あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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『太陽を曳く馬』 「新潮」連載と単行本の比較 ~加納祐介・その4~

2013-09-21 23:01:28 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
下巻はほんの少しだけしか出てないので、今回分で終わりです。
が! 少々不完全です。先に謝ります。ごめんなさい!

☆「新潮」連載時はこの色  ★単行本はこの色 で区別します。

色が分からない方は、☆印が「新潮」連載、 ★印が単行本 と区別してください。

【警告】
ネタバレしてますので、それがイヤな方はここでお引き取りください。

***

「新潮」2008年7月号 連載第二十一回

もう一度謝ります。ごめんなさい。「新潮」2008年7月号も、コピーした紙も、30分間部屋探ししたのですが、見つからなかったのです・・・。
いくら狭い部屋でも、ブラックホールと化すことはよくあることだし、探しているときに限って出てこないし、探していないときに限って出てくるし・・・ああもうどこにあるのー!?

だから連載分の該当部分は見つかったら即更新、ということでお許しください。 単行本の該当部分は挙げておきます。


★おまえが結婚して間もないころ、早くも大学時代とは別人になった夫に失望して、書物と観念の世界に逃げ道を求めていた貴代子が、これも相似形のような兄から借りてきて、夫の食事もつくらずに暗い台所のすみで読み耽っていたラカン。 (下巻p298)


★朝見た管理官の目鼻があるだけの顔も、あるとき同じように見え始めた貴代子の顔も、その兄の顔も、あるいはいましがた相対した医師の顔も、どれもが穴のようだとおまえは言うが、その穴はおまえが十分な言葉で埋めることをしなかった穴であり、その穴がまたさらにおまえを宙づりにする。 (下巻p301)


貴代子にとっては正真正銘の双子の「兄」だからこの表記で正しいんだけど、なんか慣れませんね。
この辺りの合田さんは少々壊れかかっているのでね・・・。まるで死ぬまで踊り続ける赤い靴を履いて、混乱と困惑と思索の三拍子でぐるぐる回ってる状態、と言うべきか。


「新潮」2008年10月号 連載第二十三回(最終回)

☆しかし深夜には、放置してあった福澤彰之の手紙を開き、福澤とその息子、会ったこともないその係累や、行ったこともないその土地の風景などの穴に向かって、またしてもひとり何事かぶつぶつ発し続けていたのであり、それから大阪の元義兄に電話をかけて少し話をし、少し泣いたのだった。


★しかし深夜には、放置してあった福澤彰之の手紙を開き、福澤とその息子、会ったこともないその係累や、行ったこともないその土地の風景などの穴に向かって、またしてもひとり、なにごとかぶつぶつ発し続けていたのであり、それから大阪の元義兄に電話をかけて少し話をし、少し泣いたのだった。 (下巻p343~344)


連載では「またしてもひとり何事か」
単行本では「またしてもひとり、なにごとか」
違いはこれくらいですね。

その話の内容は? それは義兄弟だけの秘密のようです。

***

一部不完全ですが、加納祐介さんの比較はこれでおしまいです。 もしも漏れていたら教えてください。

お読みいただいた皆さん、お付き合いありがとうございます。
まったく反応がなかったので、義兄のイメージが壊れた方が案外多かったのかも、と少々不安・・・。

しかし、なんというか、『太陽を曳く馬』の再読ができそうな気がしてきたわ。


『太陽を曳く馬』 「新潮」連載と単行本の比較 ~加納祐介・その3~

2013-09-21 00:38:20 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
☆「新潮」連載時はこの色  ★単行本はこの色 で区別します。

色が分からない方は、☆印が「新潮」連載、 ★印が単行本 と区別してください。

【警告】
ネタバレしてますので、それがイヤな方はここでお引き取りください。

***

「新潮」2007年4月号 連載第七回

☆雄一郎はいまはデスクの上の事務書類を押し退け、元義兄に宛てて私信をしたためる。
『拝復 先般小生の後ろ姿がニュース映像に映っていた由。その日もおおかた九月十一日の放心が背中のあたりに張りついていたのだと思うが、今夜、あのとき小生の身体が味わった形容しがたい感覚に似ているものを思い出したので、忘れないうちに書いておく。
九四年、横浜美術館で見た桑山忠明の絵を覚えているか、縦横二メートルぐらいのばかでかいキャンバスが、赤と青の二色で上下に二分されているだけの絵。近づきすぎたせいで、眼が青と赤で交互に染まりそうになっただけでなく、青の光、赤の光がそれぞれ粒子の波になって激しく運動しているかのようだった。あの絵の前に立っていた数分、まさにいま二つの色が見えているという感覚だけがあったと思うのだが、あらためて振り返ると、あの身体の感覚はどこか異様ではなかったか。色と光だけの、質量も広がりもない、見たことのない場所から、道の視線が自分を通過してくるように感じなかったか。うまく言えないが、絵は、事件現場の死体の視線に似ている。色と光だけの絵を間近に覗き込んだあのとき、永遠に釣り合ったままの引力と斥力の間へ数分の時間旅行をしてきたかのようだった、あの感覚は死を覗き込むときのものだ。小生たちが九月十一日に見たのは新しい抽象絵画であり、実体験できないものとしての死であり、この世界の外だったのかもしれない。そんなことを、今夜はひとり考えてみた。
貴兄はできるだけ早くニューヨークへ行くべきだ。時間があれば、貴代子が好きだった美術館を回ってきてほしい。新たな姿を現したニューヨークでどんな絵を見たか、後日聞かせてほしい。死を見るのは絵を見ることに似ているなどと突然思いつく、この東京の生活から頭だけでも脱出したいと思う反面、いまは無性に絵を見たくなってきた。
冬が近い。どうか身体を大切に。
敬具』
 


★雄一郎はいまはデスクの上の事務書類を押し退け、元義兄に宛てて私信をしたためる。
『拝復 先般小生の後ろ姿がニュース映像に映っていた由。その日もおおかた九月十一日の放心が背中のあたりに張りついていたのだと思うが、今夜、あのとき小生の身体が味わった形容しがたい感覚に似ているものを思い出したので、忘れないうちに書いておく。
九四年、横浜美術館で見た桑山忠明の絵を覚えているか、縦横二メートルぐらいのばかでかいキャンバスが、赤と青の二色で上下に二分されているだけの絵。近づきすぎたせいで、眼が青と赤で交互に染まりそうになっただけでなく、青の光、赤の光がそれぞれ粒子の波になって激しく運動しているかのようだった。あの絵の前に立っていた数分、まさにいま二つの色が見えているという感覚だけがあったと思うのだが、あらためて振り返ると、あの身体の感覚はどこか異様ではなかったか。色と光だけの、質量も広がりもない、見たことのない場所から、道の視線が自分を通過してくるように感じなかったか。うまく言えないが、絵は、事件現場の死体の視線に似ている。色と光だけの絵を間近に覗き込んだあのとき、永遠に釣り合ったままの引力と斥力の間へ数分の時間旅行をしてきたかのようだった、あの感覚は死を覗き込むときのものだ。小生たちが九月十一日に見たのは新しい抽象絵画であり、実体験できないものとしての死であり、この世界の外だったのかもしれない。そんなことを、今夜はひとり考えてみた。
貴兄はできるだけ早くニューヨークへ行くべきだ。時間があれば、貴代子が好きだった美術館を回ってきてほしい。新たな姿を現したニューヨークでどんな絵を見たか、後日聞かせてほしい。死を見るのは絵を見ることに似ているなどと突然思いつく、この東京の生活から頭だけでも脱出したいと思う反面、いまは無性に絵を見たくなってきた。こうして書きながら、宛てもなくどきどきしている。
冬が近い。どうか身体を大切に。
敬具』
 (上巻p236~237)


どこが違うかって? 単行本では「こうして書きながら、宛てもなくどきどきしている。」が加筆されました。
「どきどき」って・・・合田さん、ホンマにあーたって人は・・・!(ジタバタ)


「新潮」2007年6月号 連載第九回

☆その夜は、帰宅してからもう一通、元義兄がよこした韜晦なハガキを読んだ。
『拝復
絵は死体の視線に似ている? 君はまったく、なんという夢のようなことを書いてよこすのだ。しかも、大真面目に! おかげで君が理性的人間なのか、皮肉な経験論者なのか分からなくなった。否、思考停止を恐れることなく死体を見つめ、己が直感を見つめる君は、むしろ倫理的人間なのだと言うべきか。とまれ、当面死ぬ予定のない者が死について思いめぐらす無為を嫌うより、いっそ誘惑に乗る手もあると教えられた。所詮自分のものではない死に、絵に見入るように向き合うというのは魅力的だ。小生、年末にニューヨークに行く決心をした。年明けに会おう』
雄一郎は、あまり感慨もないまま、達筆な万年筆の字をしばらく眺めた。それから、この二十一世紀になおも理性的人間たる意思が生き延びている元義兄の精神の仕様は、思いのほか裁判所向きだったのだと一つ考え、ハガキを引き出しにしまって頭を空にした。



★そしてその夜は、帰宅してからもう一通、元義兄がよこしたハガキを読んだのだった。
『絵は死体の視線に似ている? 君はまったく、なんという夢のようなことを書いてよこすのだろう。おかげで君が理性的人間なのか、皮肉な経験論者なのか分からなくなった。否、思考停止を恐れることなく死体を見つめ、己が直感を見つめる君は、むしろ倫理的人間なのだろうか? とまれ、当面死ぬ予定のない者が死について思いめぐらす無為を嫌うより、いっそ誘惑に乗る手もあると教えられた。所詮自分のものではない死に、絵に見入るように向き合うというのは魅力的だ。小生、年末にニューヨークに行こうと思う。年明けに会おう』
そのとき雄一郎はまた一瞬、これは自分の声ではないのか、遠方の友人が自分の代わりに喋っているのではないのか、と思った。どうしたことだ、いくつもの声が一斉におまえのことを話している。
 (以下略) (上巻p297)


一方の加納さんのハガキは、変更の増減が激しいですね。それを読んだ合田さんの反応も違っている。


***

上巻はこれでおしまい。


『太陽を曳く馬』 「新潮」連載と単行本の比較 ~加納祐介・その2~

2013-09-18 23:20:48 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
☆「新潮」連載時はこの色  ★単行本はこの色 で区別します。

色が分からない方は、☆印が「新潮」連載、 ★印が単行本 と区別してください。

【警告】
ネタバレしてますので、それがイヤな方はここでお引き取りください。

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「新潮」2007年1月号 連載第四回

☆昨日は、加納祐介から短い手紙が来た。九月十一日夜に久々に電話で話して以来、貴代子の消息さえ尋ねてこない元義弟に対して書き送ってきたその文面は、見た目はいつもの箇条書きに近い簡潔さだった。―――前略 君も多忙のことと拝察する。十一月十日、ボストン在住の貴代子の夫とその関係者が、遺体のないまま貴代子のお別れ会を開いたということで、そのときの写真を送ってきた。夫は無神論者だというが、こと人間について、懐疑というものが皆無らしいアメリカ人の善良さにはまったく辟易する。小生は、年内は労働基準法と保険業法関連の公判が立て込んでおり、忙しい。ニューヨークに行きたいと思うが、USAの大合唱は聞きたくないし、なかなか決心がつかない。年末年始に時間が取れるようなら、そのときに考えようと思う。ところで十日前の十一月十二日、午後十一時の民放のニュースのなかで、小岩署の玄関を出入りする君の後ろ姿を見た。一寸うわのそらの、退屈した大人のようだったぜ。 


★昨日は、思いがけず加納祐介から短い手紙が来て、こころが少しざわめいた。九月十一日夜に久々に電話で話して以来、貴代子の消息さえ尋ねてこない元義弟に対して書き送ってきたその文面は、見た目は昔と同じ箇条書きに近い簡潔さだった。―――前略 君も多忙のことと拝察する。十一月十日、ボストン在住の貴代子の夫と友人たちが、遺体のないまま貴代子のお別れ会を開いたということで、そのときの写真を送ってきた。夫は無神論者だというが、こと人間について、懐疑というものが皆無らしい良きアメリカ人に感じられた。小生は、年内は労働基準法と保険業法関連の公判が立て込んでいるため、しばらくニューヨークに行けそうにない。年明けに、とも思うが、いまはかの地でUSAの大合唱を聞く気分ではないし、なかなか決心がつかない。ところで十日前の十一月十二日、午後十一時の民放のニュースのなかで、小岩署の玄関を出てゆく君の姿を見た。少しぼんやりした様子だったのは、物思いに耽っていたのか? それとも退屈していたのか? (上巻p125~126)


貴代子が合田さんと別れたきっかけの男は日本人だったはずだが、その人とも別れてアメリカ人と結婚したのか・・・。

義兄からの手紙に、単行本では「こころが少しざわめいた」合田さんがポイントその1。

そのアメリカ人の義弟(!)に対する加納さんの心象が、連載と単行本で180度違ってるのがポイントその2。

テレビで見た合田さんが、連載では「後ろ姿」だったのが、単行本では「姿」と簡潔になったのがポイントその3。 後ろ姿では分かりにくいと判断されたか、高村さん? 夜だしね・・・。

手紙の締め括りの違いがポイントその4。
連載では「一寸うわのそらの、退屈した大人のようだったぜ。」 と、義兄らしからぬ言い回し。
単行本では「少しぼんやりした様子だったのは、物思いに耽っていたのか? それとも退屈していたのか?」 と、気遣うような、からかうような内容。


☆相変わらず過剰なのか過少なのか不明の、いかにも凝った文面。退屈しているのは自分のほうだろうに。妹への愛憎や、その妹と関係のあった男たちへの不透明しごくな積年の感情を清算しかねたまま、陰鬱な法廷に日がな一日坐りながら、元義兄もつい何事か当てのない物思いに駆られたか。おおかた、いまごろどうでもいい手紙を書いたことを恥じながら、苦虫を噛みつぶしているか。そんなことを考えて昨夜は手紙を閉じたが、 (以下略)


★相変わらず過剰なのか過少なのか不明の、いかにも凝った文面だった。退屈しているのは自分のほうだろうに。妹への愛憎や、その妹と関係のあった男への不透明しごくな積年の感情を清算しかねたまま、陰鬱な法廷に日がな一日坐りながら、祐介もつい何事か当てのない物思いに駆られたか。おおかた、いまごろどうでもいい手紙を書いたことを恥じながら、苦虫を噛みつぶしているか。そんなことを考えて昨夜は手紙を閉じたが、 (以下略) (上巻p126)


加納さんの手紙にすぐ続く部分なのですが、長すぎるので分けました。
こちらは珍しくもびっくりするような変更部分が、そんなにないですね。
連載では「文面。」 「男たちへの」 「元義兄も」
単行本では「文面だった。」 「男への」 「祐介も」


☆よし、今夜は大阪へ返信でも書こう。ほんとうは自分たちも、いつまで退屈した大人でいられるか、危ういというべきなのだ。貴兄はぐだぐだ言わずに、一日も早くニューヨークへ行け。何よりも、まずは新しい世紀の始まりをその眼で見てくることが先だ。


★よし、今夜は大阪へ返信を書こう。いまは誰しも、いつまでこんなふうに退屈していられるか、危ういというべきなのだ。貴兄は一日も早くニューヨークへ行って、人間の文明の旺盛な営みがなおもこのまま続いてゆくのか否か、その眼で見てくるべきだ。ニューヨークであれ、東京であれ、新しい世紀はすでに始まっている。 (上巻p127)


「ぐだぐた言わずに」というところで、連載のほうが何となくやけくそっぽい合田さん。


☆出家者たちも、それを追っかける女たちも、絵描きも、テロリストも、未だ独身の元義兄も、自分自身も、誰もが生殖を捨ててゆく人類の一端だ。そんなことを一つ考え、アスファルトに吸い込まれてゆく墨絵のような行列を見入っていたおまえがいる。


★否、いまどき出家する青年たちも、それを追っかける女たちも、絵描きも、テロリストも、未だ独身の自分や元義兄も、誰もが生殖を捨ててゆく人類の一端ではあるか。おまえはそんなことも考え、アスファルトに吸い込まれてゆく墨絵のような行列を見入ったのだった。 (上巻p142)


危うく見逃しそうなところ。 「義兄」や「元義兄」は、高村薫作品では固有名詞に匹敵する語句ですからね。
連載では「未だ独身の元義兄も、自分自身も」
単行本では「未だ独身の自分や元義兄も」

***

しばらく間が空いて、次に加納さんの気配(?)が現れるのは連載第七回です。


『太陽を曳く馬』 「新潮」連載と単行本の比較 ~加納祐介・その1~

2013-09-17 23:45:14 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
これも前々からやりたかった、やらねばならぬと思いつつ・・・。 新連載が隔月らしいので間が空きますし、やろう! と決意しました。

この比較は、合田さんと元義兄・加納祐介さんの絡みの部分しかやりません。
合田さんは多すぎてやってられない(本音)

ちなみに連載も単行本も、特定部分を除いて(義兄弟関連と言わんか!)、通して1回しか読んでいません。 いずれは再読しないとね。

☆「新潮」連載時はこの色  ★単行本はこの色 で区別します。

色が分からない方は、☆印が「新潮」連載、 ★印が単行本 と区別してください。

【警告】
リアルタイムで連載を読んでいない方はひっくり返りそうになる部分もありますので、その心構えだけはしておいてくださいね。 もちろんネタバレしてますので、それがイヤな方はここでお引き取りください。


***

「新潮」2006年10月号 連載第一回

☆残された雄一郎もしばし、耳の奥でざわざわし始めた声とも気配ともつかないものをかき分け、かき分けしながら頭を停止した。そこに、もうずっと昔、検事だった元義兄が地方勤務のころにかけてきた電話の、珍しくうわずった声が聞こえた。雄一郎、おまえ知っているか? 刑場の足下の踏み板が開いて死刑囚が落下するのは、約二・四メートルだ。首が絞まるのに〇・七秒かかる。これは長いのだろうか、短いのだろうか? 


★残された雄一郎は、耳の奥でざわざわし始めた声とも気配ともつかないものをかき分けかき分けしながら、ふいに長年の友人で離婚した女の兄でもあった男の声を耳に甦らせたりした。昔から、検事などという大層な職掌のわりには思案家なのか下世話なのかとんと分からない、行きずりの展覧会を覗くような独特の白々とした調子で加納祐介は曰く、なあ雄一郎、おまえ知っているか? 刑場の足下の踏み板が開いて死刑囚が落下するのは、約二・四メートルだ。首が絞まるのに〇・七秒かかる。これは長いのだろうか、短いのだろうか? (上巻p27~28)


わー、結構変わってますね。
「思案家なのか下世話なのか」 「独特の白々とした調子」 ・・・って、ちょっと合田さん!


☆一人暮らしの明かりのない部屋で、おまえは留守番電話の赤いボタンが光っているのを見、携帯電話にはけっしてかけてこない唯一の知り合いの元義兄の顔をとっさに思い浮かべながら、その場で録音を再生すると、しばらく聞いていなかったその当人の声が聞こえてきた。
テレビを観ているか。観ていなければ、すぐにテレビをつけてくれ。ニューヨークに旅客機が突っ込んでいる―――。
高くも低くもなく、少しためらうような声。一音一音わずかに間延びして、呼吸と発声がずれてゆく声。かつて、死刑囚が落下するのは二・四メートルだ、などと語っていたころの若々しさはすでになく、大学時代から二十年以上付き合った親しさもなかった反面、なおもこんな複雑な周波数はほかの誰も出してはこない、特別な声だった。それはニューヨークが云々と伝えただけで切れ、
 (以下略)


★一人暮らしの明かりのない部屋で、おまえは留守番電話の赤いボタンが光っているのを見、携帯電話嫌いの元義兄の顔を自動的に思い浮かべた。二十年以上もの付き合いのなかで生じた価値観の違い、もしくは変化が互いに斥力になり、一寸した憎悪になり、いまさら距離を乗り越えるような理由も見当たらないまま疎遠になって以来、強いて思い出すこともなかった男からの突然の連絡だった。一瞬予想外にこころが揺れ、いまだに二十歳のようだと思いながら、その場で録音を再生すると、昔と大きく変わったというのでもない当人の声が流れてきた。
テレビを観ているか。観ていなければ、すぐにテレビをつけてくれ。ニューヨークに旅客機が突っ込んでいる――――。
高くも低くもなく、少しためらうような声。一音一音わずかに間延びして、呼吸と発声がずれてゆく声。かつて、死刑囚が落下するのは二・四メートルだ、などと語っていたころの若々しさはすでになく、大学時代から二十年以上付き合ってきた親しさもなかった反面、選択の余地がない元身内ならではの感情がいまもわずかに洩れでてくる、正直な声だった。それはニューヨークが云々と伝えただけで切れ、
 (以下略) (上巻p35~36)


何があったの、義兄弟! と叫びたくなるこの変化。
「生じた価値観の違い」 「変化が互いに斥力」 「一寸した憎悪」 「距離を乗り越えるような理由も見当たらないまま疎遠になって」 ・・・って!
とはいえ、「予想外にこころが揺れ、いまだに二十歳のようだと思いながら」 ・・・って、今も初恋の人に胸がときめく乙女のような合田さん(苦笑) こういうところが、合田さん派は「かわいい」と思うのかしらん?

個人的には、「なおもこんな複雑な周波数はほかの誰も出してはこない、特別な声だった。」 の表現が好きなんですが、単行本で変わってしまいましたね。


☆あそこに貴代子がいる。いや、貴代子とは何者だったか。十四年も昔に別れた元妻だとか、たったいま留守番電話で声を聞いた男の妹だという事実に重みがなかっただけでなく、自分がいま、たしかにこれこれ然々のものを見たという確信もなかった。数分後、三年前に突然東京地検を辞めて地裁の判事になってからは連絡を取っていなかった元義兄の大阪の官舎に電話をかけると、留守番電話に入っていたのと同じ声が何か言い、おまえも何か応えた。そのおまえたちの眼の前では、二機目の旅客機がもう一棟のタワーに突っ込んでゆくところだった。その瞬間、地上でそれを見上げていた人びとが何か叫び、太平洋をはさんだ夜の東京と大阪でおまえたちも何か声を上げた。それは、たったいま貴代子の死を見たという驚愕でなく、逆に実感のなさでもなく、長年のおまえたちの感情生活から来たものでもなかった。そんな個人的な感情の及ぶところではない、まさに何かの未知の扉が開いたといった元義兄の声、おまえの声。


★あそこに貴代子がいる。いや、貴代子とは何者だったか。十四年も昔に別れた元妻だとか、たったいま留守番電話で声を聞いた男の妹だという事実に重みがなかっただけでなく、自分がいま、たしかにこれこれ然々のものを見たという確信もなかった。数分後、三年前に突然東京地検を辞めて地裁の判事になってからは大阪の官舎にいるはずの、その加納祐介に電話をかけ直すと、留守番電話に入っていたのと同じ声が何か言い、おまえも何か応えた。そのおまえたちの眼の前では、二機目の旅客機がもう一棟のタワーに突っ込んでゆくところだった。その瞬間、地上でそれを見上げていた人びとが何か叫び、太平洋をはさんだ夜の東京と大阪でおまえたちも何か声を上げた。それは、たったいま貴代子の死を見たという驚愕でなく、逆に実感のなさでもなく、長年のおまえたちの感情生活から来たものでもなかった。そんな個人的な感情の及ぶところではない、まさに何かの未知の扉が開いたといった元義兄の声、おまえの声。 (上巻p36~37)


連載では「連絡を取っていなかった元義兄の大阪の官舎に電話をかけると」
単行本では「大阪の官舎にいるはずの、その加納祐介に電話をかけ直すと」
「連絡を取っていなかった」って!? 単行本で削除されてよかった・・・(か?)


☆雄一郎は数秒耳をすませ、さらに一瞬、大阪は今日も雨だろうかと思ったところで、この二カ月来そうであったように頭を停止させていた。とうの昔にアメリカ国籍になっていた元妻の消息。唯一の肉親として遺体の捜索に行くことも、判事という立場では無理だっただろう元義兄。そして、その後のことをどうしても尋ねかねたまま、手紙の一つも書いていない自分の誰もが、崩落すべき世界の手前で静止しているか、あるいは運動に向かってエネルギーを溜め続けているか、だった。


★雄一郎は数秒耳をすませ、さらに一瞬、大阪は今日も雨だろうか、祐介はどうしているだろうかと思ったところで、いまさら言葉にするだけの忍耐がない感情の山がやってくる前に、この二カ月来そうであったように頭を停止させていた。とうの昔にアメリカ国籍になり、べつの家族を築いていた元妻の消息。唯一の肉親として現地で遺体の捜索に立ち会うことも、判事という立場では無理だっただろう元義兄。そして、その後のことをどうしても尋ねかねたまま、手紙の一つも書いていない自分。誰もが、崩落すべき世界の手前で静止しているか、あるいは運動に向かってエネルギーを溜め続けているか、だった。 (上巻p37~38)


「祐介はどうしているだろうか」・・・と思うんだったら、とっとと連絡とらんかーい!!
・・・と皆さんを代表してツッコミいれておきます。


【しつこいけど、警告】
加納さんのイメージが壊れるのはイヤ! という方は、ここでお引き取りください。 いいですね!? 引き返すのは今のうちですよ!
覚悟決まったあなたは、このまま進んでください。


「新潮」2006年11月号 連載第二回

☆いや、その年の秋に元義兄の加納祐介に会って福澤秋道事件の話をしたとき、祐介は言ったのだった。吉田戦車? ダダ? 世界と言葉の廃品でできた夢の島の凄みを俺は感じるが、それはまだ見入ることのできる無意味という意味が、そこにはあるからだ。それに比べて、パンツをはいていない女性の股を覗きながら、しゃぶしゃぶを食っていた役人や銀行員の顔はどうだ。ほう、坐ったままこうして頭を傾けて覗くんですか、割れ目まで見えましたか、ハッハッ、よく肉が喉を通りましたなあ。そんなことを俺は少し前まで毎日、壊れた穴のような顔に向かって尋ねていたのだ。なんなら、ほんとうに壊れている世界というのを見せてやろうか―――。
そのころ祐介は、前年から相次いだ中央省庁の低劣な不祥事の捜査に追われていたのだが、近々検察を辞めるつもりでいることを隠したまま、続けてこうも言ったのだった。いや、君の眼にはまだ、この廃品回収場のような世界に立ち会う強度があるということなのだろう。俺にはもうそんなものはない、と。やがて公報の地裁判事任官の欄に元義兄の名前を見つけて仰天することになる、ほんの半年前の話だ。


単行本では削除されました。


『太陽を曳く馬』中、最大の爆弾にして最大の変更 ・・・と目される部分。

単行本でこれが削除されているのを知ったときも相当な衝撃でしたが(苦笑)、連載当時の昼休みに、書店でここを読んだときは腰が砕けそうになりました。

こういうちょっと弱っているような、やさぐれたような、暗い狂気を湛えたかのような加納さんも、好き!! ・・・なんだけど、高村さんにはここを残すのは許せなかったのかしらん?
(この夜の加納さんは乱れに乱れ、合田さんを困惑させたと確信している)

数年後に発売予定の文庫版では復活するかな? しないかな? それとも単行本のままかな?
だって義兄が検事から判事に転職した理由らしきものが、単行本だけでは分からないでしょう?
それに『太陽を曳く馬』中、義兄弟が対面して会話している唯一の場面でもあるので、カットするのはもったいないなあ・・・と今も惜しんでいるのです。

変更部分を改めて見直したら、連載時では、距離をおいて避けているのは合田さんのほう、という気も、しないではない。
あるいは、合田さんは拗ねている。 自分に黙って義兄が判事になったことで、自分でも気づかないショックを受け、連絡を取らずに疎遠になった・・・という見方が、できるかもしれません。

***

一回目から衝撃の比較でしたが、義兄弟ファン、特に義兄好きの皆さん、大丈夫ですか?
義兄弟関連で、この衝撃を超える変更部分はもうありませんので、ご安心ください(慰めになってない)


「太陽を曳く馬」 連載第二十三回(最終回) (「新潮」2008年10月号)

2008-09-08 01:26:11 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
夕方、もう一度最終回を読みました。
今までで最も多いページ数。私の読書ペースでは、1時間はたっぷりかかります。

(2008.9.9 に追記しています)

この↓コピペも、これで最後ですね。

では、第二十三回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・は、やめておきます。
だけど、今更述べても詮無いが、ホンマに予想を裏切るなあ・・・。あの展開と密度の濃さから判断しても、もう2年続いてもおかしくないですよね。
あえて2年で終えたのか。それとも2年くらいでと注文をされたのか。それは知りません。

最終回ですので、今までの分も含めての雑感もあります。ネタバレもあります。ご注意。

まずはどうでもいい人から。

大峰検事・・・あんた、冗談でも合田さんに「アサハラショウコウ云々」とか、「エロゲーム云々」とか、言わないで下さい(怒) 合田さんをパンしゃぶで追い詰められた加納さんの二の舞にするつもり?(泣)

ガンダムとザグ性能の違いの解説は、ゆぅべさんにお願いしたいです(笑)


次は誰にしようか。

加納祐介さん・・・ついに最後の最後まで、お姿を拝見することがなかった・・・。「加納祐介」の固有名詞も、連載中は10回あるかないか、といったところ。

前回、私は二十三回だけに、
「二十三 → 23 → にーさん → 兄さん → 義兄さん → 加納祐介さん」
と、加納さんの登場を期待しておりました。冗談半分と思われた方も多かったでしょうが、
私は、9割がた本気でした。  悔しい・・・。

連載終わった今、振り返ってみますと、高村さんは意図的に、合田さんから加納さんを引き離したのではないか、精神的な面ではともかくとして、物理的な面で距離をおいたのではないか・・・という気がしてなりません。

「泣きつく」とか「愚痴を言う」といっては語弊があるかもしれませんが、合田さんが心おきなく話せる相手は、加納さん以外に誰もいない。東京にいれば電話で話す以外に、会うことで物理的な部分は解決できます。
しかし検事を辞めて、大阪で判事として勤めているため、「会う」ことはほぼ皆無に近い。

それゆえ合田さんは、より一層、独りで事件に向き合わなければならないわけです。
独り。それを際立たせるために、加納さんを遠ざけたのか。

思えば加納さんも、双子の妹・貴代子さんを亡くした身の上。この方にも、この方でしか分からない、味わえない悲憤や悲哀があるはずです。合田さんとはきっと異なる、感情ではあるだろうけども。


続いては誰にしようか。

合田雄一郎さん・・・「合田さん、壊れてしまった・・・!」 と叫びたくなったのは、きっと私だけではないはず。

『照柿』の不正行為も、『LJ』で半田さんへの手紙も、「壊れた」と表現された方々が多いと思われますが、正直なところ、私は違和感ありました。
『照柿』は公人と私人の境目が無くなっての行動だし、『LJ』は手段はともあれ、刑事としては見過ごせないという一点から、思いつめて起こした行動。
(確かに壊れてるといえば壊れてるか・苦笑)

ところが今回は、今までやったことのない行動をやってのけた。これを壊れてないと言わずして、何と言う?

そんな合田さんに「明日はいつものように出勤して、仕事してね♪」・・・なんて、とても言えません。逆に追い詰めてしまいそう。
でも、義兄と電話で話したのなら、少しは切り替えられたのかな・・・?

放置。投げ出すこと。
「合田さん=高村さん」としてみますと、これが高村さんの「答え」なのか?

以前、このレポートで、 

「初めから、明確にどういう展開になるのか、決めていません。書き進むうちに、見えてくるかもしれないし、見えてこないかもしれない。
その結果、私自身が「破壊」・・・「自爆」するかもしれません。そうならないようにと思っていますが・・・。」


と高村さんが発言されたことを、思い出さずにはいられません。
「破壊」「自爆」ではないと、思いたい。まだ「答え」は出ていないのだと、これからも問い続けていくのだと、信じたい。

深刻になりすぎたので、お口直しに・・・。
今回唯一笑ったのが、吉田戦車の名前で領収書をつくったところ。もう、やけくそだったんだな、合田さん。

神田のスポーツセンター。東京には疎いので検索してみたら、そのままの名前なんだ! ひょえー。
ところで海水パンツは、どんなの?(←こらこら)


最後はこの人で。

福澤彰之・・・今回は「彰閑和尚」ではないので、この表記。
約20通もの、秋道に宛てた手紙。特にラスト2ページで、「ああ、『晴子情歌』や『新リア王』ともリンクしてるんだー」と余計に強く感じました。

いや、ちょっと語弊あるか。リンクというより、「リング」が近いかもしれない。秋道の描いた、円環。彰之がそれを表現した、圓環。「円」という形での、つながり。「円=えん=縁」。
晴子さんにとっての七里長浜。彰之と初江にとっての七里長浜。彰之と秋道にとっての七里長浜。このように、つながっていく。

彰之の手紙、引用したくなる部分がたくさんあるのですが、それは数年後の「再読日記」でのお楽しみ(苦笑)

この人の知識も半端なものではないので、私が完璧に理解できた引用は、
・オイディプス(「エディプス・コンプレックス」でも有名ですね)、
・わが子を生贄に差し出す神話の英雄(一例として、トロイア戦争のアガメムノンが、娘・イピゲネイアを生贄にした話がありますね)、
・太陽も死も直視できない(元々はラ・ロシュフーコーの箴言じゃないの)
の、この3つのみです。

「合田さんと彰之は、必ず対峙して、対話をする」・・・と確信していた私であり、他の方々もそう予想されていたことではありますが、直接対峙して、対話をしなくても、こういう形での対峙、対話もあるのかと、驚愕しました。

合田さんも彰之も、方向性は同じ。向き合っているのは、紛れもない事実。

彰之も、独り、なのですね。どこまでも。
身内を亡くしたことでいえば、加納さんも独り。
合田さんも、独りでやっていかなければならない。

人間は、独りで生きていかなければならない。
それがこの作品のテーマのひとつであることは、否めない。

【2008.9.9 追記】
最後の彰之の手紙の一文。「よかつた。何事もありませんでした。」
・・・これは、怖い。清水玲子さんの『月の子』のラストを思い出した。
「LaLa」掲載時とコミックスでは、内容が大分違っていたんだけど、「LaLa」掲載時のラスト、忘れてしまった(苦笑)

『月の子』のラストでは、アートがジミーに「何もなかった」と慰めるのだけれど、チェルノブイリで何が起きたのかは、紛れもない事実。それをあえて「何もなかった」ことにした清水さんの意図に、かえって恐れを抱きます。

それと同じ怖さが、彰之の「よかつた。何事もありませんでした。」に、感じられてなりません。

でも、当事者(加害者と被害者、そしてその周りの人々)としては、「何もなかった」ことにしたいと願うのも、無理からぬこと。
「何もなかった」ことにしたいけど、「何もなかった」ことには、どうしても出来ない。
「殺した」「殺された」「死んだ」と、起こってしまった事実の前には、打ちのめされるしかないから。

だから、笑うしかなかったのか、彰之。
人間、にっちもさっちもいかなくなった時には笑うしかない、らしい。(そんな経験、一、二度はありましたよ、はい)
(ここまで追記)



さて、昨夜の記事で「物語そのものは、「完結」したとは思っておりません」と記した理由ですが・・・。
彰之の最後の2通の手紙。特に最後の1通の一文。
ここで私は「続編はある・・・だろう!」と強く思いました。

「笑い」

という言葉に引っかかったからです。

以前、このレポートで、

「『太陽を曳く馬』の次に書きたいと思っているのは、<喜劇> なんです」
「次に書きたいと考えている、遠いもの・苦手なものは、<お笑い> なんです。それに挑戦したい」


と発言されていたのを思い出したからです。

加えて『新リア王』のラストでは、『太陽を曳く馬』へとつながる描写がありましたね。
ならば『太陽を曳く馬』から次作へとつながる描写が隠されていても、決しておかしくはない。
それを「笑い」だと、私は感じ取ったのです。


以上が、その理由。
まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦。高村作品の展開と同じく、予想は全くつきませんがね・・・。

***

2年って、本当に早い。2年前の今頃、引越し準備をしていたんだからなあ・・・。
でも、毎月連載小説を読めるということでも、充実した2年間でした。

高村さん、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。
恐らく来年になるであろう書籍化を、楽しみにしています。

***

最後に、個人的にお礼を。

私の知る限り、ほぼ欠かさず最後までご感想をアップされていた、野鍛冶屋さん そして ゆぅべさん ありがとうございました。

それから一方的にトラックバックをさせていただいた、ブログ名景色さん、 そしてシステムの都合上、コメントもトラックバックできなかった、ブログ名文学は面白いのか(仮題)さん、ここでお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。
お二方のご感想や評価、またそれ以外の内容も拝見するのが、非常に楽しみでした。これからも更新のたびにお邪魔いたします(苦笑)
最終回についても、楽しみにお待ちしております。

SNSや検索よけをされているサイトさん・ブログさんはどうなっているのか全く存じませんので、あしからず。


うわ、もうこんな時間・・・! お風呂入って、寝ます。


「太陽を曳く馬」 連載第二十二回 (「新潮」2008年8月号)

2008-07-08 00:17:42 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
「AERA」2008年7月14日号の「平成雑記帳」は、自殺を巡っての考察。
出来れば、今回の連載分と併せて読むことをお勧めします。結構、今回分のヒントになるようなことが書かれていると思うので。

では、第二十二回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・11月30日か・・・。読んでいる私たちは大変な暑さを味わっているのに(苦笑)
合田さんvs長谷川明円和尚の第二ラウンド。今回は吉岡くんがいないから、長丁場の試合になると見込んでいたのに・・・。小刻みなジャブを繰り出して、様子見で始まるかと思ったのに・・・。

これでおしまい?

まさかこんなに早く終わるとは。ちょっと拍子抜け。
それとも、合田さんは明円和尚から得るものはないと判断したからか?
第三ラウンド、あるんだろうか。



長谷川明円和尚・・・『新リア王』のネタバレ、あります。ご注意。
とはいえ、この人は登場しておりませんが。
この人の言動は、一致しているんだろうか。一貫性があるんだろうか。
この人について語る人たち(レ●ゴー3匹のことだが)、そしてこの人自身が語ることを読むたびに、何だか不安定なものを感じるのですよ。

ここは彰閑和尚に、この人のことをどう思っているのか、どう見ているのか、語ってもらわねばなるまい。

前回から「自由へ」と名付けられたサブタイトルの意味、今回のこの人の語りで、やっと解った。

冒頭で合田さんと語る『ひかりごけ』は昨年読んだので、イメージは掴みやすかった。

恁麼(いんも)。久しぶりにきたな、この言葉。『新リア王』でも、重要なキーワードだった。
だけど、彰之が発するのと、この人が発するのとでは、この言葉に備わっている雰囲気が、全く違う気がする。


合田雄一郎さん・・・苦悩する聞き手。
この人、ホンマにキリスト教徒か!?

・・・と改めて疑いたくなる、明円和尚相手の今回の問答。もちろん、レ●ゴー3匹を相手にしている時もそう感じたことは否めないが。

合田さんは仏教や禅宗、哲学や思想について、中途半端で生半可な知識を備えていないから、明円和尚やレ●ゴー3匹は、対話していて面白いような手応えを感じていたと思う。

逆の立場からすれば、こういう刑事はイヤだろうな(苦笑)

えっ、2時間も明円和尚のところにいたの? ゴメン、私、約40分で読んでしまったわ(苦笑)


***

以上、連載第二十二回を1回読んだ雑感です。
高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。

次回は二十三回か。二十三だけに、

「二十三 → 23 → にーさん → 兄さん → 義兄さん → 加納祐介さん」

・・・の登場を期待している私はヘンだろうな。(確かに)

だって次回の予測が、全くつかないんだもの!


「太陽を曳く馬」 連載第二十一回 (「新潮」2008年7月号)

2008-06-08 00:40:47 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
珍しくも前日6日の夜に 新潮メールマガジンが届いたので、ビックリ。(いつも7日に届く)
「太陽を曳く馬(二十一)/高村 薫」 の文字があったので、ひと安心。
そんな発売日前日を過ごしました。

では、第二十一回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・ここらで一旦、一息入れて、全体を引き締め、次の展開へ移る・・・といった内容でしたね。
「お久しぶーりーねー♪」と口ずさんでしまいたくなる人物たちが次から次へと現れたのが、何だか楽しかった。
今回分で11月30日。これも長い一日になりそうですね。

大峰検事・・・あんた、私怨だったんですか!? 何とまあ(悪い意味で)人間的な。検事がそんなことでよいのか? ついつい元検事のあの方と比べてしまうよ。
「蟻」の表現のところ、まるで「神」のような感覚を味わっているんでしょうなあ。


福澤貴弘代議士・・・『新リア王』のネタバレ、あります。ご注意。
ちょっとあんた、榮パパが亡くなる前日、あんたも普門庵におったやんか! それをよくもまあいけしゃあしゃあと、彰之が死なせただなんて言えたもんやなあ!


栗田医師・・・よくぞ合田さんに対して、大胆な質問をやってくれました! ありがとう!(←おいおい)
惜しむらくは合田さんの回答がないことなんですが、代わりに2つだけ回答しましょう。合田さんはきっと慢性的に寝不足です。食欲はないこともないが、そんなに食べません。

栗田医師の4つの問いかけの内、最後の「仕事」に関することを除けば(これは栗田医師の自問自答になってしまった)、仏教の三大欲のことなんですよね。欲と言っても、これがないと人間は生きていられないという必要な欲・・・「睡眠欲、食欲、性欲」。
42歳の合田さんに性欲、あるのかね? 私には判らない・・・。


長谷川明円和尚・・・登場していないんだけど、ちょっとだけ。
この人を、高村さんは「奇人」ではなく「畸人」と表現しています。「畸人」の字の方が、余計に奇妙な、不安定な感じがしますよね。

次回からは、明円和尚vs合田さんの第二弾になるのかな? かなり楽しみ。


加納貴代子さん・・・「こんな嫁さんはイヤじゃ!」・・・と真剣に思った、過去の貴代子さん。哲学書(ラカンの『エクリ』)を読めと旦那に勧める嫁さんって・・・。

・・・ひょっとしてひょっとしたら、合田さんが「刑事」でなかったら、この二人は別れていなかったか? 合田さんも一応インテリだからさ。
今さらですが、貴代子さんが結婚したのは「刑事・合田雄一郎」ではないもんね。


合田雄一郎さん・・・単行本版『マークスの山』の若かりし合田さんを思い出してしまう、今回分。

  貴代子に未練がある、加納祐介に未練がある。

という一文を思い出してしまう。特に貴代子さんに対する、未練。

ところでこの人、密かに自殺願望を持っているのかね? 『LJ』で懲りただろうに、学習能力ないぞ、合田さん! ・・・不吉な予感が走る。

私もたまに学生の頃の夢を見ますよ。「宿題やってないー!」って(笑)
合田さんの卒論って、どんなんだったろう? ついでに加納さんも。

朝の5時前に久保弁護士にメール送信したとありますが、これは携帯電話? それともパソコン? パソコン買ったの? 『LJ』のTVと同じく、義兄のプレゼント? それとも支給品?

「珍しくトンカツ定食」とありますが、本当に珍事だ。この人、「肉」を食べた描写が出てきたのは初めてではないのか?

えーっと、他に記すことあったっけ?(苦笑) だって今回分の目玉は、これ↓だもん。


加納祐介さん・・・私は義兄派なので、以下の延々と続く戯言はお許しください。だってずーーーーーっと待っていたんだもーん!
・・・とはいえ、直接登場はしておりませんが(苦笑) それでもいいんだ! 存在感さえあれば!

最初の見開きに貴代子さんの名前があったので、「これはきっと加納さんも・・・!」 「貴代子さんの名前が出ていて、義兄の名が出ないはずはない!」と期待に胸が膨らみつつ、読み進んでおりました。

「加納」や「祐介」や「元義兄」の表記があるだけでもう充分、万々歳、と思っていたのですが、少しも想像していなかった表記が出てくるとは・・・!

  兄

ですか。

  その兄

ですか。

  その兄の顔

ですか。

  貴代子の顔も、その兄の顔も、

ですか。(しつこいよ)

まさかたった一文字の「兄」で、存在を表現されてしまうとは・・・! 思いもよらなかった。
これは『LJ』で、貴代子さんのことを「義兄の妹」という不自然な表記で書かれていたことと匹敵しますよ(←過剰表現?)

でも、それでもいいの。一年以上、この文字を見なかったんだから。十数秒間、この文字に見入ってしまったわ・・・(苦笑)


***

以上、連載第二十一回を2回読んだ雑感です。
高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。


「太陽を曳く馬」 連載第二十回 (「新潮」2008年6月号)

2008-05-08 00:20:36 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
こういう時に限って、残業なんだもんなあ~。本日分(5月7日)のカレンダー、期待されていた義兄弟ファンの皆さん、申し訳ない。・・・根来さん視点から、もっと詳細な方がいいですか?(笑)

残業だけならまだしも、人身事故があったらしくて、JRのダイヤが乱れていたのには、まいった。ま、たっぷり時間をかけて読めたので、それでいいのさ♪


では、第二十回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・祝・連載二十回! 今回は事件が展開して、転回しましたよ~。そのため、今回分の雑感はサラッと流すつもり。

それよりも「こんな人、いたっけ?」と首を傾げてしまった人物がおりまして(苦笑) 真田正顕 という人です。覚えてます?
そこが月一回の連載の辛いところですねえ。書籍になって、毎日読み続けていれば、忘れることがなかったろうに・・・(ホンマか?)

高木宏仁和尚、岩谷渓山和尚、岡崎博法和尚・・・お勤めをされている描写が、『新リア王』で彰之がお勤めをしていた場面を髣髴とさせるので、何だか懐かしかった。

そうか、宏仁和尚が明円和尚の姪と婚約したんだったか。すっかり忘れていたわ。しかし見過ごせませんな、彰閑和尚を追うつもりだったとは!

今回分は、『正法眼蔵』を読んでいる人と読んでいない人では、かなりの理解の差があるんじゃなかろうかと思った。
そういう私は、講談社学術文庫版の第一巻だけ、昨年購入したきりで、手つかず。全巻揃えたその時に、読む! とここで宣言しておく。(毎月のお小遣いに余裕があれば1冊でも買おう、と決めてるもので。つまり物価の上昇のあおりをまともに食らってるってことだ)

閑話休題。
お勤めを行っているレ×ゴー三匹のまともな姿を見たなあ・・・、と思ったら、事件の供述や核心の証言に「ええーっ!?」・・・と合田さんほどではないが、驚いたところがありましたねえ。

とどめが今回分の最後のページ。何ですか、あれは・・・。あの行動には「プッツン」という言葉がふさわしいかもしれませんねえ。



合田雄一郎さん、並びに吉岡くん・・・合田さんの深い洞察や思考と、吉岡くんの感覚的、表面的な軽やかな発言は、逆に読み手を試しているような、選んでいるかのような気がしますね。出来るなら合田さんのタイプでありたいと、願う私。・・・無理か?

サンガとオウムは似ている、という吉岡くんに対して、合田さんもある部分は認めながらも、否定に近い懐疑を抱く。私見だが、オウムは神や仏ではなく、個人崇拝だからなあ。あるいはスピリチュアルなものへの憧憬か。「救済」という観念が欠落していると思うのですよね・・・。

毎回毎回、合田さんの思考には瞠目すべき部分が出てくる。その度に挙げることはありませんが、今回のこれは挙げておこう。

自分たち司法はこの僧侶たちの俗の部分をどうやって聖の部分から切り離すのだろうか。そんなことはそもそも可能なのだろうか。

・・・重い重い問いかけです。


***

以上、連載第二十回を1回読んだ雑感です。アカン、眠気に負けそう・・・。後日、追加修正するかもしれません。

高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。

・・・2008年の完結は、恐らくないかもしれませんね・・・。もしもあったとしても、「第一部の完結」・・・になるのかもしれないなあ・・・、と思うこの頃。連載を読まれている皆さんのご意見は、いかがでしょう?


「太陽を曳く馬」 連載第十九回 (「新潮」2008年5月号)

2008-04-08 00:13:25 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
「AERA」2008年4月14日号の「平成雑記帳」は、桜の季節に振り回される日本について。
・・・『李歐』に想いを馳せるタカムラーさんたちは、何なんだ?

***

では、第十九回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・「僧侶たち」も6回目か~。この辺りで折り返しだろうか? 2008年の完結はありえんだろうと睨んでいますが。ここまで広げられては、収拾つけるのが大変ですよ。並みの作家では到底無理だ。連載、2009年まで食い込みそうな気がします。

ふと思ったのは、あらゆる宗教界に身を置いている方々が、この作品についてほとんどと言っていいほど言及されていないことが、逆に不思議だ。(新聞、雑誌などで)
無視、あるいは、沈黙。このどちらかか? それとも、固唾をのんで見守っている最中か?


福澤彰閑和尚、長谷川明円和尚と高木宏仁和尚、岩谷渓山和尚、岡崎博法和尚・・・今回もめんどくさいので一括。
しかし、各々の和尚たちの意見や見解を、見事に描き分けているなあ、高村さんは。

そういえば前回、「三蔵法師」といわれた明円和尚ですが、イメージとしてはアニメ「悟空の大冒険」の三蔵法師が近いかもしれない。
こちら あるいは こちら をご覧下さい。

先日読了した 塩野七生さんの『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫) に、「宗教は信じること、哲学は疑うこと」というような一文がありまして、「ああ、そうか、そうなのか」とすとんと腑に落ちた次第。
宗教と哲学の違いが、これではっきりわかったぞ。
宗教の根源、その何たるかを解き明かすための手段の一つが、哲学・思想なのか。だから毎回毎回、哲学者たちの名前と提唱した命題や内容が繰り返し出てくるのか。

前提として宗教が「信じること」であるならば、「問う」ことを続けていく(つまり、「疑う」)彰閑和尚は、レツ×ー三匹からしたらどうしても異端になってしまうんだろうなあ。
ある程度まで「問う」のはいいんだろうけれど、それが「疑う」、「疑い続ける」領域まで達してしまうと、宗教の根源まで「疑う」ことになってしまうから。
だから無視、あるいは沈黙するしかない。

この辺りを読んで、宗教界の人々のことを思った次第。

その彰閑和尚を、レツ×ー三匹はスルメイカで揶揄してますけど、福澤榮の私生児で、東大でスルメイカを研究して、船乗りになって、出家して、息子は殺人を犯し死刑に処された・・・という経歴の持ち主は、それだけでも「異端」なんだろうけどね。

だけど、どの宗教もそうだけれど、「異端」があってこそ「正統」たりえるもの。難しいね。

おっかけの少女たちに、「夢を見させる」ことを意識して上手(うわて)に出る態度というのはどうだろうね、高木和尚&岡崎和尚?
ここは高村さんのちくりとした皮肉が表れているような気もします。

おっかけの少女たちって、否応なく「上○ギャル」を思い出すんだよなあ。この人たちって、どうしてんだろう? 新しい対象を見つけて、同じようなことを繰り返してるんだろうか?

今回のメイン、明円和尚の見解。これは、「眼球座」主宰の女優・荒井久美子が福澤秋道に施したのと同じようなことを、明円和尚は末永和哉で試そうとした、ということか? 実験台にしたということか? 方法は違えど、行き着くところは同じような、似たような感じがした。

ヨーガについて。小学生の頃、「3週間で出来る はじめてのヨーガ」(うろ覚え)という本を買って、やってましたよ、私(苦笑) 初歩の初歩なので、頭で支えて逆立ちするアーサナ(←ポーズのこと)は、ありませんでしたがね。どちらかといえば、健康・美容のためのヨーガの手ほどき本でした。

麻原は座禅したまま空に浮いて停止したと言い張ってますが、昔ニュースで流れていた映像を見た限りでは、「浮いた」というよりは、「力を込めて踏ん張って飛んだ」と言った方が正しいかもしれない。激しく身体を動かして、髪を振り乱した姿は、優雅さとは程遠い。

今まで何度もヨーガの単語が出てきましたが、これもふと思い出した次第。

明円和尚の人柄や見解について、彰閑和尚が何も語らないのが、気にかかるなあ。
きっと合田さんと対峙した時に、話してくれるに違いない・・・と思う。そこに辿り着いたら、クライマックスも近いか? そこに辿り着くのは、今年の年末・・・? それとも2009年・・・?



合田雄一郎さん・・・今回も聞き手役。 そういえば吉岡くんの存在感が全くなかったな。居眠りでもしてるのか?(笑)

あの「空」のことを思い出した時に、貴代子さんや義兄のことを思い浮かべないというのが、あなたらしいというか。仕事中はプライヴェートなことを思い浮かぶことは、まあ、そんなにありませんがね。(少なくとも私はそうだ)

ほほう、二十数年の刑事生活で、五十人以上もの殺人者の逮捕状を執行したのですか。これって、一刑事としては多い方なのか少ない方なのか。基準や平均が解らないので、判断つかないのがもどかしいなあ。


***

以上、連載第十九回を1回読んだ雑感です。
今回、特に内容の順番がバラバラで申し訳ない。思いつくまま、入力しているので。
後日、ちょこっと追加予定。再読したら、気付くことがいろいろ出てくるもんね。

高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。


「太陽を曳く馬」 連載第十八回 (「新潮」2008年4月号)

2008-03-08 00:56:20 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
ラシーヌ 『ブリタニキュス ベレニス』 (岩波文庫) の 「ブリタニキュス」 は、先日読了しました。
全五幕の戯曲なんですが、合田さんがいたたまれなくなって読むのを止めたのは、第二幕の最後の部分なんですね。早すぎるよ、合田さん!(笑)

いずれ雑感などは、記事にする予定です。

そういえば来週、『バガヴァッド・ギーター』 が講談社学術文庫で発売されるのですね。何というタイミングの良さ!
岩波文庫が見つからないんだもん。恐らくこちらを買うでしょう。実物を見てからですが(苦笑) 倍の値段しますが、ね(苦笑)


というわけで、第十八回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・ 先月号の続きになりますが、それでも今回分について、高村さんはまた新たな表現法・描写方法を試されているなあ、と感じました。
真っ向から、この難しいテーマに挑んでらっしゃる。
それでいて、内容も面白い。読んでいて、何度面白いと感じたことか! 解らないけど、面白い。難しいけど、面白い。
この展開は、あと数回続きそうな気がしますが、どうなりますやら。

それにしてもそろそろ、梗概の内容を変えてもよろしいんじゃないでしょうか、担当者さん?


福澤彰閑和尚と高木宏仁和尚、岩谷渓山和尚、岡崎博法和尚・・・今回は一括した方がいいかと。
オウム真理教を巡っての、レ○ゴー三匹と彰閑和尚の対話と解釈。これがもう、面白くて面白くて! 理解は出来てないけど、面白い。難解ではあるけれど、面白い。

レ○ゴー三匹の各個人が自論や解釈を展開し、お互いに意見を共有したり、反発したりするのが、面白い。
また、それを受け止め、あるいは受け流す彰閑和尚の姿勢や反応も、面白い。多分、彰閑和尚の返答や疑問が、高村さんのご意見であり、疑問なんだろうと推測。
それでも、レ○ゴー三匹の各個人の主張があってこそ、なのでしょうけどね。

宗教には普遍性がないといけない、という見解は、その通りだと思う。現在、「世界宗教」と認識されているものは普遍性があったから、生き残ることが出来、更に拡大していくことが出来たんだろうから。

宗教の知識や理解と共に、欠かせないのが哲学の知識と理解。
この連載のために、ついに意を決して、手がかりになればと思い、『西洋哲学史 古代から中世へ』 『西洋哲学史 近代から現代へ』(ともに岩波新書)を読みました。「哲学史」ではありますが、哲学者たちの生の言葉・思考の軌跡なども載せられていました。
個人的に「何となく解る哲学」を述べている哲学者もいれば、個人的に「さっぱり解らない哲学」を展開している哲学者もいます。

その中で、何となく気になるというか引っ掛かるというか、以前から気に留めていたのが、今回の連載で登場した「スピノザ」だったりします。時代が悪かったのか、「汎神論」と誤解された(?)スピノザの思考を、今回の一件がきっかけで、もっと知りたくなってきましたよ。

同じく登場した、マックス・ウェーバーはどうかって? それは他の方に委ねますわ(苦笑)
ですが岡崎博法和尚が展開したように、「宗教を宗教たらしめる緊張関係には、もう一つ芸術と性愛がある」とウェーバーは述べたそうで、それをオウム真理教に照らし合わせてみれば、確かに当てはまらないのですよ。
世界宗教には、「芸術」と呼ばれるにふさわしいものが生まれてますものね。例を挙げれば、仏像のしなやかな姿。キリスト教会のステンドグラス。イスラームのアラベスク文様など。
一方、オウム真理教は? 何も「芸術」を生み出していない。生み出したのは、破壊行為だけ。

「性愛」については解らないので、逃げます(苦笑)

とはいえ、「性愛」と直接の関係はないでしょうが、明円和尚が(彰閑和尚の)「身体」に「一目惚れ」・・・って! 久しぶりの高村用語と用法、爆発しましたな(笑)
(念のため、意味の把握を勘違いしたくなりますが、たまには勘違いしてもええやん?)

またそのことを、サンガの幹部たちは確信・認識しているってのが凄いなあ。明円和尚は、バレてないと思っているのか? 片や彰閑和尚は、気付いているのか、いないのか? ああ、気になるぞ~!

ま、今さら合田さんもそんなこと言われたって、以前に田辺氏から聞かされて、それとなくほのかに気付いていたやん? そこで我が身を振り返って欲しかったですわ、合田さん・・・。

「明円和尚=三蔵法師」とは言い得て妙! だけどドリフターズの人形劇の三蔵法師(いかり●長介さん)ではないぞ!(←解る方だけ笑ってくだされ)



合田雄一郎さん、並びに吉岡くん・・・今回も脇役。
だけど、吉岡くんの反応が面白かったなあ~。お坊さんたちの話が終わり、辞した後に合田さんに向かって発するであろう、何らかの「言葉」がどんなものなのか、楽しみだ。

合田さんについては、上記でチラッと記したので、ここではやりません。


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以上、連載第十八回を1回読んだ雑感です。
今回分もファースト・インプレッションを大切に。後で気付いたこと、忘れていたことは、書籍になってからにします。眠いんだもん。
・・・とはいっても、8日に多少追加してますが。

高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。

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この土日は、大阪地どりを致します。初めて行く場所もあるので、楽しみ~♪


「太陽を曳く馬」 連載第十七回 (「新潮」2008年3月号)

2008-02-07 23:09:16 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
2008年最初の『太陽を曳く馬』を読んでいたら、合田さんへ加納さんの手紙が届いていて、

「今度、結婚しようと思う」

という一文があり、

「ぎゃあああ、義兄! 何いってんのー!!」

・・・と仰天して目が覚めました。
ええ、夢です。まったく夢でよかったわよ・・・。しばらく心臓がバクバクしてましたが。

しかし、よほど飢えていたんだなあ。先月、連載が無かったことに。加納さんがちっとも出てこないことに(笑) 最後に名前を見たのはいつ・・・? (連載第九回です)

というわけで、第十七回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


***

今回の概要・・・ついに来たか・・・! という感じです。
今までも、どの作品であっても抱いた感情ではありますが、声を大にして(ここではフォント数を大にして)、今一度申しましょう。
高村薫、恐るべし。

読んで「興奮する」「高揚する」状態になるのは、この方の作品だけかもしれない。加えて、読み手に熟考を要するのも。
この連載も毎回「凄い」「凄まじい」と圧倒されておりますが、今回分からしばらくは、別次元での展開が繰り広げられそうです。
高村さんの新たな挑戦(というと語弊があるかもしれませんが)に、敬意を表します。


高木宏仁和尚、岩谷渓山和尚、岡崎博法和尚・・・解散した「永劫寺サンガ」のレ○ゴー三匹。それが古ければネ○チューンでもいいけれど。さすがにかし○し娘はどうだろうか(苦笑)

この人たち、明円和尚のことは「明円」と呼びすて、彰閑和尚は「彰閑和尚」と敬称付。何だ、この差は?

次から次へと繰り出され、羅列される「仏教用語」に眩暈がする。だけどそれは、心地好い眩暈。
曹洞宗のことだけでなく、「仏教」と称される主な宗派の基本的な内容を、もう一度頭に入れておかないとアカンなあ、と思った。単行本になる前に、悪あがきしてみるつもり。

浄土宗・浄土真宗が「阿弥陀如来」を重要視するように、密教は「大日如来」に重点を置いていますね。
余談ですが、私は「大日如来」と結縁しています。密教系の高校に通っていたため、一泊二日の催し(?)に参加することが、決められておりましてね・・・。
ハイライトは、目隠しして真言を唱えながらあちらこちらと移動して、最後に両手の中に押し入れられた散華を曼荼羅の上に落とすんです。それが落ちた先の菩薩や如来と「結縁」したことになり、そのお名前の書かれた散華を頂戴して、「結縁」の証とする。
「大日如来」のお姿がど真ん中で最も大きいので(笑)、ほとんどはそうなるらしいのですが、たまに曼荼羅をはずれて落ちることもあるとか(苦笑) そういう場合は「大日如来」の散華を渡されるそうです。何しろ目隠ししているから、どこに落ちたのかが本人には分からないので。

「大日如来」の名を見た時、こんなことを思い出した。
ちなみに「クリシュナ」では『聖闘士星矢』。ついでに『テニスボーイ』(笑) アキマヘンで、私・・・。
さらに「アートマン」「マイトレーヤ」で『ワン・ゼロ』だ。これはもう、ずっとそうなんですが。



合田雄一郎さん・・・今回も脇役。だから短いよ。
『バカヴァッド・ギーター』、もう読んじゃったのですか。仕事もハードだというのにあなた、いつご飯食べていつ眠ってるんです? 身体、大丈夫ですか? 心配。

『バカヴァッド・ギーター』にあった、「私は万物の本初であり、中間であり、終末である」 の一文、聖書のヨハネ黙示録の 「私はアルファでありオメガである」 をすぐさま思い出した。(『リヴィエラを撃て』でお馴染みですよね)
宗教は違えど、まったく同じ教義があるのが面白い。
ねえ、合田さん。あなた、腐ってもキリスト教信者なんですから、そこのところどう感じたのか、知りたいもんですわ。


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以上、連載第十七回を1回読んだ雑感です。今回分は、もう数回読んでからでないと、雑感は記しにくいと思いましたが、ファースト・インプレッションを大切にね。多少は、曖昧にしている部分もありますがね。忘れている部分もあると思いますがね。まあ、いいや。

高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。


「太陽を曳く馬」 連載第十六回 (「新潮」2008年1月号)

2007-12-08 01:34:27 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
クイズにご応募いただいた方で、まだメールを頂戴していない方が数人いらっしゃいます。(お名前は出しませんが)
「9日(日)まで」と明記しましたが、12月いっぱいに変更します。忙しい時期で出せない、あるいは急にパソコンが壊れてしまったりして、連絡の取りようがないという可能性も、なきにしもあらずですので。
「参加賞」の資格はございますので、ご遠慮なさらずどうぞ。

また、「メール出したけど返信がない」という方がいらっしゃいましたら、ひょっとしたら届いていない可能性が高いです。お手数ですが念のため、メールアドレスを変えて出してみていただけますか? よろしくお願いします。

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今回の「新潮」、何がビックリしたって表紙が真っ黒!(ちなみに1年前は白地に赤文字だった) そして付録CD!
元々、書籍を名も実力もある俳優さんたちに朗読させたテープやCDを、早期から販売していた新潮社さんですから、ノウハウと培ってきた歴史はあるのですよね。

・・・しかし、まあ、これは個人的な好みの問題に帰するだろうなあ。聴くか聴かないかはわかりません。

というわけで、第十六回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


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今回の概要・・・大半は「久米弁護士vs合田さん」 それはおいておくとして、今回の驚き桃の木山椒の木は(何それ) いきなりネタバレしますが、「サンガの解散」でしょう。いや、解散というより、崩壊と表現した方が正しいでしょうか。 以上。

久米弁護士・・・「砂漠は清潔だからという理由でアラビアへ行ってしまったイギリス人」・・・って、トーマス・エドワード・ロレンスを私は思い浮かべたのですが、違うかなあ? 別の人かなあ。
「誰それ?」って方、「アラビアのロレンス」と言えば分かりますかね? この人、実在の人物なんですよ。(「映画の架空の物語だと思ってた」と聞いたことがあるので、念のため)

久米弁護士、合田さんを刑事としては奇特だのもの好きだのと、言いたい放題。
しかも「あなたはまだ人間の精神を信じておられる」と断言したのには、まいったなあ。たまりませんなあ。そりゃあ、この人の傍らあるいは背後にあの方がいる限り、信じ続けると思いますよ。

・・・またガンダムか。今度はZガンダムか。タイトルの「Z」は「ゼータ」と読んで、主人公はカミーユで、声優は飛田さんで、ブライトさんはミライさんと結婚して・・・ということしか、知らん。
で、来月はZZ(ダブルゼータ)か?(←ナゲヤリ)


明円和尚・・・今回のこの人、踏んだり蹴ったり。
久米弁護士も、明円和尚を「子ども」と言ってたなあ。いいとこのおうちに育った人間でも、島田先生や加納さんとはまた毛色の違うボンボンなんだろうね。
人間の真価というのは、「どん底からどうやって這い上がっていくか」で試されると思うので、サンガの解散でどこまで変わることが出来るか、出来ないか。ここを凌げたら、「子ども」から「大人」に変われる機会だと思うので、明円和尚、頑張れ。

・・・40~50代の男性でも、水疱瘡にかかる場合があるのか! そもそも明円和尚って、何歳だっけ? しかし気の毒に、もう子作りは出来ませんな。
そういや『黄金~』でも、テニス部のタケちゃんがおたふくかかって、子作りに支障が出来たとか、北川兄も息子のおたふくうつったから他人事じゃないとか、ありましたなあ。


合田雄一郎さん・・・へぇー、合田さん、札幌に出張してたんだ! 料金に入ってるはずの朝食が出なかったビジネスホテルって、どこだろう?(笑)

ホテルといえば、京王プラザ。ここは『マークスの山』で、宿泊している林原氏を張り込みしたところ。でも、今の合田さんにはそういう記憶も感慨もないんだろうなあ。

もしかしてもしかすると、彰閑訪ねて三千里、もとい、青森へ向かう可能性もあるんでしょうかね。今は亡き榮パパとアッキーが対峙して濃厚に語りあったように・・・。

間に挟まれた中国人関連の事件、<七係シリーズ>の第1話「東京クルージング」と第5話「凶弾」をちょっとずつ混ぜ合わせたような気がした。

『バカヴァッド・ギーター』って、何じゃらほい? 「ギーター」で調べてみたら、「マハーバーラタ」ですか。岩波文庫であるんですか。そうですか。ああ、また関連書籍の購読リストが増えてゆく・・・。

合田さんの1オクターブ高い声って、どんなだろう? この人の「声」って、あまり高くなく低くなく、ってのが私の想像。
どうせなら加納さんとチョメチョメしている時に、1オクターブ高い声を出して欲しいもんだ(こらこら)

・・・下衆なネタで終える。


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以上、連載第十六回を1回読んだ雑感です。今回も瞼半分落ちている状態。十秒以上瞼閉じたら、そのまま眠ってしまいそう・・・。また、仕事の疲れが溜まっている週末ですので、何が何だかわからないことを入力しているかもしれません。悪しからず。
読み直しは明日にします。

高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。



「太陽を曳く馬」 連載第十五回 (「新潮」2007年12月号)

2007-11-08 00:57:35 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
5日は22時半前に会社を出たので、ネットせず。というより、出来るかいな。眠いわ、こんちきしょう(←『照柿』 (講談社)の合田さんのまねっこ)
昼休みに読み損ねた「AERA」2007年11月12日号は、23時まで開いているJR大阪駅の某書店で立ち読み。今回は「食の安全」の違和感について。

6日も2時間ほど残業。寝不足。
眠いけれど、本日7日(あ、日付変わってる)は「新潮」の発売日。いつものように帰りの電車で読みました。
他の掲載作品は興味のあるものしか目を通していないのですが、「太陽を曳く馬」の前後に掲載されている連載物の、1ページあたりの行数の違い、文字の大きさの違いに驚いたわ・・・。「太陽を曳く馬」なんて、上から下まで、右から左までビッシリと文字が詰まってるんだもん。

というわけで、第十五回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


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今回の概要・・・「明円和尚vs合田さん」 これ以外の何ものでもない。対話の内容は、半分は彰閑和尚のこと、半分はそれ以外(←大雑把過ぎる)

長谷川明円和尚・・・前回のコメント、撤回しないといけないかも。
「何だか、スレる前の某義兄を思い出します(笑) 同じような空気をまとっているのではないでしょうか?」
とコメントしたのですが、どうやら合田さんは、そのように感じてはいないようです。
いやいや、某義兄の空気に慣れすぎて、感じなくなったというのも、ありえるか?

どちらにしろ、高村さんはこちらの短絡的でヨコシマな淡い期待と希望も、木っ端微塵に打ち砕いてくださるよなあ(苦笑) 良い意味で裏切ってくれるということですよ。

今回も、彰閑和尚に対する名言がありましたね。(明円和尚の口を借りてますが、発言者は明円和尚の父上だ)
ともあれ、彰閑和尚が明円和尚のことをどう見ているのか、知りたくなってきました。

男性が男性に抱く「嫉妬」というのは、女性同士の抱く嫉妬よりも数段性質が悪いと、個人的には思っています。(その理由は端折る。分からない方は『照柿』の合田さんと達夫さんを思い浮かべるのが、最も手っ取り早い)
その嫉妬に、明円和尚は折り合いをつけたのか。はたまた合田さんがしつこく感じたように、無関心になってしまったのか。元々から精神的な意味で大人に成りきれていない、子どもだったのか。

彰閑和尚と合田さんが相対するのは、まだまだ先のことでしょう。今回分で連載十五回。折り返しなのか、1/3なのか、1/4なのか、さっぱり分かりませんが。

明円和尚が説明した内容に、「アートマン」という言葉がありました。その途端、私が思い出したのは佐藤史生さんの『ワン・ゼロ』(現在は小学館文庫で読めます) この作品は繰り返し読まないと、その面白さが分かりません。

さて、明円和尚の語りを読んでいると(合田さんは「聞いている」ですが)、ここ最近の宗教・・・特に「過激」と称されているものには、「寛容」というものがないのだろうかと思えてなりません。自己と異なる他者を受け入れる寛容。


合田雄一郎さん・・・今回の大部分が、質問者と聞き手の役割。残りが思考・検証の時間。人、それを「刑事の仕事」と呼ぶ。
つまり今回も、「刑事・合田雄一郎」だったわけです。

「刑事は捜査に必要であれば何でも読みます」って・・・これはあなただけではないのか、合田さん? 警視庁随一のインテリ刑事が、あなたでしょ? 『正法眼蔵』吉岡くんが読んでいるとは到底思えないんだが・・・読んでいるんだろうか。

えーっと、他に記すべきこと、あったっけ? 明円和尚に力を入れすぎたか(苦笑) ああ、もう、眠たいよーん。


***

以上、連載第十五回を1回読んだ雑感です。半分瞼がおりた状態で、朦朧とキーを叩いたので、後日追記と修正をするかもしれません。悪しからず。
高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。


余談ながら、単行本版『照柿』(講談社)に、司法試験に合格し、検事になりたいと言った加納さんに合田さんは、判事の方が向いているんじゃないかと説いた、という内容の文章がありました。
・・・今となっては・・・ねえ・・・? えらい伏線だなあ、と(苦笑)
文庫版では、削除されてたのかな。覚えがないのですが。

うげげげ、もうこんな時間・・・また寝坊しちゃうわ。
それではおやすみなさい・・・ 


「太陽を曳く馬」 連載第十四回 (「新潮」2007年11月号)

2007-10-07 23:27:36 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
たまっている宿題、まずはこれからやりましょうか。

中之島音楽祭と、中之島地どりの後、用事があったので難波へ出て行きつけのお店で遅い昼食を。その後同じ建物に入っている書店へ行って、「AERA」2007年10月15日号の連載「平成雑記帳」を立ち読み。今回は「いい子」「普通の子」という表現の違和感について。

それから「新潮」を買って、帰りの電車内で読みましたよ。
いやー、中之島音楽祭に行く前に、書店へ寄って買おうと思っていたんですけど、後で買って正解だった! (地どりもあったから、荷物は軽く、ね)
先に読んでいたら、高村さんのお話に集中できなかったかもしれません。

というわけで、第十四回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


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吉岡くん・・・「ときめき」という発言、読んでいてえらくこっぱずかしかった(笑) まあ、ネット用語の「萌え」よりは、はるかにマシですが。(2001年当時にネット用語「萌え」という言葉があったのかどうかは不明)

個人的には「ガンダム」は第一作しか知りません。それも偏った知識でしか(だって小学生の頃に放映してたもんなあ) ゲームはしないから「ファイナル・ファンタジー」も何作あるのか知らない。「エヴァンゲリオン」も観たことない。
だから、吉岡くんとは話が合わないだろうな(←向こうもそう思ってるだろう)


僧侶たち・・・いちいち名前を挙げてられない。(←究極の手抜き)
タイトルが「僧侶たち」。・・・この胡散臭い結束は、「MARKS五人衆」を思い浮かべてしまうのと同時に、角界を揺るがしているあの事件を、自ずと思い浮かべてしまった。そう感じたのは、私だけではないはず。
高村さんが多用している表現を拝借すれば、「隠微」というのでしょうか。それに「隠匿」「隠蔽」と加われば、完璧ですな。

私はたまたま仏教系の高校・大学を出てますので、合田さんが気づいた呼吸回数の少なさについては「ああ、そうだったなあ」と懐かしく思い出しました。仏教の授業で、瞑想の時間があるのですよ。約15~20秒間隔で、ゆっくり吸い込み、ゆっくり吐き出す。瞼は完全に閉じず、うっすらと開けておく。手はゆるやかに重ねる。かつて一世を風靡した「α波」が、この状態の時に最も放出されるのだそうです。



長谷川明円和尚・・・昨夜、血迷って「彰閑×明円」と記してしまいましたが、これは精神的な意味であって、肉体的な意味ではありませんので、悪しからず。彰閑和尚からは、良い意味での影響と刺激を受けているんでしょうね。

末永さんに関する彰閑和尚とのエピソードは、連載第十回で、「明円が彰閑に屈したということか」と合田さんが感じたことがありましたが、それを裏付けるような発言でしたね。

彰閑和尚と明円和尚の共通点は「インテリ」ということでしょうか。他の僧侶たちには、インテリ臭というか、知性が感じられないのですよ。

阿頼耶識(アラヤ識の表記でした)は、「聖闘士星矢」のシャカさんのおかげで何となく分かるのですが(←それで分かるというのも、どうなんだ?)、唯識は・・・。明円和尚、優しく講釈して下さい(笑)



合田雄一郎さん・・・「後で買って正解だった」と上記で記したのは、もちろん合田さんの吉岡くんに対する心情のことですよ。
この人が他人のことを「嫌い」なんて、こうもはっきりと自覚している描写なんて、今までなかったでしょう! これが今回で一番の衝撃だった!
(自身を「嫌いになる」と自覚したことは、ありましたよ。文庫版『マークスの山』参照)

別れた妻の加納貴代子さんも、もちろん加納祐介さんに対しても、「嫌い」と感じたことはなかったはず。「憎い」と思ったことはありますがね。
幼なじみの野田達夫さんは、どうだったろうか。「未来の人殺しや」と決め付けたのは、子供時代のことだからなあ・・・。

『LJ』で相対した半田修平さんとは、愛憎とか好悪とかの感情は、超越していたか。あるいはそこまで至っていなかったか。それとも、そんな感情を抱ける状態ではなかったか。

かつてはお蘭に対してすら「好きになるには百年かかる」と思った合田さんが、こうもはっきりと「嫌いだ」と断定してしまったのが、もうもうもうショックでショックでショックで・・・。
吉岡くんでなく、まるで私が言われているような気がしたんですよね。年代は違うのだけど、吉岡くんと同じ70年代生まれなので(苦笑)

ごめん、今回の合田さんについては、これくらいしか雑感が出てこない。

あ、そうだ。「黄色い電気ネズミ」って、何? 電気羊なら分かるんだが・・・(フィリップ・K・ディック) 合田さん、何だかんだと、いろんなことを知ってますなあ。
(【2007.10.10 追記】 「黄色い電気ネズミ」は「ポケットモンスター」の「ピカチュウ」のことだと、情報を頂戴しました。ありがとうございます♪)

そうそうもう一つ。私はコーヒー飲めないので、スターバックスのコーヒーを合田さんにおごってもらえることは、永遠にない(そもそも、スタバに入ったこともない) これも悲しいなあ・・・。


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以上、連載第十四回を二回読んだ雑感です。
高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。


「太陽を曳く馬」 連載第十三回 (「新潮」2007年10月号)

2007-09-08 01:12:40 | 『太陽を曳く馬』 連載 雑感
情報が入ってきたので、取り急ぎご紹介。 ニュースソースはこちらから。

雑誌「SIGHT」2007年10月号 (ロッキング・オン)に、高村薫さんのロングインタビューが掲載されています。

「作家は語る」という特集の一本。「SIGHT」の編集部の日記によりますと、「高村薫さんは話題沸騰の連載小説について創作の源を語ってくれました。」とのこと。
「太陽を曳く馬」を、今まで読んできて、これからも読んでいく身には、必読かもしれませんね。

8日は出勤日なので、書店に寄って確認してみようっと。多分、購入すると思います。

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発売日の7日は残業になることが分かっていたので、昼休みに三省堂書店へ行って、「新潮」を購入。(だからこんな時間に入力している)
帰りに読了。会話文が多かったせいか、意外と早く読めた気がする。

今号から、連載2年目に突入。物語の合田さんの時間軸では、まだ2週間くらいしか経てないのか!
使い古された表現かもしれませんが、謎が謎を呼ぶ展開。まさしく「迷宮」の模様。

それでは第十三回の雑感を、いつものように、だらだら、ぐだぐだと。
当然、まだ読まれてない方も、入手できていない方もいらっしゃるわけですから、物語の核心については、おおっぴらにネタバレはしませんが・・・警告:隠し字にしておりますが、以下は自己責任でお読み下さいませ。(『晴子情歌』 『新リア王』の内容も、そして『マークスの山』 『照柿』 『レディ・ジョーカー』 いわゆる<合田三部作>並びに<七係シリーズ>の内容についても、「既読」を前提とした上で、多少触れている場合があります。)
また、コメント欄に入力する場合、ネタバレはOKとします。もちろん
「太陽を曳く馬」限定で。未読の方はご注意下さいませ。


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今回の概要・・・今回から、上記の但し書きに<七係シリーズ>を加えました。
一ページ目の「○太○妃」の単語に、<七係シリーズ>を読破された方で、第四話で合田さんと○太○妃に似た女性の邂逅シーンを思い浮かべた方、おられます? 思い浮かべなかった方は、再読するように!

また、同時に「そういう時期の話だったんだなあ」と、思わず過去を懐かしんでしまう自分がおりました(苦笑)

前回のヴィトゲンシュタインにカントに続き、フロイトとラカン。うひーん。


吉岡くん・・・毎回、彼がどのような名言・迷言を吐くのか、楽しみにしている人も多いはず。その発言を受けて、合田さんの困惑する姿が見られるのも、密かな楽しみになっている人も、きっといるはず。

今回は「タカラヅカの舞台に松○聖○が混じっているような感じ」でしょうねえ。再読日記をするとしたら、迷わずこれをタイトルに選んでますわ。

それと反対の意味では、「考えるのは係長に任せます。どうやらお好きのようですし」に、ちょっと腹立つものがあったわ。

ところで吉岡くんって、20代でしたっけ? とすると、70年代後半から80年代前半の生まれか。うーん・・・(眠気で考えがまとまらん)



福澤彰之(彰閑)さん・・・『新リア王』で榮パパと過ごした四日間は、11月末から12月初めのこと。だから、その絡みと秋道の件も加えて、放浪(と言っていいでしょう)の旅に出たのかなあ・・・と裏読みしたりして。

「彰閑和尚」としての彰之も、「異端」に属するようで・・・。「異端=少数派(マイノリティ)」という図式が、世の中にはまかり通っていることが多いですが、少数派だから異端・・・ということも、物事によってはありえるし、ありえない場合もある。
永劫寺サンガの中では、彰閑和尚はごくごくまとも、常識人に見えてくるから、不思議だ。『晴子情歌』 『新リア王』を2回読んだ私としては、とてもそうは思えないから(苦笑)



合田雄一郎さん・・・今回も、「刑事・合田雄一郎」でしたねえ。
『LJ』で、死ぬまで刑事を勤めるだろう・・・と決意を改めた合田さんも、ついに定年のことを考えるようになったのか!? 何か、えらくショック受けたよ・・・。
(その前に考えなきゃならない存在がいるだろう! というツッコミはおいておきましょう)

だけど再三・・・どころかその数十倍、刑事という職業に就いて、刑事として働くということの意味や考えが、また揺らぎかねないんじゃないか・・・という漠然とした不安も感じてしまう。
その揺らぎが、合田さんの魅力の一つなのではあるのですが、ね。
良くも悪くもそういう組織に属している限り、生じる矛盾にあがき、考え、もがいていく合田さんが、私は好きなのですが。

合田さんも○田○子を知っていたか! 何か、これは新鮮なショックだった(笑) そういう俗なことには、無関心でいて欲しいと思っていたので。
タカラヅカはいいんですよ、はい。元々は大阪人(関西人)の合田さん。電車、街中のポスターやTVで観たこと、あるはずだもん。

そういや、「『神の火』をタカラヅカで上演したい」と言ったタカラヅカの女性演出家さんがおりましたなあ。・・・「清く正しく美しく」の物語ではないと思うが、上演出来るのか!? 一版受けしない物語だから、大劇場ではきっと無理。バウホールなら出来るかもしれませんが・・・。
もしも上演可能な場合、江口さんには、10年後の轟悠さんにお願いしたい(笑)


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以上、連載第十三回を一度読んだだけの雑感です。
高村さん、ありがとうございました。続きを楽しみにしております。

うわーん、もうこんな時間! 早くお風呂に入らなきゃ・・・。おやすみなさいませ・・・