前々回の記事のコメント欄で“真実の目”氏から御指摘があったのですが、ちょうど一ヶ月くらい前、トルコの複数のニュースサイトで、こんな↓記事が流れていたようです。
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「日本大使曰く:アタテュルクを知らない者は、日本人とはみなされない」 2009年5月9日
原文:Japon Büyükelçi: Atatürk`ü Bilmeyen, Japon Olarak Kabul Edilemez
http://www.lpghaber.com/Japon-Buyukelci--Ataturk`u-Bilmeyen--Japon-Olarak-Kabul-Edilemez--haberi-207474.html
日本の在アンカラ大使ノブアキ=タナカ(田中信明)氏は、ヨズガト(トルコ中西部の県)県知事からの“アタテュルクを知ってるか否か”との問いに対し、“アタテュルクを知らない者は日本大使など務まらないし、また日本人ともみなされません。アタテュルクは全ての日本人が知っています。”と語った。
タナカ大使は、ヨズガト県のボゾク大学で催された“日本文化の日”に出席するため、ヨズガト県を訪れた。最初にヨズガト県知事のアミール=チチェッキ氏を公式訪問した大使は、自身がトルコやヨズガトのことを大変気に入っていると伝え、また、日本人がヒッタイト文明が栄えた地域に特に大きな関心を示していることを説明。
“ヨズガト県もこの文明が栄えた地域の一つであり、アンカラから3時間くらいで来れる距離にあります。でも、道はあまりよくなかった。道路の整備が必要ですね“と話した。
(中略)
ヨズガト県の観光地についても説明したチチェッキ知事は、タナカ大使にアタテュルクの“大演説録”※とメフメット=アーキフ=エルソイ(1873~1936/国民的詩人にして現国歌の歌詞の作詞者)の詩集“ムハーファット(段階)”、それにヨズガト市のシンボルである時計塔の模型を贈った。
※1927年の共和人民党の党大会に於いて、アタテュルクは延べ6日間36時間にわたっる演説で一連の解放戦争と革命を総括したが、これを活字化したもの。
チチェッキ知事が“大演説録”を贈る際、大使に向かって“アタテュルクを知っていますか?”と質問したのに対し、タナカ大使は“アタテュルクを知らない者は日本大使など務まらないし、また日本人ともみなされません。アタテュルクは全ての日本人が知っています。”と語ったのだった。
大使は、その後、ヨズガト市長のユースフ=バシェルとボゾク大学長のインジ=ヴァリンリを公式訪問。市の公園でメフテル(オスマン朝時代の軍楽隊を再現したもの)と民族舞踊団の公演を鑑賞してから、昼食にはヨズガトの郷土料理である壷ケバブ(羊肉と野菜を素焼きの壷に入れ、オーブンで加熱したもの。食べるときは壷を叩き割って食べる。非常に美味。)の壷を割り、これを食した。
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大使によれば、アタテュルクを知らない人は日本人失格らしいw。
実に斬新な基準ですね。 今度、誰かから“日本人とは何だ?何を以て自他を区別するのだ?言語か?共有する文化か?それとも血統か?”みたいな面倒なことを問われたら、堂々と“そんなものは関係ない!日本人とは、アタテュルクを知る者のことだ!”と答えましょうw。
それはともかく、原文だと、ニュースの配信元の違いなのか、その箇所はサイトによって表現が2通りにわかれているようです。 直訳すると、
“Japon olarak da kabul edilemez”(日本人としても認められない)
“Japon da sayılmaz''(日本人ともみなされない)
みたいな感じですか。でも言ってることは同じですね。“日本人失格である”点は動かないw。
しかし、大使は本当にこんなデタラメを言ったのでしょうか?例のごとく、トルコ人記者の脳内で“自動変換”されたのではないか?
と思っていたら、何とトルコのネットTV“TurkNet”のサイトに、問題の場面が丸々記録された動画を発見しました。いやあ、ネットの発達って本当に素晴らしいですね。
これ↓がその動画で、
「Tanaka; ''atatürk'ü Bilmeyen Büyükelçi Olamaz, Japon da Sayılmaz'' – Yozgat」(ヨズガトにてタナカ大使曰く、アタテュルクを知らない者は大使たり得ない。日本人ともみなされない。)
http://video.turk.net/video/izle/12342/Tanaka----Ataturk-u-bilmeyen-buyukelci-olamaz--japon-da-sayilmaz-----YOZGAT/Sayfa/5/
問題の部分は[2:02]~[2:35]の間辺りに出てきます。
ちょっと文字に起こしてみましょう。
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ヨズガトの県知事:“ドゥー・ユー・ノー・アタテュルク?
タナカ大使:“わははははw、オフコースw、わはははw、オフコースw…..
ヨズガトの県知事:“ドゥー・ユー・ノー・アタテュルクww?”
タナカ大使:“わはははw、アタテュルクを知らないで…あの.、もちろんトルコ大使は、務まりません。もちろん日本人としても、務まりません。
ヨズガトの県知事:“Nutuk”(これがアタテュルクの“大演説録”です。)
通訳:”Atatürk’ü bilmeyenler burada Japon büyükelçilik görevini yapamaz. hatta Japon olarak da kabul edilemez.”(アタテュルクを知らない者は、ここで日本大使の任務など務まりません。また、日本人ともみなされません。)
タナカ大使:“はっはっはw…..(アタテュルクは)日本人全員が知っています。”
通訳:“…tüm Japonlar biliyor" .(全ての日本人が知っています。)
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何と本当に言ってたではありませんかw。こんなこと言っていいんですか?大使?
ただですね、動画を見てみれば分かるように、県知事は片言の英語を使って、明らかに冗談っぽく尋ねています。誰であれ、彼の国ではアタテュルクの顔を目にせず日常生活を送ることなど不可能(お金は全て肖像画つき)なわけで、“まさか、この国でアタテュルクを知らない大使なんていませんよね?”という意味合いを込めてボケているわけです。
で、大使は周囲の期待に背くことなくこのボケに応じ、“アタテュルクを知らない人間は大使どころか日本人も失格ですよ。それくらい、日本では知名度が高いのです“と、ユーモアといかにも外交官らしい多少のリップサービスを交えて答えている、と。
ここまでは全然普通なことでしょう。
でも、それが新聞記事になると、県知事が片言の英語を使ったとか、大使もユーモアに対してユーモアで応じているとかそういった文脈は一切省かれ、あたかも両者が真面目に問答を交わしたかのような書き方をされる。
でもって、自らの政治的主張や自尊心を満足させるのに都合の良い“アタテュルクを知らざる者、日本人にあらず”という箇所のみが抜き出され、強調される。
例の“エルトゥールル号の恩返し”の話も、大体こんな感じで生まれていったんだろうなあ…。何だか目に浮かびますよ。
今のところ、各サイトのコメント欄に書き込みはほとんど見当たりませんが、大手の新聞 “ジュムフリエット(共和国)”紙のサイトに一つだけコメントがありました。その記事の題名は、
"Atatürk'ü bilmeyen büyükelçi olamaz"(アタテュルクを知らない者は大使になれない)
http://www.cumhuriyet.com.tr/?im=yhs&hn=55396
となっていて、内容は上に訳したものとほとんど同じです。
で、コメントは、こんな↓具合。
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Ne yazık ki; Atatürk'ü bilmeyenler hükümet oluyor!
(何とも残念なことに、<トルコでは>アタテュルクを知らないものたち<=公正発展党のことを指していると思われる>が国政を仕切っている!)
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書き込んだのは世俗派の人でしょうね。
例の“銅像事件”とニュースとしての消費のされ方はまったく同じです。つまり、“日本では国民全員がアタテュルクのことを知っていて、知らない人間は非国民扱いだ。大使にもなれない。そんな国もあるんだから、お前らもっとアタテュルクを敬え!”というわけです。
それにしても、こういう報道が繰り返させれれば、トルコの世俗主義者の間でもその内、
“大陸のかなたにアタテュルク教を奉じる“親土国家”があるらしい!”
とか、
“我々は、ギリシアやアルメニアみたいな<反土>諸国とは縁を切って、日本やアゼルバイジャンや北キプロスみたいな<親土国家>とだけ付き合うべきだ!”
みたいな言説が生まれるのかもしれませんw。
もしそうなったら、“エルトゥールル号の恩返し”における元駐日トルコ大使と同様、この大使氏も“神話”の創造主の一人にされてしまうんでしょうね。気の毒なことです。
まあ、こちらは発言した現場の映像が残っている分、まだマシかもしれないんですけど….。