あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
関連アイテムや書籍の読書記録も紹介中

加納祐介 『照柿』 単行本・講談社文庫・新潮文庫の相違(4)

2014-02-16 23:42:39 | 高村薫作品のための、比較文学論
というわけで、第二章、第三章をすっ飛ばして第四章を先にアップ。
だって分量が少なくて楽なんだもん!!
逆に言えば、それだけの変更が第二章、第三章にあるってこと。

第一章の加納祐介さんの相違は、こちらからどうぞ。

それでは説明。
タイトル通り3つの形式での「相違部分」の抜書き。
単行本は22刷、講談社文庫第1刷、新潮文庫は初版を使用。
単行本と文庫では構成・内容が異なっている部分が多いので、「変更の比較」をするのは無理と判断。

●単行本『照柿』
◎講談社文庫『照柿』
○新潮文庫『照柿』

★単行本と講談社文庫が同じ (←該当部分は滅多にないかも)
☆講談社文庫と新潮文庫が同じ

と色分けはしていますが、冒頭の●印、◎印、○印、★印、☆印で判断しやすいように、一応は配慮しています。 (「3つとも全て同じ」は、まず有り得ないと判断しています)

不完全ながら、比較した場合に限り変更部分がある箇所は太字で強調するように努めました。
「変更があった部分だけ取り上げる」という基準は、例外もありますが、加納祐介 という人物の名前・存在が確認出来るところに限定。
ややこしいですが、ご了承ください。

念のため、ネタバレ前提ですので、ご注意。

***

【第四章 燃える雨】

●そして、自分は、達夫には何ひとつ与えもしなかったし、与えるものも持たなかったのだ。加納貴代子に、加納祐介に何ひとつ与えなかったように。  単行本『照柿』p454

文庫には該当部分がありません。

・・・多分、ない。 但し第二章と第三章にある可能性は、無きにしも非ず。その場合はここの文章も変更します。


辻村は受話器を取り、「加納という人から」と言って、受話器を差し出した。
受話器を受け取りながら、雄一郎の腹には疑心暗鬼が渦巻いた。どうせまた、噂は桜田門を駆けめぐって検察合同庁舎に届いたのだろうが、この十二年間、義兄の加納祐介が警察に電話を入れてきたのは初めてだった。何をそこまで案じることがあるのかと思うと、雄一郎のほうが当惑した。
しかし、予想に反して義兄の電話はひどくそっけなかった。《雄一郎か。画商殺しの件、小耳にはさんだ。手が空いたら電話くれ。俺は今夜、庁舎で徹夜だから》
義兄はそれだけ言い、相手の声も聞かずにさっさと電話を切ってしまった。
  単行本『照柿』p470

「そうそう、始める前に言伝てがある。半時間前に電話があった」そう言って、辻村が机に置いたメモには、『手が空いたら四階まで電話されたし。カノウ』とあった。
どうせまた、噂は桜田門を駆け巡って検察合同庁舎に届いたのだろうが、この十二年、慎重の上にも慎重な加納祐介が、警察に直接電話を入れてきたのは初めてだった。いったいそこまで案じるべき事態なのか。あるいは特捜部検事がこれを機に、かけなくてもいい脅しをかけて、桜田門の特定の何者に対して意趣返しをしてきたということなのか。雄一郎にはどちらとも分からなかったが、もともとやる気のなかった重い心身に、鈍い一撃を食らったような気分でメモを握り潰した。一方辻村は、カノウが何者かをもちろん招致しているようで、「その人にはくれぐれも、内輪の話だと言っておいてほしい」と呟いただけだった。
  講談社文庫『照柿』下巻p279  新潮文庫『照柿』下巻p305

ここは全体的変更なので、太字にしました。
直接の電話は不自然か、と判断されて変更となったか。


●『義兄殿
長い間決心がつかなかったが、貴兄の勧めに従って先週、休日を利用して大阪へ行ってきた。
(後略)』  単行本『照柿』p496

☆『祐介殿
長い間決心がつかなかったが、貴兄の勧めに従い、先週休日を利用して大阪へ行ってきた。
(後略)』  講談社文庫『照柿』下巻p317  新潮文庫『照柿』下巻p347

微少な変更ですね。

続いて加納さんの返信。長いので2つに分割します。まずは前半部。

●『雄一郎殿
珍しい乱筆ぶりに君の心中を察しつつ、外野から二つだけ申し上げる。
まず、君が事件前に佐野美保子と対面した時間は、拝島駅で二分、東京駅で五分、立川駅で一分。合計八分に過ぎない。東京駅での五分は対面とは言えないので、これを省くと三分。ひょっとしたら、小生の知らない時間がほかにもあるのかも知れないが、いずれにしても、人生のほんとうに短い時間だったということを、少し考えてみてもいいのではないか。
  単行本『照柿』p497

☆『雄一郎殿
珍しい乱筆ぶりに君の心中を察しつつ、外野から二つだけ申し上げる。
まず、君が事件前に佐野美保子と相対した時間は、拝島駅で二分、東京駅で五分、立川駅で一分。合計八分に過ぎない。東京駅での五分は相対したとも言えないので、これを除くとわずか三分になる。あるいは小生の知らない時間がほかにもあるのかも知れないが、いずれにしても、人生のほんとうに短い時間だったことは一考に値すると思う。
  講談社文庫『照柿』下巻p318  新潮文庫『照柿』下巻p348


続いて後半部。

今、もう一度『神曲』を読み返しているのだが、ふと考えた。ダンテを導くのはヴェルギリウスだが、君が暗い森で目覚めたときに出会った人は誰だろう。
ダンテが《あなたが人であれ影であれ、私を助けて下さい》とヴェルギリウスに呼びかけたように、君が夢中で声をかけたのが佐野美保子だった。恐れおののきつつ彷徨してきた君が今、浄化の意志の始まりとしての痛恨や恐怖の段階まで来たのだとしたら、そこまで導いてくれたのは佐野美保子であり、野田達夫だったことになる。そう思えばどうだろう。
ところで、小生も人生の道半ばでとうの昔に暗い森に迷い込んでいるらしいが、小生の方はまだ呼び止めるべき人の影も見えないぞ。

十月十五日
加納祐介』
単行本『照柿』p497~498

いま、徒然に『神曲』を読み返しながら、考えたことがある。ダンテを導くのはヴェルギリウスだが、君が暗い森で目覚めたときに出会ったのが佐野美保子だった。ダンテが《あなたが人であれ影であれ、私を助けて下さい》とヴェルギリウスに呼びかけたように、君は夢中で彼女に声をかけた。そして、それ以来恐れおののきつつ彷徨してきた君がいま、浄化の意志の始まりとしての痛恨や恐怖の段階まで来たのだとしたら、そこまで導いてくれたのは佐野美保子であり、野田達夫だったのだ。そう思えばどうだろうか。
ところで、小生も人生の道半ばでとうの昔に暗い森に迷い込んでいるらしいが、小生のほうは未だ呼び止めるべき人の影も見えないぞ。
十月十五日
加納祐介』
講談社文庫『照柿』下巻p318~319  新潮文庫『照柿』下巻p348~349

変更部分は一目瞭然だと思うので、あえて述べません。
ひと言付け加えると、単行本は日付の前に1行の空白があります。


第二章と第三章は、ほんと、いつアップできるんでしょうね~?


加納祐介 『照柿』 単行本・講談社文庫・新潮文庫の相違(1)

2014-02-16 22:09:36 | 高村薫作品のための、比較文学論
秦野組長の後半を放りだしたわけじゃないけど、なんかこちらもやってみたくなり、旧版『神の火』再読日記の合間に、せっせと調査、コツコツ入力してました。
気まぐれ・思いつきは、いつものことさ♪ そして自分の首を絞めるハメになるのもいつものことよ・・・(泣き笑い)

いろいろと試行錯誤を重ね、何とか形になったので、アップします。
ここである程度満足のいくフォーマットを完成させておかないと、後々やるであろう他作品の比較や相違部分の取り上げることが難しくなる・・・。


それでは説明。
タイトル通り3つの形式での「相違部分」の抜書き。
単行本は22刷、講談社文庫第1刷、新潮文庫は初版を使用。
単行本と文庫では構成・内容が異なっている部分が多いので、「変更の比較」をするのは無理と判断。

●単行本『照柿』
◎講談社文庫『照柿』
○新潮文庫『照柿』

★単行本と講談社文庫が同じ (←該当部分は滅多にないかも)
☆講談社文庫と新潮文庫が同じ

と色分けはしていますが、冒頭の●印、◎印、○印、★印、☆印で判断しやすいように、一応は配慮しています。 (「3つとも全て同じ」は、まず有り得ないと判断しています)

不完全ながら、比較した場合に限り変更部分がある箇所は太字で強調するように努めました。
「変更があった部分だけ取り上げる」という基準は、例外もありますが、加納祐介 という人物の名前・存在が確認出来るところに限定。
ややこしいですが、ご了承ください。

念のため、ネタバレ前提ですので、ご注意。

***

【第一章 女】

●早足で八王子駅にたどり着き、もっと早くに電話をかけなければならなかった私用の電話を一本かけた。その日は別れた妻の水戸の実家で、先代当主の七回忌の法事があったのだ。  単行本『照柿』p73~74

ここに加納さんは登場してませんが、まずこれを取り上げないと、下記に取り上げた文庫の改変部分が分かりにくいのでは、と判断しました。

☆雄一郎は公衆電話からまず私用の電話を一本かけた。相手は分かれた貴代子の双子の兄であると同時に、雄一郎にとって大学時代からのほとんど唯一の知己でもある男で、先週久しぶりにハガキをよこし、法事がある八月二日を避けて一度水戸の実家のほうへ寄るように言ってきたのだった。しかし、かくいう本人も警察以上に多忙をきわめる東京地検におり、 (中略) 昔の友とのんびり旧交を温めているようなときではない。  講談社文庫『照柿』上巻p112  新潮文庫『照柿』上巻p122

文庫では「法事」と簡潔ですが、単行本は「先代当主の七回忌」と明確に。


応えたのは若い当主の静かな声が一つだった。
「すまない。行けなかった」と言うと、《無理することはない》と返事があった。
「忙しかったんだ」
《分かってる。気にするな》
「そちらには、誰かいるのか」
《俺とお袋だけだ》
「貴代子は」
《来なかった》
「……そうか。あんたはそっちにはいつまでいる」
《四日まで》
「四日の夜、顔を出すよ」
《無理するな》
「いや、あんたにも会いたい。どうぞ、ご母堂様によろしくお伝えしてくれ」
《ああ。では四日に》
  単行本『照柿』p73~74

電話口に出たのは本人で、《ちょうどひとりで呑み直していたところだ》というのが第一声だった。
「俺のほうは明日は大阪へ出張だ。あんたは、そこにはいつまでいる」
《五日の朝、東京へ戻る》
「四日の夜、顔を出していいか。この季節を外したら、またいつ会えるか分からないから」
《では四日に。泊まっていけよ》
  講談社文庫『照柿』上巻p113  新潮文庫『照柿』上巻p123

早い話がほとんど変更されているため、全て太字にしました。
それにしても文庫はなんて簡潔な会話! 八王子と水戸の距離からすれば、テレホンカードの度数の減り具合が、単行本と文庫では1~2分程度の差があると思われる(笑)


●電話の主は、貴代子の双子の兄だった。本人も東京地検の現職検事で、夏休みをかねて法事のために帰省しているだけだ。  単行本『照柿』p74

●先日、法事の段取りを電話で知らせてきたとき、義兄はアメリカにいる貴代子にも知らせたと言った。  単行本『照柿』p74

●なにしろ、誰もが少し平静を欠き、相も変わらず愚かなのだった。どんな事情があれ、女房を不倫に走らせたこの自分に向かって、顔を出せるはずもない法事に来いという義兄は、未だに妹の壊れた結婚や、雄一郎との義兄弟の関係について、何かの幻を見続けている。一方、実家の法事にも顔を出せない人生を選んだ貴代子は、かつての亭主よりはるかに優秀な男と外国で暮らしながら、やはり何かを悔いて今を過ごしている。仕事にかまけてほとんど家に帰らず、結婚生活を破綻させたくせに、今ごろまだ逃げた女房を思いわずらっている男も然り。誰もが果てしない絆と矛盾をひきずって、毎年夏を迎える。  単行本『照柿』p74~75

上記の該当部分は、文庫では下記のように改変されました。

◎元義兄は、貴代子が来たとも来なかったとも言わず、雄一郎も尋ねなかったが、毎夏、双方がいくらか平静を欠き、愚かな困惑と遠慮を繰り返して懲りることがないのだった。いくら大学時代からの付き合いでも、妹との結婚を破綻させた男に向かって、昔と同じように自分の実家に来いという男は、未だに妹と自身の友人の関係について、何かの幻を見続けており、貴代子もまた、いまは別の男と外国で暮らしながら、なにがしかの目に見えない執着と悔恨の秋波を兄に送り続けている。そして雄一郎自身もまた、戸籍の手続きのようにはその兄妹との関係を切ることが出来ずに、いまなお元義兄とハガキや電話のやり取りをしているのだ。  講談社文庫『照柿』上巻p113

○元義兄は、貴代子が来たとも来なかったとも言わず、雄一郎も尋ねなかったが、毎夏、双方がいくらか平静を欠き、愚かな困惑と遠慮を繰り返して懲りることがないのだった。いくら大学時代からの付き合いでも、妹との結婚を破綻させた男に向かって、昔と同じように自分の実家に来いという男は、未だに妹と自身の友人の関係について、何かの幻を見続けており、貴代子もまた、いまは別の男と外国で暮らしながら、なにがしかの目に見えない執着と悔恨の信号を兄に送り続けている。そして雄一郎自身もまた、戸籍の手続きのようにはその兄妹との関係を切ることが出来ずに、いまなお元義兄とハガキや電話のやり取りをしているのだ。  新潮文庫『照柿』上巻p123

文庫の比較で見ると、「秋波」と「信号」の違いだけ。実の兄に秋波を送ってもねえ・・・(苦笑)
単行本と文庫の比較で見ると、義兄の連絡手段は、電話とはがきの違い。
電話してもタイミングよくつかまるとは限らないし、留守番電話も聞いてくれるか分からないし、郵便物が確実さでは確率高い、か。


●電話に出た義兄の声も、以前に比べればずいぶん淡々としてきていた。大学時代からの十六年の親交だから、互いに心のうちはいやというほど読めるのだが、それも最近は、何を分かるとも分からないとも言わず、互いの感情に触れ合うことも少なくなった。法事については、義兄は一応声をかけただけだと言うだろうし、雄一郎はあれこれの事情で行かなかったというだけのことだ。  単行本『照柿』p75

文庫には該当部分がありません。

初読時だったら「ああ、そうなの? 友人だもんねえ、分かるよねえ」とさらっと流してしまう。
<合田シリーズ>読み続けてる今なら、誰もが「分かってたなら(義兄の気持ちは)分かってるはずやろ」とツッコミ入れずにいられないお約束の部分。


しかし、短い電話一本の中には、互いに口に出さなかった思いが凝縮され、宵の熱とも相手の熱ともつかない息苦しい靄が電話線を伝わりあった。常磐線の急行に乗れば法事に行けないことはなかった自分と、それを敏感に察している義兄との当たり障りないやり取りは、不実に満ち、崩壊のかすかな予感もあった。  単行本『照柿』p75

☆短い電話一本のなかに、互いに口に出さなかった思いが凝縮され、宵の熱とも相手の熱ともつかない息苦しい靄になって、電話線を伝わり合ったかのようだった。常磐線の急行に乗れば今夜にでも行けないことはなかった自分と、それを敏感に察している元義兄との当たり障りないやり取りは不実に満ち、崩壊のかすかな予感もあった。  講談社文庫『照柿』上巻p114  新潮文庫『照柿』上巻p124

ここはほとんど変更がないですね。太字で強調した部分くらい。
今さらですが、「義兄」→「元義兄」の変更は、変更のうちに入らないと思ってください。指摘はしますけど(苦笑)


はい、第一章はこれでおしまい。
第二章以降は、いつアップできるのか不明。 比較的楽な第四章とラストを先にアップしたいくらいだ(苦笑)


『李歐』 版違いによる比較検討 (調査、完結近し!?  最新更新2014.01.17)

2014-01-17 23:06:17 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。
並びに、『李歐』をお持ちの皆さんにもご協力していただきたいので、よろしくお願いします。


この秋に『李歐』の1999年2月15日第1刷発行の文庫を初めて読みました。
再読日記更新のために、2007年に読んだ2004年3月25日第20刷発行の文庫と、違いが明確なところを挙げます。太字が違いのある部分です。

【2014.1.17 追記分】

なんと第2刷を所有されている方からメッセージを頂戴しました! ありがとうございます!

第2刷は1999年3月8日発行。
第1刷が1999年2月15日なので、ほぼ半月の間で変更があったことになりますか。

第1刷・第2刷に限らず、(私が見つけられないだけで)修正箇所があるかもしれません。その点につきましては、引き続き情報お待ちしております~!

では、私が見つけた下記の相違部分4か所に、頂戴した第2刷の情報を加えていきましょう。

***

なんと冒頭から違ってた! これは写真をご覧いただいたほうが分かりやすいでしょう。



左側 1999年2月15日第1刷  右側 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷


このようなレイアウトになったのはどの版からか? 情報お待ちしております。

【回答】  1999年3月8日第2刷から、右側のレイアウトになっています。


***

「ぼくは生まれて初めて泣いた。……そういえば彼、ちょっと一彰に似ていたな」
「どんなふうに」
「どっちを向いても地平線しかない畑で踊りながら、突然中華風ニジンスキーになりたいって言いだすような奴の目……」
一彰は笑って応えるに留めた。湖北省の畑でニジンスキーになりたいと言った学生がどんな目をしていたのか、想像することは何もなかったが、ともに過ごしたほんの短い時間に、李歐がそれなりに自分を観察していたというのは、また一つ、一彰の胸を揺さぶる結果になった。
 (『李歐』p248~249 1999年2月15日第1刷)

「ぼくは生まれて初めて泣いた。……彼とぼくは、もう家族だったから」
李歐の口から漏れた「家族」の一言は、身の上話の悠々とした語調とは少し違う響きをもって一彰の耳に沁み、腹に沁みた。一族はもちろんのこと、家族と言う単位が中国人にとっては現代の日本人よりはるかに重い意味を持つということは、以前敦子に教わったことがあったが、文革によって家族も一族も失った李歐が、一緒に国を脱出した学生一人と「家族」になったというのは、それだけにひどく切実な感じがした。同時に、片や同じように身寄りがない自分は、そういえば家族など意識したこともなかったと思うと、李歐はその奔放な口ぶりとは裏腹に、実のところこの自分よりはるかに純粋なのだという結論にも至った。
 (『李歐』p248~249 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷  これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)

ご覧いただいたように、大幅な書き直しといっても過言ではないでしょう。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。

【回答】  1999年3月8日第2刷から変更されています。

私信。ご指摘の通り、入力ミスでしたので訂正しました。ありがとうございます。


***

私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年2月15日第1刷)

私は、パイミァンと貴方との関係がどのようなものであったのか、ついに知る機会はありませんでした。しかし中国では、写真は家族の結びつきを象徴する特別に大事に意味を持つと聞いたことがあります。パイミァンにとってあなたは家族だったのかと、今の私はただ虚しく慮るばかりですが、彼が私に貴方宛ての写真を託したときに言った言葉を、最後にここに書き添えさせてください。 (『李歐』p367 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷  これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)

ここは完璧に追加。これ以降「コウモリ」の最後まで、追加された2~3行分、ページがずれています。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。

【回答】  1999年3月8日第2刷から変更されています。

***

この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く兄弟のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年2月15日第1刷)

この十数年の中でも、李歐は今や打てば響く家族のようであり、一彰にも話したいことは山ほどあったし、相手の話も山ほど聞きたいと思う。 (『李歐』p462 1999年3月8日第2刷~2004年3月25日第20刷  これ以降の版は未確認ですが、変更なしと考えていいでしょう)

こちらはただ一つの単語の違い、「兄弟」と「家族」。
どの版から、このようになったのか? 情報お待ちしております。

【回答】  1999年3月8日第2刷から、「家族」になっています。

***

・・・ということで

第2刷から修正・訂正が加えられている

という事実が判明しました。

改めて気になるのは、第3刷がどうなっているか、ですね。
もしかしてもしかしたら、「第2刷と第3刷には、変更がないのかもしれない」という仮定が・・・。

第3刷所有されている方! 情報プリーズ!

ひょっとしたら他の刷数にも細かい違いがあるはずですから、皆さんが所有している『李歐』で、私が挙げたところ・挙げていないところで「ここが違う!」 「この刷数では同じだった!」という部分がありましたら、

・『李歐』の刷数と発行年月日
・該当部分のページ数と文章の引用
 (同じ場合は引用は不要です)

を、ご面倒かと存じますが、下記のコメント欄、またはメッセージを利用してご報告いただければ幸いです。
ぜひご協力お願いします~!



秦野耕三 『照柿』 単行本・講談社文庫・新潮文庫の変更比較 (前半)

2014-01-05 18:00:43 | 高村薫作品のための、比較文学論
またしても重箱の隅をつつく、自分で自分の首を絞める企画。
少しの出番で強烈な印象を残すキャラクターだから、分量も少なくてちょっとは楽か? と思ったんですが・・・
甘かった。   海女ちゃんならぬ甘ちゃんだわ。
しかも全部が合田雄一郎さん絡みだから、イヤでも合田さんの変更部分も加えたくなる。

だけど手をつけてしまったんだから・・・。
これだけでもしんどい思いをしてるのに、他のキャラクターで比較したらどうなるんだろう・・・? と、ゾッとしません。寿命、縮まりそう(苦笑)

タイトル通り3つの形式での比較です。単行本は22刷、講談社文庫第1刷、新潮文庫は初版を使用。

●単行本『照柿』    ◎講談社文庫『照柿』    ○新潮文庫『照柿』
★単行本と講談社文庫が同じ    ☆講談社文庫と新潮文庫が同じ

と色分けはしていますが、冒頭の●印、◎印、○印、★印、☆印で判断しやすいように、一応は配慮しています。(さすがに「単行本と新潮文庫が同じ」は、有り得ないと思う)
変更部分は太字で強調するように努めました。
全部取り上げたらホントに死にそうになので(苦笑)、変更があった部分だけ取り上げてます。(それでも相当の変更がありました・・・)
ややこしいですけど、ご了承ください。

では、第一章と第二章を。 第三章に取り掛かる前に年末年始の休みも終わってしまったし、力尽きました・・・。

***

【第一章 女】

階段には雄一郎とその男が残った。とたんに、粘りつくような鋭い眼光を放って、男はカッと白い歯を見せた。
「珍しいお顔に会うもんだ。お元気ですか」
「そちらこそ」
「最近、お宅らがうるさいから」
  単行本『照柿』p105

階段の途中で雄一郎に向き合うと、とたんに粘りつくような眼光とともに、カッと白い歯をむいて見せた。
「珍しいお顔に会うもんだ。お元気ですか」
「そちらこそ」
「最近、お宅らがうるさいから逃げていたんですよ、この通り」
  講談社文庫『照柿』上巻p160  新潮文庫『照柿』上巻p174

「鋭い眼光」の有無。「白い歯をむいて見せた。」の有無。秦野組長の台詞の追加。
初っ端から細かい変更があるんだもん・・・。

★「下っぱのお上相手に、何をおっしゃる」
「そう言って、あなたはまた逃げる」
「何から」
「この秦野耕三の食指から」
  単行本『照柿』p106、講談社文庫『照柿』上巻p161

○「下っぱのお上相手に、何をおっしゃる」
「そう言って、あなたはまた逃げる」
「何から」
「この秦野耕三の触手から」
  新潮文庫『照柿』上巻p175

「食指(しょくし)」(単行本・講談社文庫)→「触手(しょくしゅ)」(新潮文庫)への変更。
あえて変更したのか? どちらかが誤植なのか? それが分からない!
意味を考えれば、どちらでも合ってるような気もするんですよね。慣用句を並べてみましょうか。

食指が動く・・・ある物事に対し欲望や興味が生じる。

触手を伸ばす・・・欲しいものを得ようとして働きかける。

いかが? 秦野組長ならどちらでも、あるいは両方の意味でもふさわしいのでは? と感じる発言ですよね。

●刑事一人の手首を掴んだまま、男は直截な物言いをしてにやにやした。金と組織の力をもってしても、こちら側へなびいてこないお上に対してはとりあえず無力だと知っている渡世人の鋭利な自嘲が、その眼光に浮かんでいる。同時に、一介の刑事一人をからかう口の下には、すきあらばと狙っている蛇の舌も光っている。  単行本『照柿』p106

◎刑事一人の手首を掴んだまま、男は直截な物言いをしてにやにやした。金と組織の力をもってしてもなびいてこないお上に対してはとりあえず無力だと知っている渡世人の鋭利な自嘲が、その眼光に浮かんでいた。同時に、一介の刑事一人をからかう口の下には、すきあらばと狙っている蛇の舌も光っていた。  講談社文庫『照柿』上巻p161~162

○刑事一人の手首を掴んだまま、男は直截な物言いをしてにやにやした。金と組織の力をもってしてもなびいてこないお上に対してはとりあえず無力だと知っている渡世人の鋭利な自嘲が、その眼光に浮かんでいた。同時に、一介の刑事をからかう言葉の裏には、すきあらばと狙う蛇の舌も光っていた。  新潮文庫『照柿』上巻p175

逐一取り上げるのもしんどいので(苦笑) 非常に細かい違いですが、微妙に変化が見られます。


●「ねえ、合田さん。あなたは結局、私らの甘い汁を吸う度胸はない人なんだ。だから骨の髄までお上だと言ってるんですよ。この私が女をあげると言ったら、がたがた言わずに食いつくもんだ。それが仁義ってもんでしょう。 それに……」
そんなことを言いつつ、男は慰みか挑発か、雄一郎のポロシャツの襟を指先で弾いてみせた。
  単行本『照柿』p106

◎「ねえ合田さん。あなたは結局、甘い汁を吸う度胸はない人なんだ。だから骨の髄まで下っぱだと言ってるんですよ。この秦野が女をあげると言ったら、がたがた言わずに食いつくもんだ。それがってもんでしょう」
そんなことを言いつつ、男は挑発するように雄一郎のポロシャツの襟を指先で弾いてみせた。
  講談社文庫『照柿』上巻p162

○「ねえ合田さん。あなたは結局、甘い汁を吸う度胸はない人なんだ。だから骨の髄まで下っぱだと言ってるんですよ。この秦野が女をあげると言ったら、がたがた言わずに食いつくもんだ。それが野郎ってもんでしょう」
そんなことを言いつつ、男は挑発するように雄一郎のポロシャツの襟を指先で弾いてみせた。
  新潮文庫『照柿』上巻p176

ここもいろいろと変化がありますが、最大のポイントは
「仁義」(単行本)→「男」(講談社文庫)→「野郎」(新潮文庫)の変更。以前も記しましたが、この変更はよりヤクザらしくなったかも。
 

「いい歳して何ですか、この恰好は。たまには上から下まできめてらっしゃいよ」
「誰のために」
「この秦野と仲良く記念写真でも撮りましょうや」
「蛇と鼠の見合い写真になる」
双方、その場は隠微な苦笑いで引き分けた。雄一郎は男を押し退け、階段を数歩降りた。上から男の声が降ってくる。「ところで、近ごろ賭場に出てるんですか。一度、私が遊んであげますよ」
「それはどうも」
  単行本『照柿』p106

「ほれ、夜の街をこんな格好で歩いてちゃあ、せっかくのいい男が泣きますぜ。たまには上から下までビシッと決めてらっしゃいよ、え?」
「きめてきたら、お宅と見合い写真でも撮りますか」
「うはは、そりゃあいい!」
「じゃあ、またいつか」
雄一郎は男を押し退けて階段を数歩降り、上から男の声が降ってきた。「ところで近ごろ賭場に出ているんですか。一度、私が遊んであげますよ!」
「それはどうも」
  講談社文庫『照柿』上巻p162

「ほれ、夜の街をこんな格好で歩いてちゃあ、せっかくのいい男が泣きますぜ。たまには上から下までビシッと決めてらっしゃいよ、え?」
「きめてきたら、お宅と記念写真でも撮りますか」
「うはは、そりゃあいい!」
「じゃあ、またいつか」
雄一郎は男を押し退けて階段を数歩降り、そこへ上から男の声が降ってきた。「ところで近ごろ賭場に出ているんですか。一度、私が遊んであげますよ!」
「それはどうも」
  新潮文庫『照柿』p176

注目すべきは、「記念写真」(単行本)→「見合い写真」(講談社文庫)→「記念写真」(新潮文庫)と、珍しく最初の単行本に戻っているところ。


第一章はこれでおしまい。
単行本では2ページ(二段組)、文庫では3ページなのに、これだけの変更があるんですよ~!
同様に出番の少ない加納祐介さんについて比較した場合・・・どうなるのか今から怖い。・・・やりたんだけどな~・・・。


【第二章 帰郷】

「よし。どうせ寺本は吐かんだろうから、あんた、尾上組から寺本をつつかせろ」
「あんたは」
「俺は……寺本の上に当たってみる」
勘のいい又三郎は「あ、そういうことかよ」と意地の悪い目になった。「あんた、あそこの組長と仲良しだったっけな」
雄一郎は、寺本和幸が幹部をやっている秦野組の六代目組長とはたしかに面識はあったし、つい一昨日も新宿で出くわしたばかりだが、付き合いなどはない。
  単行本『照柿』p235~236

「よし。尾上にも寺本にも、しばらくその件は言うな。その上であんた、大阪の土井に脅しをかけられるよう尾上を仕向けられるか?」
「やるだけはやってみますけど。それで主任は、寺本の上の秦野組に当たるということですか? ははァ、そういえば新宿署の連中の話では、主任は六代目にえらく気に入られているんだとか。
(後略)」  講談社文庫『照柿』上巻p350~351  新潮文庫『照柿』上巻p381~382

ここで取り上げた合田さんと又さんの会話の前後も、内容が相当変わっていますが、秦野組長関連だけという趣旨なので。おヒマな方は、ご自身の目でお確かめください。


●テレホンカードを入れ、ある個人宅の番号ボタンを押し、歩道に背を向けて呼出音を聞く。
「ソバの出前を」とつながった電話に囁いた。
一瞬の間を置いて、《うちはソバ屋じゃないですよ》と男の声が応え、電話は切れた。それは合図の言葉だった。電話の相手は、そばに人がいるので、別の部屋の別の電話にかけ直してくれと言ったのだった。
雄一郎は切れた電話に「すみません、間違えました」と言う。電話の主が別の部屋に移る一分ほどの時間を見計らい、もう一度別の番号ボタンを押す。
  単行本『照柿』p238~239

☆テレホンカードを入れ、番号ボタンを押し、「ソバの出前を」とつながった電話に言った。
一瞬の間を置いて、《うちはソバ屋じゃないですよ》と男の声が応え、電話は切れた。それは合図の言葉だった。電話の相手は、そばに人がいるので、別の部屋の別の電話にかけ直してくれと言ったのだった。
雄一郎は、相手が別の部屋に移る一分ほどの時間を見計らい、もう一度別の番号ボタンを押した。
  講談社文庫『照柿』上巻p355  新潮文庫『照柿』上巻p386

単行本にある、合田さんの小芝居(?)が見どころの一つかも。


秦野は引退した五代目の次男で、慶応を出た後に大手企業に十年勤め、四年ほど前に傘下の企業のうち、産廃会社の経営を継いだ。去年、六代目組長を襲名し、現在はほかの系列企業の役員もやっている。
個人的なつながりといえば、二年ほど前に、会社のダンプが板橋区内で歩行者を撥ねた上に百メートル引きずった事件で、たまたま板橋署の捜査本部にいた雄一郎が、遺体臓器の再鑑定を巡って面倒を見たことがあり、その結果、遺体損壊ではシロになったことで、会社は多少の利益を得たのだった。それ以来、雄一郎宛てに毎年盆暮の付け届けがあり、雄一郎はそのつどそれを送り返し、やめてくれと電話をかけても、相手は応えない。それ以上でもそれ以下でもない付き合いだった。
  単行本『照柿』p239

去年六代目を襲名してからも、ふだんはそこにいることが多いことから、おおかた裏家業のカムフラージュによほど都合がよいのだろうというのが雄一郎の感触だったが、それこそ新宿署の野上たちの守備範囲の話ではあった。
《そうそう、うちのダンプが昨日板橋で人を撥ねた件で、被害者を百メートル引きずったから遺体損壊だとか所轄の阿呆が言いだしまして。ちょうど弁護士と対応を相談していたところなんですが、合田さん、何かいい知恵はないですかね?》秦野はあながち虚言とも言い難い世間話から切り出した。
「遺体損壊の容疑に不服なら、遺体臓器の再鑑定を申し立てるしかないと思いますが」
雄一郎が適当に応えると、六代目秦野は電話口で鮮やかな作り笑いを響かせた。
《合田さんがそう仰るなら、そうさせていただきましょう。で、ご用件は?》
  講談社文庫『照柿』上巻p355~356  新潮文庫『照柿』上巻p386~387

ダンプの事故が、単行本では過去の出来事、文庫では現在の出来事になってます。


《わざわざの電話、いたみいります。ところで、何のご用ですかね》
「近々、アレはありますか」
《盆ですか。それをバラせというのは、あたしに死ねってことですよ》
「近々やろうとおっしゃったのは、秦野さんだから」
《それならいつでもいらっしゃい。合田さんのために開いてあげましょう。ただし、面倒な話なら御免こうむりますよ》
「借金の取立を一つ、やってくれませんか」
《誰の》
「竹内組の絡みで」
《竹内巌ですか。あそこが取込み中なのをご存じの上でのことですか》
「そのつもりです」
《ま、手土産はいらないから、捨ててもいい金をいくらか用意してらっしゃい。たまには遊びましょう》
ほんの短いやり取りの間に、互いの腹を探りあう火花が散る。
「明日夜、十時に」
《お待ちしてます》
  単行本『照柿』p239~240

「近々、私と一寸遊んでいただけませんか」
《この秦野と? お付き合いしたいのは山々ですが、何をお望みかに依りますよ》
「竹内組の絡みで、借金の取立てを一つやってほしい」
《竹内が取込み中なのをご存じの上でのことですかな?》
「そのつもりです」
《ま、捨ててもいい金をいくらか用意していらっしゃい。たまには遊びましょう》 
そのあたりで、受話器からは獲物を射すくめたような、抑えに抑えた忍び笑いが洩れ伝わってきた。
「では明日夜、十時に」
  講談社文庫『照柿』上巻p356  新潮文庫『照柿』上巻p387~388

「短いやり取り」ならば、文庫の方が当てはまりますね。


第三章は・・・未定です(逃走!)



(久々更新) 『マークスの山』(上巻) 講談社文庫・新潮文庫 義兄弟読み比べ

2011-08-28 22:50:26 | 高村薫作品のための、比較文学論
予告してました 『マークスの山』 の講談社文庫と新潮文庫の、義兄弟(義兄・加納祐介さんと義弟・合田雄一郎さん)の部分の変更点をピックアップです。
あくまでこの二人に関するところだけ。当然、合田さんが圧倒的に多いです。

一気にまとめて、というのは到底無理ですので、徐々にやっていきます。
見比べる作業も集中力が要るわ、目も酷使するわで、大変なんですよ~。


【注意点】
・念を押しますが、合田さんと加納さんにかかわるところだけ取り上げます。他の変更部分は一切取り上げませんので、あしからず。
・講談社文庫の「……」の表記が、新潮文庫では「――」の表記に変更されてますが、キリがないので取り上げません。
・同様に、講談社文庫の「――」の使用部分の利用文字数が、新潮文庫では短くなっていますが、これもキリがないので取り上げません。
・講談社文庫で漢字を使用している部分が、新潮文庫ではひらがなに変更されている部分があります。これについてもキリがないのですが、どうしようか現在悩み中。正直なところこれをやってしまうと、地獄を見そうな気がする・・・(苦笑)
【追記】 冗談でなく本当に地獄を見そうなので、一つ二つ挙げた時点で、よっぽどの例外を除き、同様のパターンはそれ以降、無視します。
・見比べるテキストは、講談社文庫は「2003年1月24日 第1刷発行」、新潮文庫は「平成二十三年八月一日発行」、どちらも初版と呼ばれるものです。

もしかしたら版を重ねた講談社文庫で、表記・表現が違っているところがありましたら、随時お知らせいただけると助かります。よろしくお願いします。

***

一 播種

【講談社文庫】

男はけだるそうに片足をぶらぶらさせたまま、なおも悠然とタバコを吸い、自分のほうから先に声をかけておきながら、まるでお前たちに用はないというふうな不敵な風情だった。 (上巻p83)

【新潮文庫】

男はけだるそうに片足をぶらぶらさせたまま、なおも悠然とタバコを吸い、自分のほうから先に声をかけておきながら、まるでお前たちに用はないというふうな不遜な風情だった。  (上巻p90)

佐野警部から見た合田さん。これは見比べないとまず分からない変更でしょう。
思わず辞書で調べたわよ、「不敵」 と 「不遜」 の意味を(苦笑)
まあ・・・この合田さんの態度ならば、どちらもアリ?


【講談社文庫】

「何かの偶然だと思いますが、うちも岩田幸平です。(以下略)」 (上巻p83)

【新潮文庫】

「どういう偶然か知りませんが、うちも岩田幸平です。(以下略)」 (上巻p92)

合田さんの発言。これは後者の方が、しっくりするかね?
ハヤカワ版はどうなってるんだ? という気持ちもあるが、比較対照にこれまで加えてしまうと、泥沼状態は目に見えている・・・。
【追記】 ハヤカワ版をチェックしたら、あまりにも違いすぎて、比較対照にならず。


【講談社文庫】

「さきほど被疑者の若者を聴取したとき、岩田の前科を詳細に知った上で、あえて岩田のスパナを借りたということでした。しかし岩田は出所後に自分の前科を人に話したことはないというし、工場には前科を隠して就職していたらしい。そういうわけで、岩田の前科についての情報の出所は山梨のどこかである可能性もあります。(以下略)」 (上巻p98)

【新潮文庫】

「さきほど被疑者の若者を聴取したとき、岩田の前科を新聞の縮刷版で調べた上で、あえて岩田のスパナを借りたということでした。しかし岩田は出所後に自分の前科を人に話したことはないというし、工場には前科を隠して就職していたらしい。そうなると、どこで岩田の前科を知ったのかを含めて、被疑者は岩田について正確な話をしていない可能性もあります。(以下略)」 (上巻p106~107)

合田さんが佐野警部に言った内容。結構変わってますね~。後者の方が、より分かりやすくなりましたか?


【講談社文庫】

赤羽駅西口に降り立ったわずかな人影が帰宅を急いで散っていき、合田雄一郎もまた一人、赤羽台団地の方向へ歩き出した。 (上巻p102)

【新潮文庫】

赤羽駅西口に降り立ったわずかな人影が帰宅を急いで散ってゆき、合田雄一郎もまた一人、赤羽台団地の方向へ歩き出した。 (上巻p110)

「いき」→「ゆき」 あるいは 「いく」→「ゆく」
この表記は、ほぼ全てに渡って変更されている、はず。この言葉の変化はどうなさったんだろうか、高村さん。
これも取り上げるとキリがない部分ですが、取り上げてしまったからにはしょうがない、やります・・・(しくしく)


【講談社文庫】

目前で形になっているばかりに、あの似て非なる別物があたかも本物のように思えてくるのは、これこそ人知の限界というやつだ。 (上巻p105)

【新潮文庫】

目前でかたちになっているばかりに、あの似て非なる別物があたかも本物のように思えてくるのは、これこそ人知の限界というやつだ。 (上巻p114)

加納さんの手紙の内容。上記の注意点に挙げてますが、「漢字」→「ひらがな」の変化です。「形」→「かたち」の表記の変化は、この後もほぼ全面的に変更されている、はず。
どの漢字をひらがなに変更したのか興味はあるけれど、チェックするのは大変ですわ、はい。


(ここまで、2011-08-14 01:09:18)


二 発芽

【講談社文庫】

ど忘れかも知れないと思って四課へ走ったが、マル暴がやはり知らないという。変だ。
都立大裏の住宅地で元組員が何をしてた? 変だ。
 (上巻p136)

【新潮文庫】

ど忘れかも知れないと思って四課へ走ったが、マル暴がやはり知らないという。妙だ。
都立大裏の住宅地で元組員が何をしてた? 妙だ。
  (上巻p150)

被害者・畠山宏の情報収集を始めた合田さん。
「変」→「妙」と、ちょっと柔らかい雰囲気になりましたかね。


【講談社文庫】

「(前略) 今転がっているのは、あまりいい身なりだと言えんが……」 (上巻p144)

【新潮文庫】

「(前略) いまそこに転がっている畠山は、あまりいい身なりだとは言えませんが――」  (上巻p159)

合田さんが、畠山の身元を確認した巡査長に状況を訊いているところ。
語尾の口調が丁寧になったのは、略した部分は、です・ます調だったので、統一したものと推測されます。
読書メモにも記してますが、「今」→「いま」の表記に、これも全体に渡り変更されている、はず。


【講談社文庫】

「で、ホトケの身元は」 (上巻p194)

【新潮文庫】

「ホトケの身元は」  (上巻p215)

監察医務院に到着した合田さんが、雪さんに発した第一声。
えっ、細かすぎる? それは言わないで・・・。

【講談社文庫】

(前略) 捜査本部を抜け出して慌しく駆けつけてきたのは自分の中にいるもう一人の何者かだと考えてみるのにも飽きて、(中略) 来る日も来る日も忙しい忙しいと走り回っている自分の中から、 (後略) (上巻p198)

【新潮文庫】

(前略) 捜査本部を抜け出して慌しく駆けつけてきたのは自分の中にいるもう一人の何者かだと考えてみるのにも飽きて、(中略) 来る日も来る日も忙しい忙しいと走り回っている自分のなかから、 (後略)  (上巻p219)

山田先生の到着を待っている合田さん。
ここは珍しいところかと思い、あえて挙げてみました。
「中」→「なか」の表記の変化は、あまり規則性はないようですね。あるいは高村さんか校正担当者さんが、見逃したか?
前半では両文庫のどちらも「自分の中」のまま、後半は「自分の中」→「自分のなか」と変わっている。

【講談社文庫】

それにしても次長検事くらいでと、またぞろ考えた。 (上巻p203)

【新潮文庫】

削除されました。

王子署で地検の人間の姿を見かけた合田さんが、考えたこと。
次長検事だろうとやくざだろうと、被害者は被害者、遺体は遺体。差別は良くないだろうと思われて、削除されたんではないか、と推測。


【講談社文庫】

「うちの方の事件との関連を至急確認したかったまでです」 (上巻p204)

【新潮文庫】

「うちのほうの事件との関連を至急確認したかったまでです」  (上巻p225)

松井浩司の遺体をめぐって、須崎さんと言い争う合田さん。
読書メモにも記してますが、「方」→「ほう」の表記に、これも全体に渡り変更されている、はず。


【講談社文庫】

その一番後ろの一人は、自分の身一つを持て余すような所在なげな様子で少しうつむき、長身を飄々と夜風にたなびかせており、アッと思ったら、虫の知らせというやつで向こうも気づいたか、合田の方へ目を振り向けるやいなやニッと笑ってみせた。 (上巻p215)

【新潮文庫】

その一番後ろの一人は、自分の身一つを持て余すような所在なげな様子で少しうつむき、長身を飄々と夜風にたなびかせており、アッと思ったら、虫の知らせというやつで向こうも気づいたか、こちらへ目を振り向けるやいなやニッと笑ってみせた。  (上巻p238)

待望の義兄弟、一瞬のご対面。
「合田の方へ」→「こちらへ」の変更。


【講談社文庫】

水戸の旧家の出身で、おおむね挫折と言うものに無縁な秀才の男と偶然大学のゼミで知り合い、一時期義理の兄弟にまでなった年月も、今となればほんとうにあったのか、なかったのか。 (上巻p215)

【新潮文庫】

水戸の旧家の出身で、おおむね挫折と言うものに無縁な秀才の男と偶然大学の図書館で知り合い、一時期義理の兄弟にまでなった年月も、いまとなればほんとうにあったのか、なかったのか。  (上巻p240)

始発を待つ合田さんの回想。
読書メモでネタバレを伏せたところです。講談社文庫では二人が知り合ったのは大学の「ゼミ」と「図書館」の両方ともとれる記述があり、新潮文庫では「図書館」と統一。
これで「二人が知り合ったのは、大学の図書館」に決定。


【講談社文庫】

(前略) そのつど簡単な書き置きと仄かに整髪料の匂いを残していく男が、その夜も寄っていったのだ。五年前に合田が加納貴代子と離婚して以来、気まずさもあって疎遠になった加納との仲だったが、互いにあえて顔を合わさないようにしている今の関係を、部屋に残されていくその香り一つがいつもちょっと裏切っていく。そういう加納も、その本人にこうして合鍵を渡している自分自身も、どちらもが何か必要以上に隠微だと思いながら、合田は書き置きをざっと斜め読みした。 (上巻p237)

【新潮文庫】

(前略) そのつど簡単な書き置きと仄かに整髪料の匂いを残してゆく男が、その夜も寄っていったのだ。五年前に合田が加納貴代子と離婚して以来、気まずさもあって疎遠になった加納との仲だったが、互いにあえて顔を合わさないようにしているいまの関係を、部屋に残されてゆくその香り一つがいつもちょっと裏切ってゆく。そういう加納も、その本人にこうして合鍵を渡している自分自身も、どちらもがこころなしか必要以上に隠微だと思いながら、合田は書き置きをざっと斜め読みした。  (上巻p262)

加納さんの残り香の漂う自宅へ戻った合田さん。長い引用になったのは、私がここが大好きだから(笑) 講談社文庫でここを読んだ時は、あまりの官能性の高さに悶えたもんなあ~。
好きで好きで熟読したおかげで、この辺りに違いがあることは即座に分かりましたよ。
入力して改めて気づきましたが、あちこちでちょこちょこ変更されてますね。「今」→「いま」、「いく」→「ゆく」の変化はもちろん、最後のところの「どちらもが何か」→「どちらもがこころなしか」の変化に注目。


(ここまで、2011-08-14 23:19:55)


三 生長

【講談社文庫】

赤羽の自宅へ帰る前に、その夜は行かなければならないところがあったからだ。 (上巻p251)

【新潮文庫】

赤羽台の自宅へ帰る前に、その夜は行かなければならないところがあったからだ。 (上巻p281)

合田さんが加納さんと映画館で会う前の部分。
「赤羽」は駅、「赤羽台」は団地と、より明確にしたものと思われます。


【講談社文庫】

「弔辞では型通りのことしか言わないからな……。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう。刑事局の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない」 (上巻p253)

【新潮文庫】

「弔辞では型通りのことしか言わないからな。しかし、真面目一方の人物だったというのは多分事実だろう。最高検の内部でも、とくに問題があったという話は聞かない」 (上巻p283)

合田さんから松井浩司のことを訊ねられた加納さんの回答。
「……」が無くなったのはともかく、「刑事局」→「最高検」の変更はなぜなのか、よく分かりません。約10行前のところで、弔辞を読んだのは刑事局長とあるしねえ。
そもそも松井に興味はない(苦笑) 所属については、私が読み逃してるのかもしれない。


【講談社文庫】

「なあ、正月に穂高へ行かないか。二人で……」
「穂高のどこへ……」
 (上巻p255)

【新潮文庫】

「なあ、正月に穂高へ行かないか。二人で」
「穂高のどこへ」
 (上巻p286)

義兄弟の会話。
「……」→「――」の変更は無視する、と注意点に記しましたが、無くなるパターンは考えてなかったので取り上げました・・・。


【講談社文庫】

「居眠りするな」と声をかけると、「心配するな」と加納は応えた。 (上巻p256)

【新潮文庫】

「ありがとう」と声をかけると、「ああ」という軽い返事があった。 (上巻p287)

別れる義兄弟の最後の会話。
読書メモで「上巻の中で最大の変更」と叫んだのがここ。
これ、何で変えたんだろう~?
前者は、情報提供してもらった合田さんの照れ隠しみたいなためらい、加納さんの悠長な雰囲気があって、好きなのになあ・・・。
後者は、「やはり礼のひと言くらいは言わないと」という、高村さんの配慮が働いたのかもしれません。


【講談社文庫】

(前略) 教官に呼び出されて、妻の貴代子に原発反対運動から手を引かせるか、君が警察を辞めるかどちらかだぞと言われた。 (上巻p281)

【新潮文庫】

(前略) 教官に呼び出されて、奥さんに原発反対運動から手を引かせるか、君が警察を辞めるかどちらかだぞと言われた。 (上巻p315)

合田さんが『アカ』呼ばわりされるきっかけの部分。
教官の発言なのだから、「奥さん」がごくごく自然でしょうね。


(ここまで、2011-08-15 23:05:53)


【講談社文庫】

デスクに書類を広げたまま、花房一課長は一重瞼の下の眼球だけをゆるりと動かし、部下二名を凝視した。
「話は聞いた。事態の意味は分かってるだろうな」
 (上巻p293)

【新潮文庫】

デスクに書類を広げたまま、花房一課長は一重瞼の下の眼球だけをゆるりと動かし、部下二名を凝視した。
「私の言いたいことは分かってるだろうな」
 (上巻p328~329)

迷ったんですが、「部下二名」の一人が合田さんなので取り上げました。もう一人は林係長。


【講談社文庫】

元より、今回の二つの事件が世間の知るところになって困るのは捜査の現場ではなく、(後略) (上巻p295)

【新潮文庫】

もとより、今回の二つの事件が世間の知るところになって困るのは捜査の現場ではなく、(後略) (上巻p331)

「元より」→「もとより」
これも漢字からひらがなへ変更のパターン。初めての例なので取り上げ。


【講談社文庫】

あいつ、こんな顔だったかなとちょっと見入った。 (上巻p297)

【新潮文庫】

あいつ、こんな顔だったかなと少々見入った。 (上巻p333)

「ちょっと」→「少々」
写真を見つめてる合田さんはともかく、見つめられてるお蘭にはどうでもいいこと・・・か?


【講談社文庫】

電話の口調から、捜査員を外す件で上にかけあった成果がなかったのは聞かずとも分かったが、そこは敗北も反省も知らない吾妻。 (上巻p305)

【新潮文庫】

電話の口調から、捜査員を外す件で上にかけあった成果がなかったのは聞かずとも分かったが、そこは敗北も反省も知らない吾妻のことだ。 (上巻p341)

合田さんが電話をかけたペコさんのところ。微妙なところですね。


【講談社文庫】

「(前略) 電話の声を聞けば、相手の筋ぐらい……」
合田はすかさず編集長を遮り、「電話だったんですか」と記者の方へ声をかけた。
「そうです。八日夜、十一時ごろに編集部に電話を取りました」と記者は応えた。
 (上巻p315)

【新潮文庫】

「電話の声を聞けば、相手の筋ぐらい――」編集長がまた口を出してきたが、合田はすかさずそれを遮り、「電話だったんですか」と記者のほうへ声をかけた。
「――そうです。八日夜、十一時ごろに編集部に電話を取りました」記者は一分ほど置いてやっと意を決したように応えた。
 (上巻p352~353)


【講談社文庫】

「考えたくはありませんが」
「刑事さん、その凶器の件は (中略) この辺でお終いにしましょう」と編集長が言った。
 (上巻p318)

【新潮文庫】

「考えたくはありませんが」
そこでまた編集長の口出しがあった。「刑事さん、その凶器の件は (中略) この辺でお終いにしませんか」
 (上巻p356~357)


【講談社文庫】

「(前略) 記者さん、お借りできますか」
「コピーなら」
 (上巻p318)

【新潮文庫】

「(前略) 記者さん、お借りできますか」
「コピーなら――」記者は編集長から目を逸らすようにして低く応えた。
 (上巻p357)

上記3つの引用、警察vs週刊誌編集部のあたりは、結構手を入れられてますね。
合田さんが絡んでなきゃ、見逃してたかも。

つ、疲れた・・・。
ところで早いところでは明日くらい、新潮文庫が発売されるんでしょうかね?

(ここまで、2011-08-28 22:50:26)

以下、不定期に続きます。


脱字が訂正されたのは、いつ? (『レディ・ジョーカー』)

2009-05-06 22:30:23 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

今回は再び『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) を取り上げます。皆さま、ぜひともご協力下さいませ。

前回は下巻で地名の違いでしたが、今回は上巻、脱字です。「しょーもない・・・」と呆れられてるかもしれませんが、だって、気になるもん!

私が所有しているのは1刷の1997年12月5日と、10刷の1998年12月25日(←クリスマスだからこれを選んだ・笑)

【『レディ・ジョーカー』上巻p368 1刷1997年12月5日 2刷1997年12月15日 3刷1997年12月20日 4刷1997年12月24日】
《旧江崎グープの、安井何とか……》


【『レディ・ジョーカー』上巻p368 5刷1998年3月10日 7刷1998年12月5日 8刷1998年12月11日 10刷1998年12月25日】
《旧江崎グループの、安井何とか……》

完璧な脱字ですね。
現在実施中の今回の再読は、約6年ぶりに初版でやってるのですが(前回の再読は上巻10刷・下巻8刷)、こんな脱字があったことは全く気がつきませんでした。見過ごしていたといってもいい。それはどうやら、苦手な経済・株関連の話だからのようですね・・・(苦笑)

ともあれ、2刷~9刷の間で、正しい表記になっているということです。
しかも上巻と下巻では、日付と年月日にズレがあって違います。とても一人では調べられません。

今回もご協力いただければ大変嬉しいです。皆さま、お手すきの時にでも、ご確認のほどをよろしくお願いいたします。

***

(2008年)12/9  8刷の情報を追記しました。
    12/18  5刷の情報を追記しました。

(2009年)4/23  4刷の情報を追記しました。
    4/25  2刷と3刷の情報を追記しました。
    5/6   7刷の情報を追記しました。



正しい地名表記になったのは、いつ? (『レディ・ジョーカー』)

2007-06-29 00:11:53 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

今回は『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) を取り上げます。
皆さま、ぜひともご協力下さいませ。

下巻、第五章の最大のクライマックス、半田修平さんと合田雄一郎さんの相見える場面です。
私は1刷の1997年12月5日と、8刷の1998年12月24日(←イブだからこれを選んだ私・笑)を所有。2刷の1997年12月15日は書店で確かめました。

【『レディ・ジョーカー』下巻p429 1刷1997年12月5日、2刷1997年12月15日】
「俺はレディ・ジョーカーだ。すぐに糀谷の森ケ崎バス停横の電話ボックスへ来い。救急車もよこせ。刑事を刺した」


【『レディ・ジョーカー』下巻p429 8刷1998年12月24日】
「俺はレディ・ジョーカーだ。すぐに糀谷の糀谷駅バス停横の電話ボックスへ来い。救急車もよこせ。刑事を刺した」

何がどう違うのかって? 目をしっかと開けてご覧下さい。バス停の名前が違いますでしょ?

この場所へ地どりをされた方ならご存知でしょうが、正しくは後者のはず。
この表記のミスが何刷から改められたのか、それを知りたいのです。

実は、2刷でとっくに改訂されていると思い込んでいたのですが、書店で確認したところ、2刷も「森ケ崎バス停」でした。Tさん、ごめんなさい~!(と、この場で謝ります)

現時点で確認できているのは、初刷・2刷は「森ケ崎バス停」。8刷は「糀谷駅バス停」
3刷~7刷の間で、正しい表記になっているということです。

単行本『マークスの山』 (早川書房)の一件よりは版数も少ないので、すぐに判明するとは思うのですが・・・。
前回同様、ご協力いただければ大変嬉しいです。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

***

【2007.6.29.追記】

下記のコメント欄に情報を頂戴しまして、6刷が境目のようです。6刷を所有してらっしゃる方、情報をお願いいたします!


『リヴィエラを撃て』 単行本と文庫のラストの違い

2007-06-25 23:58:19 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

双葉文庫版 『リヴィエラを撃て』 を読書中の方も多々いらっしゃることと思われますが、「『リヴィエラを撃て』 (新潮社)のラストは、単行本と文庫でどう違うのか」というご要望がありましたので、取り上げてみますね。

ショックのあまり今まで黙ってましたが、残念ながら単行本は、2006年初頭に絶版になってしまいましたからね・・・。
いえ、『リヴィエラを撃て』 だけでなく、新潮社さんの単行本での『黄金を抱いて翔べ』 も 新版『神の火』 も、同時に絶版になってしまいましたからね・・・。
ひどいよ!! 新潮社さん!!  (心からの叫び)
新たにファンになった方たちのことを考えて下さいよ~。

***

さて、本題。

【単行本版『リヴィエラを撃て』p547】
養父の肩で寝ほうけているリトル・ジャックを抱いて、手島は駐車場に出ていった。泥を被った青いエスコートが一台、置いてあった。泥だらけの車は、アルスターの勲章だ。簡素な別れの挨拶をかわし、手島は息子とともに走り去った。
手島が最後に言い残した言葉はこうだった。
「正義の木に、枝の剪定は必要ないと思います。折れた枝は接ぎ木して、生き返らせればいいのです。そう信じなければ、犠牲者が救われません。生き残った私たちも、新たな戦いを始める勇気が湧いてこない。もし機会があれば、私はまだ戦うつもりでいるのですから」
モナガンは、走り去る車をいつまでも見送った。 (以下略)



【文庫版『リヴィエラを撃て』 新潮文庫・双葉文庫ともに下巻p409】
養父の肩で眠りこけているリトル・ジャックを抱いて、手島は駐車場に出ていった。泥を被った青いエスコートが一台、置いてあった。泥だらけの車は、アルスターの勲章だ。簡素な別れの挨拶をかわし、手島は息子とともに走り去った。
モナガンは、走り去る車をいつまでも見送った。 (以下略)


ご覧の通りはっきりと分かるのは、手島さんの台詞が、文庫では削除されていることです。
(今回は版数を掲載しておりませんが、特に単行本で「違うぞ!」というご指摘がありましたら、教えて下さいませ。ひょっとしたら、単行本自体も改訂前・改訂後があるかもしれませんので)

私見ではありますが、私は「削除されて良かった・・・」と心から思いました。
だって、手島さんには、もう戦って欲しくない。もう、あんなに傷ついた姿を見たくはないの。
手島さんには、リトル・ジャックの養育に心身ともに注いで欲しいのです。語弊があるかもしれませんが、これも一つの戦いだと思うのです。手島さんの望むように、リトル・ジャックが育つか、否か。新しく形を変えた困難な戦いを、手島さんは選び、自らに課したのですから。

***

当然ながらこの部分だけではなくて、他にも加筆修正、変更箇所が多々あります。
来年か再来年に、単行本版の再読日記もやりたいんですけど、ね。

「単行本から文庫への改訂」の比較についてですが、基本的に大まかな部分での変更箇所はなく、ちょこちょことした細かい部分での加筆修正、変更・削除が比較的少ないと思われるのが、『黄金を抱いて翔べ』 と 『リヴィエラを撃て』 ではないでしょうか。

だって、あまり話題になっていないんだもーん(笑)
みなさん、<合田シリーズ>のことばっかりなんだもーん!(愚痴)
とはいえ、<合田シリーズ>が嫌い、ということではないのですよ。誤解なさらないように。バランスよく全作品について語りたいというのが、ささやかな希望なんです。

さて、『黄金を抱いて翔べ』 で最も有名な変更箇所は、幸田さんのあの台詞ですよね。
漢字で二文字、ひらがなにすると四文字の、「最近」
これがあるのとないのとでは、作品の印象が月とスッポンほどの違いがありますものね・・・。
たった二文字なのに、深い。深すぎるほどに、深い。これだけ深い意味がこめられた「ごくごく普通の単語」って、滅多にありませんよ!


【回答編】 「お蘭には負けたぜ」は、何版から無くなったのか? (単行本『マークスの山』)

2007-06-12 00:47:09 | 高村薫作品のための、比較文学論
(この記事は、追加修正があるたびに随時更新します → ごめんなさい、ややこしくなってきましたので、こちらの記事で、ご報告を受け付けます。申し訳ございません)

パンパカパ~ン!
まさかこんなに早く解決するとは思ってもいなかった、問いの1つが判明しました!
ご協力・ご回答していただきました皆様、本当にありがとうございました。

1.「お蘭には負けたぜ」は、何版から無くなったのか?

正解は、1993年11月30日 28版までが改訂前、1993年12月15日 29版からが改訂後です。
(【2007.6.12. 追記】29版の発行年月日が判明しましたので、追記しました)

運がいいことに、私はギリギリの28版を入手出来ていたのですね・・・(茫然)

今回の件で興味を抱かれた方、古書店等で探される際のご参考になれば幸いです。
お財布に余裕がありましたら、改訂前・改訂後の両方とも、ぜひとも入手なさって下さいませ!
改訂後には、「お蘭には負けたぜ」以外にも、たくさん加筆修正や削除されている部分があるのです。

改めて、ご協力・ご回答していただきました皆様に、心から感謝いたします。
何かお礼を差し上げたいのですが・・・。
「これが欲しい!」 「アレを持ってないので、おくれ!」・・・という方、メールして下さい。快くご相談に応じます(笑)


***

さて、未だ解決していないのが、これ。

2.何版から何版までが、映画仕様の表紙だったのか。

現時点で確定しているのが、映画仕様の表紙は「55版から64版まで」、イラストの表紙は「初版から36版まで」と、「66版から以降」。

A.イラストの表紙に戻ったのは、65版なのかどうか。

B.また、どの版から映画仕様の表紙になったのか・・・37版から54版のどの版が、映画仕様の表紙なのか、イラスト表紙なのか。


この2点が分かれば解決します。
まだまだご回答を募集しておりますので、ご協力よろしくお願いいたします。


***

せっかくですので、単行本『マークスの山』 (早川書房)の全ての発行年月日と版数も、知りたくなってきましたよ(笑)

ということで、質問を追加。

3.単行本『マークスの山』の発行年月日と版数を全て知りたい。

現時点で、皆様のコメントやメール等で判明している発行年月日と版数を並べてみますね。(コメント等で判明次第、その都度追記していきます。ご協力ありがとうございました)

以下は、【2007.6.15.現在】で判明しているものです。

(先頭の☆印はイラストの表紙、★印は映画仕様の表紙です)

☆ 1993年3月13日 初版   (2~4版、不明)

☆ (発行月日、不明)1993年 5版   (6版、不明)

☆ 1993年6月15日 7版   (8~11版、不明)

☆ 1993年7月27日 12版  (13~16版、不明)

☆ 1993年8月6日 17版

☆ 1993年8月7日 18版

☆ 1993年8月8日 19版

☆ 1993年8月9日 20版
☆ 1993年8月10日 21版
☆ 1993年8月11日 22版

(18、20~22版は情報を頂戴していませんが、17版と19版と23版が判明しているため、そこから推測。もしも間違ってましたら、お知らせ下さい)

☆ 1993年8月12日 23版   (24~27版、不明)

☆ 1993年11月30日 28版 

  ※これ以降、「改訂版」になります。

☆ 1993年12月15日 29版   (30版、不明)

☆ 1994年1月15日 31版
☆ 1994年1月31日 32版
☆ 1994年2月10日 33版
   (34版、不明)

☆ 1994年2月20日 35版
☆ 1994年3月15日 36版
   (37~44版、不明)

★ 1995年4月7日 45版   (46、47版、不明)

★ 1995年4月20日 48版   (49~53版、不明)

★ 1995年5月13日 54版
★ 1995年5月14日 55版
★ 1995年5月15日 56版


★ 1995年5月16日 57版
★ 1995年5月17日 58版
★ 1995年5月18日 59版
☆★ 1995年5月19日 60版
  (イラストと映画仕様の二種類の表紙があるという情報あり)
★ 1995年5月20日 61版
(57~61版は情報を頂戴していませんが、56版と62版が判明しているため、そこから推測。もしも間違ってましたら、お知らせ下さい。また、「イラストと映画仕様の二種類の表紙がある」らしいとか。この点についても情報を募っております)

★ 1995年5月21日 62版
★ 1995年5月22日 63版 
★ 1995年5月23日 64版

(表紙不明) 1995年5月24日 65版  (←64版と66版の月日が判明したため)

☆ 1995年5月25日 66版
☆ 1995年6月7日 67版   (68~73版、不明)

☆ 1997年12月31日 74版
☆ 1998年8月31日 75版
  (76版、不明)

☆ 1999年7月15日 77版   (これ以降も版を重ねているのかどうか、不明)

以上は、【2007.6.15.現在】で判明しているものです。


うわあ~、こうして並べてみますと、圧巻ですね!
( )で不明となっている版をお持ちの方、正確な発行年月日をご存知の方、ぜひご協力下さいませ。お願いいたします。

私も古書店や図書館に寄って、調べてみますね♪


こちらの記事で、ご報告を受け付けます。こちらの不手際です。申し訳ございません)


「お蘭には負けたぜ」は、何版から無くなったのか? (単行本『マークスの山』)

2007-06-06 00:24:21 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

今回は趣向を変えて、同じ「作品」であっても、「版」によって改訂されている部分を取り上げてみます。
また、皆さんのご協力を仰ぐ内容にもなっていますので、何卒よろしくお願いいたします。

***

私の知る限り、最も版を重ねているのが 単行本『マークスの山』 (早川書房)でしょう。
しかし「改訂といえば高村薫さん」と周知されているくらいですから、同じ作品であっても、改訂されてないはずがない!
私が確認しているのは、最低1回。又聞きのみ確認情報なのですが、もう1、2回あるとかないとか。

単行本『マークスの山』 の改訂部分で有名なのが、以下の部分(のはず)。
私の所有している2冊の単行本(28版と77版)から、省略しつつ引用してみます。ちなみに初版は1993年3月13日。初版から約9か月で、28版ですからね~(これは直木賞受賞後だからでしょう)
【1993年11月30日 28版発行】
さすがに又三郎と森の切れ者同士、手ぶらでは戻ってこなかった。(中略)
「お蘭には負けたぜ」と又三郎は珍しい文句を吐いた。「こいつの手さばき、見せたかったな。受付の目を盗んで、あっという間に一枚ポケットに入れやがった。ほら……この男、子供を抱いているこいつが林原」
「事務所で聞いたのか」
「そんなバカなまねするか」
「受付の奥に額入りの林原の写真がかかっていたので、顔が分かりました」と森。
「へえ……」
吾妻と合田は、チラシを奪いあって写真に見入った。(中略)
吾妻と二人で唸った。
 (単行本p193~194)


【1999年7月15日 77版発行】
さすがに又三郎と森の切れ者同士、手ぶらでは戻ってこなかった。(中略)
合田と吾妻はチラシを奪い合って写真に見入り、唸ってしまった。
「多分、主任たちが持っている写真とはだいぶん顔が違うと思うぜ」と又三郎は得意げに言った。「なに、事務所でふいとチラシを見て、こっちも《あれ》と思ったんだ。弁護士名鑑の写真は、お見合い用の修正写真じゃねえか、あれ」
「チラシの日付から見て、このチラシの顔の方が現在の本人により近いと思います」と森も言った。
吾妻と二人、「脱帽」と頭を下げた。
 (単行本p193~194)

いかがです? これだけの違いがあるんですよ。
もちろん他の部分にも違いはありますが、いちいち挙げていたらホントにキリがありません。

ええ、ホントにキリがないんだ、これが・・・。単行本改訂版では、上記に取り上げた部分の直前に、合田さんのとった「ある行動」が削除されてます。
また、畠山宏の「女」西野富美子の住まいでの、合田さん・お蘭・吉原警部のやり取りでは、吉原警部の「ある台詞」も削除。
恐らく「これは無駄だ」と高村さんが判断された部分が、単行本改訂版ではバッサリと削除され、書き換えられていると推測されますが・・・。ああ、ホントにキリがないぞ~!

さて、ここでタイトルにつながる本題に入るわけです。
「お蘭には負けたぜ」は、何版から無くなったのか?

また、映画化もされましたので、一時期、表紙が映画仕様にもなっておりました。
何版から何版までが、映画仕様の表紙だったのか。

この二点を、どうしても知りたいのです。
以前にこういうことを調査されていたファンサイトさんがあったらしいのですが、私がネットを始める前後に、閉鎖されたそうで・・・残念。

どちらも個人で調べるのはどう考えても無理ですので、ぜひともご協力いただきたいのです。
ご存知の方、よろしければコメント欄にご記入して下さいませ! 無記名でも結構です。
あるいは「図書館で借りて読んだ本は○○版発行だったが、この台詞はあった」とか、「2冊持っているが、××版は絵の表紙で、●●版は映画仕様の表紙だった」という情報でも構いません。だいだいの目星をつけることが出来ますので。

もう一度、まとめてみましょう。

1.「お蘭には負けたぜ」は、何版から無くなったのか?
ヒントとしては、私の所有している28版は「あった」。また、ある方の情報では、36版では「なかった」とのこと。つまり29版から35版の間で、改訂されているということです。

2.何版から何版までが、映画仕様の表紙だったのか。
ヒントとしては、1995年に映画化されたので、版数は後半の方ではないでしょうか。
ちなみに77版は絵の表紙でした。書店で見かけた75版も、絵の表紙でした。つまり、映画公開終了後は絵の表紙に戻っているわけです。

この二点のいずれか、あるいは両方についてご存知の方。ご協力いただければ大変嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。


幸か不幸か、映画仕様の表紙は持っていないんですよ。機会があれば、入手してもいいかと思っているのですが・・・。
検索かけてみましたら、映画仕様の表紙の画像は、これしか見つかりませんでした。うーん、今となってはかなりのレアものなのか?

おまけ。映画版「マークスの山」の内容紹介。  マークスの山(1995) - goo 映画
あらすじ読むと、笑ってしまうくらい(あるいは怒るくらい)に、内容が変わってますよ~。●●が○○の愛人って・・・何やねん、これは!?


又三郎さんの容姿 (『マークスの山』)

2005-08-14 17:13:07 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

***

というわけで非常に久しぶりに更新する、高村薫作品のための、比較文学論。第二回目は、風の《又三郎》こと、有沢三郎さんの描写を取り上げます。

いつものように簡潔な状況説明。とある犯行現場にやってきた七係メンバーの、簡単な紹介を兼ねた描写がある部分です。

それでは単行本から引用。
自宅は八王子だが、懐具合も省みずタクシーを飛ばしてともかく現場に二番目に登場するのは、大概その男と決まっていた。しかも疾風のように颯爽と飛び込んでくる。捜査一課一の二枚目。男盛りの三十五歳。風の《又三郎》というあだ名を持っている。 (単行本p91)

捜査一課一の二枚目。いいですねえ~

さて、全面改訂された文庫では、以下のようになりました。
ひとたび事件となれば、夜中であれ八王子の自宅から懐具合も省みずタクシーを飛ばして、ともかく現場に一番か二番に駆け込んでくる。それが文字通り疾風のような感じなので、風の《又三郎》というあだ名を持っている三十五歳。捜査一課随一の二枚目と自称して憚らない厚顔と口八丁手八丁は、若さと体力がある分、ある意味で肥後以上の強者だった。 (文庫上巻p145~146)

二枚目は二枚目でも、「自称」というのが引っかかる・・・(苦笑) 「又さん、自称二枚目だったの~!?」と一部の女性ファンを仰天させ、悲しませた部分です。

【私論・私見とまとめ】
「また容姿かい!」と退かないように(苦笑) たまたまですよ、たまたま。(←説得力なし)

単行本から文庫までには、約10年の期間があります。短文でたたみかけるかのような描写の単行本。無駄を省き、練り上げられた描写の文庫。どちらも味わい深い。

「二枚目」という非常に漠然とした曖昧な単語でも、十人十色、千差万別の想像をかき立てられるもの。それに「自称と憚らない」ところが、又さんの持っている性格と特徴をより強調している結果に、文庫ではなっていますね。

個人的には、そう書いた高村さんの意図に、苦笑せざるをえないのですが・・・。「やり手」「切れ者」というイメージの方を、強調させたかったのでしょうね。


手島さんの容姿 (『リヴィエラを撃て』)

2005-02-27 23:35:16 | 高村薫作品のための、比較文学論
 当然のことながら、このカテゴリはネタバレありです。ご了承を。

***

というわけで始まりました、高村薫作品のための、比較文学論。第一回目は、マイ・ラヴァー  の手島修三さんの描写を取り上げます。

まずは簡単に状況説明。シンクレアさんに会うために聖ボトルフス教会へ向かう手島さん。その姿を目撃したMI5のM・Gと、CIAの《伝書鳩》ことケリー・マッカンの会話です。

それでは単行本から引用。
(略) M・Gは「驚いたね、これは」と呟いた。
「どこの二枚目だ、あれ」
「日本大使館一等書記官。なに、正体は情報部だ、日本警察の」
「……東洋人には見えねえな。混血か」
「父親が日本人。ロンドン大学の有名な政治学の教授。二年前に亡くなった」
「テシマ博士か……」
「それ。その息子」
「それにしちゃ、のんきな面だな……」
 (単行本p204~205)

二枚目ですか  そしてのんきな面ですか  テッシーファンには嬉しい反面、複雑でもあり・・・。

ところが文庫では、以下のように書き換えられてしまいました。
(略) M・Gは「驚いたね、これは」と呟いた。
「知らない顔だ」と《伝書鳩》は応じた。
「日本大使館一等書記官。なに、正体は情報部だ、日本警察の」
「東洋人には見えねえな。混血か」
「父親が日本人。ロンドン大学の有名な政治学の教授。二年前に亡くなった」
「テシマ博士か……」
「その息子だ」
「のんきな面だ……」
 (文庫上巻p330)

に、二枚目の表現が削られている・・・! こ、これでは手島さんは「のんきな面」と限定されてしまうではありませんか 

【私論・私見とまとめ】
冷静になって単行本と文庫を比較してみると、文庫のM・Gとケリーの会話は無駄がないな、と感じられますね。
この時の二人は、ほとんど初対面。それにどちらも情報部の人間だから、極力無駄な喋りはしないという、本能が働いていたのかもしれません。

余談ながら、私は文庫→単行本の順番で読みました。文庫を読んだ時点で、手島さんが「ハンサムさん」だということは既に知っています  (←ノロケてるのか) そりゃあ単行本を読んだ時に、この表現があったことは嬉しくて、ニヤついてしまいましたが(苦笑)
ただ残念なのは、手島さんの容姿の描写が一つ削られてしまったこと。漠然とした表現とはいえ、手島さんが「ハンサムさん」であると分かるのが、下巻に持ち越しされてしまったのですから。

「容姿なんかどうだっていい」という方にはつまらない話題かもしれませんが、美形好きな私個人には、かなりの疑問と戸惑いを含んだ修正です(笑)

高村薫作品のための、比較文学論・序説

2005-02-27 20:42:59 | 高村薫作品のための、比較文学論
と大仰なタイトルですが、このカテゴリの内容は大したことありません。・・・だと、いいんですけどね(苦笑)

雑誌→単行本→文庫と、形式を変えて作品を上梓するたびに、加筆修正や内容に変更があるのが特色といってもいい、高村薫作品。高村薫ファンには、それが楽しみでもあり、スリルでもあり、謎でもあったりするんですよね。
「あの場面が削られている!」 「単行本にはなかった台詞が、付け加えられている!」と、まさに一喜一憂、一寸先は闇の世界(←ちと違う?)

さて私は先日、このような記事 を書きました。反論しない、と書きましたが、やっぱり黙っていられない(苦笑)

刊行後、作品を書きかえる作家(例:高村薫、井伏鱒二)について、読者としてどう思いますか。 という設問が、某質問集にあったのを見つけた時は、「これはかなりマズイ質問では」と思いました。
高村薫作品を未読の人には、「作品を書きかえる作家」という、先入観を植えつけてしまうんじゃなかろうか。 と。

事実、他の方の回答やサイトを拝見しても、高村薫作品を未読の方の回答が圧倒的。「いやだ」から、「そんなこともあるの? それは困る」という、まるで「否定的意見が出るのを誘導しているかのようにしか思えない設問だ」と、私には感じられたのです。

例として、名指しで挙げられているのが問題だと思うのですよ。
それに、雑誌で連載した作品を書籍で出版する際に、加筆修正や変更する作家さんはゴマンといるでしょう? そういう作家さんたちは、当てはまらないの? と思いませんか?

しかし、それでも。
加筆修正に対するご本人のインタビューやエッセイを拝見しても、「なるほど」と同意したり、「それでもやっぱりなあ」と渋ってしまったりと、ファンも戸惑いや躊躇を隠せないようです。
だけどそれが、高村薫という作家のスタンス であるならば、賛否両論はあっても、それを受け入れるだけの度量が読み手にあってもいいのでは、と思うのです。受け入れるのが無理ならば、(好き嫌いはともかく)認めるという姿勢が読み手にあってもいいのでは、と思うのです。

・・・加筆修正を擁護しようと思っていたんですが、何だか書いている本人にも思いもよらぬ方向へ・・・  多分これを書く前に、加筆修正「容認派」と「反対派」の両方の意見を、吟味したからかな。
まあ、いいや。気を取り直して。

こういう作家さんがいても、いいじゃない。
過去の作品に対して無責任でも、愛着も持っていないのではなくて、執着しているからこそ、「ベター」ではなく「ベスト」な作品にしたいのでしょう。「過去の高村薫という作家」の作品ではなくて、「現代の高村薫という作家」の作品を。それが、加筆修正の原動力なんでしょう。
「旅の恥は掻き捨て」ならぬ、「過去の作品は書き捨て」にしない姿勢を、もっと高く評価しても良いのではないでしょうか。

個人的には文庫で出版された、つまり加筆修正後の方が、完成度が高い作品が多いようにも思えます。ホントにこれは、「個人的好み」と言ってしまえば、それまでの話なんですが(苦笑)

ただ、せっかく高村薫作品に触れたんですもの。単行本・文庫の両方を読まないのは、非常にもったいない と思うのですよ。高村薫作品 であることに、変わりはないのですから。
「一作で、二度も三度も美味しい高村薫作品」 ・・・こんなに楽しめる作家さんとその作品って、ホントにありませんよ。
その魅力、あるいは魔力に取り付かれた人間が、ここに一人いるのですから、断言できます。

そこで、このカテゴリを設置したわけです。
雑誌→単行本→文庫と変わるたびに、内容も多少変わる高村薫作品。「その違いを比べてみましょう。面白いよ、楽しいよ」という、タカムラーの心理や本音が丸出しの、ホントにただのミーハーな企画です(笑) 
「単行本と文庫、両方読もうかな」と思わせることができたなら、しめたもんです(笑) 狙い的中!

肩肘張った記事はここまで。次回からのこのカテゴリは、ハイテンション(?)で参ります。