15日に紹介した、『新潮文庫 20世紀の100冊』(新潮新書)は、買いませんでした。
しばらく買ってなかったので、すっかり忘れてたのよ。新潮新書の内容の薄さを! (ページ数も少ないが)
新潮社が「新潮新書」を創刊する、と知った時にはかなり期待に胸を膨らませていたのだが、あっという間に胸・・・もとい、期待はしぼんでしまったことを、今更ながら思い出しますわ。
まあ、『黄金を抱いて翔べ』だけでも目を通して下さい。関川夏央さんにもっとページ数を与えてくれれば・・・と思いました。物足りないってば! 最後の一行には「なるほどな」と唸りました。
単行本版『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)の再読は、GW前後にすると決めました。
その前に、これを完成させないとね。
2009年4月6日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年2月――《スリントン・ハウス》のp388から1992年2月――東京のp430まで。
今回のタイトルは、単行本だけにある手島さんがカレーを食べている時の言葉。単行本では二千円のビーフカレーですが、文庫は野菜、マトン、エビのカレーでした。
【マニアックなたわごと】
・跨線橋の銃撃戦・・・文庫では銃撃する前に、ジャックはリーアンに捕まり、M・Gが車のキーを渡してました。単行本ではケリーは撃たれて、その後に・・・。
双葉文庫版の解説者さんは単行本の銃撃戦がお好きだそうですが、私は好きではありません。ケリーがどうにも・・・ねえ? 好みの問題といえばそれまでですが。
・捜査二課の広田氏・・・単行本では「広田警視」と身分は手島さんと同じなので、お互いにくだけた喋り方。文庫では「広田警部」と格下なので、丁寧な口調。対する手島さんも丁重に喋ってました。
【今回の名文・名台詞・名場面】
手島さん好きなのですが、これでも文庫版の再読日記より大分カットしてるんです。
★自分を呼ぶジャックの悲痛な声が聞こえた。《伝書鳩》は若者に何か応えたいと思った。この列車の地響きが、今は自分をどこかへ運んでいく風の音のようだということ。たった今、晴れがましい光の降る《階段》が一つ、見えたこと……。 (p390)
ケリーの最期の場面。もちろん単行本と文庫で描写が違います。
★何のためのキリストの贖罪かと信心深い者なら言うだろうが、神の一声で救われるほど現実の人間の苦しみは甘くない。 (p398)
読むたびに考えこんでしまう、モナガンさんの手紙の一文。
★第一回目の訪日を終えて戻ってきたキムによれば、君の第一印象はとてもイギリス的で《食えなかった》ということだ。 (p399)
キムが手島さんのことを評する描写は、直接であれ間接であれ、意外なほど少ないんですよね。その貴重なものの一つが、これ。
キム視点の物語の描写は、1989年2月――《スリントン・ハウス》以降、出てきません。
★手島は、鏡の中に残った自分の蒼白な顔を見つめた。秘密を抱いた顔。裏切り者の顔だ、と思った。だが、口許に走った一本の皺に隠れているのは、ほくそ笑みとはほど遠い嫌悪とためらいだった。 (p408)
ここの手島さんの描写がたまらなく好きなの~。単行本と文庫もそのままなので、嬉しいわ。
★背後に響く規則正しい靴音が、何か呪文のようだった。それが手島の頭を、ひたひたと叩き続けた。そのリズムの狭間から、ひと足ごとに死んだイスラエル人青年の呻き声が地から湧き上がってきた。手島を信じ、手島なら自分を危険な目に遭わせることはないと信じて、快く仕事を引き受けた《エイブラム》の、苦悶に満ちた『なぜ』が耳に響いた。
死者の声。姿のない殺人者の気配。尾行者の靴音。それらを吸い込んでいく街の闇は途方もなく深かった。 (p416~417)
ここも単行本と文庫で変わっていませんね。
★「手島さんは、そう言いながらひとりで走っているじゃありませんか……。ウィーン・フィルの公演だって、はっきり言って何かある。……もう少し用心すべきです」
自分はひとりで走っている。そうかも知れない。真実や死者の名誉のため、と言えば聞こえはいいが、それは直接の動機とは言いがたかった。些細なことではあるが、日々傷つけられてきた自分自身の誇りに対して、こんな形でしか応えることが出来ないというのが、一番真相に近いのかもしれない。だが、それこそ人に言うべきことでもなかった。 (p420)
坂上さんの助言が、単行本と文庫で違ってますね。
★「ああ……」と呟きを洩らした。「手島さん?」
「ええ……」
手島の驚きも構わず、ダーラム侯はその優美な美貌をゆるめ、肩で溜め息をつき、乱れた髪を軽く指先で整えると背筋をすっと伸ばした。そうしていきなり、「私とシンクレアを見張ってらっしゃるの?」ときた。
「いえ……」
「あなたのことは《ギリアム》から伺った。あのヨークシャー豚と文通しておられるんですか?」
「いえ」
「そう。それは結構。あなたがイエスと応えたら、唾を吐くところだった」 (p426)
ダーラム侯と手島さんのご対面シーン。
単行本・・・「ええ……」 「「見張ってらっしゃるの?」ときた。」
文庫・・・「そうです」 「「見張ってらっしゃるのですか」と尋ねてきた。」
ここのダーラム侯の描写は、単行本であれ文庫であれ、ダーラム侯が苦手な私には珍しく、ツボだ。動作の一つ一つで、ダーラム侯の性格が手に取るように分かるんだもん。凄いなあ、高村さん。
しばらく買ってなかったので、すっかり忘れてたのよ。新潮新書の内容の薄さを! (ページ数も少ないが)
新潮社が「新潮新書」を創刊する、と知った時にはかなり期待に胸を膨らませていたのだが、あっという間に胸・・・もとい、期待はしぼんでしまったことを、今更ながら思い出しますわ。
まあ、『黄金を抱いて翔べ』だけでも目を通して下さい。関川夏央さんにもっとページ数を与えてくれれば・・・と思いました。物足りないってば! 最後の一行には「なるほどな」と唸りました。
単行本版『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)の再読は、GW前後にすると決めました。
その前に、これを完成させないとね。
2009年4月6日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年2月――《スリントン・ハウス》のp388から1992年2月――東京のp430まで。
今回のタイトルは、単行本だけにある手島さんがカレーを食べている時の言葉。単行本では二千円のビーフカレーですが、文庫は野菜、マトン、エビのカレーでした。
【マニアックなたわごと】
・跨線橋の銃撃戦・・・文庫では銃撃する前に、ジャックはリーアンに捕まり、M・Gが車のキーを渡してました。単行本ではケリーは撃たれて、その後に・・・。
双葉文庫版の解説者さんは単行本の銃撃戦がお好きだそうですが、私は好きではありません。ケリーがどうにも・・・ねえ? 好みの問題といえばそれまでですが。
・捜査二課の広田氏・・・単行本では「広田警視」と身分は手島さんと同じなので、お互いにくだけた喋り方。文庫では「広田警部」と格下なので、丁寧な口調。対する手島さんも丁重に喋ってました。
【今回の名文・名台詞・名場面】
手島さん好きなのですが、これでも文庫版の再読日記より大分カットしてるんです。
★自分を呼ぶジャックの悲痛な声が聞こえた。《伝書鳩》は若者に何か応えたいと思った。この列車の地響きが、今は自分をどこかへ運んでいく風の音のようだということ。たった今、晴れがましい光の降る《階段》が一つ、見えたこと……。 (p390)
ケリーの最期の場面。もちろん単行本と文庫で描写が違います。
★何のためのキリストの贖罪かと信心深い者なら言うだろうが、神の一声で救われるほど現実の人間の苦しみは甘くない。 (p398)
読むたびに考えこんでしまう、モナガンさんの手紙の一文。
★第一回目の訪日を終えて戻ってきたキムによれば、君の第一印象はとてもイギリス的で《食えなかった》ということだ。 (p399)
キムが手島さんのことを評する描写は、直接であれ間接であれ、意外なほど少ないんですよね。その貴重なものの一つが、これ。
キム視点の物語の描写は、1989年2月――《スリントン・ハウス》以降、出てきません。
★手島は、鏡の中に残った自分の蒼白な顔を見つめた。秘密を抱いた顔。裏切り者の顔だ、と思った。だが、口許に走った一本の皺に隠れているのは、ほくそ笑みとはほど遠い嫌悪とためらいだった。 (p408)
ここの手島さんの描写がたまらなく好きなの~。単行本と文庫もそのままなので、嬉しいわ。
★背後に響く規則正しい靴音が、何か呪文のようだった。それが手島の頭を、ひたひたと叩き続けた。そのリズムの狭間から、ひと足ごとに死んだイスラエル人青年の呻き声が地から湧き上がってきた。手島を信じ、手島なら自分を危険な目に遭わせることはないと信じて、快く仕事を引き受けた《エイブラム》の、苦悶に満ちた『なぜ』が耳に響いた。
死者の声。姿のない殺人者の気配。尾行者の靴音。それらを吸い込んでいく街の闇は途方もなく深かった。 (p416~417)
ここも単行本と文庫で変わっていませんね。
★「手島さんは、そう言いながらひとりで走っているじゃありませんか……。ウィーン・フィルの公演だって、はっきり言って何かある。……もう少し用心すべきです」
自分はひとりで走っている。そうかも知れない。真実や死者の名誉のため、と言えば聞こえはいいが、それは直接の動機とは言いがたかった。些細なことではあるが、日々傷つけられてきた自分自身の誇りに対して、こんな形でしか応えることが出来ないというのが、一番真相に近いのかもしれない。だが、それこそ人に言うべきことでもなかった。 (p420)
坂上さんの助言が、単行本と文庫で違ってますね。
★「ああ……」と呟きを洩らした。「手島さん?」
「ええ……」
手島の驚きも構わず、ダーラム侯はその優美な美貌をゆるめ、肩で溜め息をつき、乱れた髪を軽く指先で整えると背筋をすっと伸ばした。そうしていきなり、「私とシンクレアを見張ってらっしゃるの?」ときた。
「いえ……」
「あなたのことは《ギリアム》から伺った。あのヨークシャー豚と文通しておられるんですか?」
「いえ」
「そう。それは結構。あなたがイエスと応えたら、唾を吐くところだった」 (p426)
ダーラム侯と手島さんのご対面シーン。
単行本・・・「ええ……」 「「見張ってらっしゃるの?」ときた。」
文庫・・・「そうです」 「「見張ってらっしゃるのですか」と尋ねてきた。」
ここのダーラム侯の描写は、単行本であれ文庫であれ、ダーラム侯が苦手な私には珍しく、ツボだ。動作の一つ一つで、ダーラム侯の性格が手に取るように分かるんだもん。凄いなあ、高村さん。