あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・25

2013-03-03 21:53:44 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
まもなく 連続ドラマW「レディ・ジョーカー」 初回放送ですね。 どきどきしてきた。 ツッコミどころ満載でしょうが

だけどあたくし、本日はまともに観られません! 完璧に録画して観られるのは、来週日曜日昼の再放送まで待たないとダメなのです。
今回はHDDのB-CASで登録したので録画は出来るのですが、母と妹に頼まれた裏番組を録画しないと、半殺しの目にあう(苦笑)

初回は1時15分なので、午後11時からの「トンイ」の録画優先。(理由・母が起きていられない)
木曜日の再放送も、午後10時からの「最高の離婚」の録画優先。(理由・妹が仕事で海外にいるから)

どうして時間帯が重なるんじゃああー!

今日は1時間分だけ観ることが出来るので、今から放映ギリギリまで、『LJ』再読日記をひとまず仕上げます。
では、2/10(日)の読書分、相変わらずの義兄弟抜き、比較抜きですが。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

★現実にやって来てみなければ分からないが、間もなく自分に訪れるのは、ほとんどめまいを覚えるほどの自由だと思うとき、たしかに倉田が言ったように、しばしの拘束も不名誉も何ほどのことはない、という気がした。倉田は一足先に、このぞくぞくするような自由への期待を味わっていたということだ。 (下巻p400)

★城山はたったいま、初めて自分の心身を呑み込む虚空に気づいた。自分はまるで音もない、重力もない、真空のようだと感じながら、城山はもう何を思うこともなく、しばらく眼下に広がる光の帯を眺めて過ごした。 (下巻p403~404)


この義兄弟の部分は後日に。 


では、私が大好きな半田さんの最高の名場面。単行本よりは少し短くなってるんですが、今回は端折らずに。

★十一月六日夜、半田修平は合田雄一郎の四十通目の手紙を開き、歓喜に震えた。日を追う毎に、頭と身体が分かちがたくなってゆくかたちで愉悦は深まっていたが、いったい合田は人の腹が読める千里眼なのか、書きよこす内容といい、タイミングといい、自分とは最高に息が合っているのだった。
ソロソロ話ヲシヨウカ。
こいつは、まったく自分と同じリズムで呼吸をしている。隣で息をしている、と思うほどだった。半田は、自分の脳波や心臓の運動や体液の循環などの生理の振幅が、それにぴったりと息を合わせてくる号だの分を足して、いまやきっちり二倍に増幅しているのを感じた。そうして抑えがたく興奮しながら、半田は、定規とボールペンを使って便箋に一字一字線を引いている男の姿を額に張りつけ、それを自分の目で撫で回し、舐め回して堪能した。
社会にとって、組織にとって、事件にとって、とくに大きな意味を持つわけでもない合田という刑事は、だからこそこれ以上はない純粋な生贄と言えたが、この生贄は小羊や豚とは違い、じっくり愛でる愉しみがあった。せいぜい全自動洗濯機や高品位テレビ程度の話とはいえ、庶民に望みうる限りの高品質だと思っていた男が、実は、自分のほうから陰湿な挑発をくりかえしてすり寄ってくる変態だったのだ。それがいま、いかにも清潔そうな小さい頭に隠微な妄執を詰め込んで、寂しい一人暮らしのアパートで、この自分に宛てた手紙を毎夜書き続けている、この異様、この滑稽。先日は、生来の涼しげな目鼻だちにいくらかの放心の色を漂わせて、青物横丁駅のホームにぽつんと立っているのを見たが、半田にはその心臓の鬱々とした悩ましげな鼓動が聞こえるような気がし、倒錯した恍惚感に浸されたものだった。 
ソロソロ話ヲシヨウカ。
そう囁く生贄の声は、いつぞや蒲田の教会で聴いたヴァイオリンの音色にも重なり、共鳴して震える楽器の振動は、ほとんど男の魂の震えのように感じられた。そうか。貴様、この俺と話がしたいか。ここまで来て、話の一つも出来なければ、その小さな胸が張り裂けるか。
 (下巻p419~420)

★まず一言「俺がレディ・ジョーカーだ」と発した。
合田は、ほんの三十センチの距離でガラスを背にこちらを向いたまま、これも一言「ああ」と応えた。まったくなんの表情もない顔と声だった。その一瞬、半田また少し目の前の見知らぬ顔に見入り、これは誰だ、いまの「ああ」は何だと性急に自問して、わずかに混乱した。
 (下巻p430)

★半田はもう一言、「俺はもう考えるのに飽きた」と口にした。すると谺のように「俺もだ」という言葉が返ってきたと同時に、その口許にふわりと笑みが滲んだ。
それを目の当たりにしながら、半田は最後のめくるめく物思いに頭を引き裂かれ、さらに自問したのだった。こいつもどうでもいい人間の一人に過ぎないくせに、この期に及んでまだ、この俺に謎を突きつけてくるか。まるで未だに何者かであるような面をして、俺の前に立ちはだかるか。その目は何だ。その笑みは何だ。こいつは、これでもまだ自信に満たされた順調な人生の途上にいるつもりか、それとも心底狂ってるのか。狂った頭で四十一通もこの俺に手紙を書いたのか。俺をからかったのか。
 (下巻p430~431)

★そうして一瞬のうちに自問自答を繰り返した間、半田はまた、昨夜から増幅し続けてきた生理の振幅が一気に高波ほどに跳ね上がるのを感じながら、荒立ってくる自分の呼吸とともに、この自分についにほんとうの爆発が訪れること、こうして自分という人間はついに押し流されること、これが自分のほんとうの終わり方だったことなどを茫然と思ったのだった。 (下巻p431)

★「言いたいことはそれだけか」
「自首してくれ」
「ああ、するとも」
半田はそれだけ応えた後、ひと呼吸置くこともなく、ナイフを手に身体ごと飛び出し、目の前の柔らかい壁に体当たりした。一瞬軽く跳ね上がった相手の顎が、自分の頭の上に落ちてくるのが分かった。子どものような淡いため息一つと一緒だった。
 (下巻p431)

★「俺はレディ・ジョーカーだ。すぐに粕谷駅バス停横の電話ボックスへ来い。救急車もよこせ。いま、刑事を刺した」
半田は受話器を置き、自分の身体とボックスのガラス壁にはさんで支えている男の耳元に、「聞こえたか?」と声をかけた。しかし、垂れた頭の下から漏れてきたのは「ゆうすけ――」という意味不明の吐息の声一つだった。
もういい。俺はほんとうに考えるのに飽きたのだと独りごちて、半田は暗い車道へ目を移し、警察はまだか、と思った。
 (下巻p432)

そりゃあ半田さんには意味不明な「ゆうすけ――」。 半田さんとしては、「はんだ――」と口にして欲しかったんだろうか?


<終章>

この義兄弟の部分は後日に。 


★このとき久保が見たのは、白日の下で人を吸い込むように虚ろな穴を開けている左目の白濁であり、健常な右目の、憎悪を湛えて震える黒い穴であり、その二つの穴の間に、この世の悪意と混沌の一切を呑み込む虚空が据わった、蒼白な鬼の顔だった。この薬局店主はいったい何者だったのか――。 (下巻p448)



『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・24

2013-02-27 00:32:29 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
2/9(土)の読書分、義兄弟抜き。
そういやこの日は、京都に出かけたんだった。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

★「よく考えてみたら、同じ馬が一着になることも三着になることもある。着順が馬の価値なら、その馬の価値は毎回変わることになる。そんなのおかしいだろ」 (下巻p316)

うん、おかしいよね、ヨウちゃん。

★ときどき、自分の周りの空気がピシッと音を立てて締まってくることがある。いまもまた空気がピシッと締まってきて、物井はこそりと身を震わせた。彼岸に向かって緩やかに流れている時間の川が、こうしてときどき何かの拍子に変調をきたし、とうの昔に観念したと思っている本人に、お前はほんとうに分かっているのかと念を押してくる。ゆるゆると蛇行しつつ流れていく老いの時間とはきっと、誰にとってもそうしたものであるに違いなかった。 (下巻p318)

★年を取るというのは、何かしらぞっとするようなことだ。一つ一ついろいろなものを失っていくのは仕方ないにしても、失ったあとを埋め合わせるものがないのが老いだ。 (下巻p318)

★杉原にしろ三好にしろ、現役のまま遺書も残さず、轢死や焼死といった苦痛に満ちた死をあえて選んだ。それはつまり、それほど強烈な抗議の意思を、自らの死をもって突きつけた相手がいるということなのだ、と城山は考えてみた。それは組織という漠然としたものではない、A、B、Cといった特定の個々人であり、そこが大いなる問題なのだ、と。杉原の場合は、それはまさにこの自分だっただろうし、三好の場合も、この参列者のなかに三好が抗議をしたかった当の人間たちが混じっているのだろう。そして、死者に抗議を突きつけられた者たちは、死者のためではなく、和解や弁明の機会を永遠に失った自らのために、涙しなければならないのだ。 (下巻p322)


ここの義兄弟の部分は、後日に。


★「刑事さ。俺に惚れてやがるんだ」半田はほくそ笑みを消そうともせずに呟いた。
「尾行の――」
「それとは別口。とにかく俺につきまとってやがるんだ。おまけに毎日、手紙までよこしやがる。
 (中略) 昨日で十五通目だ。なに、挑発してやがるのさ」 (下巻p363)

★「せいぜい遊んでやって、最後に地獄を見せてやる。――必ずな」 (下巻p363)

合田さんが惚れてるのか、それとも半田さんが惚れてるのか。
はたまた半田さんが遊んでるのか、逆に合田さんに遊ばれてるのか。
それはちょっと微妙なところだと思うよ、半田さん!

少し脱線しますが、男性が「惚れる」「惚れた」という言葉をさらっと発言するのは、まったく普通のことで、実は何でもないことなのだと、私は高村作品から学びました。


★野球帽の庇とサングラスで、顔の上半分は隠れていたが、下半分の口許はひきしまった涼しげな感じだった。物井はふと、刑事というより、昔の講談本に出てくる若い剣士を連想したが、強いて言えば、一番目を引いたのは男の足元の真っ白なスニーカーだった。 (下巻p364)

唯一の物井さん視点の合田さんの描写。

★「辛いなあ……」
物井は自分自身と、レディと、布川夫婦と、自分たちが生きているこの時代の全部の人間に向かって、そう呟いてみた。孫の孝之が亡くなったときと同じように、自分でどうにか出来ることではない辛さだった。そういえば、生家の貧窮、隻眼、駒子との別れ、戦争、空腹、奉公先の倒産等々、辛かったことはみんな、自分の力ではどうにもならなかったことだったと思うと、自分の代わりに、腹の中の悪鬼が声にならない声を上げて慟哭した。七十まで生きてきて辿り着いたところが、ここか。俺は何も受け入れたわけではない、何も納得したわけではない、と。
 (下巻p375)

ひょっとしたら、ここが唯一の「……」(三点リーダ)が残ってる箇所かもしれません。(未確認ですが)
単行本で「……」の部分が、文庫は「――」に変更されていますから。

★物井は最後にあえて自分に言い聞かせてみた。もう出口は要らない。いまはむしろ、死ぬまで鬼でいたい。いや、鬼でいなければならないのだ、と。 (下巻p377~378)

比較しませんが、単行本から変わってます。

では、城山社長と加納検事の初対面。 『LJ』は合田さん視点以外の人物たちによる加納さんも描かれていて、嬉しいですね。

★地検の人間はおそらく書類カバンを手にしたスーツ姿で現れるだろうと城山は勝手に想像していたのだが、その人物は地味なセーターにスラックスという普段着で、手にしているのは典礼聖歌集の小さな冊子だけだった。とはいえ、三十半ばらしいいかにも清冽な風貌に、市井の同年代にはない落ちつきや目元の堅さが備わった印象は、やはり特捜部のエリートというところで、とくに驚かされたというわけでもなかった。 (下巻p378~379)

城山社長の、加納さんの第一印象。 あえて変更箇所を挙げるなら、
単行本「整った風貌」 → 文庫「清冽な風貌」

★「奇妙なことですね――。レディ・ジョーカー事件の最中に一時期、特捜本部から警護のために弊社にきていただいた刑事さんも、信徒でいらした。そして今日、初めてお目にかかる地検の検事さんも信徒でいらっしゃるとは」
「私も、こんなふうに偶然が重なるとは想像しておりませんでした。実は、御社でお世話になった刑事は、以前私の妹の亭主だった男です。その節は、彼がたいへんお世話になりました。民間の企業がどんなものか、貴重な勉強をさせていただいたと、本人も申しておりました」
 (下巻p379)

単行本「私の義理の弟です。」 → 文庫「以前私の妹の亭主だった男です。」
単行本「愚弟が」 → 文庫「彼が」

★こうした私事の披露もまた検事の手管のうちかと思いもしたが、それにしても、あの合田とこの検事が元義兄弟だというのは、素直に驚いてもいい話だった。城山は合田の若々しい立ち居や眼差しを懐かしく思い出し、比べてみると、いま隣にいる検事はまだいくらかこなれた感じがする、とも思った。 (下巻p379~380)

★検事は片手を差し出し、城山は握手に応じた。そのときもそうだったが、相手を真っ直ぐに見つめてくる検事の目は、口ほどには無機質でなく、手ごわいがなかなかの好漢だと城山は思った。 (下巻p384)

★そうして検事が先に立ち去った後、城山は自分の精力が突然ぐんと減ってしまったような虚脱感に襲われた。地検と接触することで最後の一線を乗り越えてしまうと、現実にはまだ山ほどの仕事が残っているにもかかわらず、自分に残された人生が収束の一途であるような気がしてきたためだった。 (下巻p384)


ここの義兄弟の部分は、後日に。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・23

2013-02-26 00:44:46 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
2月になってから、そして昨日今日と「リンクさせてください」という大変有難いお申し出が続いてまして、嬉しい限りでございます。

個別のお返事は後日にさせていただきますが(この再読日記が終わるまでお待ちください)、ご遠慮なくリンクして、いえ、ぜひともリンクをお願い致します。 お手数おかけしますが、こちらこそよろしくお願い致します。

当ブログ、実は作成当初から「リンクの方針」を、はっきりと明確にさせていないんです。
当時はブログの黎明期で、マナーやルールがきちんと確定されてない点もあって。
曖昧なままでいいか、とも思ってましたが、立て続けにお申し出がありますと、曖昧なままもマズイか、と今更考える始末。

それに、自分のパソコンのブラウザでお気に入り登録しているサイトさまもたくさんあって(更新停止されてるものも含めて)、紹介したい! と思う気持ちもあるのですよ。
改めてきちんと当ブログのリンクの方針と、リンクページを作ります。

『LJ』再読日記が終わってから、お申し出いただいたサイトさま・ブログさまとは、こちらもリンクの手続きをいたしますので、今しばらくお待ちください。

では、2/8(金)の読書分。義兄弟の分以外にも、いろいろと中途半端です。ごめんなさい。 後日に期待して、ね?

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

★自分の心臓の高鳴りが聞こえた。たしかに俺は興奮している。興奮している自分に更に興奮している。これこそが俺という男の真骨頂だと半田は独りごち、外から見えないように下を向いて嗤った後、受話器を取り上げた。 (下巻p262)

私はここの半田さんを笑えません。 きっと義兄弟の妄想をしている私も、半田さんと同じ表情をしてると思うから。

★長身の、しごく地味なスーツ姿の、整った清潔な風貌の男だった。年齢は三十代半ばと思われたが、生業はやはり見当がつかなかった。サラリーマンに見えなかったのは、その落ちつき過ぎた表情のせいだったが、ともかく合田とはまた少し感じの違う、圧倒的な権力の固さを感じさせる静謐さだった。 (下巻p283)

久保っち視点の加納さん。 最後の部分が、単行本と違いますね。

長身の、しごく地味なスーツ姿の、整った清潔な風貌の男だった。年齢は三十代半ばと思われたが、生業はやはり見当がつかなかった。サラリーマンに見えなかったのは、その落ちつき過ぎた表情のせいだったろう。しかしそこには合田と同じく、他人の詮索を受け付けないヴェールが一枚かかっているようでもあった。 (単行本下巻p346)

★「加納さん。合田さんとはどういうご関係ですか」
「なに、学生時代から十八年間の付き合いです。水と油ですが、よくかき混ぜると混ざらないこともない。そういう間柄ですかね」
 (下巻p286)

みんなが訊きたい質問をしてくれた久保っちですが、返答は私が期待したものと違う~!(←もしもし?)
ちなみに単行本には義兄の「なに、」がありません。

★男はきれいな立ち居振る舞いで一礼し、終始仮面をはずすことなく千鳥ケ淵方向へ立ち去っていった。 (下巻p286)

加納さん、退場。 続いて単行本との違い。

男は一礼し、終始仮面をはずすことなく千鳥ケ淵方向へ立ち去っていった。 (単行本下巻p348)

えらく簡潔な。


ここの義兄弟の部分は、後日に。


★半田は演技と意識することもなく冷静に応じたが、その元同僚が《辛くて、涙が出て仕方がない》という涙声を漏らしたときは、正気かと一言聞き返しそうになった。 (下巻p299)

単行本の半田さんの反応は 貴様に何が分かると一言いいそうになった。 (単行本下巻p354) でした。 私見ですが、文庫の半田さんの方が、より半田さんらしいなと思います。

★「実家の会社さえなかったら、俺はずっと、あんたらと競馬場にいたと思う。あのころが一番よかった」 (下巻p303)

★帰りの電車の中で、半田はしごくすんなりと、五年前に品川署の階段で見た白いスニーカーを思い浮かべた。さらに、そのスニーカーの主が去年秋、教会の集会所で弾いていたヴァイオリンの音色を耳に呼び戻すと、これもすんなりと〈道連れはあいつだ〉と最終決断していた。この自分が現行犯逮捕になるまで、夢想の中で切り刻み、現実に引きずり回す相手としては、合田雄一郎という男は、その姿も頭の中身も、なかなか上等だった。 (下巻p309~310)



『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・22

2013-02-25 00:05:08 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
げげ、いつの間にやら 「レディ・ジョーカー」 放映1週間前。

それまでには再読日記を終えてたはずなのになあ、おかしいなあ。

・・・どうも義兄弟のところになると、思い入れがありすぎるのか、身構えてしまって入力しにくい(苦笑)

いっそ義兄弟のところをあえて後回しにして、それ以外をちゃっちゃとやりましょうか。 義兄弟好きなみなさん、ごめんなさい。もう少し待ってください。
再読日記は全部で25回あります。(つまり25日間で文庫版『LJ』を読んだということ)

2/7(木)の読書分、義兄弟を抜きにして。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

ここの義兄弟の部分は、後日に。


★「大人の男女の話に、お互い野暮は言いますまいよ」 (下巻p217)

白井さんに明かされて、城山社長は実妹・晴子と倉田氏の長年の不倫関係をここで初めて知るわけですが、「城山さんが倉田さんを引き立ててるのは、不倫相手の実妹に頼まれているからではないのか」という陰口も、当然あったと思うんだ。 そこに思い至らないのが、城山社長の人の良いところ、なのかもしれませんが。

★白井らしい割り切り方ではあった。倉田を代表取締役に引き上げるという白井の胸のうちには、これからの新体制を鑑みるに、ビール事業本部を率いてきた倉田の力を捨てがたいだけでなく、ライバル他社へ引き抜かれる可能性のある男を外へは出せないという機械的な計算があるだけではあろう。しかし、人間は機械ではない。内部告発までに及んだ当の倉田がこのまま日之出に留まると白井が考えているのなら、白井はあるいは、ここに至った倉田の内奥を読み違えているか、人間を甘く見ているかだった。否、白井のことだから、そういうふりをしているのか。 (下巻p219)

ここも少々変わってるんですが、あえて一つだけ挙げるなら、最後の一文が加わったことですね。
白井副社長はそういうふりをして、城山社長の反応を窺おうとしていると、私は睨んでいるんですが。(白井さんひいきだから?)
いえいえ、だって次の白井さんの発言があるからね。

★「城山さん、貴方はご自身のことをおっしゃらないが、何を考えておられるのかな――」 (下巻p220)


それでは私が大好きな、合田さんがヴァイオリンで奏でながら半田さんに語りかける場面。 単行本との比較は後日に回しますが、単行本ではモーツァルトとバッハのソナタを弾いていたのに、文庫ではモーツァルトだけになったのが最大の変更ですかねえ。

★半田さん、あんたも同世代なら、だいたい想像はつくだろう? テレビをつけたら、「こんにちは、こんにちは、世界の国から」という万博音頭が流れ出してきた、あの時代だ。 (中略) そんな時代に、庶民の子どもがそこそこ立派なヴァイオリンを持って、野球から帰ってくると毎日せっせとマイヤバンクの教則本を練習し、それを母親が裁縫をしながら目を細めて聴いていた。要は、母子それぞれに豚小屋の檻から精いっぱい首を突き出して、未来の見通しも計算もない、何も生むものもない甘美な夢想に浸っていた、その時間こそが、自分と母親をいっとき現世から救い出していたということだ。あんたには分かるだろうか。 (下巻p225)

★半田さん、聴いているか。俺が出す音はひどいが、この和声や旋律は、本来ならこれ以上足すものも引くものもない、純粋な情熱に満ちた魂の詠嘆だ。この響きは、死や貧困や憎悪などを無数に通り抜けてきても、人間はなおも純粋でいられることの証だ。人間の魂を救う響きだ。生きる価値を人間に教える響きなのだ。 (下巻p225~226)

★半田さん、これはあんたの知らない響きだろう。 未来のなさという意味ではまさに檻のなかの檻に自分を追い込んで、あんたはいま、こんなはずではなかったと自分の人生を唾棄しているのだろう。そら、モーツァルトを聴け。豚のような人生でも、人間が純粋でいられることを知っている俺のほうが、あんたよりは少しは救われている。この先、あんたには間違いなく破綻しかないが、俺にはまだ少しは道が残っているのだ。 (下巻p226)

その「道」が、義兄ならば嬉しいんですけどね。 気づいてないのが合田さんらしい。 だって気づいてたら、あんなことやっちゃうかー!? しかもすぐさま、ここ↓で否定してる(苦笑)

★合田は半分以上、自分のためにそんなことを考えたが、実際には自分にそんな道が見えているわけではなかった。この世のどこかに純粋な情熱が存在すること、人がその前で純粋になれることを知っているというだけで、現実では、物心両面でそこからは遠い自分がいるだけだった。一方、半田修平は豚小屋の人生といっても、どこかで己の人生を認め、それなりに充足しているふしが窺えるのだった。 (中略) そう考えると、この狂った豚には檻は檻でなく、豚は豚でなく、合田が唯一知っていると思う純粋な情熱の存在など、屁でもないということだった。 (下巻p226~227)

★そう思ったところで、合田は音を外し、ソナタを弾き止めた。自分のなかに、隠微な嫉妬と敗北感だけが残っているのを感じた。
そうか。いまは多少精神的に追い詰められているにしても、半田にとってはそれもまた自虐的な陶酔に化けるだけか。行確を受けていることも、あるいは自虐に拍車をかけているのか。何があってもあいつの興奮装置は回転し続けるだけか。それならば、あいつの興奮をどこかで止めてやるだけだ。とめる方法はある。
 (下巻p227)


ここの義兄弟の部分は、後日に。


★「もう決めたことです。私の気持ちは変わりません。私は内部告発を決める前、ほんとうに田丸と刺し違えようと思ったことがあります。貴方には、私が田丸に懐いている憎悪は分からない。あの男の前で、畳に額をつけて土下座をした自分を、悔やんでも悔やみ切れない気持ちです」 (下巻p242)

★接触不可の《Cランク》だと誰が決めたのか知らないが、少なくとも合田の新聞記者との接触の仕方は、実に無駄がなかった。もっとも、「何のご用ですか」と口を開いた合田の表情は、安西の引っ越しのときと同じく、一切の感情を抜いたロボットのようだったが。 (下巻p252)

最初は印象悪くて、だんだん良くなっていくパターンですかね、久保っち?


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・21

2013-02-19 00:03:26 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
昨夜観た「GOEMON」の衝撃を、今も引きずってます。
いやー、いいものを観た! とんでもないものを観た! という気持ちが今も交互に湧き起こる。

一幕始まってすぐにグレゴリオ聖歌が流れて、「・・・歌舞伎でグレゴリオ!?」と違和感あったのですが、よくよく考えたら松竹座では、普通にお芝居もするし、OSKの公演もあるし、関西ジャニーズの聖地みたいなもんだし、おかしくはないな、と思い直す。

一幕と二幕に約5分ずつ、佐藤浩希さんのフラメンコがありまして。
この人、往年の沢田研二氏のような色気がありますね(どう表現していいのやら・苦笑)
佐藤浩希さんは、今井翼氏好きな方ならご存知ですよね?

大詰めの前に、上手に三味線、下手にフラメンコギターの競演。
不協和音なのか、そもそも合ってるのか、ちっとも分からない(笑)
片やベンベンの三味線、片や深い響きのギターが掛け合うんだもんね。

スペイン人の父と日本人の母から生まれた石川五右衛門に教わって、出雲の阿国がフラメンコを踊る! これが凄いのなんのって!

珍しく本物の女性が出て(歌舞伎に女性は出ません)、フラメンコ踊ってると思ったら、元OSKの人たちだそうで。(らぶりん(片岡愛之助丈の愛称)が最後に舞台に出て、そう言ってた)

フラメンコのせいか、私がいた三階席は外国人のお客さんが多かったような気がする。
元OSKの人たちが踊ったフラメンコの場面で、掛け声(専門用語は知らん)をかけてたもんなー。

まとまりがなくてすみません。
義兄弟の部分を抜かした、2/6(水)の読書分をアップします。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

★「合田だ。いま、どこにいる? 状況は? 私は今夜ずっと署にいるから、随時連絡を入れてくれ。ご苦労さま」 (下巻p146)

一人称が「私」になってる・・・! まあ、仕事中だからな。
ちなみに単行本は「俺」。

「合田だ。今、どこ? 状況は? 俺は今夜ずっと署にいるから、随時連絡を入れてくれ。ご苦労さま」 (単行本下巻p267)

「今、どこ?」と言い回しもちょっとカワイイ。

★もっとも、荒れた息がおさまるのを待つまでもなく、先に爆発したのは自分のほうだった。俺はいったいどうしたというのか。いつからこんなふうになってしまったのか。わずかに振り返ってみた端から、、涙がこぼれそうになった。そうだ、半田だ。半田修平がそこにいるからだ。誰でもいいから奴を任意で引っ張ってくれ。頼むから引っ張ってくれ、俺の目の前から消してくれ、と念じた。いや、そんなふうに念じたことすら、無意識のうちだった。 (下巻p150)

壊れつつある合田さん(あ、いつものこと?) もちろんここも、単行本では違うのよ。

しかし、荒れた息がおさまるのを待つまでもなく、先に爆発したのは自分の方だったと合田は自分に言い聞かせ、俺はいったいどうしたんだろう、いつからこんなふうになってしまったんだろうという漠とした狼狽に駆られ、涙がこぼれそうになった。そうだ半田だ。半田修平がそこにいるからだ。誰でもいいから奴を任意で引っ張ってくれ。頼むから引っ張ってくれ、俺の目の前から消してくれ、と念じた。いや、そんなふうに念じたことすら、無意識のうちだった。 (単行本下巻p269~270)

★自分が正常であろうとなかろうと、そんなことはどうでもよかったが、ふと、自浄能力のない兜町のドブは二十一世紀には廃墟だな、と思ったりした。 (下巻p157)

根来さん・・・。廃墟どころか、住人は多少の入れ替えはあっても(退職した人も死んだ人もいるから)、一国のトップの発言で一喜一憂するしか脳がないのは、ちっとも変わってませんよ?

★受話器を置いたとき、根来の目はふと道路の上に覗いている空を仰ぎ、しばらくの間を置いてようやく、ああ星か、久しぶりだなと思った。星が見えるほど、夜の兜町は暗いということだった。 (下巻p159)

根来史彰氏、最後の描写。 電話とはいえ、最後に会話したのが加納さんというのが・・・ううう。

★思えば、人を待つことも待たせることもなかった三十六年間の企業人生で、唯一の例外は政治家と岡田経友会だった。 (下巻p164)

★レディ・ジョーカーの災禍以来、ようやくそれらしい感情にたびたび揺さぶられるようになって、怒りを抱くというのが実に辛いことなのだと知ったような気分だった。これから会う政治家にも、その秘書にも、常々抑えがたい怒りを感じていたが、こんな場所へ呼びつけられる屈辱より、この怒り自体が辛かった。 (下巻p164)

★誰にも頭を下げる必要のない政治家特有の言葉には、こころからの敬語も丁寧語もない。市井とは言語感覚が違うその言葉遣いには、城山はいつも生理的に鳥肌が立つのだが、そのときも見事にそうだった。 (下巻p165)

で! いよいよ義兄弟なんですが。単行本とのあまりの変わりように、比較してもね・・・という気もする(苦笑)

あくまで私見の、単行本の要点だけ箇条書きします。(単行本下巻p289~297)

・義兄の第一声は「助けてくれ」
・根来さんの身に起こったこと、関わってきたことの内容を語る義兄。
・その原因が自らにあると知り、狼狽する義兄。
・義兄はひとりの時間を捨て、聖書の教えを捨ててきたに違いない、と思う義弟。
・この義兄は自分にとって何者なのか、と義弟は自問。
・「ゴルフへ行け」とたきつけるのは義弟。泣きながら渋るのは義兄。
・「俺のために、行ってほしい」の殺し文句で、義兄をタクシーに乗せる義弟。
・こういう状況でも「LJを引っ張るな」と忠告する義兄。

かなり偏ってるな(苦笑)


文庫版の義兄弟の部分は、後日に。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・20

2013-02-15 23:46:33 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
『新 冷血』連載前の取材で、高村さんが初めてやったパチンコ「海物語」でぼろ勝ちしたそうで、ウィキで説明を読んでも、何が何やらさっぱり分からん。

2/5(火)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第五章 一九九五年秋――崩壊>

★物井はて、俺の悪鬼の今日のご機嫌はどうだろうと自分の胸のうちを探った。 (中略) 悪鬼もまた、本来の発露の機会はないままにじっと息をひそめ、増えもせず減りもせず、というところだったが、この一年、不穏こそが常態になるなかで、いっときの緩みもなく持続している奥意や憤怒のざわめきは、とりあえずその夜も安泰ではあった。しかし、その悪鬼のざわめきも、一日の終わりにはやがて、にごりながらゆるゆると流れていく時間の川に呑み込まれて、かたちもなくなるのだ。 (下巻p99~100)

★なぜ、警戒の厳しい城山社長宅での犯行が可能だったかと考えた何者かの頭に、ぱっと署活系無線が閃いたのだとしたら、そいつには感服するほかなかった。 (下巻p105)

つーか、あんたのオツムがちょっとだけ合田さんに及ばなかったというか(←禁句?)

★そのとき、視界の一部を白いスニーカーがよぎったような気がして、一瞬、意識がどこかへ飛んだ。 (下巻p117)

★突然、斜め方向の人垣の脚の間に白いスニーカーが見えた。半田の目は一旦、そちらのほうへ固定し、さっき三階で見たような気がしたのはあれか、ととっさに考えた。分からなかった。 (中略) 何の飾りもないリーボック。そのスニーカーの上は、生成りのコットンパンツ。脚の長さからみて、上背があるのは確かだったが、座り込んでいる半田には、その上半身は見えなかった。 (下巻p121)

★レースの真っ最中に移動する人間などいないなか、目立つのは分かっていたが、なにしろ真っ白なスニーカーは尾行というより挑発に近く、何がなんでも面を見たいという欲望が勝ったのだった。 (下巻p122)

★長身。痩せ型。短く刈り上げた後頭部。紺色の野球帽。生成りのコットンパンツ。紺色のポロシャツ。右手に四つ折の新聞。左手はパンツのポケット。距離はやはり十メートル。年齢は三十代。際立った背筋の伸び方が目に焼き付いた。 (下巻p123)

★半田は冷や汗を噴き出させながら、誰かに似ている、いや気のせいか、と頭を絞り、知らぬ間に下半身が硬くなるような、こめかみに熱の塊が入るような興奮を味わった。 (下巻p123~124)

★白いスニーカーといえば、一つの顔はすぐに浮かぶが、あの合田がいまごろこんなところにいるはずはない。最後はやはり気のせいだったと、断固自分に言い聞かせた。 (下巻p125)

★昼下がりの空いた電車のなかで、空にした頭にいつの間にか忍び込んできた白いスニーカーの足を愛でながら、半田はいまはまた、個人的な夢想に耽り始めた。 (下巻p127~128)

以上、半田さんが合田さんのことを思ってる場面、あるいは合田さんが半田さんを挑発してる場面を集めてみました。


★先輩ではあっても、懲戒免職になった元同僚の家に足を運ぶ現職はいない。噂通り、相当変わり者か、あるいはこれもLJ絡みでの警察の特命か、というのが、久保がそのとき考えたことだった。しかし、目の前に立っている男は、素っ気ない口ぶりとは裏腹に、外貌も目つきも姿恰好もひどく清々としていて、過去に数回遠目に見かけたときの印象とはずいぶん違っているような感じがした。たしかに愛想笑いの一つも見せないが、その涼しげな目に敵意や警戒は覗いていない。 (下巻p131)

久保っちが抱いた合田さんの印象。 単行本との有無は、読点の有無くらいですね。

★「ところで、そちらの根来さんはお元気ですか」
「はあ、あの人はいつもながらのマイペースです」
「根来さんをよく存じあげている私の友人が、先日、根来さんは身体の調子がよくないようだと申しておりましたので」
「昨日も本社で会いましたが、たぶん呑み過ぎでしょう」
「それならいいんですが」
 (下巻p132)

合田さんと久保っちの、根来さんをめぐっての会話。 単行本と違いますね。

「ところで、そちらの根来さんは、お元気ですか」
「根来ですか。はあ、あの人はいつもながらマイペースでやってますんで……」
「根来さんをよく存じあげている私の友人が先日、根来さんは身体の調子がよくないようだと申しておりましたので」
「昨日も本社で会いましたが、別に……」
「それならいいんですが」
 (単行本下巻p259)

単行本の方が、久保っちの無関心度が高いような気がする。

★「君は人より、切れるのが一分早いんだよなあ」安西が笑い、合田もアハハとおおらかに笑った。 (下巻p133)

安西憲明氏による、合田さん評。 次は単行本版。

すると安西は、「君って最後はいつもこれなんだ。キレるのが人より一分早いんだなあ」と笑い、合田もアハハとおおらかに笑って応えた。 (単行本下巻p259)


★そしてもし、呼ばれなかったら? そのときはたぶん、この自分がいよいよ狂い出てゆくときだ。合田は夏の間じゅう徐々に固めてきた自分の腹をそうして確認し、同時に〈いまならまだ引き返せる。よく考えろ〉と自分に呟いた。 (下巻p144)

続いて単行本。

そしてもし、呼ばれなかったら? そのときは、この自分に出来る範囲のことをやるのみ。合田は、夏の間じゅう徐々に固めてきた自分の腹をそうして確認し、また同時に、〈今ならまだ引き返せるからな。よく考えろよ〉と自分に呟いた。 (単行本下巻p265~266)

文庫の方が、より合田さんらしいかな?


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・19

2013-02-15 00:04:16 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
「日経エンタ」で高村さんの写真を撮影した人は、「合田」と書いて「あいだ」と読むのか「ごうだ」と読むのか。 悶々と悩んでるこの頃。

2/4(月)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

★合田さん、これはあまりに不公平です。合田さん、助けてほしい! 城山は聖堂前の合田にそう目で訴えたが、届くわけもなかった。合田は遠くから以前と同じ礼儀正しさで軽く一礼し、すっと立ち去っていった。 (下巻p18)

杉原武郎氏の密葬で顔を合わせたのが、城山社長と合田さんと最後の対面になろうとは・・・。
ここも単行本は違ってます。

合田さん、違いますか。城山は聖堂前の合田にそう問いかけ、合田は遠くから以前と同じ礼儀正しさで軽く一礼したかと思うと、すっと立ち去っていった。 (単行本下巻p195)

単行本では城山社長の想いは合田さんに届いたかのような感じ。
文庫では届いたのかどうかも分からない。

★「名前だけは。うちのネタ元リストでは、接近は問題外の《Cランク》です」 (下巻p30)

久保っちの発言。確かに合田さんは接近しにくいか。

★「所轄でも、切れ者はいる。それに合田という刑事は、君が言うほど石頭でもない。簡単に口は割らんだろうが、人の話を聞く耳はあると思うよ」 (下巻p31)

久保っちを諭す根来さん。

★亡くなったのが誰であれ、その死を悼むのは個々人であって会社ではないし、現実にはほとんどの個人も悼む理由を持たない。 (下巻p37)

★「私にとっても時期尚早です」と城山が応えると、白井は「ここはお互い、《日之出にとって》と言いましょうよ」とのたもうて立ち去った。 (下巻p39)

ここの白井さんも好き♪

★決定的な手がかりはない、か。幹部の認識はその程度か。そう思いながら、合田はいくらか悄然として神崎の言葉を聞いた。 (中略) 三つ揃ってもまだ、任意で事情を聴くには不足だというのは、合田が城山に張りついた四十七日間の否定に等しかった。 (下巻p51~52)

★現場には決して漏れてくることのない秘匿捜査の部分に、虚しい期待をかけてやきもきしている自分を、合田はその夜は哀しいと思った。 (下巻p52~53)

やってらんないよね、合田さん・・・。

★合田はなぜか突然、回り舞台が回ったような気がし、同時に、自分のうちに溜まり続けていた焦燥感が嘘のように消えているのにも気づいた。 (中略) 代わりに、三月二十四日に始まった事件のすべてが、いまは自分のなかに新たに座り直したのを感じた。事件の細部という細部が、城山恭介の手が、半田修平の手が、いまは自分の心臓のすぐ近くにあって、心臓を直にもみしだいているのを感じると、俺のレディ・ジョーカー、俺の獲物、という思いがやって来た。 (下巻p66~67)

この辺は合田さんの真骨頂というべきか。

★合田は深呼吸をし、最近あまり見ることもなかった夜空を仰いだ。星のない曇天だったが、人間一名を包み込む天空の大きさにかわりはなく、この空の下で人間は独りだ、自分の声を聞くのも独りなら、己の理性も感情も、種々の価値観も独りだという、いつもの単純な思いをもった。自分はいずれ半田修平を絞め殺すかも知れないと感じつつ、なぜだと自問することもなく、自分は精神の均衡を失っているかも知れないと感じつつ、加納祐介に助けを求めることも考えなかった。それほどに、その夜の合田は独りだった。 (下巻p67)

単行本「義兄」 → 文庫「加納祐介」の変更。

こういう孤独感に包まれるひとときも、人間には必要だよな、うん。

★そうだ、俺は知りたいことがひとつもない。見たいものも聞きたいものもないのだ。そう思い至ったとたん、根来は自分の〈いま〉と、その来し方のすべてをすんなり呑み込み、これでいい、悪くない、と独りごちた。 (下巻p71)

根来さんの哀しいところ。 比較しませんが、単行本からは少々すっきりしてます。

★佳子にとって、思慮を欠いた自分の言葉一つが、秦野孝之、その父秦野浩之、そして自らの父を死に至らしめたという思いは、他人がどんなにそれは違うと言ったところで、本人にとっての事実である限り、消失することはない。それは、息子を亡くした秦野の悲しみを省みなかった城山も、同じだった。しかしまた一方では、こうして大きな痛恨をかかえ、あれこれ悩みぬくとはいっても、所詮小さな人間の小さな心の中のことであり、ただそれだけだということも出来るのだった。 (下巻p73)

★人間に対するこの恐るべき傲慢と無関心が、一連の事件を引き寄せた根源かもしれないと思い至ったとき、城山自身は初めて、今日の成り行きのすべてを、ある意味で納得することになった。事件の原因を作ったのは佳子ではなく、まさにこの自分自身だったという結論は、三月二十四日以来、詩文に訪れた初めての転回だった。具体的にどんな、ということは未だ分からなかったが、そうと分かるなにがしかの変化が、たしかに自分の心中に起こっているのを感じ、城山はさらに驚きを深くし続けた。 (下巻p74~75)

またまた城山社長に訪れたターニング・ポイント。

★君も変わってゆく。ぼくも変わってゆく。お互い、自分がどこへ向かってゆくのかは分からないが、それでも未来はあるのだ。 (中略) 「少しずつ生きてゆこう。ぼくも君も、いまはそれしか出来ない」 (下巻p75)

「それでも未来はあるのだ」が付加され、修正変更。

★佳子は「伯父さま、私にはもう恨む人もいないの」と涙をこぼした。それを見ながら、城山はふと、そうだ、秦野浩之も杉原武郎も、きっと泣くことも出来なかったのだと思った。 (下巻p75)

単行本では「伯父さま、ほんとうにごめんなさいね」

私は文庫の方が、しっくりくる。 恨むといえば、もう自分自身しか恨みようがない佳子ちゃん。
翌年 城山社長が射殺され、 佳子ちゃん、気が狂いそうになったんじゃないかと危惧する。

ある意味、杉原佳子も「レディ・ジョーカー」ですね。
他にも「レディ・ジョーカー」はいると思われますが、それは次回からの第五章で、おいおい記していきます。



『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・18

2013-02-12 23:54:43 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
前回分の義兄弟のところはまだアップしてません。 しばらくお待ちを。

【追記】 義兄弟のところは 2/13に追加しました。

2/3(日)の読書分、これで中巻読了になります。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

★組織では、失態の責任は誰かが取らなければ収まらないというだけのことだった。 (中巻p545)

犬猿の仲・合田さんと平瀬さんの会話。

★「そうか。行確の失態も、あんたが握り潰したか」
「うちは、失態だとは考えていない」
「つまり、行確はまかれたということですか」
「ああ、まかれたとも。これで満足か」
「満足なわけがないだろう!」
 (中巻p547)

合田さん、激昂。 ところがどっこい、単行本では・・・。

「そうか。行確の失態も、あんたが握り潰したか」
「うちは、失態だとは考えていない」
「つまり行確はまかれたということですか」
「ああ、まかれたとも。これで満足か」
「ええ」
 (単行本下巻p174)

なんですか、こりゃ。 合田さん、抑えた静かな怒り、加えて半ば呆れて半ば納得・・・という感じ?

平瀬さんとの場面での合田さんの対応が、単行本と文庫で正反対というのが、それなりにありますね。


以下は合田さんによる半田さん像をピックアップ。

★そうして突き詰めていくと、最後に合田の胸に浮かんでくる答えは〈確信犯〉だった。失意、反感、憤懣、未練などの負の感情を詰め込んだ能動的な行為として、半田はほかでもない、警察の鼻をあかすことに血道を上げたのだ、と思った。おそらく、警察組織という明確な全体像を思い描いていたのでもない。ただ目の前の捜査員をきりきり舞いさせ、失態を演じさせることだけに腐心したのだ、と。
そして、そうであるなら、半田が行確の目を欺いてまで自ら実行グループに加わった動機も、何となく腑に落ちるのだった。
 (中巻p548~549)

★しかしまた、見方を変えれば、半田は自分の暴力的な欲望を抑えることが出来ない男だとも言えた。 (中巻p549)

★合田は初めてそこまで整理した上で、そうか、そういう集団だとすれば、半田をさらに暴走させればいいのだと、ふと考えたりもした。暴力の欲望を抑えられない性格の半田は、焚きつければ乗ってくる、と。
合田は小さな満足を覚えて自分のために微笑んだ。
 (中巻p550)

合田さんにここまで読まれてるとは、半田さん露知らず。

★合田は洗面台で顔を洗い、鏡に自分の顔が映ると、見たくもないという気分ですぐに目を逸らせた。お前は異常だ。変調どころではない変態だと囁くもう一人の自分がいたが、 (後略) (中巻p551)

異常な合田さんも変態な合田さんも、好きという人はたくさんいるから安心していいよ、合田さん!
私は「異常な合田さん」は遠巻きに眺める程度には好きだが、「変態な合田さん」にはお近づきにはなりたくない(苦笑)

この部分、単行本では少々遠回しな描写になってます。

合田は洗面台で顔を洗い、鏡に自分の顔が映ると、見たくもないという衝動ですぐに目を逸らせた。今夜、脅しまがいに平瀬に迫った自分も、こんなところで半田某の夢想を弄んでいる自分も、見られたものでなかったことは、重々分かっていた。俺は異常だ、変調どころではないと思いつつ、しかしともかく今の自分はこうなのだと独りごちながら、 (単行本下巻p176)


★決して長閑な気分ではなかったが、見えないものが見えてくるという期待は、結果が出るまでは、なにがしかの幸福感を伴って増幅し続ける。 (中巻p566)


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・17

2013-02-12 00:15:20 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
二月大歌舞伎 「新八犬伝」 楽しみました。
私の中での「八犬伝」は、山田風太郎の『八犬伝』で、どうしてもそのイメージが刷り込まれてるんですよね。
贔屓の人物は、今も昔も犬坂毛野です。女装の似合う、若く美しい男が好き(笑) 中村壱太郎丈が犬坂毛野役で、よかったなと思いました。

帰りに書店に寄って、文芸誌で『冷血』の書評チェックしました。・・・混乱しました(笑)

「新潮」 2013年3月号 評者・中条省平さん

「群像」 2013年3月号 評者・仲俣暁生さん

「すばる」 2013年3月号 評者・江南亜美子さん

では、2/2(土)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

今回メインの義兄弟、単行本と文庫でかなり違いがあるので比較が大変。
後日追加ということで、一旦アップします。

★その瞬間、合田のほうは、すっと胸が楽になったという以外に自分の気持ちを言い表す言葉はなかった。もっとほかの方法があったという反省よりも、ふいにくっきりとしたかたちで、自分の能力の決定的な限界を見たという感じだった。警察の捜査に明白な損失を一つ与え、まさにこれ以上どうしようもない《×》印のランプが点いたという感じだった。あまりに明白過ぎ、忸怩となる糊代さえない、こんなに完全な終了は、離婚のときでさえなかったと、かろうじて考えた。 (中巻p475)

何で己の離婚と比べるよ?
例によって、ここも単行本と違いがあります。

その瞬間、合田の方は、すっと胸が楽になったという以外に自分の気持ちを言い表す言葉はなかった。自分でも処置に困る衝動から開放されたという感じだった。次いで、大きな失態をせずに役目を終えたという安堵がやって来た。連日、自分の能力の限界を思い知らされつつ務めて来た難儀な役目だったから、未練などはなかった。もっとほかにやるべきことや方法があったのではないかという反省は、ここではとりあえず先送りにした。 (単行本下巻p135)


★エレベーターホールへ歩きながら考えたのは、久しぶりに加納でも呼び出して飲もうかな、ということだけだった。ほんの小さな人生の、ほんの小さな脳味噌は、自分の能力の限界や職務上の失点もどこかへ置き去りにして、息苦しいビジネススーツや革靴との《おさらば》を、とりあえず喜んでいた。 (中巻p476~477)

「カバンもちの田中さん」はこれでおしまい。 単行本はちょっと短いですね。

エレベーターホールへ歩きながら考えたのは、久しぶりに義兄でも呼び出して飲もうかな、ということだけだった。ほんの小さな人生の、ほんの小さな脳味噌は、息苦しいビジネススーツや革靴との《おさらば》を、素直に喜んでいた。 (単行本下巻p136)


それでは、本日の義兄弟。
まずは総括。 「加納さんが合田さんちにやって来て、料理をする」流れは、単行本・文庫ともにほぼ一緒。
ところが会話がまったく異なる。 よって読み手の受ける印象も異なる。
もちろん、書き換えたことによって生じる爆弾の衝撃も、異な感覚。

★「うちに泊まるか?」
《何か食うものはある?》
「芽の出たジャガイモ。卵。何かの瓶詰の残り――」
《カップラーメンよりましだ》
「じゃあ、後で」
 (中巻p477)

文庫では「泊まり」を合田さんが誘ってますが、単行本では加納さんが尋ねてます。

「明日、ゴルフは」
《ない。今夜は泊まっていいか》
「ああ」
《何か食べるものはあるかな》
「ジャガイモと卵なら」
《それで充分。貰い物のスコッチ一本持っていくよ》
「じゃあ、後で」
スコッチ-(ジャガイモ+卵)=今夜の宿賃、だった。
 (単行本下巻p136)

「今夜の宿賃」、義兄弟の相場では高いのか安いのか。 謎だ。

★こうして職務を離れたあとは、当たり前のように冷蔵庫の残り物を思い浮かべたりもする小さな人生だった。そう思う端から、その小さな人生の外で今夜また新たな犯罪の種が蒔かれ、巨大な苦しみが始まることへのどうしようもない失意が、あふれだしそうになった。 (中巻p477)

ここは文庫で追加されたところ。
そりゃあ、刑事や警察だって万能ではないしね。

★俺はまだ、油さえさせば使えるロボットか、と思った。 (中巻p480)

いや、でも、合田さん、あなた、自ら「ロボット」だと称したことがあったじゃんか・・・。

★合田という刑事については、ともにいた短い期間を通して意識したりしなかったりだったが、基本的には組織で生きることが出来る人間だというのが城山の評価だった。よく鍛錬されており、規律に馴染み、柔軟な適応力もある。しかしまた、個人の思考力や判断力も備えているため、埋没を要求する組織のなかでは少し難しい場面もあるにはあるだろう。それが、五月の雨の日曜日の夜、突然自宅に現れた合田であり、あるいは今夜、執務室に立ちはだかった合田だった。上司からさまざまな指示を受けて動いていたのは明らかだが、民間の営業と同じく、組織の要求は方程式の解を求めるようにはゆかないし、個人の意思や能力以外に、相手の諸条件もある。そうした困難を懐におさめて自分に相対していた合田は、侏儒の分裂を自身の身に引き受ける忍耐はあっても、結局、この鵺のような人間社会を泳いでゆくだけの欲望を欠いている、というところだった。 (中巻p483)

城山社長の合田さん評。 的確ですなあ。

★個人と企業の利害をあえて峻別もせず、こうしてともかく生き残るための戦略をめぐらせている私を見よ。あまりに欲望の糸を張りめぐらせ過ぎて、身動きが取れなくなっているが、ともかくまだこうして生き残っている私を見よ。企業であれ公務員であれ、この社会で生き残ることが勝利なのだ。たったいま電話をかけてきた神崎の狡さと巧みさを見よ――。否、そんなふうにして社会的な名誉を獲得することが、必ずしも人間の勝利だとは言えないが、組織で生きる以上、欲望の戦略をもたない者は自分を肯定するすべがないのだ。そして存在の肯定がないところには、理も正義もないのだ。 (中巻p483~484)

★城山は、自分の前に立ちはだかった若い刑事の顔を何度も思い浮かべながら、相手に戦略がなかった分、自分に向かってきたのはほとんど人間の心の塊のようだったと思った。三十六年の企業人生で、いや五十八年の人生で、あまり経験した記憶のない生身の人間そのものが、自分の目の前にいるようだった、と。 (中巻p485)

そんな合田さんに触発された城山社長。 城山社長の転機も、『LJ』の中では幾度も訪れていますね。

★《いま、私は私人として電話をしております。貴方はいつぞや、雨の日曜日に尋ねてきて下さいました。そのお返しをしなければと思いました。》 (後略) (中巻p486)

★「今日、日之出ビールを円満退職したんだ。明日からまた現場だ」
合田は自分でも不思議なほど明るい声をだした。すると加納は「さては何かやったな」と、これも軽い調子で言い、
 (後略) (中巻p489)

・・・文庫の加納さんって、合田さんに意外と冷たくない?

「今日、日之出ビールを円満退職した。明日からまた現場だ」と合田が言うと、義兄は「よく頑張ったな。続くとは思わなかった」と茶化した。
「相手が我慢強い人だっただけだ」
「企業のトップは人間関係で我慢なんかしない。お前は好かれてたんだ」
 (単行本下巻p143)

同じ場面の単行本は、親馬鹿ならぬ義兄馬鹿という感じ?

そして以下は文庫で加筆修正された部分。 城山社長に迫って断られた経緯を話した後の、加納さん。

★加納は上着を脱ぎながら聞いていたが、返ってきたのは一言、「脅す」だった。 (中巻p489)

初読み時にここを読んだ際の衝撃は忘れられません。加納さんにふさわしくない動詞なんだもん。

★「俺なら、相手の弱みを握って脅す。――と言っても、その前に、そんな諜報まがいの活動は刑事には出来ないと言って、断っているだろうな。だいいち、刑事にそんな任務を押しつけること自体が違法だ。気にするな」
「違法でも命令は命令だ。そうか、脅す、か――」
  (中巻p489~490)

合田さん! 納得してんじゃないわよ。
だけど・・・もしやここは、のちのち合田さんが半田さんに脅迫状を出すきっかけの一因 になったのかも・・・と考えるのは深読みしすぎですかね? あるいはひねくれた見方をしてるか、私?

★「命令? 諜報というのはな、命令だからといって出来るものじゃない。目的のために騙したり欺いたりする行為自体に、自滅的な快感を覚える人間がすることだ。人を傷つけて得た果実ほど甘いと感じる倒錯の為せる業だ。君には似合わん」 (中巻p490)

ここは『リヴィエラを撃て』のメインキャラたちを、どうしても思い浮かべてしまう。
加納さーん、手島さんやキムは、快感なんか覚えてないと思うよ~。倒錯もしてないと思うよ~。

★「どんな果実でも、何も手にしないよりはいいという考え方も出来る」
「それ、人生の話か? だったらお互い、まだ時間はあるさ」
 (中巻p490)

最後はこれまた意味深な会話。どうしても素直に読めない。裏読みしたくなる。

★合田は今夜もまた言いっ放しだと思ったが、不確かなのは、こうして男一人の存在や、ニンニクとオリーブオイルの匂いでいまも速やかに埋められてゆく自分のほうであり、これ以上、何をどうしたいのかという問いに答えられない自分自身だった。 (中巻p490~491)

★お前は、果実のために人を脅せるか。否、加納の言い方に倣えば、脅す行為自体に感応できるか。答えは「出来ない」というより、「分からない」だった。お前は、ほんとうに「出来ない」のか。しかし本来、人を傷つけて得た果実がどんなものであるかは、それを得た人間の言うことであって、いまだ何も手にしていない人間に逡巡する理由はない。とすれば、どんな一歩も踏み出せずにいる自分に欠けているのは、素質や能力ではなく、欲望そのものではないのか。いまだ手にしていない果実への欲望。否、所有のために人を叩き落とす欲望。否、そうした能動そのものへの欲望について、俺は何を知っているだろうか。否、こうしてなにがしかの欲望について思いめぐらせる自分も、それについて真っ先に触れた加納も、いまだ発動させていないだけで、それぞれに欲望の熱溜めはあるということだろうか? いま、この時間にも――? (中巻p491)

クライマックスの義兄弟に向けて、こちらの喉に魚の小骨が引っかかるかのような布石を打ってますね、高村さん。

★「そら、出来た!」という加納の声とともに、大皿の上に香ばしい湯気を立てるジャガイモのソテーが盛られた。オイルの照りと、アンチョビの香りとトウガラシの赤がいかにも官能的だった。そら、食えと、取り皿と箸をこちらに突き出して笑いながら、一瞬こちらを見ている男の眼球も、ひやっとするゼリーの肌触りのようで、なぜか官能的だった。 (中巻p491~492)

おお・・・加納さんに「官能」を覚えてるよ、合田さん!

★そうだ、俺はあの眼球を食いたい。合田は突然脈略もなく思い、すぐにまた他愛もない自問をしていたものだった。そうだ、人を傷つけ、自分を傷つけてでも手にする価値があると思えるような果実とは、こんな感じだろうか? あのレディ・ジョーカーが手にし、《十三番》の声の主が手にしたのも、こうしてあるとき大脳皮質からはみ出してゆく欲望の、このぐらぐらするような、どこにも支点がないような、始まりも終わりもないガス雲のような自由の感じではないのか――? (中巻p492)

冒頭の一文は、『神の火』を読んだ皆さんは、例外なくツッコんだところ。 日野草介の専売特許じゃなかったんかい。
それよりも、この直後の合田さんの思考のほうが要注目。

★「また何か考えているだろう?」
「考えているんじゃない。考えさせられているんだ。あんたに」
加納にそう答えて、合田は深々と息をつき、そうして頭を換気したあとは「いただきます!」という声が出、手が出た。
 (中巻p492)

合田さんの意味深な発言はさておき、なんかさあ・・・単行本に比べて辛気臭いというか、重苦しい食事風景だよねえ。

「さあ、食おう!」と言う義兄の声で我に返ると、ものの五分ほどで、香ばしい湯気の立つジャガイモのソテーが、大皿に盛り上がっていた。即座に「いただきます!」と言う声が出、手が出た。
「飢えてたのか」と義兄は笑い、「飢えてた」と応えて合田も笑った。
 (単行本下巻p143~144)

単行本はこんなに明るい雰囲気なのに~。


★仕事だから、やる。要求されているから、やる。しかしそれは、一つは己の家族を養うため、もう一つは、現状での全国紙から社会面の特ダネがなくなってしまったら、商品としての存在価値がなくなってしまうからやるのであって、特ダネを抜くことが、時代や社会や自分と言う個人にとって必要だからではなかった。 (中巻p531~532)


次回更新分で中巻読了です。

『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・16

2013-02-11 00:24:40 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
本日の「毎日新聞」に、今週の本棚:沼野充義・評 『冷血 上・下』=高村薫・著 が掲載されています。
沼野さんは、講談社文庫版『照柿』の解説を担当されております。

各文芸誌でも『冷血』の書評や紹介があるようですね。 
『冷血』発売は11月末。やはり読み込んで書評や紹介文を書くのに、時間かかるんでしょうね。
私だって、これはすぐには再読できない、と思うもの。(義兄弟関連は別ですが・笑)

明日は久しぶりに歌舞伎を観に行くので(「新八犬伝」)、そのついでに書店に寄って確認してきます。

『LJ』下巻は、今日読了しました。

では、2/1(金)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

★合田にとっては、外の世界のどんな地位の人間よりも、身内と会うのが一番気重と言えば気重で、急に一日の疲れを感じながらの出迎えになった。 (中巻p408)

★参考人が絞り込まれていることなど、平瀬はこれまで一言も言わなかったと思うと、やり場のない腹立たしさや失望でいっぺんで目が覚めた。一方では、参考人と聞いた頭は性懲りもなく回りだし、興奮し、緊張した。 (中巻p409)

この後、合田さんは煎茶を淹れるんですが・・・飲みたいね、合田さんが淹れたお茶を!

★自分はいったい何を見てきたのか。何に見つめられていたのか。とっさに考えもまとめることも出来ない混沌に突き落とされて、合田はただぼんやりしてしまった。あまりに身近にありすぎるという理由でかえって実感が湧かず、結果的に驚愕も感慨も鮮明なかたちにならないまま、その場はとりあえず、半田修平という刑事の名前一つを反芻しながら、再々の放心に逃げ込むほかなかった。 (中巻p420)

以下は天祖神社で対面した、合田さんと平瀬さんの会話の最後の部分の、単行本と文庫の比較。

「変な言い方だが、あまり機敏に動かれてもな……」
「貴方は、自分が何を言っているか、分かっているんですか」
そう返事をして、合田はそのまま先に境内を出た。
 (単行本下巻p106)

★「変な言い方だが、あまり機敏に動かれてもな――」
「承知しています。ビールをご馳走様でした」
そう返事をして、合田はそのまま先に境内を出た。
 (中巻p423)

単行本の合田さんは、キレかけてますな。
文庫の合田さんは、大人の返答ですねえ。
ここを違いを踏まえて、次に続く部分を読めば、感じ方・受け取り方がかなり違ってくる、はず。

★よりにもよってカバン持ちの身で妬まれる筋合いはなく、交番の記録を調べた件でも、自分に非があるとは思わなかった。三月二十四日の誘拐現場に駆けつけた刑事が、警らの巡回経路に関心を持たなかったら、そんな刑事は失格だし、関心をもちながら自分で調べない刑事がいたら、それも失格だった。 (中巻p423)

★「あまり機敏に動かれても」という最後の牽制は、どこかにいる身内の犯罪者と同じくらい不快なものだった。自分は確かにかたちばかりの特命を負ってはいるが、何か手柄を立てたが最後、潰される。手柄を立てなければ、そのまま抹殺される。いま自分が立っている状況は、そんなところだった。 (中巻p425)

右に転んでも左に転んでも、危うい綱辺り状態の合田さん。

★事件の見通しも、捜査の行く末も、組織や制度の現状も、何もかもが砂を嚙むような無力感をぶら下げていたが、それを眺めている自分自身の無気力こそ、一番の危機だということは分かっていた。さあ、半田という獲物が視野に入ったぞ、追え、追え、という声は聞こえるが、頭も身体も鈍く、重く、何を考え込むというわけでもないのに、自分はこうして立ち止まっているのだった。毎日毎日、〈仕事に打ち込めば忘れる〉と自分に言い聞かせてきたが、このまま、自分はほんとうに刑事を続けられるのかと、合田はいまもまた自問した。イエスという声は聞こえなかった。 (中巻p425)

それでも刑事を続けていくのが、合田さんだよね。

★合田という刑事は相変わらず、付け入るすきも見せない機械仕掛けの人形だが、いまやたしかに、三歩後ろからカバンを持ってついてくるだけの存在ではなかった。それどころか、つねに千里眼と地獄耳を働かせて、自分と日之出の内外を監視しているのは知っているのだが、そのことを差し引いても余りある何かを、城山は合田から得ているような気がしていた。得ているのは便利さだろうか。安心だろうか。二つをあわせた居心地の良さだろうか。気を許すつもりはなくとも、公務という利害関係のない透明さが保たれた間柄というのは、たしかに心地がよかった。加えてそこに、きわめて自然な節度と誠実さが感じられるとなれば。 (中巻p441)

単行本ではこの後、合田さんの「ビスケットを食べさせていただきました」(単行本p116~117)の一文があるのですが・・・なぜ無くなったー! 可愛らしすぎるから?

★城山はもう一つ、そういえば三十六年間勤めはしたが、日之出という存在のなかに自分のものは何ひとつないのだということを考えた。ビールはもちろん、工場も設備も社屋も、日之出ビールという名前も。名前がもっている伝統も威光も。日の出の過去も未来も。
この二週間、こうしてふと先々のことを思う瞬間がやって来るようになったが、そのこと自体に城山は自責の念はなかった。企業という庇を借りて実現してきたこの人生は自分のものであり、企業を離れた後も、それはこの先まだまだ変わってゆく余地を残した、未熟で無力で不透明な何ものかだった。その未来を思うのは、まさに自分自身しかいない。
 (中巻p445~446)

★《神崎も意外にもろいな》 (中巻p460)

菅野キャップの台詞。どうってことない台詞ですが、何か、好きなので。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・15

2013-02-03 23:02:38 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
昨夜すっ飛ばした義兄弟の場面、付け加えました。

それから一つ、朗報をサイドバーにも加えました。

もう一つ。明日から仕事が忙しくなるので、ネット落ち状態、更新できません。 明日から文庫の下巻に入るのに・・・。

夕方、上司が電話かけてきてね・・・(泣) 下手すりゃ会社に12時間以上過ごすかも、です。 体調崩さないよう、気をつけます。

それでは31日(木)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

ついに異物混入ビールが出ました。

★城山は普通の声と表情を保っていたつもりだが、合田の目はさっと城山の顔全体を舐めるように動き、即座に「お顔の色が――」と口走った。この十七日間、その真っ直ぐな眼差しの質は常に同じだった。このスパイめがと思いつつ、作為を感じさせられたことは一度もないその目に免じて、城山は今もまた、この千里眼の邪魔者を受け入れた。 (中巻p356~357)

★城山はいま、少なくとも九〇年秋の事件時点における自分の無責任については、たしかに納得した。五十八年の人生で、これほど確実に、深く、自分の非を認めたのは、初めてのことだった。九〇年に辞任をしなかったのは、保身のためではなく、辞任を考えてみることすらしなかったからだが、それはひとえに死者二人を悼むこころに欠けていたためであり、端的に人間性の問題であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
そうして城山は、この期に及んで、もっと重大な、企業トップとしての責任のほうは、慎重に回避したのだった。
 (中巻p359)

★初めから回避し続けてきた企業トップとしての途方もない罪の大きさも、あらためて引き寄せながら、城山は〈回心のときは来るか〉と自問してみた。その応えは神から与えられるもので、城山は応えを待つしかないのだが、それでも神を待ち望む自分の思いは、これまでの人生でもっとも強かった。自分は神をたしかに待ち望んでいるのだと思い、息子が海で溺れたときもそうだったが、神を呼び求めている自分にちょっと驚き、慰められた。一度も現れたことのない神を、城山はいまたしかに待ち望んでいた。 (中巻p363~364)

★今日の夕刊はセーフだったが、次の朝刊はまたゼロからだった。一つ済めば次、それが済めば次、永遠に次がやってくる。 (中巻p370)

★「そういえば、ヴァイオリンをお弾きになるんですか」ときた。 (中略)
「小さいころ習っていたものですから」と合田は軽く受け流した。
「そうですか。子どもに楽器を習わせるような親御さんだったのですね。私は仕事ばかりで、息子と娘が子どものころ何をしていたのかも覚えていない」
「私の父もそうでした。楽器を習わせてくれたのは母です」
「お父上もサラリーマンですか」
「警官です」
「そうですか――」
 (中巻p380~381)

単行本では 「チャイコフスキー、パガニーニ、ヴィエニャフスキ、ヴュータン以外でしたら、大抵のものは」弾けると発言した合田さんでしたが、文庫では城山社長との会話ががらっと変更。

前者二人ともかく、後者二人の名前はヴァイオリン習っている人ならば誰でも知っている、らしい。
私はここで初めて知った名前ですがね・・・(←わずか2年でヴァイオリンをやめた女)

★城山は待っていた白井と対面して「ああ白井さん。ご苦労さまです」て仕事上の作ってしまったからだ。白井も挨拶代わりに、「百貨店協会の黒戈君と一緒の飛行機になったんだが、彼がもう知っていましたよ。缶のほうは大丈夫かって聞くから、お宅の倉庫は大丈夫かと聞き返してやった」などと話し始め、二人はそのまま執務室に消えた。 (中巻p391)

ここの白井さん、好きだな~♪ 次の引用部分も好き♪

★「ああ野崎さん、忙しいでしょうが、社長をよろしくお願いしますよ。ところで貴女のスカート、中心線が《あっち向いてホイ》だ」
執務室から出てきた白井副社長は、いつもの飄々とした風情を崩さず野崎秘書に笑いかけ、合田にも余裕のある会釈をしていった。
 (中巻p393)

単行本では「貴女のスカート、後ろが脇へ回ってきてる」でした。
文庫は軽い感じですね。

★それよりも根来は、自分自身の心持ちのほうがはるかに茫々としているのを感じた。具体的な一つ一つの事柄ではなく、自分を包み込んでいるこの時代と社会のトンネルはどこまで続いているのか、もういい加減、空を見たいといった漠とした息苦しさだった。振り返っても後ろには何もなく、行く手にも何もない。ああ、ろくでもない人生を送ってしまったと独りごちると、急に一杯やらずにはおれない気分になった。 (中巻p405)


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・14

2013-02-03 00:43:47 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
先日のトークショー&サイン会に行かれた皆さんの愛溢れるレポートを拝見してますと、本当にうらやましい限りです~。

本日(2日)もメールで一通、頂戴しました。Aさま、ありがとうございます。ちゃんと届いておりますのでご安心を。(返信は明日以降に)

複数の方のレポートを拝見してますと、パズルの欠けたピースがはめ込まれていくかように、次々と驚愕の新事実が分かって、逆に私一人で楽しんでいいんだろうか、という気分。
まるで半田さん状態ですわ(←意味が分かる方だけ分かってください)

金曜日(1日)は深夜残業手前まで会社にいたので、更新できませんでした。
明日(3日)には中巻読了するので、今度の3連休の最中には下巻を読了できるはず。

では、30日(水)の読書分です。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第四章 一九九五年夏――恐喝>

★平瀬は、合田がセダンの助手席に乗り込むとすぐ、「あんたの部屋、電気がついている」と言い、合田は「消し忘れです」と応えた。
「いや、誰かなかにいる。インターホンを鳴らしても返事はなかったが、掃除機の音がした。元女房の兄貴殿だろう? 刑事が地検と通じてるだけでも最悪なのに、私生活まで一緒か。俺に信じられん」
 (中巻p313)

『LJ』中、平瀬さんの発言の最大の変更箇所はここでしょう。単行本では

「テレビの音がしたから、チャイムを鳴らしたら、誰も出てこなかった」
「私は、出かける前にテレビはつけません」
「しかし、誰か中にいた」
「いたら、どうだというんですか。用件を言って下さい」
 (単行本下巻p47)

単行本はしつこい平瀬さん。 文庫はイヤミな平瀬さん。
文庫と言えばまた、平瀬さんの衝撃の過去の設定も付け加えられ、ビックリ仰天。
そういう平瀬は、上司に出戻りの娘を押しつけられ、婚約者と別れて結婚したという噂だった。 (中巻p313~314)
ああ、なんて気の毒な婚約者(←そっちかい)
合田さんはどうでもいいようで、鼻で嗤ってます。

以下は義兄弟の会話。
単行本から半分くらい、がらっと変わってますね。ここまで変わると、比較のしようがないんですよ。

★加納は、洗濯した元義弟のワイシャツにアイロンをかけているところで、合田の口からはとっさに「余計なことはするな」という虚しい一言が出だ。しかし相手も、十八年もの付き合い果てはこんなものだというふうで、返ってきたのは「いまの俺からこれを取ったら、文句と説教しか残らん。そっちのほうがいいか?」だった。 (中巻p322)

合田さんの発言に限ると、
単行本 「自分でやるのに」
文庫 「余計なことはするな」

★加納という男が昔から人の洗濯物にまでアイロンをかけ、畳み直してゆくのは、たんに自分自身の行動半径にあるものを機械的に整理してゆくようなもので、特別な意図もないのだったが、合田がそうと理解するまでには長い年月がかかった。一方で、妹の結婚生活を破綻させた相手との距離の取り方や、いまだ未婚の自身のこれからについて、一切の解決を先送りにし続けている男の頭の中身がどうなっているのか、合田には依然理解できないのだったが、それは不具合は不具合のまま、男二人の日常生活に埋め込まれてしまって久しかった。 (中巻p322)

「特別な意図もない」!? ・・・本気でそう思ってんのか、合田さん。

★そうして、ときに異常だと思える感情的な近しさへの違和感や、一方的な押しつけの反感も通り越してしまったいまでは、合田にとってはむしろ、それに訣別しなかった自分への懐疑のほうが大きくなっているというのが、一番事実に近いのだった。人の衣類にアイロンをかけてゆく男の思考が理解できない以上に、人にアイロンをかけさせている自分自身の思考が理解できないまま、そのときもまた、合田はちょっと言葉を探した。 (中巻p323)

★「説教って、何」
「一つ、週刊誌に不用意に写真を撮られた。一つ、下の郵便受けの鍵が壊れている。一つ、下に来ていたのは桜田門か? さっき、俺がインターホンに出ないでいたら、ドアを蹴飛ばしていきやがった」
「検事を好きな刑事はいないからな」
「なんだ、知られていたのか――。だったら隠れている必要もなかったな」
「なるようになる。世間なんかどうでもいいんだ、俺は」
合田は早々に考える忍耐をなくして、アイロンをかけ続ける元義兄の背中に向かって言ったが、それには返事はなかった。
 (中巻p323)

はい、ここで問題発言、多数。

その1。 「下の郵便受けの鍵が壊れている。」
合田さんのプライバシーが知られるのは、加納さんとしても不本意なのでしょう。

その2。 「検事を好きな刑事はいないからな」
そういう合田さんはどうなの? 一人は好きな検事、いるでしょう?

その3。 「だったら隠れている必要もなかったな」
隠れず出て行って、平瀬さんが絶句し、狼狽するのを見てみたい気もする(笑)

その4。 「世間なんかどうでもいいんだ、俺は」
それは加納さんと「なるようになってもいい」ということですか、合田さん?

★加納は台所の食卓に、京都の絹ごし豆腐、青々と茹でたほうれん草、生姜をのせた焼きナスビ、体長六センチほどの銀色の極上のうるめ干しを並べた。おおよそ男の独り暮らしではお目にかかれない、端正な献立だった。それがまた、目の前の加納の顔を分からなくしたが、よく冷えた酒がグラスに注がれると、そちらの誘惑が勝ってしまい、さらに何もかもが分からなくなった。 (中巻p324)

文庫では「焼きナスビ」が一品増えましたね。飲み物も単行本の「ビール」から「よく冷えた酒」に。
しかし、料理で籠絡(?)する加納さん。よく心得てらっしゃる。

★「想像できないのは君の生活も同じだ。週刊誌の写真に君が写っいてるのを見て、何かが狂っているという感じがした。だいいち人並みにスーツを着ていても、企業人とは靴が違う。立ち居が違う。靴は、硬いブラシで縫い目の汚れを落とさないと」
「靴なんか――」
「ああいう企業のトップたちの靴を見ろ。息苦しいほど、ぴかぴかだろう。あれは彼らのこころの砦だ。だから、俺はよく彼らの靴を見る。長期間の取り調べが続いて最後に彼らが落ちるときは、靴も輝きを失っていることが多いものだ」
「だから?」
「だから? ――さあな。写真に写っていた君の姿がちょっとこころもとなかったんだろう。とにかくもう少し靴を磨け。見ていられない」
「だったら見るな。ウィスキー、呑むか?」
 (中巻p325)

口げんかしてるように見える・・・。 単行本では和やかな感じで、義兄の心配そうな雰囲気が出てたのに。
それにしても加納さんの「企業のトップたちの靴」の話は、なかなか含蓄のある話だ。

★たいてい何を言っても言いっ放しにして、微妙な後味の悪さを互いにアルコールで流して終わりにする。こんな日々がいつまで続くものか、合田はその夜もあえて考えるのを先送りにした。代わりに、この男の妹との結婚生活がうまくゆかなかったのはなぜだ、この男は自分にとって何者だといういつもの自問を続け、その答えもまた出さないまま、相手のほうが明日の朝は早いからと言って帰ってしまった。 (中巻p325~326)

・・・自問を繰り返すより、とっとと相手に訊けばいいのに・・・。
でもその返答が、怖いよね。問う方にも問われる方にも、それを読んでいる私たちも、知るのが怖い。知ってしまえば、想像(妄想)ができないからなあ・・・。

★半時間ほど頭を空っぽにしたが、落としきれない雑念の山が喉元にまで込み上げているのを感じ続けた。加納に言われずとも、靴の磨き方が足りないのは自分でも分かっていたこと。意思とは裏腹に自分が仕事への意欲を失いかけていること。いつもより身体の奥深くが熱をもっていること。最後に出すものを出したのは二月か、三月か。狂っている、と思った。 (中巻p326)

初読時に「合田さん、便秘なの?」と勘違いしたところ(爆)
この後も加納さんに逢った後に、性的なことを感じてませんか、合田さん?

★長年地どりで鍛えてきた目は、何かに焦点を合わせる目ではなく、たえず視界全部をひとまとめにして捉えられている目であり、そこに映っている風景の範囲内に変化があるとすぐに分かるが、何が、どこが、ということは分かったり分からなかったりだった。 (中巻p328)

「刑事」の目ですねえ・・・。

★そのころ自分がどこで何をしているのか、まったく予想も立たなかった。もちろん、数週間のうちに自分がある日、使徒たちのように神に出会っているという想像も出来なかった。 (中巻p332)

★警察には、具体的な脅迫や動きがない限り、将来起こるかも知れない個別の事態に備えるような余力はないのだ、と。 (中巻p343)

★白テープが犯人の仕業である確立は、たしかに万に一つかも知れなかったが、万に一つの事態の責任を取らされるのは現場なのだった。 (中略) どうせクビになるなら、被害を発生させてクビになるより、被害を防ぐ努力をしてクビになるほうがいいに決まっていた。 (中巻p344)

こういう合田さんが、

★自分はやはり警察という組織には向いていないのだと自問し続けた。 (中巻p344)

へ、そして、

★「いまは、私人としてお目にかかっています」 (中巻p344)

へと繋がっていくわけですね。

★ファイルには新聞や雑誌の切り抜きがいくつか入っていた。林業従事者を募集している地方自治体の記事が三点。同じく農業研修者の募集の記事が二点。漁業後継者募集の記事と遠洋漁業の乗組員募集の記事。社会人を受け入れている大学院の記事。それらをじっくり眺め、根も葉もない想像を巡らしながら眠りについた。 (中巻p347)

『冷血』の合田さんに繋がっているなあ、と今だから思える部分を挙げました。
結局「農業」になっちゃったのね。そりゃあ時間に不規則な刑事をやっていて、時間の融通がきくといえば、農業しかないか。例えば漁に出た漁船で「事件です」の連絡があっても、身動きとれんわ。

大学院も通信教育ならば、時間はとれそう? 課題レポートなどが大変そうだけど。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・13

2013-02-01 00:29:21 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
29日(火)の読書分。やっと折り返し地点。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第三章 一九九五年春――事件>

★言葉の一つ一つ、ページの一行一行から溢れ出る一人の人間の、とてつもない息吹、信念、情熱、優しさ、脆さ、危うさ、美しさに打たれ、人間が物を考えることの偉大さに触れ、生きていてよかったと思わせる悦びに満ちているのだった。だから、開くのはどのページでもよく、ストライキの話であれ、神の話であれ、自分に書き送られてきた手紙のように数ページを読み、その真剣な眼差しを受け取って心が洗われ、半世紀も前に死んだ女性に感謝しつつ、それではおやすみと本を閉じるのだ。  (中巻p232)

以前も記しましたが、高村薫作品を読んでいても、「生きていてよかった」と思うことが出来ます。
根来さん同様、どこでもいいから一端ページを開いたが最後、ふと我に返るまで読み進めていた経験が、みなさん、あるでしょ?

★そういえば、こうして人間が無意識へ沈んでゆくことを、シモーヌ・ヴェーユは恐れていたっけな、と思いだしながら、しかし貴女、この国ではほとんど誰も飢えていないのだ、そこそこ食える生活の蔓延がこの温んだ日向水のような穏やかさなのだ、と。 (中巻p233)

★誰も飢えていないところへ流れるニュースに、痛みは伴わない。旗を振るような人類共通の関心事などこの世にはなく、全人類を包括するような万能の思想も体制もない。あるのは、人間の小さな群れとそれぞれの生活と、どうでもいいシステムと、物を作って消費する自動運動だけだ。 (中略) この穏やかな無意識に自らを沈めるなと言うならば、一人一人の個人はかなり孤独な精神のひとり相撲を強いられる。 (中巻p233)


それではいよいよ多摩川ピクニック。根来さん視点による、唯一の義兄弟の描写は、読んでいてなかなか楽しい。 特に義兄のところ。『マークスの山』『照柿』は、ほとんどすべて「合田さん視点による加納さん」の描写でしたからね。

★「合田です。その節はたいへんお世話になりました」と自分から先に会釈した丁重な物腰も、別人のような落ちつき方だった。なるほど、所轄へ飛ばされて人生を勉強したか。いや、これは以前にもまして固い殻を被ってしまった顔だろうか。いや、少し大きくなっ器のなかに己を完全に包み込んで、外には何も漏らさなくなったということだろう、などと根来は詮索し、男が社会で生きてゆくについては、たしかにこういう身の処し方もあるなと思った。 (中巻p234~235)

★それが第一印象だったが、すぐに続いてその目に出会うと、以前にもまして何が詰まっているのか分からない複雑な陰影は健在で、そこにいまは少し空虚も交錯しているのか、醒めているような生々しいような、実に微妙な感じがした。そうだ、外側を覆っている無味乾燥な殻と、この不安定そうな目のアンバランスが、なんとも抗しがたい引力になっているのだと根来は分析したが、ともかく、こんな微妙な目に見つめられたら、理屈抜きに殴りつけたくなるか、魅入られるかどちらかだ。なるほど、元義兄である検事は魅入られた口かなと、初めてそんなことも考えた。 (中巻p235)

★そして加納という検事も、恬淡とした表情の下に、なかなか複雑な内面を抱えているような人物ではあるのだった。検事としては、法解釈や運用面での慎重さと、敗訴を恐れない攻撃性が理想的な形で共存しているタイプだが、単純に社会正義や秩序を信奉しているようにも見えず、特捜部内の派閥に平然と一線を引いていられることからも、むしろ間違って体制側に身を置いてしまった真の自由人のように見えることもある。その意味では、腹のうちを明かさない難物だという司法クラブ記者の評判は当たっている、と言えた。 (中巻p235~236)

★実際、この検事が私人として本の話を始めると、検事という職業とは折り合わない詩人の夢想や、はたまた経験主義的な懐疑論が顔を出すのは、根来もよく知っていた。また、連日遅くまで庁舎にいることから見ても、私生活がほとんどないのは確かだが、それでも、ごくわずかなやり取りのなかに元義弟に対する親密な情を覗かせるとき、この検事はたしかに生身の何者かになるのだった。無意識に人を所有し、庇護する立場に立ちたい男の本能。あるいは生来の世話好きな性向。あるいは、人知れず積み重なってきた人間関係の歴史。あるいは、ひょっとしたらそんなこともあるのかも知れない、一人の男に対する《ほ》の字。 (中巻p236)

単行本上巻では、恐らく最大の爆弾と目されるところ。
入力して気づきましたが、ここも単行本とちょっと変わってるじゃありませんか。

単行本 「無意識に人を庇護する立場に立ちたい男の本能。」
文庫 「無意識に人を所有し、庇護する立場に立ちたい男の本能。」

「所有」ですか、加納さん。いや、根来さん。

★一瞬陰影が消えてト透明なガラス玉になったその目の先で、トカゲは尻尾をつまみ上げられるやいなや、ひょいと放り投げられ、草むらに消えた。それだけのことだったが、トカゲを見ていた男の目に現れた何かの濃密な凝集を見たとき、根来の額に浮かんだのはただ一つ、《刑事》という言葉だった。
そして根来は目を戻し、中断した話の続きに戻ろうとしたが、今度は検事のほうがかすかに目尻の表情を厳しくして、これも一瞬、何かの思いにとらわれたように元義弟の顔を見ていた。
 (中巻p240)

トカゲを見て放り投げた合田さんの目と、それを見ていた加納さんの目は、同じような色合いの目をしていたんじゃなかろうか。
あるいは加納さんは、「もしかしたら俺も、このトカゲのように雄一郎に切り捨てられるかもしれん・・・」と感じていたかも。


<第四章 一九九五年夏――恐喝>

単行本では第四章から下巻になります。

★朝の迎えから夜別れるまで、真っ直ぐに伸びた背筋はかたときも崩れない。三日目で城山も少しは慣れたが、ほとんど、躾けの行き届いた端正な近衛兵を一人、従えているようなものだった。
しかし、城山が見るところ、合田の目には無機質な感じのかたわらに微細な陰影もあり、思慮深げなその目が三歩後ろに張りついて何を見ているのだろうかと思うと、不快だとは言えないものの、やはり落ちつかなかった。
 (中巻p258~259)

★次期社長と目されているらしい白井は、老獪さを感じされる洒脱な印象で、合田に臆することなく声をかけてくる唯一の役員だった。今夜も、料亭に入る前にさっと合田へ目をやり、「貴方、目が刑事になっていますよ」と囁いた。 (中巻p282~283)

ここの白井さんも大好き。 こういうシーン、ドラマではきっと出ないだろうなあ・・・(嘆息)

★ネタの前で退くことの出来ないのがジャーナリストの性だ (中巻p292)

★一口、ビールの喉ごしを味わった直後、合田の顔は自然にほころび、白い歯をはじけさせて「へえ」と感嘆の声を漏らした。そして、コップ一杯をその場ですうっと呑み干すと、「これはほんとうに美味いですね」と呟いた。この男はアルコールを嗜み、しかも呑み方をしっているなと城山は見て取ったが、さらに印象的だったのは、合田が「勤務中ですから」と四角四面の固辞もしなかったことだ。喉が渇いていたのか、好奇心に負けたのか、それとも人間関係を優先させたのか、その真意は不明だったが、動機が何にしろ、合田はアルコールを勧めて気持ちよく、応じ方も気持ちのいい男だった。また一つ、存外な発見をした。 (中巻p301)

こういうとき、下戸の身である自分が恨めしく思う。《悦び》《華やぎ》《晴朗さ》がコンセプトの《日之出マイスター》、どれだけ美味しいんだろう。飲んでみたいよ~ん。

★一日の終わりに時計の針の動きを眺めていると、今日という日にやった仕事の一つ一つが自分の手を離れて、どこかへ消えてゆくような気がするのだった。思えば三十六年間、その繰り返しだったが、企業で働くというのは、本質的にそういうものなのだろう。そこに責任の重さが加わっても、片づけては消えてゆく繰り返しに、変わりがあるわけではなかった。 (中巻p303)

仕事だけでなく、家事もそうなんだけどね・・・。男性にはそういうことは思いつかないだろうね。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・12

2013-01-31 00:32:25 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
トークショー&サイン会に参加されたみなさん、お疲れさまでした。楽しかったですか? どんなお話が聞けたんでしょう。

そして私も残業、お疲れさん。疲れてるけど、28日(月)の読書分をやりますね。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第三章 一九九五年春――事件>

★同席した一時間ほどの間、城山はある種、背筋が薄ら寒くなるような不快な感じに襲われ続け、後で倉田から、右翼の真骨頂はいつでも相手と刺し違える気構えにあるのだと聞かされて、なるほどと納得したものだった。端的に、命の惜しい人間に対して命の惜しくない人間が物を言う、の、理屈以前の決定的な暴力性を前にした薄ら寒さは、なかなかの体験だった。 (中巻p173~174)

★合田は合田で、ふいに眼前の顔一つをコンクリートブロックで殴りつけたい衝動を覚えながら、それを睨み返した。
何が、と特定できない隠微な不安が警察組織のすみずみに満ちている。それが緊張の空気をつくり、ときにヒステリーやノイローゼとなって噴き出す仕組みは、こんなふうに出来ているのだった。
 (中巻p217)

たまにこうして爆発しそうになる合田さんが私は好きだ。 但し、あまり関わりたくはないけど(苦笑)

★直感の針が微かに揺れたと同時に、合田は「わかりません」と応えた。これまで保身には無頓着なほうだったとはいえ、内側に何があるのか分からない壁に向かって私見を述べるほど、無防備にはなれなかった。 (中巻p221)

それが『冷血』では(ネタバレなので隠す) Kの子飼いだった自分 とまで評するようになって・・・。

★「私が壇上から見ている限り、目鼻だち、体格、雰囲気ともに貴方が一番目立たない。」 (後略) (中巻p224)

神崎一課長、それは逆に目立たないからこそ目立つということでは・・・?(禅問答か)

★自分の十三年間の刑事生活を云々する気持ちは、合田にはなかった。単に事件と聞けば自動的に身体が動き、現場に立ったとたん頭が回転し始めるようならされてきただけの刑事一人、ともかくそれで給料をもらっている以上、やれと言われたら何でもやるだけのことだった。しかし、そうして物心両面で、充足とは程遠いどこかへ自分がまた一歩追いやられていくように感じると、不安の隣にはたしかに、殺伐とした気分が張りついてはいた。 (中巻p225)

え!? 合田さん、この時点で刑事生活13年!? 何か30年くらいやってそうな気がする・・・(歳いくつやねん)

★そして、そんなことを考える頭の一角には、人生の岐路だという思いも、初めてそうと分かるかたちになって浮き沈みしていた。警察という組織のなかで、自分が常に、全体と噛み合わない歯車であり続けてきたことは自分が一番よく知っていたし、今度こそ、この警察組織の秩序や価値観に自分を合わせることが出来るのかどうかを、真剣に考えて見なければならない、と思った。警察に残って生きていく道を見つけるのか、それとも退職して新しい自分になるのか。 (中巻p226)

★警察を辞めるという選択肢は、実際にはあまり現実味はなかったが、そういう選択肢を一つ持つことで、気持ちに余裕が出来、少し楽になったような気がした。 (中略) 今夜、捜査本部からはずされて放り出された先には何ひとつ見えず、何の当てもなかったが、考えてみれば、あれほど知りたいと思ってきた外の世界の海へ出て行くのだ。きっと豊かな海だろう、自分の知らないことがたくさん待っているだろうと思うと、控えめな解放感もやって来た。 (中巻p226)

では本日のメイン、元義兄弟。

★一時間ほど無心に弾き続けていた間、頭は相変わらずどこかへ飛んでゆきがちだった。何か忘れているような、何か足りないような、何か考えなければならないことがあるような、ないような。 (中巻p228)

「何か」=「義兄」でしょうが、合田さん・・・。

★そしてまた、合田は知らぬ間に公園を横切ってゆく人影を眺めており、この前加納が来たのはいつだったかと考えていた。火曜日か、水曜日か。車を買ったと言っていたのは先週だったか。  (中巻p228~229)

分かってるやん、合田さん・・・。

★自宅に戻って、合田は自分のほうからかけることは少ない電話をかけた。加納は官舎の自宅におり、元義弟からだと知ると、少し構えたように《珍しいな》と言った。 (中巻p229)

単行本では加納さんの台詞が違っていて、

何事かというふうに《何かあったのか》と言った。 (単行本上巻p419)

でした。

★《俺は、今日はゴルフだった。新記録だ。ボールを半ダース無くした》 (中巻p229)

単行本では「一ダース」でした。 何で半分に減ったのか。18ホールで12個のボールを無くすのは、さすがに多い?

★不思議なことに、電話越しに聞こえてくる声は、そんな組織のあれこれに言及する気を失せさせ、合田をどこでもない時間と場所へと運んでゆくのだった。 (中巻p229)

これは文庫で付け加えられたところ。 『マークスの山』の映画館の場面でも、よく似た表現がありましたね。
合田さんにとって、加納さんの声はヒーリング効果があるんだろうか。

★「新車、買ったの?」
《結局、ワーゲンのゴルフにしたよ。ゴルフバックを載せるためにセダンを買うなんて、やっぱり出来なかった。》
 (後略) (中巻p229)

余談ながら秦野孝之も、ゴルフを買ってもらってましたね。それに乗って首都高で事故死。 加納さんが買ったのは五年後だから、デザインなどは違うと思うけど、縁起でもねえぞ、義兄・・・。

ここの会話も単行本とやりとりが異なって、文庫はえらくすっきりと。

★「新車、買ったんだっけ」
《ああ》
「いつか、ショールームで見たやつか」
《君と一緒に見たのはプジョーだ。あれと同じクラスで、買ったのはワーゲンの方。諸経費込みで、ちょっと安かったから》
「へえ」
 (単行本上巻p419)

二人でショールームに行ってたんだね。 ディーラーは、「何じゃ、この二人は」・・・なんて、思ったんだろうか。

★「日曜の午後なら」
《七日か? 捜査本部のほうはいいのか》
「休みが出た」
《へぇ。だったら昼間その人に会って、夜は何か美味いものを食おうか》
「それより呑みたい」
《そうか、分かった。先方と連絡をとって、また電話する》
他愛ない電話を終えるともう、やることはほとんど残っていなかった。
 (中巻p230)

何といっても単行本の

「二月に行った、あの山の上ホテルの……」
《天麩羅? よし、分かった。先方と連絡をとって、また電話する》
 (単行本上巻p419)

が無くなって、「それより呑みたい」と変わったのがね・・・。飲兵衛合田さんらしいといえば、らしいか。
だけどこの義兄弟の会話に触発されて、山の上ホテルで天麩羅を味わったタカムラーさんたちのショックは大きい。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・11

2013-01-30 00:45:34 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
27日(日)の読書分です。
この日は就寝前の読書で、なぜか(ネタバレになるので隠します) 失踪した根来さんの遺体を探して、あちらこちらと病院を巡る という非常に苦しい、目覚めのすっきりしない夢を見てしまいました。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第三章 一九九五年春――事件>

文庫中巻p138の「江崎グ(ル)ープ」の脱字は、何版で訂正されたのだろう?
単行本では5版から訂正されましたね。  脱字が訂正されたのは、いつ? (『レディ・ジョーカー』)

★経済情勢や金融市場の質がどんなに変わっても、金を動かす人間の中身は変わらないということだ。 (中巻p131)

★脅され、車で轢き殺されかけた経緯を境にして、根来は、自分が社会部記者としての情熱を一気に失ったことは知っていた。代わりに、上はこの国の存立から、下はインスタントラーメンの味まで、いったいこの国はどうしてこうなのかという、どうでもいい懐疑に取りつかれて、袋小路に迷い込んだのだ。懐疑のなかには、二十三年間の記者生活で、自分が何を書いてきたかということももちろん入っていたが、それ以上に、右も左も上も下も、物と喧騒と欲望で溢れかえったこの社会と時代について、自分の心が動かなくなったことが、いまある一番大きな懐疑かも知れなかった。 (中巻p142~143)

★悪で腐るのと、嫌悪と懐疑で腐るのとでは、はて、結果に差があるのか否か。時代と社会を汚して終える一生と、それを嫌悪しながら終える一生との間に、どんな差があるのか、等々。 (中巻p143)

★抜かれてまっせ。
警察詰めになって二年、その一言に怯えて日夜取材競争に走ってきたが、抜かれるのが運不運なのか、能力の不足なのか、久保は未だに分からなかった。いや、そんなことを考える頭を葬り去り、代わりに条件反射で『記者失格』の四文字を思い浮かべて青ざめるよう、否応なしに仕立て上げられるのが警察記者だった。
 (中巻p144)

★昨夜は加納と電話で話し、城山をどう思うかと尋ねてみると、人を見るのが仕事の現職検事の返答は、《口は開いても心は開かない、確信犯のタイプだ。政治家に近い》というものだった。しかし、刑事には政治家も遠く、画面に映る一人の企業人の姿を眺めながら、合田はいまも知らぬ間に、民間企業とはどんなところだろう、などと考えた。警察と民間の差が、自分たち刑事の想像以上に大きいのを感じるたびに、合田はこの窓の外で普通の勤め人はどんなことを考えているのかと、当てもなく思い巡らせるのだが、所轄に移ってから、そういう機会はとくに多くなっていた。 (中巻p154~155)

加納さんの台詞、追加修正されましたね。

★そして、その後もほぼ半日、散漫に半田の目を思い出し続けた挙句に、合田は、神経がおかしくなっているのは自分のほうだと思い直すに至ったのだった。五年前には目の前で青筋を立てている人間の顔すらほとんど目に入らなかった男が、いまや気がつけば人の所作や顔つき一つに見入り、あてのない思案に耽っている。何かがへんだ、何かが変調をきたしていると自分自身に呟き、いつからこんなふうになったのかと自問する前に、〈大丈夫だ。捜査に打ち込んでおれば治る〉と何度か自分に言い聞かせた。 (中巻p162)

合田さんがそう感じるのは気のせいではなく、半田さん自身が興奮したいがために、合田さんにチラチラとアピール(?)してるからである。
まあ、そのちょっかいが結局は半田さんの首を絞めることになるんだけど、合田さんの神経を逆撫でしてることに関しては、効果大。 よかったね、半田さん!

★片や公安筋、片や溝さらいで、もう二十年、つかず離れず一緒に事件を追ってきた仲だが、どちらも相手のストレスの招待はよく見えるのだった。他紙も認める菅野の公安情報網の堅固さは、裏を返せばその網に完全に組み込まれて身動きならないということであり、表向きはずいぶん違うが、根来が縛られている見えない糸も、どうにもならない巨大な力という意味では、警察組織と差があるわけではなかった。否、差があるどころか、この社会の大きな円環のなかで、たしかにつながっているのだった。 (中巻p167)

菅野キャップと根来さん。 根来さんのことを「史ちゃん」と気安く呼んでいるのは、菅野キャップだけか? その「史ちゃん」に対して、言葉遣いも非常に優しく柔らかい菅野キャップ。 「菅野×根来」も頷けるかな・・・?

★白井は、城山が渡した簿冊を手にとって三秒ぐらい黙っていた。それから、わざとらしい笑みを浮かべ、「貴方、今日から暴君になるおつもりですかな?」と尋ねてきた。
「泥棒を探すのが暴君ですか」
「泥棒は探しますが、処置は私に任せるという条件で。貴方は、そ知らぬ顔でおられるのがよろしい」
 (中巻p172)

この白井さんの気遣いが私は大好きだ。 惚れるね。 ああ、この人の愛人になりたい・・・。