「時間の遅れはお互い様」が成立しない状況について。
まずは空間のなかで円運動している2つの時計を考えます。
それで「世界にある物体はその2つの時計だけ」とします。
そうして右側で円運動している時計をA,左側の時計をBとします。
時計Aは例えばこんな感じで円運動しています。
(1-cos t, sin t, 0.1t)の0<t<4piの三次元パラメトリックプロット
XY平面は空間座標、Z軸は時間経過を示します。
原点からスタートしてt=2π時間で時計回りに一周します。
それに対して時計Bはこうです。
(-1+cos t, -sin t, 0.1t)の0<t<4piの三次元パラメトリックプロット
時計Bも原点からスタートして時計回りで一周します。
さてそれでこの二つの時計は原点ですれ違います。
そうしてその時にお互いの時計をゼロリセットします。
この原点ですれ違う時には2つの時計は逆方向に動いています。
それでその時に「円運動の半径がたとえば地球の公転軌道ほどだった」とすると「すれ違うその近傍での動き」はほとんど「等速直線運動」という事になります。
加えて円運動の速さも「地球の公転速度と同じ」としますと「一周するのに365日必要」となります。
ちなみに地球の公転速度は時速11万㎞/hの様です。
つまりは「ハーフェレ・キーティングの実験の時速900km/hの122倍の速さ」ということであり「十分に時間遅れは検出できる速度である」となります。
さてそれで問題は「そのような大きな半径の円運動では時計はほとんど円運動による遠心力を感じない」というところにあります。(注1)
つまりは「それぞれの時計が相手の時計とすれ違う時にはお互いが等速直線運動状態にある」とみなす事が可能になります。(注2)
それはつまり「それぞれの時計は慣性運動をしている」とみなす事になります。
さてそのように解釈できるとするとそれぞれの時計は「自分は静止していて相手の時計が運動している」と「状況を解釈することになる」のです。
「そのように理解してよい」とするのが「アインシュタイン流の特殊相対論の立場」でした。
さてそれでそれぞれの時計はすれ違った後の相手の時計の動きを望遠鏡で追いかけます。
すると「相手の時計はなんと自分を内側に含んだ形で円運動していること」を発見するのです。(注3)
まずは時計Aの判断状況を見てみます。
時計Aは「自分は原点に静止している」と判断します。
そうであれば時計Aは時計Bの動きを望遠鏡で追いかけた結果、時計Bの円運動の軌道を次のように決定します。
(2-2cos t, -2sin t, 0.1t)の0<t<2piの三次元パラメトリックプロット
時計Bの円運動の半径は地球の公転軌道の2倍。
円運動速度も2倍の時速22万㎞。
「365日で原点にいる時計Aのところに戻ってくる反時計回りの軌道をもって時計Aの周りをまわっている」と時計Aは解釈します。(注3)
そうであれば時計Aは「円運動している時計Bの時間は遅れている」と「特殊相対論の計算にしたがってそのように判断」します。(注4)
さてこのように時計Bの運動をとらえる時計Aのやり方は「アインシュタイン流の特殊相対論のやり方に合致」しています。
アインシュタインは「観測者が立っているところを静止系として良い」と言いました。
したがって「時計Aのやり方はアインシュタインに従っている」という事になります。
さてそれでもちろん時計Aがやったことと同じことを時計Bもやります。
時計Bが時計Aを望遠鏡で追いかけた結果の軌道は次のようになります。
(-2+2cos t, 2sin t, 0.1t)の0<t<2piの三次元パラメトリックプロット
まあそうすると時計Bは「時計Aは365日で原点にいる時計Bのところに戻ってくる反時計回りの軌道をもって時計Bの周りをまわっている」と結論を出すことになります。
そうであれば時計Bは「円運動している時計Aの時間が遅れている」と「特殊相対論の計算にしたがってそのように判断」します。
さてこうして舞台はいつもの「時間の遅れはお互い様」にセットできたことになります。
ただし何時もの「2つのすれ違う慣性系が時間遅れを観測しあうと、時間の遅れはお互い様になっている」という舞台と異なることは「1年後ではありますが、時刻合わせをしたまさにその2つの時計が再び再会する」という所にあります。
これまでは「等速直線運動ですれ違い時に時刻合わせをしたその2つの時計は二度と再会することはない」のでした。
そうであれば「お互いが相手を『お前の時計は遅れている』と言ってみてもそのことを直接確認することはなかった」のです。
しかしながらこの「1年後に再開する」という舞台設定では「時刻合わせをしたまさにその2つの時計が再び出会う」のです。
そうであれば「時計Aの主張が正しい」のか「時計Bの主張が正しい」のか「白黒が付く」という事になります。
さてそれで再会した時の2つの時計の答え合わせの結果は次の3つのうちのどれかになります。
1、時計Aの主張が正しい=時計Bの経過時間が少なかった。
2、時計Bの主張が正しい=時計Aの経過時間が少なかった。
3、どちらも間違っていた=時計Aと時計Bの経過時間は同じだった。
さてそれでこの場合注目すべき事は「『時間の遅れはお互い様』論者は1も2も3も選ぶことができない」という事です。
1を選ぶと時計Bの主張を否定したことになります。
しかしながら「なぜ時計Bの主張が否定できるのか」を示すことができません。
「時間の遅れはお互い様」は「すべての慣性系は平等である」から出てきています。
従いまして「時計Aの主張を優先すること」はできないのです。
同様にして2も選べません。
「時間の遅れはお互い様」は「時計Bの主張を優先すること」はできないのです。
3、については「客観的な静止系が存在することを認める」と3を選ぶことが可能になります。(注5)
しかしながら「客観的な静止系が存在することを認める」と「時間の遅れはお互い様」ではなくて「時間の遅れは一方的」となるのです。
つまりは「3を選ぶ」という事と「時間の遅れはお互い様」は両立しないのです。
さてこうして「時間の遅れはお互い様」論者は上記の舞台設定で示した「再会した2つの時計の答え合わせの結果」については「何も言うことができない」という状況に陥るのでした。
注1:その状況と言うのは「地上にいる我々は地球の公転軌道によって発生している遠心力をほとんど検出できない」という事実によっています。
他方で「地球が自転している事による遠心力は検出が可能」なのであります。
注2:円運動している時計のある時刻を指定したときの運動状態は、その時に時計が存在している地点での円運動軌跡の接線を考えると、それが「円運動と同じ方向に同じ速度で動いている慣性系」とみなす事が出来、その慣性系を使う事で円運動している時計に特殊相対論の計算を適用できるようになります。
さて同様の理由で「地上で行われている実験の解析」において「地表は円運動している」のですが短い時間であれば「上記のような共動座標系を使う事」で地上にある実験室系を慣性系として扱うことを可能にしています。
注3:これはまさに「天動説」であります。
自分が動いているにも関わらず、その動きを相手に投影して解釈するのが「天動説」でした。
そうであれば「望遠鏡で相手の時計の動きを追いかけて相手の軌道を確認する行為」は「天動説に結び付く」のです。
注4:これはアインシュタインが指摘した内容です。
注5:2つの時計が円運動している状況のままで客観的に存在している静止系に対して併進運動していたとしても答え合わせの結果は3番になる事に注意が必要です。
つまりは「静止系が客観的な存在」であるならば答えは3番になるのです。
追記の1:ちなみに上記の舞台設定はまさにアインシュタインが提示した「一つの時計を静止させておいてもう一つの時計をそのあたりを一周させて戻ってきた時に時刻を比較すると、一周させていた方の時計の時間が遅れている」という話そのものになっている事に注意が必要です。
つまりこの話のポイントは「アインシュタインは何を基準にして二つの時計の内の一つの時計を静止系に置く事が出来たのか?」という事になるのです。
追記の2:共動座標系についての考察。
次の様な記事があります。