性系になる」という事実は認めましょう。
しかしながら「その静止系を『私が』決めるまでは全ての慣性系は平等なのです」という訳です。
そうして『私が一つの慣性系を選んでこれが静止系である』と決めたとたんに「時間遅れの合成則が働いて」「静止系として選ばれた慣性系が優先する慣性系になる」と主張する事になります。
まあそのような主張は少々強引な印象がありますが、「その主張を認めた」としましょう。
それはつまり『私が慣性系を選び出す前』においては「静止系はどこにも存在せず」、したがって「全ての慣性系は平等である」という主張となります。
さてこれで論点が明らかになりました。
『私が選んだ慣性系が静止系になる』のであれば「全ての慣性系は平等である」が成立しています。
他方で「静止系が客観的な存在」であるならば「『私の選択とは無関係に』優先する慣性系が存在し、全ての慣性系は平等ではない」という事になります。
それでここで注意すべき事はアインシュタインが「私が立つ慣性系を静止系として良い」という主張をした当時は「静止系に対して運動している慣性系は時間が遅れる」という話は理論上のものでしかなく実験事実は存在していませんでした。
しかしながらその後多くの実験と観測が行われて「地球に対して運動しているものは時間が遅れている」という事実が積み重なりました。
それらの実験事実が示している内容は「地球を静止系として扱ってよい=地球はほぼ静止系となっている」というものでした。
さてその時に『私が地球を静止系と認めた』ので「地球は静止系として機能している」のでしょうか?
そうであればまさに「全ての慣性系は平等である」論者の主張が成立している事になります。
それとも「地球は客観的に存在している静止系に対しての移動速度が小さい」ので「地球はほぼ静止系として機能している」のでしょうか?
そうであれば「静止系は客観的な存在である」という事になります。
さてそれでその事に白黒つける実験は横ドップラーの測定になります。
「私=観測者」が静止系を決めているのであれば横ドップラーの測定では常に観測されるのは赤方偏移となります。
そうであれば「2つの慣性系がすれ違いざまにお互いが横ドップラーを観測しあう」という「W横ドップラーの測定」では「両方ともに赤方偏移を観測する」という事を示しています。
しかしながら「客観的な静止系が存在した場合」には「一方が赤方偏移を観測した」ならば「他方は青方偏移を観測する」のです。
そうして実験事実は「一方が赤方偏移を観測した」ならば「他方は青方偏移を観測する」を支持しています。
つまりは「静止系は客観的な存在」を実験事実は支持しているのです。
静止系は『私が恣意的に決定できるようなものではない』のです。
さて以上の話のなかで「時間遅れの合成則の関係式が持つ物理的な意味」とは何になるのでしょうか?
どうなるのでしょうか?
その答えはローレンツ変換の中にあります。
ローレンツ変換そのものは「地球が客観的に存在する静止系であっても困らない」のです。
あるいは「特殊相対論は困らない」と言っても良いかと思われます。
それは特殊相対論が「静止系を前提として計算を行うシステムであるから」ですね。
そうして
1、「特殊相対論そのものは」「この慣性系が静止系である」とか「この慣性系が静止系ではない」とかいう事はありません。
2、それは「特殊相対論の外側にある事柄であるから」ですね。
3、しかしながら「特殊相対論の計算には静止系が必要」なのです。
4、そうしてその時には「静止系は優先される慣性系になる」と「時間遅れの合成則が保証している」のです。(注1)
さて上記の3、と4、については「特殊相対論が持っているロジック」になっています。
特殊相対論が内包している、特殊相対論の中にあるものです。
しかしながら1、と2、については特殊相対論のあずかり知らぬ事であります。
特殊相対論の外にあるものです。
つまりは「この慣性系が静止系である」という判断は特殊相対論からは出てこないのです。
しかしながら3、と4、からロジックを組み立てますと「特殊相対論は優先する慣性系の存在を認めている」が結論として出てきます。
そうして「特殊相対論そのものはどの慣性系が静止系である」のかは判断しない、判別しない、判別できない、というのがこのストーリーのミソであります。
この事は本当に奇妙な事に聞こえますが「宇宙がそのようにして出来上がっている」のであればそれを我々は認める以外の方法はないように見えます。
ちなみに「特殊相対論は優先する慣性系の存在を認めている」が「真」となりますと「特殊相対論に於いては全ての慣性系は平等である」は「偽」となります。
さてそうなると驚くべき事にそこから「特殊相対性原理は成立していない」という事が出てきます。(注2)
そうしてこの結論は特殊相対論そのものから出てくるものなのでありますから「これを否定する」という事は「特殊相対論そのものを否定する」という事になります。(注3)
さて以上より「時間遅れの合成則」は「静止系が優先する慣性系である事を示すもの」であり、それは又「特殊相対性原理が実は成立していない事を示すものである」が結論となります
注1:この結論については「時間遅れの合成則」についての今までの議論から出てきたものになります。
注2:ういき「特殊相対性理論」: https://archive.md/Tsk4p :より
『指導原理
アインシュタインの原論文における特殊相対性理論では、以下の二つの事柄を指導原理(前提条件、公理)として、その物理学的枠組みが展開されている[18][19]。#特殊相対性理論に至るまでの背景に述べた「エーテルに対して動いていない”特別なひとつの慣性系”が存在するはず」という思想からの脱却である。
特殊相対性原理
物理法則に関してすべての慣性系は対等である。すなわち、あらゆる慣性系において物理法則を記述する運動方程式は、その形式が不変である。
光速度不変の原理
真空中の光の速さは光源の運動状態に無関係である。
特殊相対性原理は運動方程式がある種の座標変換に関して共変であるべき、との原理である。
なお、アインシュタインの最初の論文では単に「相対性原理」と呼ばれていた。のちに一般相対性理論が世に出てから、それと区別するために「特殊相対性原理」と呼ばれるようになった。
光速度不変の原理は相対性理論構築に必要な最低限の要請をマクスウェル理論から抽出したものであり、物理的に新しい主張を含むのは特殊相対性原理のみである[20]。』
注3:ここの部分の言い方は難しい所があります。
より正確には「この結論は特殊相対論そのものから出てくる」は「この結論はローレンツ変換そのものからでてくる」となります。
そうして特殊相対論はそのローレンツ変換にいろいろな解釈がプラスされたもの、と言う見方が出来ます。
従って世の中には
・ローレンツの特殊相対論
・ポアンカレの特殊相対論
・アインシュタインの特殊相対論
・ミンコフスキーの特殊相対論
の少なくとも4つのタイプの特殊相対論が存在している事になります。
しかしながらいずれの特殊相対論も同じ形のローレンツ変換の式を基にしているのです。