はい、気を取り直してもう一度入力。
『レディ・ジョーカー』、通称
『LJ』、最近知った呼び名が
『レディジョ』の再読を、11月20日から始めました。
再読するのは4年ぶり。このブログを開設して初めての再読日記がこれだったのですよ。月日の経つのは早いものですね。
4年前は映画が公開される頃で、書店には山積みになってました。その中から「版数の重ねたもの」をわざわざ選んで、買ったのでした。(上巻10刷、下巻8刷)
これのおかげで、半田さんの台詞の違いが判明したのでした。
過程はこちら 結果はこちら
今回の再読は、上巻・下巻ともに初版でやります。だからといって、違いを探すのが目的ではなく、ただ純粋に「読みたい」という思いだけがあります。なぜか
『LJ』は、晩秋から初冬に読み始めたくなるのですよ。
前回実施した再読日記では、初めてということもあって、かなり控えめなものになっていました。その当時は文字数制限が3000字から5000字くらいだったんですよ。
今回は遠慮なくいきます。文字数制限も10000字になりましたしね。少し趣向も変えたいな、とは思っているのですが、どうなることやら。
個人的には「高村作品で好きなものを3作選べ」と問われたら、必ず入れる作品です。気合も入ります。
(残りの2作品は何でしょうね~? 当ててみます?)
まあ、入力記事が一度流れたおかげで、多少は冷静に構成を考える時間が合ったことは事実ですがね・・・(←恨みごと)
しかも中途のままの
神の火(新版)再読日記 や
李歐再読日記 を放り出してやります。ごめんなさい。
それではいつものように、注意事項です。
最低限のネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。よっぽどの場合、 の印のある部分で隠し字にします。
また、取り上げる名文・名台詞等が前回の再読日記と重複する場合もありますが、ご了承下さい。
***
2008年11月20日(木)の
『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) は、
一九四七年――怪文書 から、
第一章 一九九〇年――男たちの上巻p49、秦野浩之が自宅で来客を待っているところまで読了。
遅れましたが今回のタイトルは、ヨウちゃんが高克己を称した言葉です。
★今回の新発見★ ・・・何のことはない、今回の再読で今まで見落としていたこと、忘れていたことをピックアップするだけのコーナー。(絵文字で遊ばさせてもらいます)
吉田茂の名前が出てるやん。
最初だから当たり前というかしょうがないというか、ヨウちゃんを表す地の文が「松戸」になってたんだ!
サブちゃん(北○三○さん)の持ち馬が登場してたんだ! (競馬には全く明るくないんですが、「キタサン」とつくのがこの人の持ち馬だというのは知っている) しかも勝ってるやん・・・。
半田さんの登場の仕方が、えらく爽やかだ(笑) 後々のことを思ったら、ギャップがありますねえ。
余談ながら、
こちらで紹介した鹿島茂さんの対談の中で、「競馬場の取材は一回だけ、30分ほど」というようなことを高村さんが仰ってました。
・・・それだけで、あれほどの描写が出来るのか・・・! 恐るべし、と驚嘆するしかありませんね。
【今回の名文・名台詞・名場面】
★一つは人間であること、一つは政治的動物ではないこと、一つは絶對的に貧しいことです。實に其のことを云ひたいため爲に是を書くのです。野口がそうしろと云つた譯ではありません。たゞ此の世に生まれた意味を今以て理解しかねてゐる一人の人間が、この先成佛せんが爲に書くのです。 (『LJ』上巻p9)
★小生は物音や臭ひに敏感です。醫者は其をノイローゼだと云ひますが、生家にあった物音や臭ひから何處へ逃げられると云ふのでせう。 (『LJ』上巻p12)
★「(前略) 日々働いて食つて寝るだけの營みの中に、飢ゑる記憶が沁みついてゐるのが卑しい。冷静になれないのが卑しい。其の意味では日本中が卑しいのだと俺は思ふ。 (中略) 何が惨めと云つて、貧しい者が貧しい國へ攻めていくほど惨めなものはないよ。其を一番よく分かつてゐるはずの自分が、殺さなければ殺されると云ふんで、必死に殺したのだから、人間と云ふのはやり切れない。 (後略)」 (『LJ』上巻p25)
★「(前略) 個人的には、俺は實つて頭を垂れる稲より、實つても直立してゐる麥になりたいと思ふがね」 (『LJ』上巻p26)
★しかし思ふに、野口勝一と云ふ男は一人の日本人であり、今小生の病室を掃除している小母さんも、廊下で何やら大聲でわめいてゐる子供も、今窓の下を歩いている女給風情の女も、病室の小生も、皆均しく日本人であり、黙々と營みを續ける蟻の一匹であり、かうした各々の歩みが國の姿となるのです。 (『LJ』上巻p27)
「怪文書」と処理されてしまった岡村清二の手紙から、いくつか引用しました。事件の遠因でもありますから、ここは読み飛ばしてしまうと後々の展開や状況が理解しづらくなりますね。私も再読するたび「ああ、そうだったのか」と忘れていること、見落としていたことが見つかります。
特に、野口勝一の発言が奥深いですね。
何だか現首相や政治家たちにも読んでもらいたい部分もありますがね・・・。ただ現首相には、読んでも理解できるのかどうかが難しいところだ(苦笑)
(原文は旧字体ですが、パソコンで変換できない漢字がありますのでご了承下さい)
★今さらながら、尻に鞭を入れられ、頸に静脈を浮き立たせて泥を蹴る馬を、物井は不思議に思うのだ。大地の危うさや粘りを感じながら己の四肢の重量を知る一歩一歩は、結局のところ、隠微な興奮を馬に催させるものなのだろうと物井は考えてみる。そういうふうに生まれついているのでなければ、ただ殴られて走る生きものなどいるはずがない。 (『LJ』上巻p32)
物井さんの思いではありますが、多分、高村さんの見解でもあるだろうと思われますね。