歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(7)

2009-06-03 16:18:41 | アタテュルク像問題

→(6)からの続き

前回の記事で、こんな↓ことを書きました。

もし今後、あちらのメディアにより詳細な情報がもたらされ、この騒ぎが“銅像が売りとばされた時点から”詳細に報道されたとしたらどうなるでしょうか?
(中略)
一応は現在のトルコ共和国の象徴であるものが、明らかにトルコそのものへの関心の低さから粗末に扱われていることを知れば、最右派のイスラーム主義者でも不快に感じるのではないかと思われます。


というのも、2007年10月にこの銅像事件の第一報を伝えたトルコの新聞「サバフ」紙や「ラディカル」紙が、たかだかこの程度の事件のため独自に記者を出し、取材を行ったとは思えなかったからです。記事のソースは、主に在日トルコ大使館や日本でこれを報じた産経、あるいは例の市議みたいにこの事件を“国際問題”にしたがっている人たちではなかったか。

でも、だとしたら、記者たちはトルコ村が最初に閉園してからの詳しい経緯を知っていてもおかしくはない。いや、むしろ知らない方が不自然でしょう。現に、2006年に柏崎市がアタテュルク像の売却を決めたがためにトルコ大使館との間に生じたトラブルは、トルコのメディアは報じていないようですが、当時の毎日新聞(英語版)なんかは詳細な記事にしています。

記事自体は既に消えていたものの、その痕跡↓が残っていました。

"Turkish Embassy against sale of donated statue at bankrupt theme park”
(トルコ大使館、破産したテーマパークに寄贈した銅像の売却に反対す)

http://www.turkishdigest.com/2006/04/turkish-embassy-against-sale-of.html
 
KASHIWAZAKI, Niigata -- The Turkish Embassy in Japan has sent a protest letter to the Kashiwazaki Municipal Government over the city's plans to sell off a bronze statue of Turkey's 'founding father' Kemal Ataturk that was donated to a Turkish theme park which went bankrupt, it has been learned. The Kashiwazaki Municipal Government plans to sell the 5-meter-high bronze statue of Kemal Ataturk (1881-1938), the founder and first president of the Turkish Republic, to a tourist development firm in the prefecture."

More:Turkish Embassy against sale of donated statue at bankrupt theme park - MSN-Mainichi Daily News


ここ↓の掲示板にも全文が貼ってあります。
http://www.izlenimler.net/2007/10/09/aymazliga-bak-insan-hayatiymis/#comments


つまり、彼らは事件の全容を知っていながらも、“日本では一般にアタテュルクの知名度は低く、故に銅像も粗末に扱われていた”という事の本質には“敢えて”目をつぶり、“像への不敬がメディアで騒動になるほど、日本人はアタテュルクを尊敬している”と何やら自国民(特に世俗主義者)の耳に心地よい話にしてしまった可能性があるということです。

あちらの人と関わったことのある人なら分かると思うのですが、彼らは全般に強烈な自尊心の持ち主です。良く言えば誇り高い、悪く言えば極めて自己中な人たちだというべきか。人間とは元来そういうものではないか?と言われればそれまでなんですが、何かとそれが極端なんですよ。普通に話していても、いざ話題が自分や身内(と、その延長としてのトルコという国)のことに及ぶと、とにかく主観=身びいきが全開になってしまう。メディアの報道も、もちろん例外ではありません。

そういうので思い出すのは、以前にトルコで出会った、中央アジア諸国やロシアからの留学生の話です。 ソ連の崩壊以来、トルコ政府は彼の地、特に中央アジア諸国に住むテュルク系の諸民族に対し、“同族”だということで様々な支援を行ってきましたが、トルコ語と英語で授業をやる新式学校の開設もその一つでした。

これらの学校は設備もよく、またトルコ政府が多額の予算を割いて現地やトルコ人の優秀な教師を揃えたことから、一時期非常に人気があったわけです。学生も地元のできる連中が集まっていました。(但し、ロシアのそれは分離主義の温床に成り得るとして、プーチンがほとんど潰してしまったらしい。あと、ウズベキスタンでも当局が政治的なイスラーム主義の流入を警戒し、全て閉校に。

彼らはそうした学校を卒業し、トルコ政府からの奨学金を得て念願のトルコに留学。各種の大学で学んでいたのですが….こちらと顔を合わせるたびに“騙された”と愚痴ばかりこぼしていましたね。

聞けば、そこで教えていたトルコ人の教師は、常々あたかも自国が“欧州の一員であり、ドイツと同じくらい進んだ国である”かのように誇らしげに語っていたのだそうです。それを真に受けてトルコにやってきてみたら、実際にはドイツどころか、ただの“中進国”ではないかと。 しかも、学問の水準、特に理系のそれはどう考えても旧ソ連のそれの方がレベルが高い。奨学金も物価の割に全然足りない。EUにも入ってないから、このままトルコに落ち着いても西欧の“稼げる国”に移動して働ける機会も無し。こんなんだったら来るんじゃなかった!騙しやがって!

そのくせ、こっちの連中は東方の“同族”たちに対しては何かにつけて“欧州人にしてテュルク系諸民族の長兄”として振舞いたがる。何なんだあいつらは!みたいな感じで。

でも、そうした教師たちは、おそらく意識して法螺を吹いているつもりはなかったんだろうと思うんですよ。つまり、客観的にはどうであれ、多分彼らの“主観”においては完全に“トルコ≒ドイツ”であったに違いないわけで。

ちなみに、そうした学生の一人が経済学のレポートで正直に“トルコは未だ先進国とは言い難い。EUへの統合も時期尚早”みたいなことを書いたところ、教師から0点を貰ったといって嘆いていました。“国費で勉強させてやってるのに生意気だ!”ということかw。

それと同じで、件の銅像事件をその発端から忠実に記事にするのは、記者らの高いプライドが許さなかったのではないでしょうか。何しろ、トルコが大した国だと思われていないと、自ら認めることになってしまいますからね。読む方も楽しくないだろうし。

ただですね、“サバフ”紙の方はともかく、“ラディカル”紙はトルコでは最も信用できる新聞です。基本的に世俗主義的なスタンスをとってはいますが、その報道姿勢は概ね客観的。あからさまに記者の主観に引っ張られているような記事は、他紙に比べれば極めて少ない。そんなに単純な理由ではなさそうです。

思うに、もし仮に件の像が例えば“放置されていたなんて嘘で、実は畑で案山子として有効活用されていた”みたいな、もっとひどい扱いが発覚したとしても、ラディカル紙みたいな世俗主義系の新聞は、やはりその部分には触れなかったのではないでしょうか?

何故なら、トルコ共和国の建国以来、アタテュルクの肖像や銅像は、文字通り世俗主義者にとってのイコン(聖像)”として機能してきたからです。

この報道がなされた約3ヶ月前、2007年7月にはトルコ議会の総選挙が行われたのですが、この選挙で世俗主義者の拠り所であった「共和人民党(CHP)」は完敗。旧与党であり、イスラーム志向のより濃厚な「公正発展党(AKP)」が圧勝しました。そして8月には議会での圧倒的多数の議席数を背景に、公正発展党員のアブドゥッラー=.ギュルが大統領に就任。公正発展党は、遂に行政と立法の二権を抑えることになり、今に至っています。

参考↓
http://www.global-news.net/ency/naito/daily/070730/01.html

要するに、この何年かというもの、世俗主義はイスラーム復興の雰囲気に押され気味で、どうも振るわないわけですよ。そんな時期に、わざわざ自分らの“イコン”の価値を下げる報道なんてするでしょうか?恐らく実際に何が起こったかに関係なく、“アタチュルクは日本でこんなに愛されてる”みたいな話になったのではないか?

ところで、アタテュルク像に対して“イコン”なんて表現を使うと大げさだと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。ネット上の議論を見ていると、“偉い人の銅像に対して失礼だ!”みたいな書き込みが目立ちますが、はっきりいって“甘い”ですね。彼の国のある種の人々にとっては、本当に“イコン”以外の何物でもないのですよ。

手元に良い例がありました。以下の絵葉書は、前にアンカラにあるアタテュルク廟を訪れた際に入手したものですが、付設の博物館の中にはアタテュルクの遺品に混じって、これらの写真が大真面目に展示されています…..。


<アタテュルクの横顔のように見える山々>
アイヴァルク地区(←トルコ西部、エーゲ海沿岸の地域)、マドラ山にて


※枠線の内側の、山々の稜線を全部繋げた形がちょうどアタテュルクの横顔に見えるということらしい。



<雲の中に現れたアタテュルクの横顔>
ヨズガト(←トルコ中西部の都市)高校での国旗掲揚式の最中に


※トルコ国旗を持って立っている男性の頭の上に浮かんでいる雲の形が、アタテュルクの横顔に見えるということらしい。



<アタテュルクの横顔を為す山の影>
アルダハン県←トルコ東部、グルジアとの国境にある県)のダマル郡、ギュンデシュ高原にて


※山の表面に移っている他の山の影の形が、アタテュルクの横顔に似ているらしい。



<アタテュルクの眼差しを示す自然現象>
ドゥムルプナル(トルコ国民軍がギリシア軍を打ち破り、希土戦争でのトルコの勝利を決定づけた古戦場。トルコ西部)のチャルキョイにある、戦没者顕彰碑の上空で。


※記念碑の左上の方に浮かんでいる雲(の、白枠に囲まれている部分)がアタテュルクの目の部分に似ている、ということらしい。


参考↓アタテュルク(本人)

出展:http://www.aydinsari.com.tr/eng/ataturk.htm


何だか、この絵葉書を見る度にいつも同じ感慨に囚われるのですが……心霊写真かよ!

これらの写真(特に4番目)が、キャプション抜きで自然とアタテュルクの顔とか目に見える人が居るとしたら、それは間違いなく病気でしょうw。

“国旗掲揚式”とか“トルコ解放戦争の際の古戦場”みたいな、ナショナルなシンボルと組み合わされているのがポイントですかね。“愛国的なトルコ国民を、アタテュルクはいつも天上から見守っているぞ!”ということのようで。

現在、トルコには10万以上のアタテュルク像があると言われています。お金にしても、紙幣であれ硬貨であれ全てにアタテュルクの肖像画(もしくは横顔のシルエット)が入っている。本当に至る所で目に付くわけですよ。

でも、こんな話を聞いて、“アタテュルクはそれほど国民に崇拝されているんだ!”と考えるのは、素朴に過ぎるというものです。

確かに敬愛する人が多いのは事実ですが、これらの像を大量に建てたのは国民ではなくあくまで“国家”の側です。逆に言えば、国が国民の間にアタテュルクに対する個人崇拝を定着させるためには、そこまでやらなければならなかった、ということでしょう。

このようにアタテュルクの神格化が国家の政策として進められたのは、ソ連におけるレーニンや中国における毛沢東の偶像化と、事情はよく似ているかもしれません。

↓中国でもこんなのがあるらしいw。

”青島で毛沢東そっくりの奇石を発見”
http://j.peopledaily.com.cn/94475/6669094.html

中国人には毛沢東に見えてしまうのか?w

→(8)につづく