歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(3)

2010-02-17 23:35:41 | アタテュルク像問題
→(2)からの続き

しかし、そもそもセルカン氏が串本町と関わりを持つようになったきっかけって何なのでしょうか?

氏のブログの記事などを読む限り、どうやら氏の側から積極的に串本町に接触したらしい。 2007年6月10日のトルコ語版ブログには、以下のような記述があります。

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http://anilir.blogcu.com/japonya-da-bir-turk-sehri/1762786

今週、“インフラ・フリー”システムの日本での適用性を調査するために、和歌山県の串本市を3日の日程で訪問しました。

研究のため串本市を選んだのには、重要な理由が二つありました。第一に、2万の人口を有するこの都市では、インフラ・システムの基石の一つである集中廃水処理システム(下水道)を利用している人々が人口の僅か5パーセントであり、新しいシステムが必要だと感じられたこと。第二に、というか多分こちらがより重要なのですが、串本市はトルコ人に最も縁のある町として知られていることでした。

※実際には2万未満。
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以前に引用した新聞記事でも多少触れられていましたが、セルカン氏は自らの研究“インフラ・フリー”技術の主な実験地として、串本を選んでいるのです。

上の引用した文章にも正直に書いてある通り、別に串本が理想的な研究環境というわけではないらしい。下水道の普及していない人口2万以下の過疎の町や村なんて、おそらく、探せば日本中にあるんだろうし。

最大の理由は、宣伝効果が高いことでしょう。もっと露骨に言えば、氏にとって“串本”は売名の良いネタだったのではないですかね。

大分前のエントリーでも書いた通り、普通のトルコ人で、串本という地名や、それにまつわるエピソードを知っている人はそれほど多くありません。

でも、かつてトルコ人(正確には“オスマン人”ですが)の船乗りが命を救われた村を、日本で活躍するトルコ人博士がロハスでお洒落な最新テクノロジーを以て過疎化から救うという美談は、いかにもトルコ人の自尊心をくすぐりそうで、母国で名を売るには非常に役立ちそうな“物語”です

さらに、その最初の串本調査からわずか3ヵ月後には“串本大使”に任命されるに至るわけで。

まあ、トルコ人で、世界的に有名な“宇宙飛行士候補”で、何よりも東大のお墨付きのある博士にして教員なのです。しかも話術が巧みで、自身の研究によって町興しを支援してくれると言う。串本町の役場の人たちが直ちに飛びついたのも仕方が無いでしょう。

で、実際には単なる名誉職であっても、普通のトルコ人にはそんなことは分りませんから“セルカン博士の貢献に感謝する和歌山県が、氏を串本の開発を指導する要職に任命した”と少々誇張して、件の“物語”にさらに彩を加えたのでした。

そして、トルコで串本とかエルトゥールル号が話題になることがあれば、セルカン“串本大使”は一連の“物語”とともに脚光を浴びることになる“はずだった”わけですよ。

例えば、今年の“トルコにおける日本年”にしても、もし昨年からの騒動が無かったとしたら、セルカン氏はトルコのメディアでも、もっと色んな所に露出していたに違いない。

一方、日本人に対しては、方々で自分と串本の結びつきを宣伝することで、人々の間にある素朴な親土感情がセルカン氏個人への好感度に結びつくように努め、同時に知名度も上げようとしたって感じですかね。

そのために利用したのが、例の“エルトゥールルの恩返し”のエピソードだったようです。

あのエピソードを信じている素朴な人がいかに多いかは、ちょっとネットを巡回すれば分ることですから、セルカン氏ならびに“チーム・セルカン”の中の人々も、“これは使える!”と踏んだのでしょう。

“大使”になる約1年前、2006年10月27日の日本語版ブログにはこんな↓ことが書いてあります。串本を利用する計画は、ずっと前から進んでいたのですね。

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2006.10.27 Friday      和歌山大学
http://blog.anilir.net/?eid=280633

トルコと日本は歴史上、一度も戦ったことがないばかりか、トルコの船が難破した際に和歌山県串本町の方々が町をあげて助けてくだって以降、トルコの人々はその感謝を忘れずに、親日家が多い国となっています。僕も日本が大好きですし、今回初めて伺った和歌山で出会った人々も、とても温かいステキな方ばかりでした。

講演会でもたくさんのご質問をいただき、先生、生徒さんが垣根なく学ぼうとされる積極的な姿勢は、和歌山大学の素晴らしさではないかと感じました。来年、串本町での講演のお話も進行しています。再訪を楽しみにしています。
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また、このシリーズの最初で引用した、セルカン氏の串本訪問を報じた2007年6月2日付けの南紀州新聞にはこういう↓くだりがありますが、

>同町は日ト友好原点の地。 セルカンさんは、 トルコ軍艦エルトゥールル号
>の遭 難を教科書で学んだという小学生の従弟から預かった 「エ号を助けて
>くれてあり がとう。 いつか出会えるのを楽しみにしています」 というメッ
>セージを披露


この話は、2007年6月10日の日本語版ブログの記事に詳しく出てきます。

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 「串本町調査」  2007年6月10日
http://blog.anilir.net/?eid=454124

インフラフリー研究の国内調査のため、和歌山県の串本町に行ってきました。

串本町とトルコには、とても深いゆかりがあります。この関係は、1890年9月、トルコの軍艦エルトゥールル号が串本沖で難破したことから始まっています。この時、亡くなった人は580名にもおよび、串本の方々に助けられた約70名の人だけ生還できました。住民の方々は、見たこともない異国の遭難者を、町をあげて救出し保護してくれました。

トルコでは、その感謝の気持ちを今も忘れずに、子供たちにも教科書に載せて伝えています。 僕もトルコ人として、この感謝の気持ちを表明したいと思い、樫野崎灯台近くに建立されているエルトゥールル号遭難慰霊碑とトルコ記念館に足を運びました。串本町長もご一緒して下さり、ご案内いただきました。

その後、大島小学校を訪ね、子供との時間をもちました。みんな明るくて、トルコ人にも慣れていて、楽しい時間を過ごしました。トルコの国旗を持って校門で出迎えてくれたり、僕のスリーサイズを知りたがったり(笑)、本当にかわいい子供たちでした。また会いましょうね。

そのまま高校へ移動し、僕が1時間ほど、話をしました。串本町のすべての中学校・高校の生徒が集まってくれて、質問もどんどん出て、充実した時間を一緒に共有できました。

今後、串本で彼らが活躍できるフィールドがある町作りを目指して、僕らの研究が役にたってくれれうば、こんなにうれしいことはないと思います。

その後、調査のデータを打ち合わせするため、役場に向かいました。役場に到着したら、そこでもトルコと日本の国旗を持って待っていてくれる人たちが。

串本町は海沿いにあり、日本最南端に位置しています。そのため、南国ムードがあふれていて、よい観光地になる可能性がありますが、まだまだインフラの整備ができていません。近隣の島には、まったくインフラがない無人島もあり、地元の漁師の方に船をだしていただき、調査に行ってきました。ここをリゾート地として開拓することは、研究としても、町の将来を考えても、非常に意義のあることかもしれないなと感じました。

最後に、僕のいとこの話をご紹介します。実は、2年前、当時9歳だった僕の従兄弟から、頼まれていたことがありました。もし、セルカンおじちゃんが串本に行くことがあったら、トルコの子供達はみんな、串本の人たちにありがとうと思っているし、串本の子供と僕たちは、会ったことはないけれど友達だと思っている、と伝えてほしいとのことでした。今回、ようやく従兄弟との約束を果たすことができ、明日からのトルコ出張には、胸を張って従兄弟に報告ができます。みなさん、本当にありがとうございました。
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 恐らく本当にそういうことを話したのでしょう。良い話ではありませんか(棒読み)。

ま、そういうのはどうでもいいとして(←セルカン氏の口癖らしい)、同じ日に同じ内容について書かれたトルコ語版ブログの方はどうでしょうか?

最初の部分は前の方で引用したので少し重複になりますが、一応全文を引用してみようと思います。

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 2007年6月10日    
「日本にあるトルコの町」
原文:Japonya'da bir Türk şehri
http://anilir.blogcu.com/japonya-da-bir-turk-sehri/1762786

今週、“インフラ・フリー”システムの日本での適用性を調査するために、和歌山県の串本市を3日の日程で訪問しました。

研究のため串本市を選んだのには、重要な理由が二つありました。第一に、2万の人口を有するこの都市では、インフラ・システムの基石の一つである集中廃水処理システム(下水道)を利用している人々が人口の僅か5パーセントであり、新しいシステムが必要だと感じられたこと。第二に、というか多分こちらがより重要なのですが、串本市は日本でトルコ人に最も縁のある町として知られていることでした。

今から約130年前のオスマン帝国の時代、イスタンブルを出発した軍艦エルトゥールル号は日本に到達し、特使の一行は日本政府と接触しました。この時期はオスマン時代の末期にあたりますが、船は既に老朽化したものだったため、長い航海の間に船体には様々な破損が生じていました。

我らが船乗りたちは嵐が近づいていたにもかかわらず、一般に公表されていた日時に復路の航海に乗り出し、串本の近海にて嵐に巻き込まれ、岩礁に激突してしまったのです。この事故で何百もの船員たちが犠牲になりました。

その内の数十人は串本の漁師たちの嵐をものともしない海中での救援活動により救われ、時の天皇の命で彼らに割り当てられた船により、故郷に戻ったのでした。

この不幸な事故は日土間の深い友好関係の第一歩をなしたわけですが、その船員たちを忘れないために、トルコと日本の当局は串本に記念碑を建てました。

今日、串本の人々は深い愛情によってトルコと結ばれています。殉職した全ての船員たちの魂は故国から遠く離れた地にありながら彼らによって見守られ、また彼らの心の中に生き続けているのです。我が海軍も5年ごとに串本を訪れてはそこで感謝の意を表し、両国間の関係をさらに確かなものにしています。

日本とトルコ、双方の関係者に敬意を表します。

私も串本市の来賓として可能な限りの熱意を示し、集まった市内全ての小中高校の子供たち(約1000人)を前に、二回にわたる講演を行いました。

それから、エルトゥールル号の追悼記念碑を訪れ、市長とともに花輪を供えて黙祷を行った後、市民に向けて行われたあるイベントにおいて、市長殿を始めとする全職員とともに、町中から集まった人々と対話する機会が得られたのでした。

この他、串本でこの先実現されるであろうプロジェクトについて、意見の交換を行いました。その間、ずっと私と行動を供にしてくれた串本市の職員の方々に心から感謝します。

我が国から遠くにありながらも、その心はトルコへの愛に溢れるこの小さな日本の町を訪れる機会が、読者の皆様にもありますように。こうした友好関係は、将来、全世界に平和をもたらす小さいながらも大事な一歩として、歴史に刻まれることになるでしょう。私たちも真摯に見守っていきましょう。
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相変わらず、串本は串本“市”と書かれていますね。

それはともかく、日本語版ブログの方で、

>トルコでは、その感謝の気持ちを今も忘れずに、子供たちにも教科書に
>載せて伝えています。

と書いてある割には、全体の半分以上がエルトゥールル号事件と串本の関わりについての説明に費やされてますねw。

何故こんなに詳しく説明しないといけないか?

簡単な話ですよ。

あちらでは知ってる人が少ないからです。

トルコ語版の方に“串本の人たちに感謝したがっている従兄弟”の話が出てこないのも、多分理由は同じでしょう。日本人向けのサービスキャラ、もしくは“透明従兄弟”ではないかと思われます。

この2つの記事を読み比べて、日本語版の方のコメント欄を読むと,何だか暗澹たる気持ちになりますね。

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被害者1号
日本では知られてませんよね。私も高校留学の時にトルコ人と友達から聞いて初めて知りました。でも、そんなに前の話をずっと受け継いではるやなんて☆友達から聞いたときは結構最近の、何十年か前の話かと思っていました。人の恩を忘れない国民性が小学生にまで続いてるっていいなぁって思いました。


被害者2号
セルカン先生と一緒に大島小学校、串本高校と同行した者です。セルカン先生が従兄弟のメッセージを伝えたとき、大島小学校では3,4年生ぐらいの女の子何人か目頭をおさえていました。串本高校でも同じ仕草をする男子校生がいました。まだ、一度も会ったことのない友人、これからも一生会わないかもしれない友人をこれからずっとココロのなかで会話するんでしょうね。セルカン先生のお話を聞くことが出来た子供達は何か確実に成長したと思います。もちろん私も
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........... Allah yalancılara lanet etsin! (アッラーよ、嘘吐きに罰を与え給え!)

→(4)に続く


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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-02-18 01:52:00
なんか何を信じていいのかわからなくなった
日本政府も警察も日本人に厳しく外人に優しい風潮が目立つし
誰を信じて何に守ってもらえばいいのかわからなくなった・・・
ってこういう考え方って平和ボケっていうのかね
やっぱ敗戦国民っていう事で海外の人間は日本人=馬鹿にする対象なんでしょうかね・・・

http://www2.rocketbbs.com/11/bbs.cgi?id=mongol
↑ここの在日モンゴル人たちも平気で原爆=正義の爆弾とかいっちゃってるし
外人全員から嫌われ舐められ隙あらばだまそうとされていると思ってしまいがちになる・・・
鬱だ
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Unknown (Unknown)
2010-02-18 08:38:15
国同士の付き合いに友情とかそういう精神的なものを期待しちゃ駄目って事か
所詮はどこも利害関係ですよね、ビジネスですよね…
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Unknown (Unknown)
2010-02-18 13:24:29
こういうエセ親日外人は親日ではなく、利日野郎と罵ってさしあげるべき
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Unknown (裸族のひと)
2010-02-19 12:34:51
>日本語版の方のコメント欄を読むと,何だか暗澹たる気持ちになりますね。

確かに。みんな騙されてる、騙されてるよー。でも今の時点では一体どう思っているのだろうか。ちょっと心配なのは誰もが自分が見たいものしか見ない、或いは見えない事が多いので今後も気づかないひとが多いのではないでしょうか。><

トンでも詐欺師、ア塗るる氏には相応の報いが有りますように!
返信する
Unknown (セルカン先生と アルドウ先生を擁護!!)
2010-02-23 03:23:51

【 セルカン先生と アルドウ先生を擁護!!
小生はこの 日本の大学界を代表する、外国人さん2人を庇護したいですね。】

なんて風に並んで語られることもある、
この二人の内のもう一方のアルドウ先生にも注目してくださいね


● 日本在住の アメリカ白人 --- 人種差別者(レイシスト、白人至上主義者) で日本人を差別するのが生きがい。 日本人を「Yellow Jap」と連呼し侮辱。 毎日WaiWai変態報道や捏造情報を使って日本人への偏見を煽る。

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