あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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「Hey」 (p347)

2006-08-06 18:09:33 | わが手に拳銃を 再読日記
やっぱり最後は、これで締めくくり。リ・オウといえば「Hey」、李歐といえば「ヘイ」なので(大笑)

いよいよラスト、花火大会のクライマックスのように、ドーンと派手にまいりましょう!

***

2006年7月24日(月)の『わが手に拳銃を』は、 のp300から、春燈亂 を経て、エピローグまで。つまり全て読了。
 

【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  吉田(旧姓・守山)咲子  吉田裕一・・・前回から引き続き登場。

『李歐』と比べてみたら、笹倉さんの消え方が・・・。田丸も・・・。


【今回の漢詩】

風起春燈亂
江鳴夜雨懸
 (p338)

杜甫の五言律詩「船下帰き州郭宿雨湿不得上岸別王十ニ判官(船にてき州の郭に下りて宿す 雨に湿いて岸に上るを得ず 王十ニ判官に別る)」より。
「き州」の「き」は変換出来ず・・・というより、文字化けするので断念。現在の中国では、重慶の辺りになるそうです。
余談ながら、この詩から「森鴎外」のペンネームがとられたのではないか、という説があるそうな。

依沙宿舸船   沙に依りて舸船を宿
石瀬月娟娟   石瀬 月 娟娟たり
風起春燈亂   風起りて春燈亂れ
江鳴夜雨懸   江鳴りて夜雨懸る
晨鐘雲岸湿   晨鐘 雲岸湿い 
勝地石堂煙   勝地 石堂煙る
柔艫軽鴎外   柔艫 軽鴎の外
含悽覚汝賢   悽を含んで汝が賢なるを覚ゆ


杜甫の詩に始まり、杜甫の詩で終わる、『わが手に拳銃を』


【今回登場した拳銃】

オートマチック(種類不明)  ブローニング(FN・HPDAスタンダード)  スターム・ルガーのセキュリテイ・シックス  ライフル(種類不明)


【今回の名文・名台詞・名場面】

★「商売の世界は、昨日の敵が今日の味方。僕はただの株屋やて、昼間も言いましたやろ。それに、僕は昔から、リ・オウという男は買うてました。 (後略)」 (p301)

笹倉さんによるリ・オウ評、その1。この人は一応は本物の「株屋さん」なんですが、すぐさまバレるような「株屋さん」を名乗ったお方もおりましたなあ・・・。

★「リ・オウは、君の人生の大きな借りがある。あれ、そういうことは死ぬまで忘れへん男やさかい」 (p308)

★「君はそう思うても、リ・オウは君に賭けてますんや。ちょっと日本人には分からしまへんやろけどな。血を流して助けてもろうた命は、血を流して返しますんや、中国の人間は。その代わり、自分のものと決めたものはスッポンみたいに離さしまへん。土地も人間も金も何もかも」 (p308)

上記2つの引用。笹倉さんによるリ・オウ評、その2とその3。特にその3が的確すぎて怖いなあ。そうか・・・リ・オウはスッポンだったのか・・・。

★「(前略) 僕は商売人です。商売のためにしか動きまへん。それが、どこの国にも政治にも思想にも縛られない商売人の自負です。また、そういう自負なしには、僕はアジアでは生きていかれへんかった。これが答えです。自由人というのは、そういう意味です」 (p310)

★「……吉田はん。それでも僕は自由人です。リ・オウもそうやと信じてます。リ・オウが消えたのは、理由はともかく、結局あれこれの鎖を振り切ったということやないかと思うてますんや。いや、是非そうであってほしいと……。もしもそれが気違い沙汰に見えるんなら、どの社会体制にも《ノー》と言う人間が気違いに見えるアジアが不幸ですねん」 (p310~311)

上記2つの引用。「商売人=自由人・笹倉文治」の生き様が見えますね。聞かされたカズぼんは、「日本人の恥だ。アジアの害虫だ」とケチョンケチョンに罵倒してますが(苦笑)

★田丸はまだ何か喋り続けているが、もうあまり頭には入らなかった。リ・オウの生きていた世界について、自分に理解できることは何ひとつなかった。リ・オウの生業の如何によって、自分の人生が左右されるようなことも一度もなかった。俺は俺だ。 (p323)

笹倉さんも田丸も、カズぼんとリ・オウの結びつきを強調するので、それを聞かされるカズぼんは「いい加減にしてくれ」と思っていたのかも・・・。それでも否定は出来ないよ、カズぼん。その後、それがイヤというほど思い知らされるから。

★仰向けになった男の顔に自分の顔をこすりつけて「おい!」と呻いたら、いきなり死体が「ああ」と応えた。
閉じていた眼窩が開き、唇が開き、かすかに笑みを浮かべて「生き返っちまった」とリ・オウは囁いた。
死んだと思ったとたん溢れ出した涙が、急に塩っ辛くなった。畜生と思いながら、安堵で心臓がどっと緩んだ。緩み過ぎて、また声が出なくなった。おお、リ・オウ。このやろう。
 (p333~334)

有名(?)な「リ・オウ、殺しても叩いても撃たれても死なない場面」(笑) カズぼんの「このやろう」のひと言に、感情の全てが凝縮されていますね。

★「俺、こういうのは初めてなんだからそのつもりでな」
「畜生、好きなんだろ、こういうのが」
「ああ、好きだ」
「ああ……一彰がサドとは知らなかった」
「女に仕込まれたんだ」
 (p335)

★「ああ、そうか。日曜か」
「曜日忘れるような頭で警察へ出頭する気か。マゾだな、あんた」
「女に仕込まれたのさ」
 (p338)

前後しますが、上記2つの引用。並べてみると余計に面白さ倍増。「サド」「マゾ」と軽口たたくリ・オウに、どちらも「女に仕込まれた」と答えて流すカズぼん。
ところでカズぼん、あんたは一体どっちの傾向があるんですか? ああ両方ですか、そうですか。(←なげやり)

★全部、この男のせいだということは出来なかったが、少なくとも四割はこの男のせいだ、と一彰は思った。そして三割は守山耕三。三割は自分。そう思うと苦笑いが出た。自分自身の三割より、この男の方が自分の人生の大きい部分を占めていたというのだろうか。そんなバカなことはなかった。これは俺の人生なのだ。俺がこの男を選んだのだ。福崎の岸壁へこの男に会いに行き、笹倉の拳銃四十丁の在り処を教え、拳銃をぶっ放し、黙って刑期を務めたのは俺だ。拳銃を削ってきたのは俺だ。これは俺の人生だ。 (p337)

そう、カズぼんの人生だよね。だけど守山さんに出会って、リ・オウとも出会っての人生ならば、認めないわけにわけにはいかないでしょう?

★「俺は分かってる。自分のやってないことを気に病むことはない。俺の目の黒いうちは、後悔も懺悔もさせないからな。いいか」 (p337)

とっくの昔から、カズぼんと共に生きることを決めているリ・オウの言葉。あるいはプロポーズ第二弾(笑)

★「一彰。警察へ自首して、救われるのは誰だ? 刑務所に入って救われるのは、あんたの魂か。社会規範か。法律か。俺はそういうことは分からないが、少なくとも、この国も社会も、人ひとり裁くほど偉くはないぞ」
「悪は悪。神が見てる」
「その神、あんたに自分を愛しなさいとは言わなかったのか。そんな神なら俺の方がマシだ。俺はあんたに、自分に惚れろと言ってやる。 (後略)」
 (p339)

リ・オウ、名台詞連発!

★「リ・オウ。あんたがそういうことをすると、今度こそ俺はあんたを心から恨むよ。もう四割がた恨んでるが、残り六割も憎悪になる。今はまだ……六割は惚れてるんだ、多分」
「……十割にしろよ」と呟いて、リ・オウは唇を厳しく結んだ。
「俺にしては上出来だ」と一彰は答えた。
 (p340)

出ました、「十割にしろよ」! ・・・かつてリ・オウは「4ナイン(999.9)」と言ったくせに、他人にはパーフェクトを求めるのね・・・。

★「どう説明していいか分からないが……、俺が生きていたのは、右か左かどちらかしかないというのが日常の国だった。右を向いても左を向いても、どちらも政治的でしかありえない。真ん中を向いていたら、両側から危険分子と言われる。これが俺たちの歴史の結果だ。だが、俺は本当にどっちも《ノー》だ。そう言って憚らない世界がほしい。そういう世界の証が金だ」 (p340)

そうは言いつつ、リ・オウが望む人間はカズぼんだけ。求める人間もカズぼんだけ。なのにすげない態度のカズぼん。

★「心配するな。あんたが餓死する前に、俺が会いにいく。俺が右でも左でもない人間である証拠を、見せに行くさ」
リ・オウの目は、今は触れるほど近づきすぎていて、見えなかった。朝から剃っていない顎のざらっとした肌がこすれ合うと、一彰は体中の骨が震え出すかと思った。熱い不穏な動悸がこみあがってくると同時に、抑えていた笑いが今度こそ一気に喉から溢れ出した。一彰は心底興奮し、声を上げて笑いながら、リ・オウを押し退けてドアを開けた。
「今度会うことがあったら、俺はもう負けるよ、リ・オウ」
一彰は車を降りて、ぼおと火照った頬を雨に当てた。
 (p340~341)

いや、この瞬間で負けたと思う。思っていないのはカズぼんだけだろう。だけどこの場面は何度読んでも照れちゃいます・・・その理由は聞くな!(苦笑)

★撃たれたら、こんなもんだということは分かっていた。致命傷ではない。意識もしっかりしている。 (中略) 一彰は答えず、みじろぎもしなかった。少しでも出血させたくなかったからだった。かわりに、血で濡れた指二本を立てて、一彰はVサインを作って見せた。
俺は吉田一彰だ。七百丁の拳銃を削ってきた男だ。話すことが山ほどあるぞ……。
 (p343)

・・・また撃たれたんかい、カズぼん・・・。前半のクライマックスでも撃たれてましたな、あんた。
・・・というツッコミはさておき、どこかで読んだ既視感もありますね~。
・・・というツッコミもおいといて、最後の部分。ここはカズぼんが再三「俺の人生」と言っていた内容を、おおっぴらに、そして的確に肯定した瞬間ではなかろうか。

★男は自分の膝に一彰の両手首を乗せて、手にヤスリを持ち、手錠の金属を削っていた。 (p347)

カズぼんを略奪したリ・オウが、カズぼんの繋がれている手錠を解き放とうとしている場面。この短い一文に含んでいるものがありすぎて、感慨深い。縛られている手錠から解き放たれることで、カズぼんを縛っている全てのしがらみから、解放されるかのよう。これでカズぼんも、晴れてリ・オウと同じ自由人。

★もう何も考えなかった。自分が置き去りにしたもののすべてが、長い月の影になって足元に延びていた。頭を挙げるとその影はもはやなく、燦然と輝く闇がただ身震いするほど美しいだけだった。再び舞い始めたリ・オウの手足に誘われて、一彰も中国式の舞踏に興じた。一泊ごとに、足元に引く影と、頭上の月が次々に交代していく。
「眼花(イエ・ホア)、眼花(目が回る)」と一彰は笑った。
 (p348)

★そうしてまた飲み始める。五十発の銃声がいつまでも耳から離れず、目を閉じると網膜に血の色の花が散る。それがまた、身の毛のよだつ美しさだった。
この美しさに札束の夢と蒼白の月。このリ・オウの晴朗な狂気。
男ひとり狂うのに、これ以上何が要るか、と一彰は思った。
 (p349)

これは現代の「中国・唐詩で詠まれた自然の世界」なのかもしれないなあ・・・。友、舞、水(ここでは海)、月、酒と、要素は揃っている。音楽は琴の代わりに銃声で(苦笑)

***

『わが手に拳銃を』の再読日記は、これで終わります。ありがとうございました。

『リヴィエラを撃て』と平行してやりますよ」なんて、どの口が言ったんだか、まったく・・・(苦笑)
今度は文庫版『マークスの山』と平行してやれたらいいですね・・・と遠慮気味に申告(苦笑)
文庫版『マークスの山』昨日読了して、文庫版『照柿』への備えは万全。


「振り向かないで、歩き続けろ」 (p293)

2006-08-02 22:53:05 | わが手に拳銃を 再読日記
今回ほど、タイトルのリ・オウの台詞をどれにするか、迷ったことはない! 当たり障りのないものを選びました。

***

2006年7月23日(日)の『わが手に拳銃を』は、再会 のp251から  のp300まで読了。
日曜日は休読日なのですが、この日は「坂田藤十郎襲名記念公演」を見に出かけたので、電車内や休憩時間に読んだのでした。


カズぼんの身辺が慌ただしくなり、状況もぐるんぐるんと変化していきます。・・・としか、書きようがない(苦笑)

ああ、原口組長・・・。『わが手に拳銃を』では、どうしてこんなに影が薄いんだ!

カズぼんの息子が愛読している絵本は、高村さんも愛読していた絵本でもあります。作者が分からないので、探しようがありません。残念。


【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  守山咲子  橘敦子  橘助手  原口達郎・・・前回から引き続き登場。

吉田裕一・・・カズぼんと咲子さんの子供。『李歐』では、「耕太」と名前が違っていました。その理由(の推測)は、(めんどくさいので)省略(←こらこら)


【今回の漢詩】
一度登場したものは取り上げないことにしているので、今回はなし。


【今回登場した拳銃】

TA90  ブローニング(FN・HPDAスタンダード)  スターム・ルガーのセキュリテイ・シックス


【今回の名文・名台詞・名場面】
中国語の台詞は、(  )でくくっています。ご了承を。

★「あんた、どこの何者だ……?」
「この国で、一番Rに会いたかった男さ。さあ、行け。失せろ!」
 (p257)

原口組長に頼んで手に入れた《自由公民評議会》の名簿を、ある男に渡した時の、カズぼんの叫び。それはRに直接言ってやってよね、カズぼん! (Rが誰なのかは言わずもがな)

★「(前略) 中国という国は、人ひとりの人生を食いつぶしても足りない竜宮城です。行ったら毎日が楽しくて、見ても見ても足りなくて、気がついたら百年経ってたってことになりますよ。 (後略)」 (p259)

中国へ行くと言う妻・橘敦子を止めるように、夫の橘先生を説得するカズぼんの台詞。

★男二人を選んだのは敦子であり、選ばれた男二人の立場は同等なのだ。 (p259)

これは女には出来ない発想の転換ではなかろうか。世に言う「三角関係」の、特に「男一人に女二人」の場合、女二人は「立場は同等」とは、考えにくいと思う。「どちらが上か」という、対抗意識の方が勝るんではないかなあ。

★広縁の向こうの前栽に満開の桜。血管を回る酔いに、今は微かな苦味がある。俺はここで何をしてる。何を待ってる、と心の中で呟きながら、一彰は目の端で、前栽に散る花を数えていた。 (p261)

原口組長の十八番の長唄に合わせて、舞うカズぼん。

★「原口達郎は、俺と兄弟の契りを交わした人だった。原口を殺した男は、俺の兄を殺した男だ。そういう男の話に貸す耳はない」 (p285)

「李章陽」と名を変えたリ・オウに向かって、カズぼんの吐いた怒りの台詞。

★「原口は、誰が惚れても無理はない立派な男だった。(あんたも彼に惚れたんだ。俺には分かってる。俺の約束を破ったのはあんただ。)」
そう言って、リ・オウはサングラスを外した。五年ぶりに見る清冽な目に、今は苛烈な激情の色があった。ほとんど噛みつくようなその目は、この場のビジネスとは無縁の、きわめて個人的な内面の呟きを洩らしていた。それが見つめているのは、ほかの誰でもない、一彰ただ一人だった。何が言いたいのか半分は分かるが、半分は分からなかった。
「(俺は、もとからあんたと約束するようなことは何もなかった)……」
「(あんたが忘れても、俺は忘れない)」
 (p285~286)

しかし怒ってるのは、実はリ・オウの方だった! ということが判明。

★夜目にも色白い顔は、昼間見たとき以上に若く清々しかった。そしてその目は、五年前には奥深く潜っていたあの火を再び燦然と噴き出して、はるか昔、ともに二十歳そこそこだったころそのままの、熱と輝きと、傲慢な自信と希望と若さのすべてがそこに蘇っていた。 (p294)

「李章陽」としてではなく、「リ・オウ」として姿を現したリ・オウの描写。何だか好き。

★「原口のこと、恨んでるのか」と、リ・オウは穏やかに口を開いた。
「ああ」
「俺もだ。五年前、いつかあんたを潰すことになると言っておいたのに、原口と手を切らなかったあんたを恨む。俺より原口の懐を選んだあんたを恨む。恨んでもあんただけはやっつけられない。それが一番悔しいよ」
 (p294)

リ・オウのやるせない気持ちがひしひしと伝わる台詞ですね。だけどそれを聞かされたカズぼんは、余計にたまらない気持ちにると思うよ、リ・オウ。

★「俺は原口のことであんたに恨まれる覚えはない」
「これが人間の心の不思議なところよ。俺は、あんたと仕事をやりたいんだ。あんたが原口の懐にいる限り、それが出来ないから原口には消えてもらった」
 (p294)

「それって逆恨み? それとも嫉妬?」 とリ・オウに尋ねたら、私の方がどこかの国に叩き売られそうだ(苦笑)

★「あんた、人殺しだ」
「殺しもするが、命も賭ける」
 (p294)

リ・オウ、カッコええ~!

しかし上記のカズぼんとリ・オウの会話で、私が虚しさを感じるのは、原口組長の死です。原口組長に「相手が悪すぎた」と、慰めの言葉をかけてもしようがないけど・・・。あああ、お気の毒な原口組長。

あと一回で、終わらせます。


「純度は4ナインよ」 (p235)

2006-07-31 00:14:11 | わが手に拳銃を 再読日記
リ・オウの有名な台詞ではありますが、「意味不明」という方も多いようなので、蛇足を承知でつたない説明を致します。
ヒントとしては、『黄金を抱いて翔べ』 を読んで、覚えていたら、何となくぼんやりと推測できるはず。
 
その下の重量表示は、いずれも《1 KILO》。品位は《999.9》の4ナイン。 (『黄金を抱いて翔べ』文庫p335)

金の世界では品位(純度)が大事な要素の一つ。《999.9》の4ナインということは、それだけ異物がなく、純粋な「金」である証拠。
つまり「正真正銘、本物のリ・オウよ」という内容を、リ・オウ風にアレンジしたら、こういう台詞になったのでしょう、と思われます。ひょっとしたら、「0.1%は(一彰の思っているリ・オウと)、違うかもな」という含みを持たせた意味合いも、あるのかもしれません。どうでしょう?

***

2006年7月22日(土)の『わが手に拳銃を』は、コウモリ のp198から 再会 のp251まで読了。

『李歐』 では、大阪湾で別れたカズぼんと李歐は、約十五年間逢うことはありませんでした。(例の「夢」は別として)
そのせいか、『わが手に拳銃を』 では、意外と逢う機会が多いなあと感じます。

今回の再会は約十年ぶりですし、十年は確かに長いですし、そりゃ、二人が逢うのは嬉しいことなんですが、何だろう、『李歐』 に比べて、年月の重みや過ぎた時間の大切さが、あまり実感が出来ません。『わが手に拳銃を』 では、要所要所にリ・オウが登場してくる。

誤解しないでいただきたいのは、『わが手に拳銃を』の方が再会した回数が多いからイヤ、と言ってるんじゃないんです。

「会えない時間が 愛 育てるのさ」・・・という歌詞が有名な郷ひろみさんの歌った名曲「よろしく哀愁」がありますが、『李歐』 はこのタイプなんですよね。
逢えない年月が長いから、想いが募っていく。その想いが積もり積もって、『李歐』のp495の残されたものが息子の耕太ただ一人になった時点で、カズぼんの気持ちが爆発してしまうんですよ。
 
一つ一つ掘り返したら、出てくるのはただ、恋しい、恋しい、恋しい、という五千日弱の他愛ないため息だけだったが、それが積み重なってここまで来た、この十五年のすべてが異様だった。 (『李歐』p495)

どんなに異様だろうと、ここにいる自分はもうこれ以上のものにはなれず、李歐を待つこの心身一つ、もう憎悪の対象にもならない何者かだと言うほかなかった。だから、もういいではないか。自分は恋しいだけだ。恋しい。恋しい。李歐が無事なら、この心臓が止まってもいいと一彰は思ったのだった。 (『李歐』p495~496)

・・・入力途中でのた打ち回りたくなるくらい、むっちゃ恥ずかしくなってきた・・・(苦笑) 「恋しい」って、何回繰り返してるんだ、カズぼん・・・。ものすっごい告白だよ、これ・・・。「惚れたって言えよ」よりも、数段上かもしれん。

「李歐 再読日記」は、来年の春にやりますので、今しばらくお待ち下さい。


【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  橘敦子  原口達郎・・・引き続き登場。

カール・キーナン・・・アイルランドから来た神父。リ・オウとカズぼんを繋ぐ重要な役目を、いつの間にか担っていた人。


【今回の漢詩】
一度登場したものは取り上げません。杜甫の「返照」の一部は、キーナン神父の手紙に添えられたリ・オウの写真の裏に、リ・オウ直筆で書かれていたものです。
つまりプロローグは、コウモリ の後から、 再会、でリ・オウと再会するまでの、ある夜のカズぼんを描いたものだと、ここで推測されますね。

牀前看月光
疑是地上霜
抬頭望山月
低頭思故郷
 (p220)

李白の五言絶句「静夜思」より。
やっと李白の詩の登場ですよ♪ これはかなり有名な詩ですね。だけど「抬」(もたげる)の字が、他の書籍では「挙」(あげる)になっているのが多いんですけど・・・。とりあえず高村さんの引用した方を正として、読み下し文を添えます。

牀前看月光   牀前 月光を看る
疑是地上霜   疑うらくは是れ地上の霜かと
抬頭望山月   頭を抬げて山月を望み
低頭思故郷   頭を低れて故郷を思う



夜坐不厭湖上月
昼行不厭湖上山
眼前一樽又長滿
心中萬事如等閑
 (p233)

張謂の七言律詩「湖上對酒作」より。
これ以降にも、何度か引用されています。微妙に入力ミスがあると思うので、ご寛容下さい。「はるかなり」の漢字は変換できず。「貝」+「余」です。

夜坐不厭湖上月   夜坐して厭わず 湖上の月
昼行不厭湖上山   昼行いて厭わず 湖上の山
眼前一樽又長滿    眼前一樽 又た長に滿ち
心中萬事如等閑   心中万事 等閑の如し
主人有黍百余石   主人黍有り 百余石
濁醪數斗應不惜   濁醪數斗 應に惜しまざるべし
即今相對不盡歡   即今相對して 歡を盡くさずんば
別後相思復何益   別後相思うとも 復た何か益あらん
茱萸湾頭帰路はるかなり   茱萸湾頭 帰路はるかなり
願君且宿黄公家   願わくは君且く宿せよ 黄公の家
風光若此人不酔   風光此の若きに 人酔わずんば
参差辜負東園花   参差として 東園の花に辜負せん



【今回登場した拳銃】
カズぼんが拳銃の仕事をし始めたせいで、種類がどっと増えました。多分、これは同じ銃だろうと推測できるのは、まとめています。ご了承を。

ブローニング  九ミリのオートマチック(あるいは九ミリ・オート)  S&Wの二・五インチ  コルトの三インチ  スターム・ルガーのスピードシックス  M14ライフル  ベレッタM85B  HK4  トカレフ  ミニ・トカレフ  トカレフTT33  TA90  Cz75  リボルバー  コンバット・オート  センチニアル  ワルサーTPHのポケットオート

【今回の名文・名台詞・名場面】
今回もリ・オウの名台詞にKO!(笑)

★「(前略) 君には、そういう無茶をやらない理性がある。理性が金の花を咲かせるんだ、この仕事は」
「理性が聞いて呆れる」
 (中略)
「理性は作られ、鍛え上げられるものさ。悪い友人さえ持たなければな」 (p211)

香港シンジケートの、カズぼん評。「悪い友人」は、リ・オウのことらしい。まあ、後々カズぼんの理性は、吹っ飛ぶほどの暴走を見せますが(苦笑)

★一彰は、リ・オウがそうして果敢に生き抜いてきたことそのものに賛辞を贈りたかった。リ・オウが生きている限り、その目も肉体も輝いているだろう。そのことだけで、充分すぎる贈り物だった。 (p223)

★未だリ・オウの目にあの悪の火が燃えているかどうかは知らないが、たとえリ・オウがその火を捨てたとしても、それはそれでリ・オウ個人の選択だ。 (p223~224)

★あの火は少なくとも今、自分の胸で燃え続けていた。五年前にリ・オウが放った矢は、間違いなく自分の心臓を射抜き、悪の種を植えたのだ。それが今、こうして芽吹いている。 (p224)

★リ・オウ。五年前の最後の朝、あんたに抱かれたときにこの全身に走った悪の陶酔が、今はこの、砥石の火花に伝わっている。このリーマの刃に伝わっている。拳銃を削るリーマに。
リ・オウ。生きていて、ほんとうによかった……。
 (p224)

上記4つの引用。キーナン神父の手紙でリ・オウの消息を知ったカズぼんの想いが、ひしひしと伝わる場面です。読み手もここで、「リ・オウが生きていて、よかった!」と一緒に安堵してしまいますね。

★「昔、なんとなくそんな気がした。きっといつの日か、一彰は拳銃を削る男になるってな」
「あの四十丁が尾をひいただけだ。あれがなければ、やってなかった」
「へえ。あんたの人生を変えるほど、俺は大した男だったってことか」
 (p237)

リ・オウ、見抜いてるよ、分かってるよ! 相変わらずの自信は、これっぽっちの揺らぎもない。

★「俺は俺なりに真面目に考えた。民主活動でどうやって食っていくんだ。俺の国では、卵を産むアヒルの方が大事だ。理屈より豚だ。でも、そういうことを考えてる仲間、一人もいなかった」 (p239)

リ・オウの「壮大な夢」の土台となる考えが、ここに現れていますね。カズぼんに大事な話を持ちかけてるってことは、それだけリ・オウが心を許してる証拠。

★その夜は、リ・オウの動きはどこか歌舞伎か能の舞にも似た感じがした。一彰が習ってきた、はんなりとした京舞とは違い、腰の落とし方、足のすり方、背筋の立て方に、強い緊張があった。ゆったりと長閑なリズムの仲に、厳しい呪縛か抑制のようなものが潜んでいた。美しいが、無心の悦びとは違う。羽ばたく鳥の羽根には紐がついていて、紐は動かない巨岩に繋がっているかのようだった。 (p241~242)

★リ・オウはかつて、踊ると自分が消える、先祖の土地に帰っていく、と言ったことがあったが、先祖回帰を願うその舞踏は、実は、同時にその束縛から解き放たれるための祈りのようなものではなかったのか。 (p242)

★初めて、一彰はそんなことを考えた。どちらもがリ・オウの血だが、どちらか選ばなければならないときが来るなら、リ・オウこそは、自由に飛び回るべき鳥だ。世界は広く、中国も広く、リ・オウはほんの塵ほどの小さな鳥で、しかも若い。この鳥一羽、どこへ行こうと構わないじゃないか。 (p242)

上記3つの引用。踊っているリ・オウを見ての、カズぼん物思いにふけるの図。こんなにリ・オウを理解してるのにねえ・・・。リ・オウもリ・オウで、こんなにもカズぼんに理解されてるのにねえ・・・。

★「ああ。今日明日の話じゃないが、そのときはあんたを潰すことになる。それを言っておきたかったのが一つ。もう一つは……」
リ・オウは再び目を伏せて、ちらりと笑った。
「俺の代わりに刑務所に入ってくれた男ひとり、死んでも忘れないってこと」
「じゃあ泊まっていけ。可愛がってやるぜ」と、一彰も笑って応じた。
「その前にベッドを作ろう。俺たちのベッドは札束。ベッドの下は草の大地。天蓋は青天の白雲よ。そうして渡る川が三途の川でも恨まないなら、俺はあんたのもの。あんたは俺のもの」
 (p243~244)

うも~、読んでも入力しても、恥ずかしくなってしまう・・・。これって事実上のプロポーズに等しいもんね。特にリ・オウの最後の台詞は、五言律詩の詩にして欲しいくらいよ! どなたか中国の詩作に明るい方、作成してください! 


「お乳。まずかった。吐いたよ、俺……」 (p172)

2006-07-25 01:25:00 | わが手に拳銃を 再読日記
恒例となりました、前回のタイトルの翻訳ソフトの訳。「You got me a bargain」は、「あなたは、私のために契約を取って来た」になりました。リ・オウの言ってることと、全くの正反対やん。

今回のタイトルはこれにしようと決めてました。念のため、人間でなくて、豚のお乳です。
ここまでくると、リ・オウの英語の台詞、めぼしいのは「Hey」くらいしかないでしょ?(笑)

***

2006年7月21日(金)の『わが手に拳銃を』 は、リ・オウ のp147から、コウモリ のp198まで読了。

前半の山場ですね。カズぼんとリ・オウ、二人の「友情」の結びつきと、別れ。(あるスジの方々からは異論があるでしょうが、とりあえずこの時点では「友情」ということで、ご了承を)

リ・オウの波乱万丈の生い立ちも分かるし。カズぼんとリ・オウの誕生日も分かるし、滅多に解らない高村作品キャラクターの誕生日が判明するんだから、これは貴重。
吉田一彰・・・昭和二十九年二月十日。本籍は東京都世田谷区成城。・・・生まれながらの「ぼんぼん」かい。(「ぼんぼん」・・・大阪弁で「金持ちの坊ちゃん」の意味)
李歐・・・一九五四年四月一日、東京都文京区本郷に生まれる。
念のため、同い年。
但し、『李歐』では、この二人の誕生日は約2~3ヶ月後にズレておりました。

そして『わが手に拳銃を』における私の心のオアシス、原口達郎組長、ご登場~♪
『李歐』を先に読んだ私としては、ある意味で物足りなかったりするんですが(苦笑)、なかなか粋なところ、いい男っぷりの部分は『わが手に拳銃を』にも充分あるので、それでいいかな。
ネタバレ。 『李歐』では、自らの身体でカズぼんを繋ぎとめているのに、『わが手に拳銃を』では、自分の女をカズぼんに与えて繋ぎとめてる。どちらがより強い結びつきなのか。


【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  守山耕三・・・前回から引き続き登場。

吉田美津子・・・カズぼんの父の再婚相手。とはいえ、父親とは関係は母が生きていた頃からあった。

原口達郎・・・カズぼんと刑務所で知り合った頃は、若頭。後に原口組の五代目組長に。


【今回の漢詩】

白雲一片去悠悠 (p174)

初唐の詩人・張若虚の七言古詩「春江花月夜」より。この詩のみで名を馳せている詩人ですね。
この詩の入力に、かなりてこずりました・・・。「艶艶」は、さんずいへんをつけたのが正しいのですが、どうしても変換できないので・・・ご了承を。

春江潮水連海平    春江の潮水 海に連なりて平らかなり
海上名月共潮生    海上の明月 潮と共に生ず
艶艶隨波千萬里    艶艶として波に隨ふこと千萬里
何處春江無月明    何れの處の春江か月明無からん
江流宛轉遶芳甸    江流宛転として芳甸を遶り
月照花林皆似霰    月は花林を照らして皆霰に似たり
空裏流霜不覺飛    空裏の流霜は飛ぶを覺えず
汀上白沙看不見    汀上の白沙は看れども見えず
江天一色無繊塵    江天一色にして繊塵無し
皎皎空中孤月輪    皎皎たり 空中の孤月輪
江畔何人初見月    江畔 何人か初めて月を見し
江月何年初照人    江月 何れの年か初めて人を照らせし
人生代代無窮已    人生 代代窮まり已むこと無く
江月年年祗相似    江月 年年祗だ相似たり
不知江月待何人    知らず 江月何人をか待てる
但見長江送流水    但だ見る 長江の流水を送るを
白雲一片去悠悠    白雲一片 去りて悠悠たり
楓浦上不勝愁    楓浦上 愁ひに勝へず
誰家今夜扁舟子    誰が家ぞ 今夜 扁舟の子
何處相思明月樓    何れの處にか相思ふ 明月の樓
可憐樓上月徘徊    憐れむべし 樓上 月徘徊し
應照離人粧鏡臺    應に照らすべし 離人の粧鏡臺
玉戸簾中巻不去    玉戸 簾中 巻けども去らず
擣衣砧上拂還來    擣衣 砧上 拂へども還た來たる
此時相望不相聞    此の時相望めども相聞かず
願逐月華流照君    願わくは月華を逐ひて流れて君を照らさん
鴻雁長飛光不度    鴻雁 長飛して光度らず
魚龍潜躍水成文    魚龍 潜躍して水文を成す
昨夜閑潭夢落花    昨夜 閑潭 落花を夢む
可憐春半不還家    憐れむべし 春半ばなれども家に還らず
江水流春去欲盡    江水 春を流し去りて盡きんと欲し
江潭落月復西斜    江潭の落月 復た西に斜めなり
斜月沈沈藏海霧    斜月沈沈として海霧に藏る
碣石瀟湘無限路    碣石 瀟湘 無限の路
不知乘月幾人歸    知らず 月に乘じて幾人か歸る
落月搖情滿江樹    落月 情を搖るがして江樹に滿つ



【今回登場した拳銃】
例によって、名前だけ。
コルト  S&W  Cz75の九ミリ・パラ  ブローニング  PYTHON 357 MAGNUM


【今回の名文・名台詞・名場面】
今回も名台詞のオン・パレードですね♪

★「どこから、いくら貰った?」
「金は貰ってない! 一体、そういう物の考え方しか出来ないのか、あんたは!」
「金は裏切らないからな」
 (p162)

リ・オウの格言・その3。でも、裏切る時もあるよ、リ・オウ・・・?

★「また金か。手を出せ。僕の有り金やるから」 (中略)
一万五、六千円だった。リ・オウは、掌の金をしばらく見つめていた。「これは君の心だな」と呟き、刷の中に小銭を包んで小さく折り畳み、シャツのボタン付きポケットに入れた。
「いつか利子をつけて返すよ。僕らの利子は高いんだ。年利三割の複利でどうだ? 払えない場合は、命で返す」
 (p162)

リ・オウの格言・その4。「心」を貰ったから、「命」で返すのね。
ところで年利三割の複利って・・・。どこぞの金融機関も、これくらいのサービスしてよ(笑)

★今また別人のような新たな顔を見せているリ・オウを前に、自分の体内時計が止まってしまうように感じた。 (中略) ほんものの時間も、多分この男が止めてしまったのだろう。まるで、仙人と芸術家と商人とギャングを全部足して割ったような男だ。うさん臭さも愛嬌も敵意も全部混じっている。食ったら、きっと八宝菜の味がするんだろう。こんなカマキリがどこにいる。 (p163)

今回読んだところで、一番笑ったのがここ! 「八宝菜」って、あんた!(笑)
ネタバレ。 『李歐』での「年月なんか数えるな。この李歐が時計だ。あんたの中に入ってる」 「ああ……心臓が妊娠したみたいだ」 は、ここを元に変化したんじゃないのかな? どうでしょう? 

★今度は手真似でソバを食う身振りをし始めた。落語に似たようなやつがある。あれだった。実に上手かった。
「余計に腹へってくるから、やめてくれ、そういうの」
「想像でも腹はふくらむんだ。ほら、腹芸っていうじゃないの」
 (p171)

リ・オウの格言・・・というよりは、座布団一枚ものの軽口ですね♪

★「これは僕の国の七億五千万分の一の話だから、塵みたいなものだ。そんな風に考えることにしている。
でも僕の国はとてつもなく広いから、絶望する必要はない。掘れば、石油が出るしさ。耕せば米が実る。風が吹いたら、白雲一片去悠悠よ」
 (p174)

この前向きな考え方が、リ・オウなんですよね!

★「僕はあんたをギャングだと思っている。だから、ここへ来たんだ」
「いいか、僕は自分で国をおん出た人間だ。国を出た意味というのはこうだ。国の民というのは、基本的に治める者と治められる者のどちらかでなけりゃならないのだと思う。だが、僕はどちらにもなり損なったから、ここにいるんだ。もし自分は何者かと訊かれたら、僕はまず《男》と答える。次に《リ・オウ》と答える。その次に《ギャング》と答える。《中国人》は四番めよ。この意味分かるか?」
「あんたは自由な人間だ」
「自由の証は金だ。僕は金の力で、右も左もない天上に君臨してやる。そのうち、この面が紙幣の表にのる日がくるかもな」
 (p175)

リ・オウの格言・その5。
リ・オウの顔(20代後半~30代で)が印刷された紙幣・・・あるなら欲しいぞ! それも高額紙幣でないと、リ・オウにはふさわしくない。

★リ・オウは突然、またあの火を翻らせた。これまで見た中でも、もっとも熱く眩しく、食らいつく爪のような火の触手だった。
一彰は、バレルの螺旋に吸い込まれるように、自分を誘う火に見入った。拳銃と同じく、自分の魂を奪っていく火に見惚れた。
「いつか、僕と組まないか」と、リ・オウは言った。
「金儲けか」
「僕があのブツをさばいたら、代金と交換に返事をもらおう」
「いいとも」
「謝謝!(ありがとう)」
のびやかな上海訛りの囁きを発して、リ・オウは両腕を広げた。予想に反して、じわりと官能的な抱擁だった。一彰は息づまり、身震いしながら虚空を仰いだ。自分は今こそ悪と自由の腕に抱かれたのだと思った。道は決まった。謝謝。
 (p176~177)

ここで二人の「友情」の結びつきが、決定的なものになったのですね。

★「リ・オウ。生きてまた会うことが先決だ。僕とあんたは、いつでも平等だ。危険も儲けも。それが、組む条件だ。……じゃあな」  (中略)
「一彰、一彰。再見……!」
リ・オウは、突然、初めて一彰の名を呼んでそう叫んだ。
 (p177)

「君」、「あんた」ときて、やっと「一彰」と名を呼んだリ・オウ。

★意識はしっかりしていた。肩から脇腹にかけて火に炙られているようだったが、湧き出してくる声は消えなかった。拳銃を。拳銃を。僕に拳銃を……! (p178)

★声で喉は詰まり、咳込んで溢れた。地べたに額を押しつけて悶々と呻き続ける間、頬に当たる雨を感じたり、草の匂いを嗅いだりしながら、身体中を絞り上げられるような寂しさを覚えた。この手に拳銃を! (p178)

上記2つの引用。撃たれたけれど、ここのカズぼんは何だかすっごくカッコイイ。ハードボイルド、男の世界! って感じでね。だけど寂しさを感じるのは、リ・オウと離れ離れになったせい?

★一彰は、これで守山工場からまた一つ花びらが欠けていくのだ、というふうなことを考えた。工場と共にあったいくつもの人生のうち、そこに残ったのはこれで自分一人になる。守山も咲子もいなくなった工場は、今は自分のためにだけにかろうじて立っている。いかに忌まわしくとも、自分が生きていくための唯一の世界が、そこに立っている。
咲子には分からないことだろう。工場を守ることは、自分を守ることだった。そこで死んだ人間の名誉を守ることだった。あるいは、子供のころに宝物だったものを守るのだと言ってもよかった。
 (p193~194)

守山さんが死に、娘の咲子も去った後の、カズぼんの感慨。


「You got me a bargain (僕を買い叩きやがって)」 (p114)

2006-07-21 00:45:05 | わが手に拳銃を 再読日記
前回のタイトル、「I'll finish it for you」を翻訳ソフトに訳させたら、「Iは、あなたのためにそれを終えるであろう」となりました。
なんで「I」が、「私」なり「僕」なりに変換しないんだ? 不思議・・・。
ここでの「for」は「~のために」ではなく、「~の代わりに」と訳すべきですね。
・・・英語は弱いくせに、そういう知識は覚えてる、困ったちゃんな私。

***

2006年7月20日(木)の『わが手に拳銃を』 は、カマキリ のp107~p146まで読了。

やっと一彰とリ・オウが、会話らしい会話をしたというか。リ・オウの台詞って、やっぱり面白い♪ 今回はリ・オウの名台詞がバンバン出てきます。

一方で、笹倉さんと守山さんの「陰険漫才」が、隠れた見どころだと思っています。笹倉さんは柔らかい大阪弁・・・というよりは、船場言葉(に近い)でしょうね。(大昔のお昼の連続ドラマ「あかんたれ」で使用されている言葉を思い出していただければ、何となく分かるのではないかと・・・)
守山さんはそれよりはちょっとキツイ大阪弁。
大阪弁に限らず方言は、アクセントや言い回しの違いによって、微妙にニュアンスが変わってくるので、多少は分かりやすくするために、「話し言葉のような書き言葉」になってしまうので、文章にするとやっぱり難しいもんですね。

それにしても、『わが手に拳銃を』 の一彰は、熱く激しい男ですね~。前回では取り上げませんでしたが、守山さんに「ぱかやろう!」と怒鳴るわ、机を拳で叩くわ。激しい感情の揺れ動きや爆発が、『李歐』 ではあんまりなかったような気がするんですが・・・。

ついでに、これから以降は一彰のことを「カズぼん」と呼ばせてもらいます。


【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  守山咲子  守山耕三・・・前回から引き続き登場。


【今回の漢詩】

此身醒復酔
乗興即為家
 (p115)

杜甫の五言拝律「春帰」より。
また杜甫ですか・・・。個人的な好みとしては、杜甫の詩よりは、李白の詩のほうが好き♪

苔径臨江竹    苔径 江に臨む竹
茅簷覆地花    茅簷 地を覆う花
別来頻甲子    別れし来り頻りに甲子
帰到忽春華    帰り到れば忽ち春華
倚杖看孤石    杖に倚って孤石を看  
傾壺就浅沙    壺を傾けて浅沙に就く
遠鴎浮水静    遠鴎 水に浮んで静かに
軽燕受風斜    軽燕 風を受けて斜めなり
世路雖多梗    世路 梗ぐこと多しと雖も
吾生亦有涯    吾が生 亦た涯り有り
此身醒復酔    此の身 醒め復た酔う
乗興即為家    興に乗じて即ち家と為さん



【今回登場した拳銃】

ブローニング


【今回の名文・名台詞・名場面】

★自分がそこに住む人々と同じように生きる力がない限り、理屈抜きに足を踏み込むべきではない世界がある。境界線は人によって異なるが、かつて母が銃弾を浴びたのは、結局越えてはならない線が見えなかったからではないのか。それが一彰の考えだった。 (p112)

「自分とは異なる世界や人間」って、確かに存在しますから・・・。

★あのリ・オウの目の火が自分の腹で燃えている。守山工場で見た、リーマの螺旋が自分の手の中で回り続けている。この三ヵ月、ずっとそうだったのだ。 (p112)

三ヵ月! 三ヵ月も燃えて回ってたんかい! そんなに気になるなら、さっさと会いに行くなりして、行動しなさいよー。

★いったいこいつは何者だ。いつか放った火の矢をどこへ隠したのか、守山工場で見せていた蝋のような無表情はどこへやったのか、今隣で笑っているのは、底抜けに明朗なワルだった。 (p114)

『黄金を抱いて翔べ』の北川春樹くんへ。「ワル」を目指すなら、こういうワルを目指すように(笑)

★「踊ってるとき、気持ちよさそうだな」
「ああ。自分が消える。魂が抜けてどこかへ帰っていく。多分、先祖代々の土地へ帰っていくんだろう。空とか土とか草とか……。いや、多分、それは妄想だな。何もないよ。ただ空っぽになるだけだ」
「その指、何を表してるんだ……?」
「空腹」と男は呟き、それから「魂の」と付け足してさらりと笑った。そのとき、その目の中に一瞬あの火が翻ったように見えた。矢のように飛んできて、一彰の目に食らいつき、またすぐに消えた。
 (p115)

リ・オウの最初の台詞、『リヴィエラを撃て』 でジャック・モーガンも良く似たことを言ってましたね。
それからリ・オウの「火の矢攻撃」は、カズぼんにしか通用しません、きっと(笑)

★「すげえ取り合わせだな」と一彰は唸った。「杜甫と機械とダンスと……」
「ギャングと」
 (p115)

「ギャング」って、既に死語のような気がするんですが・・・。

★「殺し屋は本職か」
「本職、金儲け。趣味、金儲け。特技、金儲け」
 (p115)

リ・オウの格言・その1。人、これを「金儲け、三段攻撃」だの「金儲け三段活用」だのと呼ぶ。
全くの余談ですが、今年逮捕されたあの人やあの人が、こんな洒落たことを言える気概があったらねえ・・・。まるでケンカ腰で「金儲けのどこが悪い」と言うから、余計な反発や反感を招くことになったんでしょう、はい。

★「そっちこそ。組む気がないなら何しに来たんだ?」
「別に、あんたのその目が気に入らないから、二度と僕を見るなと言いに来たんだ」
「へえ」
リ・オウは一彰の方へ自分の顔をおもむろに突き出した。「この目かい?」
 (p116)

自覚ないのか、カズぼん! それとも鈍感なだけなのか?

★「いいか、僕が人を見るのは、それが敵か味方かを見分けるためだ。どんなに見ても、見すぎることはない。それだけ、人間てのは油断がならないのさ。分かったか? じゃあ、さようなら」 (p116)

リ・オウの格言・その2。
「人や物事を見る、見つめる、見続ける」というのは、すべての高村作品に共通する通奏低音みたいなものですね。

★「君らは、民主主義が千年前から自明の理やったような面して、電灯のまわりで踊ってる蛾や。この国は平和で夜も明るいさかい、近所の国からは、いろんな虫が飛んでくる」 (p123)

田丸の台詞。1970年代後半の設定なのですが、今でも充分通用しそうな気もする。

★「僕もお人好しやから教えたげますけど」と呟いて、男は辛抱強い作り笑いを浮かべた。「自分の身の程を弁えない人間には、棺桶しかあらしまへんねやで、この世界には」 (p126)

笹倉さんの台詞。しかし自分で「お人好し」というのはどうかと思う(笑) 本物の「お人好し」のはずがないやん、笹倉さん! ホンマに食えないキャラクターばっかり!

★「(前略) あの男が僕の顔をじっと見たときの目は、死ぬまで忘れない (中略) 謂われのない独断で、世界に境界線を引く目だ。僕がもっともぞっとした目だ。あれは、僕と母をどこかへ叩き落とした目だった……。でも、今は、僕はどこへも落ちたとは思ってない。この工場にいて、何が悪い。悪というなら、何が本当の悪なのか、いつか田丸に見せてやる。いつか思い知らせてやる」 (p139~140)

こ、怖いよ、カズぼん・・・。「恨み骨髄に徹する」ですか?

★「どれか選ぶなら、僕はこの悪を選ぶよ」 (p141)

カズぼんが選んだ「悪」は、「拳銃」。


「I'll finish it for you (僕が仕上げるよ)」 (p90)

2006-07-20 01:00:37 | わが手に拳銃を 再読日記
前回のタイトル「What a stiff」を、私のパソコンに付属している翻訳ソフトで訳してもらったら、「何、死体」と直訳したので、大笑いしてしまいました。
さて、今回はどうなるでしょうね? また、皆さんのパソコン付属の翻訳ソフトでは、どう翻訳されたのかしら?

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2006年7月19日(水)の『わが手に拳銃を』 は、一九六一年――『守山工場』のp60から 一九七六年――『守山工場』のp106まで読了。

『李歐』 を最初に読んだせいか、一彰少年の過去が、えらくあっさりしているように感じます。
文章も比較的短文の集まりなので、一文がかなり長く、複合的な内容を持つ現在の高村さんの文章とは、丸っきり正反対。
ところどころに「高村語」とでもいいましょうか、読み手がうろたえるような、あるいはいい意味で引っかかるような、独特の匂いのある表現が入っているところは、昔も今もそのままだと思いますが。

一彰とリ・オウの繋がりも、まだまだ浅い。


【主な登場人物】
吉田一彰  守山耕三  田丸浩一  リ・オウ  笹倉文治・・・前回から引き続き登場。
吉田一郎、吉田昭子・・・一彰の両親。両方から一字ずつ名前を貰ったとしたら、「一昭」になっていたんじゃなかろうか? 父親は検事。(←ひょっとして、加納祐介さんの父上や、手塚時子さんの父上をご存知じゃありませんか~?) 東京から大阪地検への異動となったので、家族で大阪へ引っ越してきたのが、一彰の運命を決めたと言っても過言ではないだろう。ちなみに、『李歐』では、父親は検事ではなかったはず。おまけに名前も出てなかったと思うが・・・。
ネタバレ。  『わが手に拳銃を』では、一彰母はある事件に巻き込まれて殺されたが、『李歐』では、一彰母は生きて、ある男と出奔し、日本に戻ることなく生を全うしている。 
守山咲子・・・守山耕三の娘。母親の名前は出てこない。


今回は漢詩も拳銃も出てきません。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★内部の渦巻きを見ながら、一彰はふと、この渦巻きは一生忘れないだろうと思った。理由は分からなかったが、こういう隠微な渦巻きが自分はほんとうに好きなのだと感じた。 (p81)

一彰のルーツが、如実に現れておりますね。

★「(前略) ええか、ぼん。よう出来た拳銃いうのはな、十年、二十年はモデルチェンジせずに使えるんや。それにもまして人間の口は、そいつが生きている限りは塞がれへん。(後略)」 (p95)

★「どこの国にも長い歴史の事情がある。人間も風土も違う。物の考え方も違う。アジアには、汚職も傀儡政権も軍事クーデターもゲリラも何でも揃うてるけど、そういうところで、生半可な商売ではやっていかれへん。五十年、六十年、ころころ変わる政治の動きを睨みながら生き続けてきた奴らや。気も長くなるやろう。わしらとは、根本的に生き方が違うんや。何が正しい、何が間違うてる言うてみても始まらへん。そういうことが、わしにもやっと分かってきたんやが……」 (p95)

上記二つは、守山さんの台詞。

★これまで、ときには悪意に満ち、ときには怠惰で身勝手な憂鬱に満ち、ときには身勝手な気晴らしの衝動に満ちていた自分の目は、その夜はもはやなかった。鏡の向こうを走っていた男も、もはやいなかった。いるのは自分という一人の男だけで、その男の前には一本の道しかなく、その道へやっと自分の足で立った男だった。そう思うと、この十五年間の不実に満ちた生活もまた、無残でもなく空虚でもなく、穏やかに流れ去っていくような気がした。 (p106)

★全部、どうでもいいことなんでしょう、と敦子は言った。その、どうでもいいことが僕の人生なんだ、と僕は思った。でも、どっちも間違っていたと思う。 (p106)

守山さんと会って話をしたことで、わだかまっていた心と過去に、とりあえずの区切りをつけた一彰。
さて、新たな「道」は見つかるんでしょうか? 待て、次回!


「What a stiff (お固いの)」 (p39)

2006-07-19 01:05:32 | わが手に拳銃を 再読日記
予告もなしに始まりました、『わが手に拳銃を』 再読日記でございます。
2006年7月18日(火)から読み始めました。

『リヴィエラを撃て』 再読日記はどうしたの、って? ええ、並行してやりますよ。
・・・無謀・・・という声が聞こえるのは、私の空耳ではないですね?

『わが手に拳銃を』 をきちんと読むのは、多分これが2回目です。初めて図書館で借りた時は、流し読み程度。買ってから読んだのは、2003年5月。それ以来の再読です。
そのせいか、読んでいて何だか新鮮でしてね。中途半端に覚えているというか、適度に忘れているというか・・・。

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例によって、『わが手に拳銃を』 という作品について簡単に記しておきましょう。

高村薫さんの長編第3作目。後に、『李歐』 という作品に大幅に生まれかわっています。
『わが手に拳銃を』 あっての、『李歐』 であり、『李歐』 あっての、『わが手に拳銃を』 だと、私は思っています。

ただ、どちらを先に読むかで、読み手それぞれによって、両方の作品の評価が分かれたり、好き嫌いや良し悪しがあるのが、面白いところ。一種の運試しみたいなものですね(笑)

私が読んだのは、『李歐』 → 『わが手に拳銃を』 の順。
まあ、個人的にはこれで良かったとは思っています。初めて手にした高村作品が 『李歐』 だったこともあり、その時には、『わが手に拳銃を』 の存在を知らなかったので、選択する余地がなかったから。
「別物」と割り切って読むのが最善かもしれませんが、そんなに上手く割り切れるものでもないですし・・・複雑ですね。

版元の講談社さんを素晴らしいと思うのは、『わが手に拳銃を』 を絶版にせず、恐らく年に一度は重版をかけていること。
(どこぞの出版社さんとは、えらい違い・・・ごにょごにょ)
今も講談社さんのサイトで検索したら、ちゃんとありますよ。
しかしいつまで発売してくれるのかは分からないので、未購入の方は見つけ次第、買っておきましょう、とおせっかいながら忠告しておきます。


それではいつものように、注意事項。
最低限のネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。よっぽどの場合、 の印のある部分で隠し字にします。

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2006年7月18日(火)の『わが手に拳銃を』 は、プロローグ から 『ナイトゲート』のp59まで。

タイトルは、出来るだけリ・オウの台詞を引用します。だってリ・オウの台詞、面白くって楽しいんだもん♪(笑)


【主な登場人物】
吉田一彰・・・(表の)主人公。愛称は「カズ」(敬称で「くん」か「さん」がつく場合も多い)。大阪大学工学部の四回生。大阪運輸倉庫株式会社福島営業所と、キタの新地にある会員制高級ナイトクラブ『ナイトゲート』でアルバイトもしている。
笹倉文治・・・『ナイトゲート』の常連客。さて、その表と裏の顔は?
田丸浩一・・・フルネームはまだ出てないんですが。大阪府警公安部に籍を置く警察庁警備局外事二課に所属。《石丸》とか《三越のライオン》とか呼ばれている。《田んぼのおまる》の方が、有名なだけにしっくりきますね(笑)
橘敦子・・・一彰が大学で指導を受けている橘助手(下の名前が出てこない)の妻であり、一彰と不倫関係にある女性。
川島・・・『ナイトゲート』のマネージャー。
リ・オウ・・・(裏の)主人公。今回は名前が出てませんが、紹介しないわけにはいきません(笑) 『ナイトゲート』で皿洗いのアルバイトをしている姿は仮の姿で、実は殺し屋。これからどんどん正体が明かされてゆく。
守山耕三・・・姫里にある守山工場の経営者。一彰の過去に深い関係がある男。


【今回の漢詩】
私が分かる限りで、引用された部分と、全ての詩と読み下し文を載せます。中国語変換できない字もありますし、読み下し文は書籍によって多少の違いがありますので、ご了承を。

不可久留豺虎亂
南方實有未招魂
 (p7)

杜甫の七言律詩「返照」より。

楚王宮北正黄昏    楚王宮北 正に黄昏なるに
白帝城西過雨痕    白帝城西 過雨の痕 
返照入江翻石壁    返照 江に入りて石壁に翻えり
歸雲擁樹失山村    帰雲 樹を擁して 山村を失す
衰年肺病惟高枕    衰年 肺を病んで 惟だ枕を高うし
絶塞愁時早閉門    絶塞 時を愁えて 早く門を閉ず
不可久留豺虎亂    久しく豺虎の乱に留まる可からず
南方實有未招魂    南方 実に未だ招かれざるの魂有り



知章騎馬似乗船
眼花落井水底眠
 (p24)

杜甫の七言古詩「飲中八仙歌」より。

知章騎馬似乗船   知章の馬に騎るは船に乗るに似たり
眼花落井水底眠   眼花は井に落ちて水底に眠る

汝陽三斗始朝天   汝陽は三斗にして始めて天に朝し
道逢麹車口流涎   道に麹車に逢いて口より涎を流し
恨不移封向酒泉   封を移して酒泉に 向かわざるを恨む

左相日興費萬錢   左相は日に興きて万錢を費やし
飲如長鯨吸百川   飲むは長鯨の百川を吸うが如し
銜杯楽聖稱避賢   盃を銜みて聖を楽しみ賢を避くと称す

宗之蕭灑美少年   宗之は蕭灑たる美少年
擧觴白眼望晴天   觴を擧げ白眼もて晴天を望む
皎如玉樹臨風前   皎として玉樹の風前に臨むが如し

蘇晉長斎繍佛前   蘇晋は長斎す繍仏の前
醉中往往愛逃禅   醉中往往 逃禅を愛す

李白一斗詩百篇   李白 一斗 詩百篇
長安市上酒家眠   長安市上 酒家に眠る
天子呼來不上船   天子呼び来たるも船に上らず
自称臣是酒中仙   自から称す臣は是れ酒中の仙と

張旭三杯草聖傳   張旭は三盃 草聖伝わり
脱帽露頂王公前   帽を脱し頂きを露わす王公の前 
揮毫落紙如雲烟   毫を揮い紙に落とせば雲烟の如し

焦遂五斗方卓然   焦遂は五斗 方めて卓然   
高談雄辯驚四莚   高談 雄弁四莚を驚かす



【今回登場した拳銃】
名前だけ挙げます。詳しい特徴や由来などはさっぱり分かりませんので、どなたか教えて下さいませ。

コルト・パイソン(四インチ)  S&W(スミス&ウェッソン)センチニアル  トカレフ(ライセンス生産)  コルト・ガヴァメントのオートマチック  トカレフTT33


【今回の名文・名台詞・名場面】

★「俺が大川に浮いても、泣く奴は誰もおらんが、民主主義が困りよる」 (p15)

田丸の台詞。カッコええ~!

★一彰は、スタイルなどどうでもよかった。すべてが、どうでもよかった。闊達で奔放で少々大胆なこの女と千回逢瀬を重ね、女のために千回大の字になっても、一彰は失うものは何もないからだった。失う恐れのあるものは、予め密かに自分の内側に守っていたし、それは自分の手でも開けることの出来ない固い扉で守られた領域の話だった。 (p21~22)

一彰による自己分析・その1。

★「先生はいい人だ、奥さんも好きだ、杜甫も好きだ、研究も好きだ、というあなたの世界よ。全部本当だけど、全部どうでもいいことなんでしょう? 好きだということの全部が、どこからか逃げるための口実に見えるわ……」 (p22)

橘敦子が一彰のことを評した台詞。他人から見た一彰の性格が判明しますが、さっきの自己分析と寸分違わず・・・といったところでしょうか。

★全部どうでもいいことなんでしょう、と敦子は言う。半分は当たっているが、その《どうでもいいこと》が僕の人生なのだ。かと思えば、その《どうでもいい》世界に僕を引き止めておかなければ、と敦子は言う。矛盾してるぞ、これは。 (p23~24)

敦子の意見に反論しているようで、していないようにもみえる、一彰の独白。

★一旦決心をすると、一彰の心身は何が起ころうともびくともしない固い底を持っていた。この十五年間、何も恐れずに済むよう、数多くのものを捨ててきた結果だった。 (p28)

一彰による自己分析・その2。

★二十二歳と二ヵ月。歳の分からない顔だと敦子が言ったことがある。細かい造形は母に似ているが、そこから母の顔にあった美しい丸みや気品が消えて久しかった。無愛想。冷淡。下衆。石。獣。大した形容詞も出てこないまま、《知らない男だ》と一彰は改めて鏡の中の自分に呟いた。 (p29~30)

一彰による自己分析・その3。これと良く似た表現というか、応用された表現が、合田さんにもありましたねえ・・・。文庫版『照柿』にも、そのまま残ってるかしらん?

さて、最後はお待ちかねのリ・オウの登場シーン。まとめてどうぞ♪

★肘から手先までの踊りが、男の全身へ乗り移った。それぞれの腕と足が天地四方へうねり出す。生きている四匹の蛇かと思うと、次々に鋭い槍に変わり、たおやかな小波に変わる。階段に足を運びながら、一彰は目を見張った。見たことのない動きに目を奪われているうちに。耳に何かの旋律を聞き、皮膚にリズムを感じた。妖艶で鋭く、したたかに力強いリズムだった。奇怪だが楽しく、美しかった。一体、どこの国の踊りなのか。本当は、どういう調べが付いているのだろう。 (p38)

★踊る手足から、見えない磁力線のようなものが迸っているような感じだった。 (p39)

★すると突然、踊る男の表情が動いた。気のせいかも知れないが、たった今冬眠から覚めたのかと思うような蒼白な顔に、何か火のようなものが走った。火の矢のようなものが。 (p39)

★火の矢はぬらりと輝き、一瞬のうちに一彰の心臓を射抜いてどこかへ飛び去った。射抜かれた一彰の心臓は反射的にどっと血を押し出した。激痛とも恍惚ともつかないものを覚えたが、それもまたたく間だった。 (p39)