あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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「You got me a bargain (僕を買い叩きやがって)」 (p114)

2006-07-21 00:45:05 | わが手に拳銃を 再読日記
前回のタイトル、「I'll finish it for you」を翻訳ソフトに訳させたら、「Iは、あなたのためにそれを終えるであろう」となりました。
なんで「I」が、「私」なり「僕」なりに変換しないんだ? 不思議・・・。
ここでの「for」は「~のために」ではなく、「~の代わりに」と訳すべきですね。
・・・英語は弱いくせに、そういう知識は覚えてる、困ったちゃんな私。

***

2006年7月20日(木)の『わが手に拳銃を』 は、カマキリ のp107~p146まで読了。

やっと一彰とリ・オウが、会話らしい会話をしたというか。リ・オウの台詞って、やっぱり面白い♪ 今回はリ・オウの名台詞がバンバン出てきます。

一方で、笹倉さんと守山さんの「陰険漫才」が、隠れた見どころだと思っています。笹倉さんは柔らかい大阪弁・・・というよりは、船場言葉(に近い)でしょうね。(大昔のお昼の連続ドラマ「あかんたれ」で使用されている言葉を思い出していただければ、何となく分かるのではないかと・・・)
守山さんはそれよりはちょっとキツイ大阪弁。
大阪弁に限らず方言は、アクセントや言い回しの違いによって、微妙にニュアンスが変わってくるので、多少は分かりやすくするために、「話し言葉のような書き言葉」になってしまうので、文章にするとやっぱり難しいもんですね。

それにしても、『わが手に拳銃を』 の一彰は、熱く激しい男ですね~。前回では取り上げませんでしたが、守山さんに「ぱかやろう!」と怒鳴るわ、机を拳で叩くわ。激しい感情の揺れ動きや爆発が、『李歐』 ではあんまりなかったような気がするんですが・・・。

ついでに、これから以降は一彰のことを「カズぼん」と呼ばせてもらいます。


【主な登場人物】

吉田一彰  笹倉文治  リ・オウ  田丸浩一  守山咲子  守山耕三・・・前回から引き続き登場。


【今回の漢詩】

此身醒復酔
乗興即為家
 (p115)

杜甫の五言拝律「春帰」より。
また杜甫ですか・・・。個人的な好みとしては、杜甫の詩よりは、李白の詩のほうが好き♪

苔径臨江竹    苔径 江に臨む竹
茅簷覆地花    茅簷 地を覆う花
別来頻甲子    別れし来り頻りに甲子
帰到忽春華    帰り到れば忽ち春華
倚杖看孤石    杖に倚って孤石を看  
傾壺就浅沙    壺を傾けて浅沙に就く
遠鴎浮水静    遠鴎 水に浮んで静かに
軽燕受風斜    軽燕 風を受けて斜めなり
世路雖多梗    世路 梗ぐこと多しと雖も
吾生亦有涯    吾が生 亦た涯り有り
此身醒復酔    此の身 醒め復た酔う
乗興即為家    興に乗じて即ち家と為さん



【今回登場した拳銃】

ブローニング


【今回の名文・名台詞・名場面】

★自分がそこに住む人々と同じように生きる力がない限り、理屈抜きに足を踏み込むべきではない世界がある。境界線は人によって異なるが、かつて母が銃弾を浴びたのは、結局越えてはならない線が見えなかったからではないのか。それが一彰の考えだった。 (p112)

「自分とは異なる世界や人間」って、確かに存在しますから・・・。

★あのリ・オウの目の火が自分の腹で燃えている。守山工場で見た、リーマの螺旋が自分の手の中で回り続けている。この三ヵ月、ずっとそうだったのだ。 (p112)

三ヵ月! 三ヵ月も燃えて回ってたんかい! そんなに気になるなら、さっさと会いに行くなりして、行動しなさいよー。

★いったいこいつは何者だ。いつか放った火の矢をどこへ隠したのか、守山工場で見せていた蝋のような無表情はどこへやったのか、今隣で笑っているのは、底抜けに明朗なワルだった。 (p114)

『黄金を抱いて翔べ』の北川春樹くんへ。「ワル」を目指すなら、こういうワルを目指すように(笑)

★「踊ってるとき、気持ちよさそうだな」
「ああ。自分が消える。魂が抜けてどこかへ帰っていく。多分、先祖代々の土地へ帰っていくんだろう。空とか土とか草とか……。いや、多分、それは妄想だな。何もないよ。ただ空っぽになるだけだ」
「その指、何を表してるんだ……?」
「空腹」と男は呟き、それから「魂の」と付け足してさらりと笑った。そのとき、その目の中に一瞬あの火が翻ったように見えた。矢のように飛んできて、一彰の目に食らいつき、またすぐに消えた。
 (p115)

リ・オウの最初の台詞、『リヴィエラを撃て』 でジャック・モーガンも良く似たことを言ってましたね。
それからリ・オウの「火の矢攻撃」は、カズぼんにしか通用しません、きっと(笑)

★「すげえ取り合わせだな」と一彰は唸った。「杜甫と機械とダンスと……」
「ギャングと」
 (p115)

「ギャング」って、既に死語のような気がするんですが・・・。

★「殺し屋は本職か」
「本職、金儲け。趣味、金儲け。特技、金儲け」
 (p115)

リ・オウの格言・その1。人、これを「金儲け、三段攻撃」だの「金儲け三段活用」だのと呼ぶ。
全くの余談ですが、今年逮捕されたあの人やあの人が、こんな洒落たことを言える気概があったらねえ・・・。まるでケンカ腰で「金儲けのどこが悪い」と言うから、余計な反発や反感を招くことになったんでしょう、はい。

★「そっちこそ。組む気がないなら何しに来たんだ?」
「別に、あんたのその目が気に入らないから、二度と僕を見るなと言いに来たんだ」
「へえ」
リ・オウは一彰の方へ自分の顔をおもむろに突き出した。「この目かい?」
 (p116)

自覚ないのか、カズぼん! それとも鈍感なだけなのか?

★「いいか、僕が人を見るのは、それが敵か味方かを見分けるためだ。どんなに見ても、見すぎることはない。それだけ、人間てのは油断がならないのさ。分かったか? じゃあ、さようなら」 (p116)

リ・オウの格言・その2。
「人や物事を見る、見つめる、見続ける」というのは、すべての高村作品に共通する通奏低音みたいなものですね。

★「君らは、民主主義が千年前から自明の理やったような面して、電灯のまわりで踊ってる蛾や。この国は平和で夜も明るいさかい、近所の国からは、いろんな虫が飛んでくる」 (p123)

田丸の台詞。1970年代後半の設定なのですが、今でも充分通用しそうな気もする。

★「僕もお人好しやから教えたげますけど」と呟いて、男は辛抱強い作り笑いを浮かべた。「自分の身の程を弁えない人間には、棺桶しかあらしまへんねやで、この世界には」 (p126)

笹倉さんの台詞。しかし自分で「お人好し」というのはどうかと思う(笑) 本物の「お人好し」のはずがないやん、笹倉さん! ホンマに食えないキャラクターばっかり!

★「(前略) あの男が僕の顔をじっと見たときの目は、死ぬまで忘れない (中略) 謂われのない独断で、世界に境界線を引く目だ。僕がもっともぞっとした目だ。あれは、僕と母をどこかへ叩き落とした目だった……。でも、今は、僕はどこへも落ちたとは思ってない。この工場にいて、何が悪い。悪というなら、何が本当の悪なのか、いつか田丸に見せてやる。いつか思い知らせてやる」 (p139~140)

こ、怖いよ、カズぼん・・・。「恨み骨髄に徹する」ですか?

★「どれか選ぶなら、僕はこの悪を選ぶよ」 (p141)

カズぼんが選んだ「悪」は、「拳銃」。



2 コメント

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この季節はやはり・・・ (碧い)
2008-04-04 19:43:06
からなさん、こんばんは
碧いです。ご無沙汰しています。
今の季節やっぱり『李歐』でしょう、と現在大阪府の詳細地図を片手に『わが手』を再読中です。
からなさんの再読日記も改めて読ませて頂いています。ありがとうございます。

自分がそこに住む人々と同じように生きる力がない限り、理屈抜きに足を踏み込むべきではない世界がある。境界線は人によって異なるが、かつて母が銃弾を浴びたのは、結局越えてはならない線が見えなかったからではないのか。それが一彰の考えだった。 (p112)
  
 このカズぼんの考えはちょっと引っかかります。一般論や敦子さんについてはいいのですが、お母さんは踏み込む世界の云々ではなく、ただ息子を護りたかったのだと。たとえ越えてはならない線が見えていても母親は越えるんじゃないかと。
 裕一父(耕太の方が私好みの名ですが)になってからのカズぼんの意見を聞いてみたいです。

守山は、一彰ではない板塀の方へ「来たらあかん!」と叫んだ。(中略)自分の方へ駆け出してくる母のスカートがその目を同時に横切った。(p74)

お母さんは教会の庭からどこを通ってカズぼんの方へ駆け出したのでしょうか?
やはり破れた板塀の間をすりぬけたのかしら。教会の庭から一旦道路へ出て守山工場のトタン塀(門)から駆け込んだというよりは。
からなさんはどう思われますか?




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お返事遅くなりました。 (からな)
2008-04-06 23:29:18
碧いさん、こんばんは。ご無沙汰しております。
返信が遅れたのは、ご指摘部分の前後を再読していたからです。いい加減な返答は出来ないなあ、と思いまして・・・。

>このカズぼんの考えはちょっと引っかかります。
>お母さんは踏み込む世界の云々ではなく、ただ息子を護りたかったのだと。
>たとえ越えてはならない線が見えていても母親は越えるんじゃないかと。

そうですね、まったくその通りだと思います。
(これと相反する事件が増えているのが、残念ですが)
ただ、一彰としては、そう思っていないと、自身の中で折り合いや区切りをつけることが出来なかったのでは、と。
自分を庇って亡くなった母の死という現実を認め、乗り越えるには、視点や発想の転換が、ある時点で訪れることもあるでしょうから・・・。

>裕一父(耕太の方が私好みの名ですが)になってからのカズぼんの意見を聞いてみたい

『わが手~』のカズぼんからは、なぜか「父」のイメージが薄いですね(苦笑)
不在の時に、不慮の事故とはいえ、裕一に大怪我をさせてしまったのだから、大きなことは言えないでしょうねえ。

>お母さんは教会の庭からどこを通ってカズぼんの方へ駆け出したのでしょうか?

以前に挙げた写真を見てみますと・・・

http://blog.goo.ne.jp/karanawakana/e/7f380874fdba62af8fd68b494e519f6c

http://blog.goo.ne.jp/karanawakana/e/53abcf976ad777072b9df15a860ae45e

・・・わかりにくいですか、ね? 当時はもっと広かったのでしょうけれど。
教会と工場には、はっきりとした境界はなかったと思われますから、そのまま突っ切ってきたのでは・・・。
違うかな。

お解かりの方、教えて下さいませ。

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