歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(9)

2009-06-06 20:40:24 | アタテュルク像問題
→(8)からの続き

このような社会的不満に対して、世俗主義者たちは少しでもイスラーム復興を求める人々については“反動”あるいは“遅れた人たち”として、クルド独立派に対しては“反土的な外国古くは英国、後にはソ連、最近だとアルメニアとかの手先”もしくは“テロリスト”として、切り捨ててきました。教育が普及して誰もが“アタテュルクの正しい教えを”学べば、そういう“間違った人たち”は勝手に消えていくものと考えられたわけです。実際には、そう簡単な話ではなかったんだけども。

前に少し触れましたが、トルコの社会というのは、日本など比較にならないような格差社会です。国全体で言えば“西高東低”‐欧州に近い西部は豊かで東部は貧しいのですが、社会の上層と下層の差も、特に大都市では凄まじい。で、世俗主義の支持者というのは一般に西部の都市部に集中していて、それも中の上より上の階層の人たちが多い。職業で言えば軍人や官僚、教師、法曹関係や医者など。これまで共和国を支え、かつ社会を牛耳ってきたのは、そうした世俗主義者たちなのですよ。

彼らの日常生活におけるイスラームの影響は薄く、ものの考え方もは西欧人のそれと大して変わらない。中でもエリートは、外国語にも堪能です。日本ではあまり知られていませんが、彼の国の№1と№2の大学では、授業は全て英語でやってたりします。図書館も英語の本ばかり。その手の大学に入るための名門高校なんかでも、主要科目の授業は英語でやる所が多い。階層が違うと、教育に用いられる言語まで違うわけです。日本から企業の駐在とかで彼の地に行ってる人たちが接するのは、専らそういうトルコ人かもしれません。

彼らは、一般にトルコが“中東”や“アラブ世界”と一括りにされるのを非常に嫌がります。ちょうど、日本人の多くが中国人と混同されるのを嫌がるように。そのためか、外国人(特に欧米人)に対して自国の歴史や文化を説明する際は、なるだけ“世俗主義的に”イスラーム的な要素を除けて語るのが常ですかね。

でも、実際にはそんなの無理ですからw、しばしば珍妙な話になりがちです。それが“正しい解釈”だと信じ込んでいる彼ら自身はまあ、仕方がないとしても、第三者である我々外国人が100%真に受ける必要なんてまったくないでしょう。

と思ったのは、ネットを徘徊中に、たまたまこういう↓記述を見つけたからです。
http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/c/274958be1197b4b37f1fbdc204dc88e2

※写真はトルコ国旗。第一次大戦後、トルコは国土を失った。ムスタファケマル(アタチュルク)率いるトルコ軍はギリシャとの独立戦争中、チャナッカレで野営をしていた。夜、兵士たちの流した血でできた血溜まりに、三日月と星が映っていた。アタチュルクはそれをみて、「彼らの流した血を決して無駄にはしまい」と心に誓い、独立後の国旗に決めたといいます。三日月でもイスラム教とは関係ありません。

いやあ、すごいですね。あたかも、“ユニオン・ジャックには十字架っぽいのが混じってるけど、キリスト教とは一切無関係なんだからね!”と言うがごとしですw。

それと、ちょっと細かいことを言えば、ギリシアとの解放戦争中、チャナッカレは戦場にはなっていないはず。多分、この人は第一次大戦中の“ゲリボル(ガリポリ)半島攻防戦”と勘違いしているのではないでしょうか?だとしても、おかしな話なんですけどね。

というのも、この時のムスタファ=ケマル(アタテュルク)はオスマン帝国の軍人であり、戦っていた相手はギリシア軍ではなく英豪仏の連合軍でした。今の共和国はあんまり関係ない。

現在のトルコ国旗はこんな↓感じです。

出典:www.learntoquestion.com/.../zana/photo.html


で、この↓写真は1914年、オスマン帝国が第一次大戦に参戦した際に、当時の帝国最高位のイスラーム法官、シェイヒュル・イスラーム(イスラームの長老)が英露などの協商国に対するジハード(聖戦)を宣言している場面の写真なのですが……

出典:http://www.manorhouse.clara.net/book2/chapter18.htm

国旗のデザインは今のとほぼ同じです。この写真は白黒なのでわからないですけど、この頃も色は赤地に白抜きですね。トルコ共和国は、とりあえず国旗に関してはオスマン帝国のものを引き継いでいるわけです。

三日月が、どうしてオスマン帝国のシンボルとして使われるようになったかには諸説がありますが、いずれにしても、正統のカリフを擁したイスラーム国家の旗印でした。それが西欧やイスラーム世界各地に伝播して“三日月=イスラームの象徴”となり、各国の国旗や“赤新月社”のマーク、モスクを示す地図記号などとして広く使われているようになっているのは紛れも無い事実です。

そうした経緯を思えば、現行のトルコ国旗はイスラームと無関係だなんていうのは、いかに無理があるか分かるでしょう。

“世俗主義的解釈”の別バージョンには、“オスマン帝国旗=トルコ共和国旗”の連続性を認めたものもあります。確か“古代マケドニアのフィリッポス二世が月と星の明りを頼りにビュザンティオン(現イスタンブル)を攻略したのがきっかけでそのシンボルが月+星となり、それがビザンツ帝国→オスマン帝国→トルコ共和国の国旗へと受け継がれてきた。故にイスラームとは無関係だ!”みたいな話でしたかね。

でもですね、これまたユニオン・ジャックを例に取れば、“十字の意匠はキリスト教が生まれる以前から世界各地にも大ブリテン島にも存在したものである。ゆえに、十字=キリスト教に由来しているとは限らない!ユニオン・ジャックとキリスト教は無関係だ!とか言われたら、どうですか?何をそんなに無理してるんだ?って話になるでしょう?

我々はトルコ国民ではありませんから、こういうお話の背後にある“何が何でもイスラームとは無関係にしたい”というイデオロギーにはもっと敏感になった方がいいと思うんですよ。

実は、アタテュルク自身もこのいかにもイスラームっぽく、オスマン時代を引き摺ったような旗を嫌っていたという話があります。それで、共和国成立後は新生トルコにふさわしい新たな旗を模索していたのだとか。昔読んだ新聞記事だと、その代替案として有力だったのは“古代に中央~北アジアに存在した遊牧帝国、突厥のカガン(首長)らが好んだ青の色を下地に、トルコ民族の象徴である狼を描いたもの”だったそうで….。

まさにこんな↓旗でしょう。

出典:www.crwflags.com/fotw/images/t/tr!goktk.gif

確かにイスラームのイの字も感じられないけど、どっかの球団旗みたいですねw。空軍の戦闘機なんかは、翼にこの狼マークが付くのか?あと、サッカーの欧州選手権で、スタジアムをこの狼の旗が埋め尽くすとか。w

それはそれで面白いかもしれませんが、やっぱり今の新月旗の方がいいかな。とりあえず、アタテュルクが思いとどまってくれて、よかったかもしれませんw。

大分話がずれましたが、何を言いたいかと言うと、世俗主義者とそれ以外の対立には社会内や地域ごとの経済格差も絡んでいるということです。地方の農村、特に東部の方や、主に地方から流入した人々からなる都市部の中く下層の人々の間ではイスラームの影響は強い。現在、クルド人の独立運動が問題になっているのも東南部の方です。

トルコ人の中には、上述の英語で授業をやるエリート校について、“非愛国的で怪しからん”と批判する人がいるのですが、彼らはまだトルコ語で義務教育が受けられる分、恵まれていますよ。何せ、あの辺のクルド人たちは、今に至るまで自らの母語で教育を受ける権利すら得ていないわけで。

で、困ったことに、世俗主義者たちは(一部の共産主義者などを除けば)、この手の格差の問題については、概して無関心でした。殊に、クルド問題について何か尋ねようものなら、たいてい“今の国境線はアタテュルクが決めたものである!”で終了ですね。取り付くシマも無い。

トルコ全体の人口比でいえば、“世俗派<それ以外”ですから、今までイランのアレみたいな革命が起きなかったのが不思議に思えるのですが、これは、アタテュルク以来の世俗主義の番人を以て任ずる軍部が、常に世俗主義体制の側に付いてきたからでしょう。共産主義者やイスラーム主義的な勢力が政治的な力を持ち、現体制が脅かされるたびに、軍はクーデターを起こしてはこれを潰してきたのです。

あと、“このまま世俗主義路線を突き進んでいれば、いずれはEUに加盟できて生活も楽になるだろう”、という人々の期待もあったのかもしれません。

だからまあ、EUが何だかんだと難癖をつけてトルコの加盟を認めなかったり、あと、ここ10年近くの間に政治的な民主化が進んで、軍が簡単に政治に介入できなくなった現状においてはですね、選挙で世俗派の牙城である共和人民党が全然勝てなくなったり、イスラーム志向の強い公正発展党の大統領が登場するのも、けっこう自然な流れだと思うのですよ。

2年前の選挙で公正発展党が大勝したとき、欧米や日本のメディアの一部はこの事態をあたかも“イスラーム原理主義の勝利”であるかのように報じたものですが、ああいうのは世俗主義者のプロパガンダに乗せられすぎです。実際の正発展党は別にイランやサウジみたいな国を目指しているわけではないし、EUへの加盟交渉もこれまで通り続けている。基本的に世俗国家の枠を維持しつつ、イスラームも容認する中道右派政党と言った方が正しいように思えます。

いかに人とか地域によって差があるとはいえ、この八十数年の間にトルコ国民の世俗化は十分に進んでいるわけで、いくらかイスラーム的な要素を容認したところで、社会が一気にオスマン時代に戻ることなんてあり得ないでしょう。

ところがですね、世俗主義者たちは断固として公正発展党みたいなのは容認しません。自分らが考える政教分離、つまりイスラームを徹底排除した状態でしか近代国家は存在し得ない、と堅く信じて疑わないらしい。何故なら、“アタテュルクがそう言った”からです。

トルコをめぐる国際環境も社会の内訳も八十年前とは大分変わっているはずなのですが、そういうことは気にしない。もし現在にアタテュルクが生きていれば、現状を冷静に判断して、もっと柔軟に戦略を組んだんじゃないか?と思うのは自分だけですかね。

従来であれば、イスラーム志向の政党が政権を握ろうとすると、決まって軍部が介入したものですが、今回はそういうこともありません。何しろクーデターでも起きようものなら、欧米諸国に“未だ不安定で非民主的な国家である”との烙印を押され、念願のEU加盟が遠のくのは確実です。せっかく入った外資も逃げてしまう。昔とは違うのです。

つまる所、アタテュルク以来のイデオロギーに固執する世俗主義者=共和人民党の支持者は、国内の“民主化“が進めば進むほど、じり貧になりつつあるのが実情なんですよ。頼みの軍も動けない。だからといって、クルドやイスラームと融和するつもりもない。困った彼らはどうしているかというと、最近では自らのイコンであるアタテュルク像を、本当に”イコン”として政治的に利用しているようなのです。

具体的にどうするかというと、公正発展党の関係者がアタテュルクの銅像などに対して行った些細な粗相を見つけ出してはあるいは捏造しては)“不敬”だとして騒ぎ立て、同時に“公正発展党”=世俗主義の否定者=“イスラーム原理主義団体”だというネガティヴ・キャンペーンを行っているという.....。

何だか末期的ですね。

→(10)につづく


最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2009-06-06 23:21:22
なるほど勉強になります。
返信する
Unknown (裸族のひと)
2009-06-07 13:23:41
>公正発展党の関係者がアタテュルクの銅像などに対して行った些細な粗相を見つけ出しては(あるいは捏造しては)~ネガティヴ・キャンペーンを行っている

アタテュルクも草葉の陰で嘆いていそうですね。(´A`)「おまいら何やってんだよ。いい加減、俺をダシに使うのはヤメレ!もっと他にしなきゃならん事が有るだろ・・・」
てな感じでわ、ないでしょうか。


>スレ2での返信:結局はこちらの新聞を手前勝手に加工するだけだろうから、実際の日本人の行動はあまり意味はないのかも。

これって、そういう意味だったのですねー。
返信する
アタチュルクを知らぬ者は日本人にあらざる (真実の目)
2009-06-07 20:03:12
http://www.lpghaber.com/Japon-Buyukelci--Ataturk`u-Bilmeyen--Japon-Olarak-Kabul-Edilemez--haberi-207474.html

これは大使が嘘ついたのですかね。
それとも新聞が歪曲したんですかね。
この記事を読んだ人が日本人旅行者を捕まえて
「アタチュルクを知ってるか」と質問して
ガイドブックを読んだ旅行者が「知ってる」答えて、
「全ての日本人はアタチュルクを知ってる」伝説が広まるのでしょうかね。

このブログ面白いです。
このシリーズが終わったら、次はフェトフッラー教団ネタお願いします。
ブログのタイトルにもふさわしいネタだし、日本にも食指を伸ばしているのに、
日本語の情報が少ないので宜しくお願いします。

参考まで
http://fetos.wordpress.com/
返信する
Unknown (Unknown)
2009-06-07 21:07:42
トルコが親日って誰が広めたんだろうか?
トルコ人は基本的に海外の人間に興味がないし
なおかつ日本人か?って聞かれてそうだと答えれば
正直な話、男はネギ背負った鴨
女性は金持ちの逆タマ狙い&日本国籍ゲッツ&兵役免除ゲットがついてくるボーナスと思ってる
彼らは基本的に楽して食って生きたいと考えている
先進国の中でも欧米の女性はわがままだが日本人女性はおとなしくて狙うのにちょうどいいと考えている
ですから日本人女性はトルコ人に簡単に気を許してはならないと思いますよ
マジな話一般人に日本が好きだという奴はろくな奴だったためしがない
皆さん気をつけてね
90年はじめから住み去年まで住んでいた私からの忠告です
返信する
Unknown (ポプラ)
2009-06-08 02:33:10
2chでは「トルコ人は親日」説だけでなく、
「トルコ人にとって日本人は鴨にすぎない。だから信用するな!」説も、出回ってるんですよね。
まさに、↓この人の書き込みが、それw。

>2009-06-07 21:07:42

やはり2chでよく目にする、
「俺、アメリカに住んでたことがあるから知ってるけど、あっちじゃ日本の女は肉便器扱いだぜ」と同じ臭味を感じるなぁ。

いずれにせよ、リアリティのある記述や確かなデータも無しに、
「トルコ人は(みんな)こうだ!」と一般化・普遍化させて断定している時点で、
親日説も鴨説も、どっちも説得力に欠ける。
しかも、同じような内容の書き込みが度々登場するから、
ますます嘘っぽい、というか、作為的なんだよね。
ほんと、2chには不自然さがビシバシ漂う書き込みが多い。

そんな私にとって、アタテュルク像事件を軸にした‘デマの発生とその裏に潜む心理’の追及は、読み応えがあります。
返信する
Unknown (円谷@管理人)
2009-06-08 14:14:05
>2009-06-06 23:21:22殿

どうもです。

>裸族殿
>アタテュルクも草葉の陰で嘆いていそうで
>すね。(´A`)「おまいら何やってんだよ。
>いい加減、俺をダシに使うのはヤメレ!

まったくその通りだと思います。w当人はこんな状況を望んではいなかったのではないかと。

>真実の目殿

面白い記事のご紹介、ありがとうございます。これも全訳しましょうかね。

>これは大使が嘘ついたのですかね。
>それとも新聞が歪曲したんですかね。

大使に向かって”アタテュルク”を知ってますか?”というのも随分と間抜けな質問ですけどねw。それに対する答えとして、”アタテュルクを知らずにトルコ大使が勤まるわけが無い”というのはまあ当然でしょう。でも、その後の

"hatta Japon olarak da kabul edilemez. Atatürk’ü tüm Japonlar biliyor" dedi.
(さらには、アタテュルクを知らないなんてことは日本人としてあり得ないことです。アタテュルクは全ての日本人が知っている)

というのは、いかに”外交辞令”といえども日本人の頭の中からは出てこなさそうですw。

トルコ側の関係者や記者の脳内で変換されたのじゃないかと...。

>このシリーズが終わったら、次はフェトフッ
>ラー教団ネタお願いします。

そっちのほうはさらに面倒くさそうですねw。ただ、ロシア語ネタの方もたまっているので、そちらを先にやるかも。

>2009-06-07 21:07:42殿
スルタンアフメット地区の絨毯屋は確かにそうかもしれないんだけど、スルタンアフメット地区=トルコではないでしょう。タイ=カオサンではないのと同じで。

>ポプラ殿
>「トルコ人にとって日本人は鴨にすぎない。
>だから信用するな!」説

イスタンブルの旧市街に、”スルタンアフメット地区”と言う、歴史的建造物と安宿と絨毯屋が集まっている区域があります。この辺は世界中から観光客がやってくるため、この辺で商売をやってるトルコ人は非常にすれていて、彼らにとっては日本人に限らず、恐らく全ての外国人が”鴨”なのですよ。

2chで出回っているような”鴨”説は、結局、この辺のトルコ人像を一般化したものであって、そういうのは結局、日本人の願望を投影しただけの”親日説”と同レベルに思えるわけです。




返信する
Unknown (円谷@管理人)
2009-06-08 17:45:35
>真実の目殿

動画を発見しました。
http://video.turk.net/video/izle/12342/Tanaka----Ataturk-u-bilmeyen-buyukelci-olamaz--japon-da-sayilmaz-----YOZGAT/Sayfa/5/

大使がそのまんまのことを言ってますね。


トルコ人:“ドゥー・ユー・ノー・アタテュルク?”(笑)

大使:“アタテュルクを知らないと大使はつとまりません。日本人もつとまりません。日本人はみなアタテュルクのことを知ってますよ”(笑)

日本人通訳:".....hatta Japon olarak da kabul edilemez. Atatürk’ü tüm Japonlar biliyor" .

明らかに冗談っぽい感じですが、新聞記事の方ではそんなことまで分かりません。で、多分これがそのまま”真実”になっていくのでしょう...。
返信する
Unknown (Unknown)
2009-06-09 16:13:42
ジョークがジョークにならない瞬間を見たw
返信する
Unknown (Unknown)
2009-12-04 23:47:47
ケマルが現在の新月旗を変更しなかったのは、やっぱりあの旗をなんだかんだいって好きだったんじゃないかな?あの狼の旗よりw。ケマルは多分民族的な象徴としての伝統は、むしろ尊重したかったのだと思う。だからあの旗を国旗としたのじゃないんでしょう?国歌の節にも「神を信じる我が民族の権利は!」となぜか信仰全開の歌詞がまじってたりしますww思うに、ケマルはヨーロッパのような聖俗が穏やかに分離するのを理想としたんでしょうが、当時の状況、イスラムの特徴を考えると、フランスの無神論者達のやり方をむりやり移植せざるをえないと考えたのじゃないのかな?だから、歌詞や国旗には、イスラム的特徴の名残がみられても、ケマルはあえてそれを残したんじゃないかと考えておりますが、どうでしょう?
返信する