あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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第三章 一九九五年春――事件 (2)  その4 (連載第38回途中~第40回途中)

2016-06-29 00:14:46 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
昨日の朝日新聞夕刊(関西版)で、今週も「大峯伸之のまちダネ」の<住友村の変容>で、三井住友銀行大阪本店ビルが紹介されています。
東京の三井住友銀行も紹介されてましたが、これってドラマ「ハゲタカ」の三葉銀行・・・ですか?

第三章 一九九五年春――事件 (2) その4  (「サンデー毎日」 '96.3.17~'96.3.31)

☆立っている地平の違いは、互いの誠意や気配りの有無にもかかわらず、いつどんなときでも波長の違いになり、その差が埋まることは決してない。そこに、新聞記者とネタ元の永遠の距離を感じるのだが、同時に、ネタ元から入る電話には無条件に心身が反応し、気体で心臓がちくりと飛び跳ねもする。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p71)

☆記者には、この段階ではとりあえず、ネタ元の情報の中身を云々する余裕も権利もない。地平の違いは、往々にして焦点の差にもなるが、中身は手にしてから判断すればいいことで、それ以前の段階では電話一本、目配せ一つ、呼吸一つ、何でも食らいついてとにかく手にすることが先決だった。そして手にした後は、価値があってもなくても決して失望はしないこと。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p71)

☆この二日半、十人ほどいるネタ元に電話をかけ続け、本社の遊軍や支局の同期からちょこちょこ入ってくる話に耳を尖らせてきた結果、自分の手に入った情報の山は、ほとんど閉店間際のスーパーマーケットだった。一応いろいろ並んでいるのでどんな料理でも作れそうだが、よく見ると、材料が少しずつ売り切れている。それでも、何か一つぐらいは作れるはずだと陳列棚を眺めて思案しているうちに、どんどん閉店時刻は迫ってきて、結局料理をあきらめ、出来合いの弁当を買ってすませたというのが、自分の書いた記事だ。半分は筋の原稿に付きものの、官報もどきの言い回しで埋め合わせ、残りは記者発表の文言をつなぎ合わせただけの、幕の内弁当。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p72)

☆徒歩で十数秒の記者会見場へ向かう間、久保は、今さらながらに自分がふわふわと興奮しているのを感じ、少し居心地の悪さに浸った。ネタがないならないで、焦りながら興奮し、閉店間際のスーパー状態でもそれなりに興奮し、あっちへ走りこっちへ走りしている自分に興奮して、最後には自分で何をやっているのか分からなくなってくる。しかしすぐに、ふうとため息一つでごまかして、《反省するなら取材しろ》と自分を叱咤し、いつもの通り、それでおしまいだ。 (「サンデー毎日」'96.3.24 p114)

☆『そんなふうに物事を悪く悪く考えるから、あなたは女房のことも信じられないのよ、そんなに人が信じられないんなら、結婚なんかしなきゃよかったのに』
そう皮肉る女の声が脳裏をかすめたところで、根来は手帳をしまった。十年前に別居するまで、週に一回は聞かされた女房の台詞だったが、当時は耳を貸す余裕がなく、外へ出て気晴らしをしてこいと言うのが精一杯だった。今は耳を貸す余裕はあるが、どちらが正しいのかほんとうに分からない。人を信じられない自分が悪いのか、あるいは、信じるに値しない人間がいるのが悪いのか。
 (「サンデー毎日」'96.3.31 p91~p92)

☆直感だとは言うが、人一倍の努力を重ねて警察内に多くの人脈を築いてきた久保は、かなりの部分、捜査側の感覚を身につけてしまっている。久保に関する限り、そのために判断を誤るような心配はないが、日之出ビール社長誘拐をこの段階でプロの手口だと断定するその頭は、市井の感覚からは少し距離があるのだということを、機会があれば話してみてもいいかなと根来は思った。 (「サンデー毎日」'96.3.31 p93)


【雑感】

その4は、久保晴久さん視点、根来史彰さん視点。

久保っち視点は、「サン毎版だけにあって、書籍でカットされた」のがいろいろあって、そのうちの1つが今回出てきました。
簡単に記しますと、

「警視庁クラブの久保たちの元に、「警視庁に駆け込んだ刑事部の木島という検事が<やられた>と発言」という情報が入る。つまり「日之出側が裏取引をしたのではないか」と検事は見ている、ということか? とウラを取ろうとする久保たち」

という内容でした。


他に特筆すべきは、根来さんの別れた奥さんの台詞があるところ。書籍では

<人を信じられないのなら、女房も信じられないのだろうと、十年前に別居した妻によく皮肉られたが、>

と、地の文に変更されました。


入力中に気付きましたが、
「ふうとため息一つでごまかして、」が、サン毎版では、
「ふうとため息一つでごまして、」 と脱字がありました。


第三章 一九九五年春――事件 (2)  その3 (連載第36回途中~第38回途中)

2016-06-22 23:50:27 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
昨日の朝日新聞夕刊(関西版)にも、「大峯伸之のまちダネ」の<住友村の変容 3>で、『黄金を抱いて翔べ』でお馴染み、三井住友銀行大阪本店ビルが紹介されています。3回目は内部の1階応接ロビーのステンドグラスの紹介。
本日の夕刊は選挙開始の特別版のためか、掲載がありませんでした。


第三章 一九九五年春――事件 (2) その3  (「サンデー毎日」 '96.3.3~'96.3.17)

☆去年秋、リスクマネジメントのコンサルタントが言ったものだった。警察と何らかの関わりを持たなければならない事態になったとき、無防備でいられるのは幼児だけですよ、と。 (「サンデー毎日」'96.3.3 p71)

☆今の気持ち。監禁中に考えたこと。日之出が標的になったことについての感想……?
今やまた、何も分からなくなったと思いながら、城山は乗用車の後部座席に身を埋めて頭を垂れた。分かっているのは、この自分の状況はたしかに犯罪者のようなものだということと、それでも日之出を守る義務だけはあるということだけだった。警察に頼るか、三五〇万キロリットルのビールが人質だと言い残した犯人の慈悲にすがるか。その判断には、いま少しの猶予を残しておくつもりだったが、両隣に座っている捜査員たちを相手に、城山はとりあえず腹の探り合いを覚悟した。双方の利害がどこまでも一致することがない以上、なびいた方が貧乏くじを引くことになる。
 (「サンデー毎日」'96.3.10 p71)

☆なんでと尋ねられて、合田はちょっと返答に窮した。時間が経てば経つほど、被害者は対外的な防備を固め、知恵をつけ、顔を作るようになる。これからも、記者会見などで城山恭介の顔を見る機会はあるだろうが、そのときはすでに別人の顔になっている可能性がある。事件に巻き込まれた被害者の、山のような思いが変形しないうちにその素顔を見ることが出来る機会といえば、富士吉田から東京へ戻ってきた辺りが限度だった。大森署に入るときの顔を逃したら、もうチャンスはない。ブツの捜査には関係ないし、ちょっとは励みになる、といった次元の話でもないが、ただ見たいだけだった。折にふれて、そういう理屈なしの欲望が噴き出すようになって、もう久しい。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p68)

☆見慣れた高架とその谷間の第一京阪やオフィスビルの連なりが作る風景は、合田には端的に《窒息》という記号だった。脚立を並べて路上を埋めている報道陣も、カメラというカメラが注視している第一京阪の車の流れも、そのときとくに目に入っていたわけではなく、窒息感の傍らで神妙に動き続ける自分の心臓を訝りながら、自分という個体は何のために生まれてきたのかなと、実りのない自問に陥っていただけだ。
しかし一方では、《窒息》の底には一部に熱をもった鬱屈の溶岩が溜まっていて、間を置いてはどこかにともなく噴き出してくる。考えるなと自分に言い聞かせては考え、期待していないつもりなのに期待し、勝手に足は動き、勝手に苛立ち、突然どうしても被害者の顔を拝まずにいられなくなったりする。その衝動は、つい数年前には想像もつかなかった激烈さで、自分でも怖くなるほどだった。
 (「サンデー毎日」'96.3.17 p69)

☆全部合わせてもほんの十秒足らずの間だったが、合田は城山恭介の顔一つに見入り、凶悪事犯の被害者には見えない整然とした外見や、誠実にもしたたかにも見えるその表情を追った。中でも、取り囲む報道陣や警察に城山が投げかける表情の堅固さは目を引き、合田はふと、ときどき金融事件などで捕まる企業人たちの顔はこれだな、とも思った。企業人たちは、とりあえずは企業論理と市民感覚と個人の三つの鎧で固めて、司法組織と対峙してくる。城山はまったくの被害者の立場だが、この先、いずれは捜査と企業の双方の利害が対立することを予想しているのか、警察に対して全面的に依存するような顔はしていなかった。かといって、明らかに腹に何かあるような顔ではもちろんなかったが。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p69)

☆現場の刑事に、警察と大企業の凭れあいを斟酌する必要などないが、上が幕引きだと言えば、現場は従わざるを得ない。連れの愚痴の中身は、ただそれだけのことだった。合田とて、似たようなことを考えないわけではなかったし、あえて異論を唱える気もなかったが、その一方で最近は、組織や身内の論理に対する関心が、これまで異常に薄れているのも感じていた。そういう「だから?」だった。
だいいち、企業相手の捜査をあれこれ言う前に、企業という現実を自分はどれほど知っているのかと合田は自問する。十四年の刑事生活でずいぶん社会を見てきたつもりだったが、それも、警察という特殊な組織のフィルターを通して見てきたに過ぎない。日本人の大多数が生きている企業社会についてほとんど何も知らない自分の目に、日之出ビールという大企業の社長その人の表情が、どの程度、的確に捉えられたというのか、あらためて考えると、合田には自信はなかった。そうして、わざわざ行きずりの病院に立ち寄って、逮捕監禁事件の被害者の顔一つを見た結果、自分自身の人生の狭さにあらたな窒息感を覚えた、というのがほんとうの感想だった。
 (「サンデー毎日」'96.3.17 p70)

☆合田は目を逸らせ、いったい誰が悪いのだろうと思う。今ごろ捜査の中心にいる特殊班や二課の何人かは、事件の全容を突きとめようと全神経を尖らせており、その動きが見えない末端の自分たちは欠伸をしており、また別のところでは、誰かが事件に関係のない内通ごっこにかまけているというのは。 (「サンデー毎日」'96.3.17 p69)


【雑感】

その3は、城山恭介社長視点、根来史彰さん視点、合田雄一郎さん視点。でもって根来さん視点は取り上げてない。
今回、合田さん視点を入れるかどうか、散々迷ったんですよー。引用部分の入力が多くて大変なので。しかし、踏ん張りました。

今回分でサン毎版に無いのは、「昨夜、義兄と電話して、城山社長のことを合田さんが訊ねて、加納さんが答える」という回想の場面です。

サン毎版は、ことごとく義兄の影が薄い・・・!

このことから勝手に推測するに、この時点では高村さんは「加納さんの合田さんへの想いをどうするか」というのを迷ってらしたか、あるいはハナから考えてなかったか。 ・・・としか思えん!

当初は合田さんを死なすつもりだったらしく、死ぬ人間に対して義兄の想いをどうこうするのも、おかしな話ですしねえ。

高村さんは、どの辺りで転回されたのか。探れるといいな。


第三章 一九九五年春――事件 (2)  その2 (連載第35回途中~第36回途中)

2016-06-20 23:27:08 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
本日の朝日新聞夕刊(関西版)にも、「大峯伸之のまちダネ」の<住友村の変容 2>で、『黄金を抱いて翔べ』でお馴染み、三井住友銀行大阪本店ビルが紹介されています。高速道路を含めた上からの写真なので、ちょっぴり偵察気分を味わえますよ。


第三章 一九九五年春――事件 (2) その2  (「サンデー毎日」 '96.2.25~'96.3.3)


☆合田雄一郎は一度にざわめき始めた会議室を出て、三階の洗面所に入った。被害者発見を聞いたとき、考える前に足が駆け出しそうになり、もう少しで〈現場へ行かせてくれ〉と叫ぶところだった。そんな自分を、もう一人の自分はそのとき、少々慈悲深い目で斜めに眺めていたが、現実に生きて動いているのは、その両者を足して二で割った自分だ。 (「サンデー毎日」'96.2.25 p72)

☆警察官。
その一語は、事件発生直後に臨場した際、頭に満ちた靄の中に含まれていた何ものかが、論理のフィルターを通って形になったものだった。しかし、警察官の一語は、そうして脳裏をよぎるたびに軽い電気ショックになり、号だの思考に空白を作る。
合田はしかし、そこで現実を優先させて思考を一旦停止させなければならなかったし、現実にそうした。そうしなければ、今自分に割り当てられている仕事に専念出来ないからだが、それ以上に、不本意な現場で不本意なミスをしでかして自分のクビが飛ぶことを、この自分が恐れているのだということも分かっていた。四月には三十六になる男一人、刑事をクビになったら何をするというのか。
 (「サンデー毎日」'96.3.3 p69)


【雑感】

その2は、久保晴久さん視点と、合田雄一郎さん視点。でもって久保っち視点は、取り上げるべき部分が無い。
そして、短くてゴメンなさい。その3で予定している城山社長視点が長いためです。

上記に挙げた合田さんの部分は、単行本・文庫と読み比べてみれば、微妙な表現の違い、そして有無の違いがあることが分かります。

今回分で、いの一番に挙げるべきは、書籍にある「合田さんが携帯電話で加納さんからの留守電を聞く」場面が無い! のです。

サン毎版では義兄の存在どころか、おぼろげな影さえもないのです。書籍化の際に相当、加納さんに関する内容を加筆修正されたのですね。


第三章 一九九五年春――事件 (2)  その1 (連載第33回~第35回途中)

2016-06-19 23:34:46 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
先週末から今週いっぱいにかけて、連日夜9時ごろまで残業してたので、作成できませんでした。すみません~。
(『黄金を抱いて翔べ』に登場する某施設に関する仕事が入って、内心ではちょっとニヤニヤ、外面では「残業しんどい、いやや~」状態)

関西版の朝日新聞夕刊にだけに掲載されたと思うのですが、「大峯伸之のまちダネ」という写真付きコラムで、<住友村の変容 1>に、『黄金を抱いて翔べ』でお馴染み、三井住友銀行大阪本店ビルが紹介されています。
昨年5月に半世紀ぶりの大改修が終わったとのこと。これから地どりされる方は、とても綺麗な建物が見られることと思います。

サンデー毎日版『レディ・ジョーカー』は本日読了。ああ・・・長く充実した読書期間でした。幸せ♪ 読み終えるのがもったいなくて、ゆっくり読みました。

第三章 一九九五年春――事件 (2)は、「サンデー毎日」'96.2.11~'96.6.9、連載第33~49回途中まで。 すごく長いので約10回程度に分割してアップします。

第三章 一九九五年春――事件 (2) その1  (「サンデー毎日」 '96.2.11~'96.2.25)


☆その後、一転して、急激な静けさが訪れたかと思うと、一瞬の驚愕が走り抜け、
城山は〈死ぬのだな〉と思った。この世のものではない冷気に全身を包まれながら、この冷気は昔、空襲のさなかに自分をいつも覆っていたものだと思い出す。混乱し、戸惑いながら再度〈死ぬのだな〉と思い、摩訶不思議さと、形の定かでない恐怖と悲しさに、あらためてじわじわと全身を締めつけられた。死というのは、いきなり驚愕とともに訪れ、ほんの少し余分な待ち時間があると恐怖がそれに伴い、さらに余分な時間があると、深々とした悲しさがついてくるもののようだった。なるほど、これが死ぬということか。
 (「サンデー毎日」'96.2.11 p69)

☆法学部在籍中、ゼミの仲間は皆司法試験を受けたが、城山は法律の道にも進まないと早くから決めていた。卒業して企業に入ったとき、二十二歳の若造は何を考えていたか。人間に対する深い慈愛がなければ務まらない医師や弁護士は、自分にはその資格はないが、物を売って対価を得る資本主義経済の一端なら担えるだろうし、誰にはばかることもない。そんなふうな恐ろしく浅薄な考えで、社会人の一歩を踏み出したのだということは、自分以外の誰も知らない。 (「サンデー毎日」'96.2.18 p68)

☆ものを作り、売る、企業行為とは何なのか。商品力、営業力とは何なのかを考え始めたのは、やっと四十を過ぎた頃だったろうか。二度の石油ショックとプラザ合意がさすがに効いて、日本経済の行く末と社会のありうべき変化、その中でのビール事業の未来図を描きかね、密かに自信を失い始めたのもそのころだった。しかしそれも、昭和五十年代を通して、ビールの販売量が好景気と市民生活の膨張に支えられて伸び続けていたから、そんな悠長な迷いに甘んじられていたのであり、ぐすぐすしている間に、本来しておくべき問題提起や具体的行動を怠っただけだったのだ。 (「サンデー毎日」'96.2.18 p68~69)

☆今は、はっきり分かっていた。経営とは、株主の利益を図り社員の生活を保証するという、単純明快な義務だ。経営者個人の自信や迷いが何であれ、利益を確保する義務があり、それを果たす義務があり、果たすために何をどうするか、だ。社員にはよい商品を作り、売る努力をする義務があるが、利益を確保するのは経営の義務だ。 (「サンデー毎日」'96.2.18 p69)

☆失敗は半年後にははっきりするが、成功は半世紀後の人間が知ることだ。
そんなふうに考えてみると、今の今、自分という個人には大したものは残っていないなと城山は思い、ことさら悔いることもないが、満足するにはほど遠い企業人生だったと結論を出した。さらに人間としての成長云々を言われたら、二十二のころの小生意気な世界観からいくらも抜け出しておらず、八歳で身につけてしまった自己不信の原罪は未だに悔い改めてはいない。
 (「サンデー毎日」'96.2.18 p72)


【雑感】

その1は、誘拐された城山恭介社長視点。

サン毎版だけにしかない事柄、またサン毎版に無い事柄を、上記に引用したもの以外で、気づいたところだけ挙げます。勘違いしてたり、間違っていたらごめんなさい。

一番の相違は、書籍にある「解放後、例の写真を見せられた城山社長が、自殺しようとして思いとどまった描写」 が無いところでしょう。 写真は細かく破って埋めていたところは一緒。

この「自殺しようとして止めた」ことが無いことによって、サン毎版では後々の内容にも響いてきます。


他には、《日之出マイスター》の開発チームに電話を入れた言葉が、

☆「飲みました。第二の日之出ラガーです。ありがとう」だったが。 (「サンデー毎日」'96.2.18 p70)

になっていました。


城山社長が思い描き、執念で完成させた、《悦び》《華やぎ》《晴朗さ》のコンセプトがこめられた《日之出マイスター》のようなビール製品って、現実にはあるんですかね? 私は下戸なので、分からないし、判断のしようもないのですが。

ビールに限ったことではありませんが、それでなくても毎年のように新製品が出ては消えていき、限定品もあり、定番やロングセラー製品でも改良を重ねたり・・・。
日○の「●王」なんて、途中で改悪(私にはアレは改悪だった!)されちゃって、長期間買わなかったことがあったもんなあ・・・。今は生麺の「●王」に落ち着いてますが。

《日之出マイスター》は、もしかしたら高村さんが「こんなビールが飲みたい」と思われた、理想のビールなんでしょうか?


第三章 一九九五年春――事件 (1)  その3 (連載第30回途中~第32回)

2016-06-12 23:15:03 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第三章 一九九五年春――事件 (1) その3  (「サンデー毎日」 '96.1.21~'96.2.4)


☆所轄でのこの一年は、班としての、課としての、署としての検挙率を上げるために、自分の手にあるものは何でも吐き出してきたつもりだが、ときどき理由もなく、人の顔を見るのも口を開くのも億劫になって、心身がずんと重くなる。今も少し、そういう状態だった。 (「サンデー毎日」'96.1.21 p55)

☆合田が本庁にいたころ、神崎は鑑識課長だったが、そのころから《効率》が歩いていると言われた人物だった。挨拶や物言いから、人間関係、捜査指揮の手法まで、すべてが正確、迅速、鋭利に回転している感じがする。刑事向けの部内報の『第一線』に載った今春の一課長就任時の挨拶の言葉は、《凶悪化する犯罪の脅威にさらされている市民の不安と被害者の無念と、刑事警察の果たすべき責務を思えば、犯罪捜査における組織の身内の論理、妥協、言い訳などは一切無用である》だった。
合田はそれを読んだとき、ついていくのに不服はない人物だが、一旦反りが合わなくなったらそれで最後だなとも、ちらりと思った。組織における強固な意志というのは、公平無私であっても自我は自我、主観は主観だからだ。その自我や主観はしかも、一課長ともなると、官僚組織で出世するために不可欠の、複雑怪奇な免震構造のバネも同時に備えている。そのバネがどんなものなのか、自分には死ぬまで分からないのだろうと、そんなことをふと考えていたために、合田は普段着のままのチノクロスパンツの両脇に揃えた自分の指先を、ぴしりと伸ばすことはなかった。
 (「サンデー毎日」'96.1.28 p79)

☆クラブから電話を入れてきたのは一課担の久保晴久で、たまたまその電話を取った根来史彰は、そうして久しぶりに後輩の久保の声を聞くことになった。相変わらず、喉に緊張や内省の皮一枚が張っていて、何事も一旦その皮を通過してくるような、抑制のきいた声だと思った。いったい先輩の誰がそうだったというのか、新聞記者は生身であって生身でなく、弱者の味方であるが中立でもあるといった二律背反と、久保は真正面から格闘しているような感じがする。根来自身がとうの昔に失った、あるいは初めから持っていなかった報道への情熱や信念の一つの形を、久保の声を聞くたびに、ああこんなものだったかなと思い知らされて、根来はちょっと考え込むのだ。 (「サンデー毎日」'96.2.4 p72)


【雑感】

その3は合田雄一郎さん、久保晴久さん、根来史彰さん視点と目まぐるしくかわります。

サン毎版だけにしかない事柄を、上記に引用したもの以外で、気づいたところだけ挙げます。勘違いしてたり、間違っていたらごめんなさい。

・土肥課長代理に「幹部がいつこっちへ来るのか、聞いてこい」と言われた合田さん。単行本・文庫では聞きに行くフリをして、時間潰してから「分からないそうです」と誤魔化してましたが、サン毎版では以下の通り。

☆「勘弁して下さい」と合田は返事をし、「それより、会議室に折り畳みの机と椅子を入れましょうか」と適当にはぐらかした。しかし土肥は、頑迷に「まだ、本部どうこうという指示は来てない」と言い、続けて「この重大事に椅子や机がどうした!」ときた。
合田は釈明をする気もなく、「すみません」とだけ詫びてドアに手をかけた。
 (「サンデー毎日」'96.1.21 p58)

反抗してる(笑) 無駄な抵抗、かわいいねえ。結局、数時間後には机と椅子を並べる羽目になるんですが。



第三章 一九九五年春――事件 (1) その1
で紹介したサン毎版にしかいない人物、第一機動捜査隊本部班長の上浦俊一警部は、今回限りで、もう出ません。書籍化されたら名前がなくなって「班長」の表記のみ。「何だったんだ・・・」と思われたから、高村さんもカットされたんでしょうなあ。合田さんと絡むのかと思ったら、アレきりなんだもんなあ。


今回特筆すべきは、合田さんの神崎秀嗣一課長評。
「ついていくのに不服はない人物だが」なんて、えらく好意的じゃないか。 『LJ』の単行本・文庫のこの辺りの合田さん、サン毎版ほど神崎さんに対してそんなに好意的ではなかった気がするぞ。
後の『冷血』(毎日新聞社)で神崎さんとのことがちらりと語られてて、それを思い出しちゃったじゃないの。サン毎版の表現のほうが、『冷血』に繋がってるよ。

『冷血』上巻 「第二章 警察」 読書メモ で取り上げましたが、ご覧になるのもめんどくさいだろうと思うので、『冷血』上巻p199より抜き出します。

■一方、自分はといえば、Kが捜一課長だった時代にその引きで警部に昇進したこと。

■Kの子飼いだった自分は強行犯捜査を外れて特殊犯へ異動したこと、などなど。

K(=神崎)の子飼い、合田雄一郎!
 なんだもんね。「LJ事件」の後は神崎さんに贔屓にされていたことは知ってたけれど、まさかここまでとは、と驚いたもんなあ。


最後におまけコーナー。

【今回の義兄・加納祐介】

◆電話は、東邦本社からあまり遠くない法務検察合同庁舎の八階にある、特捜部の検事席の一つにかかるはずだった。そのデスクの主は、根来の想像が間違っていなければ、最近は二信組の不正融資事件の担当で、連れの事務官と一緒に押収資料の山に埋まって、午前八時から深夜まで伝票めくりに追われており、昼休みには肩こり解消のためのダンベル体操をしている。三年前、根来が裁判所クラブのキャップだった時期に親しくなった人物だが、ほかのネタ元と同じようにほとんど仕事に関係のない付き合いに留まっている。相手は、特捜部内では珍しく、縦横の閥に関係がなく、その分おそらく出世コースではないし、それは根来も同じだから、お互い当てにするものがない分、疲れることもない仲だ。 (「サンデー毎日」'96.2.4 p75)

はい、ここがサン毎版にしかない「ダンベル体操をする加納さん」です。
ダンベル体操・・・時代を反映してますねえ。NHKの月~金の朝の情報番組で、数年間ダンベル体操を10分くらい、やってましたよねえ。

しかし義兄のイメージとこれほどかけ離れたものは、ないな。登山するくらいだから体力つけるのにやっている・・・なら分かるのだが、「肩こり解消」って・・・。

◆三回呼び出し音が続いて、電話はつながった。デスクワークについているということは、相手は多分、日之出ビールの件で臨時召集がかかったという特捜検事の中には入っていないということだが、失望するまでもなかった。
「神田の三省堂ですが」と、根来はいつもの符牒で名乗った。《先月、振り込みましたけど》という返事があり、続けて《泊まりだったんでしょう?》と軽く尋ねてきた。
「聞きました?」
《北品川の件なら。ぼくは関係なさそうですが》
 (「サンデー毎日」'96.2.4 p75)

サン毎版で義兄が「ぼく」と自らを呼ぶ珍しい場面。いや、もしかしたら他の作品でも「ぼく」と呼ぶところは無いのではないでしょうか・・・?
公には「私」呼び、合田さんに対してだけは「俺」呼びだからね、加納さん。

◆「そろそろ季節だし、花見酒に誘っていいってことですか、それは」
《あはは、外は雪だ》と相手はきさくに応じた。
「ところで、下心もないことはないんですが、義理の弟さん、今は大森署でしょう……」
根来がそう切り出すと、電話の向こうで苦笑いする気配があった。
《あれは、ご存じの通りの堅物ですから。ここのところ、彼も少し人間が変わりましたが、本質的には三児の魂百までで。それに本人も、なかなか難しいところに差しかかっているようで……》
「事件の話はしません。一度一緒に飲みましょう。ぼくは合田さんには三年前に会ったきりだが、何というか、もう一度会いたいと思わせる引力がありましたよ、彼は」
《時期をみて、電話下さい。本人がうんと言うかどうか分からないが、あれも、ちょっと外の世界の空気を吸う方がいいんです。若輩者ですが、ぜひ付き合ってやって下さい》
「こちらこそ。電話します」
《ではまた。失礼します》
 (「サンデー毎日」'96.2.4 p75)

微妙に台詞や描写が違っていますね。書籍では 「雪がやんだら誘ってください」 でしたし、ため息をつく加納さんの描写がありませんね。

◆受話器を置いて、根来は折り目正しさが付け足しではない特捜検事の端正な顔一つを瞼から振り払った。次いで、三年前にちょっとした経緯で会った合田雄一郎という名の刑事の、傲岸で繊細そうな細面の顔を脇へ押しやり、レポートの二行目に戻って都知事候補のコメントを拾い始めた。 (「サンデー毎日」'96.2.4 p75)

ここは義兄より、根来さんによる合田さん評「傲岸で繊細そうな細面の顔」が目を引きますな。
そして奇しくも最後の部分、「都知事候補のコメント」に笑ってもうたがな。自ら辞任するのか、引きずりおろされるのか、どっちだ?


加納さんコーナーで引用した文章は、今回は全て繋がっています。読みやすいように分割しました。


第三章 一九九五年春――事件 (1)は今回で終わりです。お付き合いいただき、ありがとうございます。 次回から第三章 一九九五年春――事件 (2)です。


第三章 一九九五年春――事件 (1)  その2 (連載第27回途中~第30回途中)

2016-06-12 00:52:32 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第三章 一九九五年春――事件 (1) その2  (「サンデー毎日」 '95.12.24~'96.1.21)


☆菅野は公安記者が長かった切れ者で、口数が少ない上に、人が一つのことを考える間に三つぐらい考えてしまうからか、若手とも同期とも、あまり会話が成立しない。根来自身は不思議に付き合いは長いが、何年付き合っても、私語も少なく私情もほとんど不明で、どうやって解くのか分からないが正解だけは載っている問題集のようだと、声を聞くたびに感じさせられる。ほんとうは、百人体制の東邦社会部の中で一、二を争う酒豪なのだが、本人は言わないし、知っている者は少ない。そういう男だった。 (「サンデー毎日」'95.12.31 p65)

☆フロアは、電話をかける声、呼び出し音、出入りの足音、飛び交う声の渦だった。事件で沸き立ち、沸き立った自分たちが排出するエンドルフィンでさらに沸き立ち、回転するマスメディアの本性は、永遠に年を取らない自称〈社会正義の砦〉たちの、永遠のお祭りだ。 (「サンデー毎日」'95.12.31 p69)

☆久保は早速地図を開きながら、未だ形もない何かに期待した。新しい事件が起こり、目先が変わるたびに胸に膨らむのは、自分の前に新しい地平が開けるのではないか、少なくとも今這い回っている場所ではないどこかへ、抜け出せるのではないかという幻だ。 (「サンデー毎日」'96.1.7・14 p59)

☆しかも菅野の判断は、久保の知る限り、これまで間違っていたことがない。
そうしてまた櫛を取り出した菅野の手中には、自分が菅野の歳まで頑張っても絶対に築けないだけの情報網があるのだと、久保はよく思う。菅野が慶応で、久保が早稲田だというのはおそらく関係なく、一線で走り回った時間の長さも関係ない。ネタ元を開拓し、付き合いをつなぎとめるために、それぞれの記者が自腹を切ってつぎ込んでいる金の多寡も、おそらく関係ない。どこに差があるのか久保には分からず、仮に新聞記者としての能力や適性の差だというなら、それも理解が出来ない。そういうわけで、ことあるごとに羨望や疑念をないまぜにした複雑な感情にとらわれては、知らぬ間に考え込んでいるのだった。
 (「サンデー毎日」'96.1.7・14 p62~63)


【雑感】

その2は根来史彰さん、久保晴久さんの東邦新聞視点。

サン毎版だけにしかない事柄を、上記に引用したもの以外で、気づいたところだけ大雑把に挙げます。(全て、挙げてられないので) 勘違いしてたり、間違っていたらごめんなさい。

・社会部の番デスク・田部氏の、根来さんへの指示の内容
1回目は「根来君は、遊軍の方頼む」
2回目は「根来君は、配置表頼む!」
(「サンデー毎日」'95.12.31 連載第28回より引用)

単行本化された時に指示は1回のみ、「配置表」だけになりました。

・田部氏の台詞の違い。 根来さんと配置表作ってるときに
サン毎版は 「ついに企業テロの頂点が来たな……」 (「サンデー毎日」'95.12.31 連載第28回より引用)
書籍化された時は 「しばらく泊まりになるな……」


特筆すべきは、菅野キャップはKOボーイですか! 単行本版『照柿』の秦野組長と同じ大学出身ですか! 多分、年齢的に菅野キャップのほうが先輩ですね。
秦野組長の出身大学は『照柿』が文庫化された際に削除され、菅野キャップの出身大学は『LJ』が書籍化された際にカットされた、と。ふむ。

新聞社も、出身大学によって各派閥があるので何かと大変ですねえ。


「新聞社の仕事」に関する私の乏しい知識は、『新聞をどう読むか』 (講談社現代新書) に掲載のコラムから得ています。
内容は「LJ」の連載の頃より約10年ほど時代が下りますが、ワープロ全盛期の時期なので、久保っちの持っている七つ道具はあんまり変わらないはず。
その当時の雰囲気を感じ取れると思うので、参考までに紹介しておきます。興味ある方は、図書館等で探してみてください。

いま、現在の「新聞社の仕事」に関しては、他にいい本があると思いますから私に尋ねないでね。


第三章 一九九五年春――事件 (1)  その1 (連載第26回~第27回途中)

2016-06-07 23:51:21 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第三章 一九九五年春――事件 (1)は、「サンデー毎日」'95.12.17~'96.2.4、連載第26~32回まで。 何回かに分割してアップします。

第三章 一九九五年春――事件 (1) その1  (「サンデー毎日」 '95.12.17~'95.12.24)


☆諸葛所へ移って生活時間にゆとりが出来たとき、合田はいろいろ新しい生活設計を立ててみたが、資格を取ったり通信教育を受けるといった積極的名勉強にはついに手が出なかった。代わりに貯金をはたいてヴァイオリンを買い、大学卒業以来久しぶりに楽器に触れて悦に入った。去年の夏は涸沢の雪渓で独演会をやり、自分自身は全身が空洞になるほど気持ちよかったが、登山のパートナーである義兄には一言、「お前は崩壊している」と思案げな顔で言われたものだ。
崩壊している、というその半年前の一言を突然思い出しながら、合田は『日経サイエンス』を放り出し、またちょっとテレビの画面を眺める。
 (「サンデー毎日」'95.12.17 p59)

☆どちらも二十代の若い巡査で、名を井沢、紺野といった。大森署の刑事課に六人いる強行係の中でも、刑事の経験数カ月。血に弱い、足は遅い、頭は鈍い、酒だけ強い、という二人組で、取柄といえば真面目なことと、比較的署に近いところに住んでいることぐらいだった。二人は葬列に紛れ込んだちんどん屋がやっと雇い主をみつけたような顔つきで、首を突き出してきた。 (「サンデー毎日」'95.12.24 p110)

☆合田は、今の己の無力と将来の無力を考えながら、自分の足元に目を落とした。所轄の一刑事には、右のものを左へ動かす権限はない。捜査情報は、ほんの一部を知らされたらいい方で、事態がどうなっているのか、明日にはもう分からなくなっているだろう。そう思うと、自分の身体一つが無用な棒切れのように感じられた。 (「サンデー毎日」'95.12.24 p110)

☆班長は、寸暇を惜しむようにそれだけ言い、先に立って踵を返しかけてから、思い出したように振り向き、初めて気づいたというふうに合田の顔を見た。
「あんた、七係にいたあの合田……? 俺、上浦だ」
「知ってます」
「すまん、気づかなかった。じゃあ、また後で」
上浦警部はうわの空でそう言い、急ぎ足で玄関へ入っていった。
 (「サンデー毎日」'95.12.24 p111)

☆ふとそんな予感を持ちながら、合田は自転車を漕ぎ出した。夜気のせいか、寒気が止まらなかった。最悪の事態を回避できるのなら、どんなことでもするのにと焦燥感をつのらせる一方で、現実には明日、自分はどこで何をしているだろうと合田は思う。本庁の指示の下、山王近辺で地どりをしているかも知れないし、どこかで資料を漁っているかも知れない。いずれにしろ、どこかで推移している事態や、犯人と被害者の状況の変化などからは、遠いところにいるのは間違いなかった。 (「サンデー毎日」'95.12.24 p112~p113)


【雑感】

その1は合田雄一郎さん視点。

サン毎版だけにしかない事柄を、上記に引用したもの以外で、気づいたところだけ挙げます。勘違いしてたり、間違っていたらごめんなさい。

・城山社長の運転手さんの山崎さんを、大森署へ出向くようにと、城山社長宅に電話をかけた倉田さんを通じて伝える合田さん
・そして、指示を待ってからやってくれと、上浦警部に注意される合田さん

上記に引用した、機捜の「上浦警部」はサン毎版にしか出てません。書籍化した際にカットされたキャラクターです。
私の読んだ分に限り、あと1回だけフルネームで出てきます。


登場順が逆になりましたが、ぺーぺーの刑事、井沢くんと紺野くん。二人の下の名前は出ませんでしたが、私の世代では、この名字はどうしても、


「キャプテン翼」(高橋陽一)の井沢守くん


「瞬きもせず」(紡木たく)の紺野芳弘くん

を思い出すんじゃないでしょうか。
この二人の共通点は、どちらも集英社の作品であることと、サッカーをやっていることですね。


最後におまけコーナー。

【今回の義兄・加納祐介】  ※上記の引用との重複もあります。

◆一年前、引っ越しの祝いに義兄がくれたテレビは、南東の方向を向いたCS放送のアンテナ付きで、スイッチを入れてもプロ野球中継ばかりやっているチャンネルと、サッカーやラグビーの試合ばかりのチャンネルと、BBCしか入らない。合田は、何もやる気がないのなら、せめて英語くらい忘れないようにしろという義兄の忠告は無視していたが、 (後略) (「サンデー毎日」'95.12.17 p58)

サンデー毎日版「レディ・ジョーカー」、ここが初・義兄です。
そう、「ダスターコートの男を見て義兄かと思ったら、一昨日に来たばかり、何をぼんやりしてるんだ雄一郎」(←意訳しすぎ?) の描写は、単行本から加わったのですね~。

これは絶賛したい追加ですね。あの描写、ものすっごく好きなので。
加納さん本人は出てないけど、「ダスターコート=義兄」とすぐに連想する合田さんが素晴らしい。


◆去年の夏は涸沢の雪渓で独演会をやり、自分自身は全身が空洞になるほど気持ちよかったが、登山のパートナーである義兄には一言、「お前は崩壊している」と思案げな顔で言われたものだ。 (「サンデー毎日」'95.12.17 p59)

ここがサン毎版にしかない有名な「お前は崩壊している」発言の義兄です。

そりゃあ、言いたくもなるわ。
現実的に、まず、登山に余計な荷物は持たない・最低限の荷物にすることは、素人でも分かる基本中の基本。
ヴァイオリンという余計な荷物を持っていき、演奏した合田さんに向かって「お前は崩壊している」とこぼした義兄の気持ちも分かるというものです。



合田雄一郎の紹介文 (サン毎版「LJ」 連載第26回・第27回に掲載)

2016-06-06 00:45:00 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
何度か言及してますが、第三章からは更に細かく分割して記事を作成します。
原則としてキリの良いところ、キャラの視点が変わるごとに分けたいと思っています。(短い場合は、くっつけることもあります)

それではウォーミングアップ代わりに、第26回と第27回に掲載された合田雄一郎さんのプロフィールから、どうぞ。 (適宜、改行しました)
恐らく担当編集者さんが作ったと思うのですが、まあ、読んでください。


合田雄一郎 36歳 警視庁警部補
大森署刑事課強行班捜査係長 大阪府出身

家庭の事情で東京へ引っ越し、大学卒業後、一九八一年に警視庁巡査を拝命。
捜査畑を主に歩み、29歳で警部補に昇任、捜査一課に配属。
誰もが一目を置く、警視庁史に前例のないエリートだった。

九二年、「多重人格者による検察官、建設会社幹部等連続殺人事件」が発生。捜査一課第七係主任として解決に寄与した(『マークスの山』)。

一方、個人生活は破綻していた。拝命直後に結婚はしたものの家庭を顧みず、五年で破局。同僚や第三者との交わりもあえて遠ざけ、「石」「爬虫類」と言われていた。

そして、九十三年。大阪時代の旧友の愛人に恋心を抱き、旧友を遠ざけることを画策。
捜査情報をゆすりのネタに使うなど、「警察エリート」の凋落ぶりを見せつけた。
その旧友が別件の殺人事件で手配され、合田と容疑者とのただならぬ関係を嗅ぎつけた当局は、合田の異動を決定したのである。
もはや「エリートの挫折」は決定的だった(『照柿』)。

九四年春。合田は大森署に「左遷」され、新たな一歩を踏み出すこととなった。
 (「サンデー毎日」'95.12.17 p58、'95.12.24 p108)


◆誰もが一目を置く、警視庁史に前例のないエリートだった。

えっ、合田さんてエリートだったの!? しかも「警視庁史に前例のない」って特大の花丸オマケ付。
「エリート」って単語は、人によって感じ方や基準が違うかもしれないですが、合田さんに対しては「エリート」なんて、ちっともそんなふうに思ったことがない私。


◆「多重人格者による検察官、建設会社幹部等連続殺人事件」

えっ、『マークスの山』のメインの事件の正式名って、これなの!? 知らなかったわあ。


◆同僚や第三者との交わりもあえて遠ざけ

加納さんとは手紙のやり取り程度だったしなあ。


◆「石」「爬虫類」と言われていた。

えっ、それを言ったり、思ったりしたのは、合田さん本人だけじゃなかったのか!? 他人からも言われてたの?


◆「警察エリート」の凋落ぶりを見せつけた。

合田さんを「エリート」と思ってなかった私には、違和感を覚える・その1。


◆合田と容疑者とのただならぬ関係を嗅ぎつけた当局は

「ただならぬ関係を嗅ぎつけた」・・・! のけぞっちゃったじゃないか。


◆もはや「エリートの挫折」は決定的だった

合田さんを「エリート」と思ってなかった私には、違和感を覚える・その2。


皆さんのご意見・ご感想も、ぜひ伺いたいところですね。

それでは次回から本編に入ります。 おやすみなさいませ。


第二章 一九九四年――前夜 (4)  (連載第24回途中~第25回)

2016-06-05 23:27:33 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第二章 一九九四年――前夜 (4)  (「サンデー毎日」 '95.12.3~'95.12.10)


☆「犯罪に、上等も下等もあるか」と応えた。「成功するか、失敗するか。それだけだ」 (「サンデー毎日」'95.12.3 p59)

☆半田は一方で、自分の中には要するに、警察に対するなにがしかの執着があるのだということを、ひとり再確認した。いずれ後足で砂をかけて出ていくことになるだろう組織に向かって、今さら未練などなかったが、かといって明確な敵対意識もない。実のところ、じゃあお前はいったいなぜ牙をむくのだと尋ねられたら、的確に応える言葉はなく、腹のうちは自分でも不安定で不透明だと思うのだった。そんなことでは、この先計画の遂行に不安が残る。その危険を防ごうとする無意識の反応のように、半田の中にいるもう一人の自分は、ことさらに慎重に、周到に、狡知になっていた。長年組織に教えられ、鍛えられ、叩きこまれてきた知識や能力が、変なところでぶんぶん回っているのを半田は感じた。 (「サンデー毎日」'95.12.3 p59)

☆布川と一対一で会うようになってから、半田は、同じように組織の一員だった布川という男一人を身近に感じるようになったが、つい自分といろいろ比較して、こいつは何が面白くて生きているのだろうと思うこともあった。同じように頑強な体躯をもって生まれてきた男二人の中身は、どこにも共通するものがないのかも知れない。そうなると、一面で似ているだけに、うっとうしいような、気になるような、ちょっと複雑な感情にとらわれることもあった。 (「サンデー毎日」'95.12.10 p61)

☆ヨウちゃんもまた、計画が走り出しても、これまでと何かが変わったというわけではない。強いて言えば、丸刈りをやめて普通に髪を伸ばすようになったことぐらいだが、髪を伸ばしても、全体の印象にはあまり変化はない。どこをどうつついても町工場の工員がせいぜいの影の薄さに加えて、歳相応のどんな出で立ちも似合いそうにない、奇妙なずれ方だった。その小さい腹の中にいったい何をためているのか、半田は未だにまったく見当がつかないが、それでも従順という意味では、半田は不安は感じなかった。ヨウちゃんというのは、十分にすさんでいるが、どこかしら素直なところが残っている野良犬だ。 (「サンデー毎日」'95.12.10 p62)

☆「この十年、賑やかだったからな。レディがいたころは、なんだかんだと……」
「そういえば、あのレディ、半田さんになついてたな」
半田がそう言うと、物井は首を横に振り、「なつくと言うんなら、犬の方がまだ上だろう」と呟いた。「爺さんはずっと、自分を牛馬だと思ってきたが、レディはそれ以下だ。それでもどっちも、何ものかではあるんだ」と。
ほとんど独り言に近い物井の声は、ときどき、六十九年分の分厚い埃の下から聞こえてくるような遠い響きになる。パドックを眺めるその横顔も、半田自身のおよそ倍の年月の間、営々と使い古して硬くなった皮革のようだった。自らを牛馬だというその皮の下にあるものが何であれ、ただ年月の長さということだけで、半田には畏怖になる。
「ところで、半田さん。グループに名前をつけよう。レディ・ジョーカーはどうだ」
「へえ……。なるほど、たしかにジョーカーだな、俺たちは」
「それでいいかい?」
「いいとも。気に入った。レディ・ジョーカーだ」
 (「サンデー毎日」'95.12.10 p64)

☆半田の足は止まり、自転車のペダルを漕ぐスニーカーの足も止まった。実際のところ、半田の目に飛び込んできたのはただ、その白いスニーカーだけだったかも知れない。半田はスニーカーを見、洗いざらしのジーパンの脚を見、黒っぽい色のセーターを見、最後のその上に載っている相手の顔を見た。
相手の男も半田を見ており、同じようにこちらを凝視したが、次の瞬間その口許が緩んだかと思うと、唇が左右に裂け、ぱっと花が咲くように白い歯がこぼれた。
「お名前は半田さん……でしたっけ」と男は先に口を開いた。声の質は昔と同じように低く硬かったが、昔聞いたのとは違って、すかっと抜ける響きがあった。明るいと言ってもいいほどの響きが。
「そちらは合田主任……」
「合田です。その節は品川署でお世話になりました。半田さんは、今、どちらの署に?」
「蒲田です」
「へえ、そうですか。私は二月に大森署に移りまして。じゃあ、お隣りですね」
じゃあ、お隣りですねと言うその口許が、また華やかに弾ける。
そうだ、合田という名前だったと、半田はしっかり思い出した。四年前、品川署に立った殺しの特捜本部に、本庁から出てきた第三強行犯捜査の警部補。口数は少ないが、爬虫類の目をした切れ者。しかし、記憶にある警部補のひんやりした石の顔とは違い、目の前にあるのは、しっとりと艶やかな肌色をして、別世界の明るい笑みをこぼれさせ、短く刈った髪も清々しく端正な、ロボットのような別人だった。半田は、我を忘れてその顔に見入り、自分の目がおかしいのかと、しばし立ちすくんだ。
 (「サンデー毎日」'95.12.10 p64)

☆半田は何も考えず、建物に近づいて窓から中を覗いた。電灯一つに照らされた粗末な板張りの部屋の真ん中に譜面台を置いて、合田は窓に背を向けて立っていた。近くの椅子には、黒いカソック姿の禿げ頭の男が座っている。その前で、弓を操る合田の右手首や右肘は、カムシャフトが回るように滑らかに動いていた。ネックを自在に滑る左手指は見るからに軽やかで、流れ出してくる音楽はなにやら信じがたいほど美しい。
半田は音楽はほとんど知らないが、それがバッハだということぐらいは分かった。生の楽器はこんなによく音が響くのかと驚き、久しぶりに聴くバッハに耳を奪われ、楽器を操る別世界の何者かの姿に目を奪われ、知らぬ間に鳥肌を立てて、半田は膝を震わす。
いったいいくつの音が響き合っているのか、空気という空気がさんざめいているのかと耳をすませながら、ふと我に返ると、ガラス窓一つで隔てられた二つの世界の断絶が、途方もなく深く感じられた。半田は、自分の足元が地割れを起こして滑り落ちていくような錯覚に襲われながら、その場を離れ、路地へ戻る。
 (「サンデー毎日」'95.12.10 p65)

☆この俺があの男の血の涙を搾るか、向こうが俺の息の根を止めるか。突然、出所不明の猛烈な憎悪に身を焼かれながら、〈俺は今夜、運命に出会ったのだ〉と半田は思った。 (「サンデー毎日」'95.12.10 p65)


【雑感】

サン毎版にだけあるエピソードで、上記に挙げたもの以外で、印象に残っているものを簡単に紹介すると

・布川さんは郵便局の壁に貼ってあった自衛官募集のポスターを見て、何となく入った
・布川さんの実家は千葉の近郊農家で、親は農協の役員と市会議員を務めている地元の名士。実家には十年以上帰っていないらしい

高村作品に登場する<職業>は、医者だの教師だの議員だのと、「先生」と呼ばれる職種が多いのは、気のせいじゃないよね?

高さんの「知り合いに儲けさせる」云々がありませんね。後々出てくるのかな?

「レディ・ジョーカー」の命名も、理由なしにあっさりと決定。

合田さんが左遷されたことに気付く半田さんも、なし。

半田さんの「あいつは何者だ」「横っ面を張り飛ばしていくように」「挫折と屈辱と敗北感にまみれてすすり泣くのだ」 などの表現は、単行本で加えられたのですね。

最後の引用が第二章の最後の部分ですが、〈俺は今夜、運命に出会ったのだ〉と半田さん、「運命=合田さん」って断言してるよ・・・! サン毎版の半田さんは 陳腐 直截的ですね。


第二章はこれで終わりです。お付き合いいただきまして、ありがとうございます。 次回から第三章に入ります。
第三章以降は、もう少し事細かに分割して、記事にします。長いんだもの・・・。

ついでに昨日までの読書は、第四章、根来さん家の留守電に酔っ払った久保っちが入れたメッセージを、根来さんが聞くところまで進みました。


第二章 一九九四年――前夜 (3)  (連載第20回途中~第24回途中)

2016-06-05 16:45:23 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第二章 一九九四年――前夜 (3)  (「サンデー毎日」 '95.11.5~'95.12.3)


☆岡村清二は、物井が人生のどこかで被った皮の一枚だった。芳枝も、娘も、孫も、その一枚だった。八戸の鋳造所も、西糀谷の工場も、競馬も、羽田の薬局も、すべて皮だった。半世紀以上に亘って幾重にも被ってきた皮は、一枚一枚落ちていき、もう、あといくらも残ってはいない。そうして今や地肌が見え始め、奥深く沈殿していた燠火が、ほとんどむき出しになりかけている、と物井は思った。ほんのちっぽけな、物井清三というかまどに、これまた小さな燠火が一つ燃えているというだけの話で、その火というのもただ、あの牝馬の駒子だったが。
昔、駒子を連れていった地主、駒子を潰してその肉を食った裕福な人間たちに、返してやるものがある。六十九になった男一人の芯で燃えているのは、ただそれだけの思いだった。もはや自分自身の存在がそうであるように、道理も理屈も無用な地平で、ばかの一つ覚えのように、バス道を引かれていった駒子の無言の眼差しが燃えている。
 (「サンデー毎日」'95.11.12 p72)

☆「清二さん。ぼくは明日から悪鬼だ。戸来の物井清三は貴方と一緒に死にました」
お棺にそう声をかけて、物井はもう一本カップ酒の蓋を開けた。
「この歳になると、もう理屈は要らんのです。道理が通って腹が収まるぐらいなら、世の中に悪人なんかいやしませんて。自分一人のためなら、もう神仏も要らんなあ……。まあ、そういうことです、はい」
 (「サンデー毎日」'95.11.12 p72)

☆ヨウちゃんの時間は止まっている。未だに昔と同じ丸刈りの頭、尖った骨格、つるんとした能面をさらして、作業着のズボンとアンダーシャツ一枚の恰好で工場に立っていると、それだけで何かしら異様な感じがするのだが、その感じは年々大きくなっていく。青腐れのまま枝にぶら下がっているトマトが、よく見るとトマトではない化けものだったというふうな次元の話で、たんに変わり者というよりは、もっと鋭利な気味悪さだ。おかげで工場長はじめ同僚の工員たちのヨウちゃんの見る目も温かいとは言えないが、しかしそれも、生きている基準が少々世間一般と違っているだけのことだと思えば、物井にはそれなりに眺めていることは出来た。自分が、世間の基準に合わせるために何重にも皮を被ってきたのと比べて、ヨウちゃんはむき出しなだけだ、と物井は思う。 (「サンデー毎日」'95.11.12 p74)

☆「これ、ダウンタウン?」
「とんねるず」
「似たようなもんだ」
「骨格も、筋肉のつき方も違う。芸術的に片づけるためには、まず観察しないと」
物井はヨウちゃんの物言いをとっさに理解できなかったが、しばらく間を置いて、なにがしかの鳥肌が立つような感じはやって来た。こいつは、テレビに映るタレントを一人一人、頭の中で殺しているのかなと思うと、呆れるやら、戸惑うやらで、物井は自分の手でテレビを消した。
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p70)

☆ヨウちゃんはよそ見をして、一口、二口ビールを呷っていたが、やがて下を向いたまま、「企業をゆするんなら、俺も仲間に入れて欲しい。お願いします」と言い、ついでに軽く頭を下げた。仲間外れを恐れたのか何なのか、神経質で無器用な物言いだった。子供みたいだなと思いながら、物井は「爺さんに頭下げてどうする。君の意思で決めることだよ」と応えた。
「そうは言ってもさ……。お遊びでないとなったら、けじめはつけないとな」
「お遊びになるかならないかは、高の意見を聞いてみないと分からない」
「高は、何にも興味ないって嘯くわりには、やることはきっちりしてる」
「爺さんもそう思う」
「ちょっと切れてるけど」
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p70)

☆「こうなったら、俺は泥棒を尊敬するよ。どうせ道義もくそもないんなら、潔くストレートにかっぱらう方が、収支の勘定がきっちり合う」 (「サンデー毎日」'95.11.19 p71)

☆そもそも回収見込みのない投資から生まれた損失は、どんなに数字を右から左へ動かしても、この地球上からは消えはしない。そういうことの繰り返しで、日本じゅうにたまった不良債権が大蔵省の発表だけで約四十兆円。『このツケ、誰が払うと思う?』と、高は言ったのだった。
そういう話をした高は、自分も融資係だった時代に四十兆の不良債権を作った一人だったはずだが、高の場合、後ろめたさも人ごとのようで、無責任よりも、社会そのものへの徹底的な無関心さが漂っているのを物井は感じたものだった。その無関心は、折々に無味無臭の毒のように高の物言いを覆ってくる。ヨウちゃんが〈切れている〉というのも、その辺の印象に違いないが、物井の目には、仲間の中でも一番常識の発達しているように見える高が被っている、無関心という皮の一枚一枚が見えるだけだった。
実際、高が「驚きゃしない」と言っても、物井も驚きはしなかった。金融機関の不実に真剣に悩んでいるような御仁なら、初めからこんな話を持ちかけるまでもない。
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p71)

☆「堅い企業ほど、人を切り捨てて、使い捨てて生き残ってきたんだから」と事もなげに言い、「そういうところは、しっかり資本を蓄えてる」と付け加えた。
「そういえば、君は言ったな。狙うなら、堅い製造業の大企業がいいって」
「大きすぎてもだめだ。とくに官僚の天下り先になっている旧財閥系の企業グループは」
「どうして」
「治外法権みたいなもんだから。旧財閥系は、商法違反などで挙げられたことがないだろう? 摘発されないってことは、こっちも脅すネタがないってことだ」
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p72)

☆「しかし物井さんは金に困ってないんだろうに、企業から金取りたいというのは、またどうして」
「この爺さんの、六十九年の人生が行き着いたところだとしか言えない」と物井は言葉を選んで応えた。「君に声をかけたのは、企業の財務に詳しい立場から意見を聞きたかったからでね。君が無理だというのなら、考え直すまでだ」
「企業というのは、体面と信用に関わるところを突かれたら、よほど法外な額でない限り、基本的に金は出すところだ。無理だとは言わない」
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p72~p73)

☆「企業は逃げやしないから、方法なんかゆっくり考えたらいい。どのみち犯罪になるんだから、やる以上は、確実に金が取れないと意味がないだろう?」
「君、そういう計画を作る気はあるか?」
「計画を作るというのは、実行することだぜ」と高は笑い、真顔に戻ると「やるときにはやるさ」と続けた。「俺は三十六でもう、ゴムは伸びきってるから。何やっても元には戻らん代わりに、切れることもないだろう」
伸びたゴムでも人生は何とかやりくりしていかなければならない、それが人生の情けないところなんだろうにと思いながら、物井は黙って聞いた。理屈や動機を問わないというのは、初めに決めていたことだったし、悪鬼の手足に、理屈は要らないと言えば要らない。
「そうは言っても、計画の方はじっくり考えたい。加担するみんなの人生がかかってくる話だからな」
「人生がかかってくる?」そう尋ね返して高はククッと小さく笑い、「そんなことを考えて、悪いことをやる奴なんていない」と吐き捨てた。
「そんなものかね……」
「ああ、そんなものだ」
そんなやり取りをする間に、高克己が他人に自分をさらけ出すような男ではないことを、物井はあらためてゆっくり思い知らされた。実に物井自身もそうだし、ヨウちゃんにしても、訳が分からないという意味では自分をさらけ出していないに等しい。半田や布川にしても、他人が踏み込める部分はあるようで、ない。競馬場での長い付き合いを通して、それぞれの面々がなにがしかの利益を見いだしつつ、互いにさらしてきたのは、それぞれが自分の殻の外に覗かせた顔だったが、悪事を働くのもまた、その外側の顔なのだった。
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p73)

☆「ここには金の魔力の効かない人間ばかり集まってる」と言ってまた笑った。
「魔力以前に、爺さんの人生の大半は、肝心の金がなかった」
「物井さん、バブルのころに十万でも株買った? 買ってないだろう? 半田も布川もヨウちゃんも、買ってないよ。顔見たら分かる。顔の魔力が効いてない顔だ」
「そういう意味の頭の働く連中ではないかもな」
「それがいいんだ」
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p74)

☆高はしばらく間を置いて、「何かに踏み出すときってのは、こんなふうになんてことないのかもしれないな」と紫煙の向こうで呟いた。
「何てことないって?」
「ああ。別にどきどきもしていないし。不思議だな、人間の頭は」
 (「サンデー毎日」'95.11.19 p74)

☆「男の人生なんてつまらんな。こつこつ働いても、出世出来なきゃ、死んでも窓際だ。出世したらしたで、心にもない弔辞で賑々しく見送られなきゃならない。お棺を送り出すとき、俺なら化けて出てやると思った」そんなことを言って、半田は珍しい苦笑いを見せた。
「死ぬときは一人がいいね、たしかに」と物井は応える。
「だから女の連れ合いは年上がいいって」と、半田はこれも珍しい軽口を叩いた。
「あんたのとこ、姉さん女房か」
「ああ。十歳上。四十五にもなったら、化粧もしなくなる」
 (「サンデー毎日」'95.11.26 p70~p71)

☆警察という組織の中で積み重なってきた憤懣の層は、さまざまな表情になって半田の顔や素振りに現れ、それは年々分厚くなっている。生来の真面目さや良識や責任感が、その上に重しになって載っている。共働きの女房が待つ自宅に毎晩きちんと帰っているらしいし、競馬の賭け方を見ても、靴から腕時計までの身の回りの品を見ても、いつも自分の飲むビールは自分で買ってくる律儀さを見ても、憤懣の層を押さえる重しは頑として働いてはいない。その男がやるというのは、自分と似たような小さな飛躍一つがあったのではないかと物井は想像した。さらに、自分と同じように、悪事を働くといってもそれは己の人生のどこかにきちんと収まるようなもので、爆発したり、氾濫したりはしないだろう、とも思った。 (「サンデー毎日」'95.11.26 p71~p72)

☆「警察というのは価値観が一つしかない狭い世界でさ、そこでお上の権威を代表する四万人の警官が右へ倣えの番犬をやってるんだ。一人ぐらい、左向いた奴がいても誤差の範囲だろ」
「誤差ではすまないと思うが」
「やることをやったら、もちろん警察は辞める。泥棒やって、刑事続けてるわけにもいかんだろう。辞めて、違う世界を見るのもいい。まだ人生の半分も生きてねえんだから」
 (「サンデー毎日」'95.11.26 p73)

☆「人間は、痛くもない腹を探られたら、いい気分はしないということもあるから、高との話し合いは慎重にやってほしい。爺さんからの頼みだ」
「分かってる。裏で調べたら調べられないこともないが、公安関係は、探りを入れた方が足がつくから。本人に聞くしかないんだ」
 (「サンデー毎日」'95.11.26 p74)

☆《十六年でついにギブアップだ》と、布川はぽろりと漏らした。《俺なりに、一生懸命やってきたつもりなんだが……》
「それをギブアップとは言わんと思うが……。そういえば、君はいくつなんだ」
《三十五》
「十九で作った子供か」
《ああ。自衛隊に入ってすぐ、付き合ってた嫁さんが妊娠して、おろすって言うから、いいよ、俺が生活の面倒見るから産めよって言ったんだ。俺も若かったから……》
「しかしこれで、君も嫁さんも当分少しは楽になるだろう」
《そう思えたらいいんだが。あれが四十、五十になったときのことを考えたら、ちょっとな……。このままだと、親の方が頭が変になってしまうんじゃないかと思う》布川はそう独りごち、すぐに《こんな話をしてすまん》と付け加えた。その低い呟きを、子供らの賑々しい笑い声がかき消す。
「レディが戻ってくるまで、君もしばらく競馬はお休みだね」
《多分もう、あいつを競馬場に連れて行くことはないよ。先の話だが、出来たら田舎に土地買って、駄馬を一頭ぐらい飼ってやるさ。そのためにも金が欲しい》
 (「サンデー毎日」'95.12.3 p55)

☆「今日明日の話ではないから、よく考えてくれ。半月後にたしかな返事をくれたらいい」
《俺の引いたジョーカーが消えない限り、答えは変わらんと思う》
「ジョーカーというのは、レディのことか……」
《ああ。嫁さんには言えないが、俺はよく思うんだ。俺たち夫婦は、千人の赤ん坊に一人か二人混じってるジョーカーを引いたんだ。それだけのことなんだが》
障害を持って生まれた子どもも、時速百キロで首都高の側壁に突っ込んで死ぬ子どもも、精神を病んだ岡村清二も、老いて悪鬼と化した自分も、少なくとも親にとっては天から降ってきた運命だという意味でなら、ジョーカーというのは物井にも受け入れられない形容ではなかった。
「レディ・ジョーカー、だね」
《ああ。レディ・ジョーカーだ。何だか牝馬の名前みたいだな》布川はそう言って電話口で軽く笑った。
 (「サンデー毎日」'95.12.3 p55)


【雑感】

サン毎版にだけあるエピソードで、上記に挙げたもの以外で、印象に残っているものを簡単に紹介すると

「ネットのペットフォーラムの会議を、発言することもなく読むだけのヨウちゃん。参加者の一人で、飼っている猫のことを、末尾にハートマークをつけて発信している人物に興味を持って、カマかけて住んでいる場所を特定し待ち伏せしていたら、実は女性に成りすました40代の中年男というのを突き止め、半日笑い転げたヨウちゃん」

というのがありました。

それでなくても、上記の引用したものでも、結構な変更がありますね。

・泥棒が成功したら、警察辞めるつもりだった半田さん
・布川さん夫婦の馴れ初め
・レディのために、馬を飼うつもりの布川さん

などなど。

あと気になったのは、ヨウちゃんの「トマト」、布川さんの「馬を一頭飼う」の語句。終章の最後のエピソードを髣髴とさせるキーワードが、既にここに出ているんだなあ、と思いましたよ。(馬は、布川さん→レディの流れで引き継がれたと思えば・・・)

引用が長くなるのと多くなるのは、きっと
「サン毎版だけにしかないから」 「単行本・文庫と違う部分を取り上げたいから」
という、私の意識の持ちようのせいだと思います。ほんとに、自分で自分の首を絞めてます。
特に今回は内容が内容だけに、辛かったー!

あと一回分で、第二章が終わります。


第二章 一九九四年――前夜 (2)  (連載第17回途中~第20回途中)

2016-05-30 00:45:08 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第二章 一九九四年――前夜 (2)  (「サンデー毎日」 '95.10.15~'95.11.5)


☆白井のゴルフ歴は城山と似たようなもので、決して下手でもないのだが、プレーの仕方はまったく違う。白井は昔から、己の技量より一段上の攻略図をまず描き、次に実現する方法をあれこれ探すタイプだった。城山はスコアをまとめることを考えるが、白井は難しいコースを狙ってトリプルボギーを十七回叩いても、一回でもパーを決めればいいと言う。均せば、今のところは城山の方が勝率は高いが、やがて白井の腕が上がるならば、長期的には白井が勝つ理屈になる。どこか、仕事の進め方や経営観にも通じる白井のプレーはしかし、現状では理想と現実の落差が大きく、冷静なのか気分屋なのか分からない珍プレーもときには飛び出すから、内輪でにぎるときには〈白井とは組まない〉〈白井と組むと面白い〉の二派に分かれるのだった。 (「サンデー毎日」'95.10.22 p70)

☆今朝クラブハウスで顔を合わせたとき、「見て下さいよ」と倉田がそっと城山に披露したクラブは、国産の使い古したフルセットだった。聞けば、ジャンケンに負けて、息子に自分のマグレガーを取られたのだという。通産省に勤めている息子も、今日はどこかでコンペがあるらしい。そういうわけで、クラブのウェイトもシャフトの硬さも合わないから「今日はだめです」と倉田は腐っていたのだが、何のことはない。 (「サンデー毎日」'95.10.29 p69)

☆鈴木は、社長時代は片手に論語、片手にアメリカ式経営管理や経営戦略論を載せた、いわゆる昭和一桁世代の日本型経営者だったが、会長に退いてからは、取締役会の調整役に徹して、やるべきことはやれと、最後のひと押しをする存在になった。今日の事態について、鈴木の口からは繰り言の一つも出なかったが、それが鈴木式だ。城山はそれに感謝しつつ、社長としての自分自身の判断の方へ慎重に頭を振り向けた。 (「サンデー毎日」'95.10.29 p72)

☆企業と企業のおこぼれを食うハイエナとの長い共存関係が崩れたら、弱小なハイエナが直に企業を襲い始めるのはいわば当然の成り行きだった。ついこの間まで、相手構わず融資を増やし続けた金融機関が、景気後退と同時に一斉に掌を返して三年、追い詰められた取引先の中には相当数の暴力団系企業も含まれている。金が回っている間はいいが、金の切れ目と同時に暴力の牙をむく相手との共存関係を築いていた銀行自身が、そのツケを一つ、人命で払わさせられたのが今日の事態だと、城山は冷静に考えた。 (「サンデー毎日」'95.10.29 p72)

☆医薬事業本部長の大谷という男が、「倉田さん、大丈夫なんですか」と言い出し、その一言で、皆の足が凍ってしまったのだ。
「といいますと?」と倉田が重そうな瞼を上げた。
「その筋の話でしょう」と大谷は無粋な問いを発し、ほかの役員は顔を見合わせた。大谷は技術者出身のせいか、役員の中では一番の硬派で、安易な妥協はしない貴重な人材ではあるが、あまり気がきくとは言えない。
「《岡田》の件は大丈夫です」と倉田は無表情に応えた。
「しかし東栄にしても、こんな形でツケが回ってくるとは想像してなかったでしょうに」
「寺田頭取がここにおられないから言うが、東栄はやり方がまずかっただけです。何を断るにしても、相手の面子を潰すようなやり方をしたら、相手は怒る。仁義は最後まで通さなければ」
倉田はかすかに怒気を含んだ語調でそう応えたが、それも大谷には理解できなかったようだった。「うちは《岡田》に仁義を通したから、大丈夫だということですか」と言わずもがなのことを言い、倉田は鳴り出した携帯電話にかこつけて、もう返事をしなかった。
 (「サンデー毎日」'95.10.29 p73)

☆城山とて余裕があるわけではなかったが、ちょっと普段顔を合わせている面々を観察すると、危機に際しての個々の対応力や資質が、よく透けて見えた。 (「サンデー毎日」'95.11.5 p70)

☆「まあ、皆さん」と、最後に短気な白井誠一が毒を吐いた。「そんな話は、防弾チョッキを一枚着たらすむことじゃないですか。それよりも、もっと怖い敵が海外から乗り込んでくるんだということを、くれぐれもお忘れなく。さあ、得意先を待たせちゃいけない。食事に行きましょう」
少々言い過ぎだと城山は思ったが、白井は役員たちの狼狽振りや歯切れの悪さに一人で怒りを爆発させ、ついでに会長への挨拶も失念して、先に立って出ていってしまった。鈴木は何も言わず、城山も気づかなかったふりをした。
 (「サンデー毎日」'95.11.5 p70)

☆「五千万ケースだって?」と地獄耳の鈴木が尋ねてくる。
「第二の日之出ラガーを目指すなら、それぐらいは行きませんと」
「たしかに」
「百年間、日之出ラガーで鍛えられてきた日本人の舌が、季節や場所を問わず常に満足する味というのは、やっぱりラガーなんです。第二の日之出ラガーを育てることが出来たら、ビール会社としての一区切りがつけられるでしょう。戦前の日之出が私たちに日之出ラガーを残してくれたように、私たちは次世代に残す財産を作っておかなければ」
「それはほんとうに正論だ」
 (「サンデー毎日」'95.11.5 p71)


【雑感】

引用したもので、サン毎版だけにある部分は、倉田さんが息子とのジャンケンに負けてマグレガーのゴルフセットを取られた話。 鈴木会長の方針。 大谷さんが倉田さんに突っかかるところ。 役員たちにキレる白井さんの姿。 第二の日之出ラガーについて語る城山社長、など。

日之出ビールとライムライトの駆け引きの話は、読んでいると大変面白く感じます。


火・水は、もう一つのブログの更新が控えていて、こちらは更新できないため、ちょっと無理をしました。 おやすみなさいませ。


第二章 一九九四年――前夜 (1)  (連載第16回~第17回途中)

2016-05-29 17:16:26 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第二章 一九九四年――前夜 (1)  (「サンデー毎日」 '95.10.8~'95.10.15)


☆ヨウちゃんが、指先の欠けた自分の左手をひょいと娘の顔の前に突き出す。長さの不揃いな指を一本ずつ折ってみせ、「おじぎをしましょ、一、二、三」と節を付けると、滑稽な指のダンスになる。指先を切断した後、残った指のリハビリで覚えた余興だった。ヨウちゃんが「一、二、三」と指を折ると、娘は一緒に自分の頭を「一、二、三」と振る。娘はヨウちゃんの奇怪な左手が大好きだ。 (「サンデー毎日」'95.10.8 p76~p77)

☆「自主再建が出来ないようにもっていくのが、ワルの手口だ」 (「サンデー毎日」'95.10.8 p77)

☆「金に詰まったら、知能指数は関係なしだ。 (後略)」 (「サンデー毎日」'95.10.15 p70)

☆半世紀前に売られていった牝馬の駒子を思い出すと、駒子や、それを飼育していた自分たちこそ、食われるだけ食われたカモだったとあらためて考えてみた。
地主が駒子を手放したとき、物井の一家は一銭も手にしなかった上に、代替えの馬も見つからず生活は一層困窮したが、誰も《支援》などしてはくれなかった。これがほんとうのカモだ。自分たちに駒子の生殺与奪権がなかったように、岡村清二がなすすべもなく日之出を去ったように、どこへどう転んでも、最終的には自分の身一つしか残っていないのを、カモというのだと物井は思う。物井の目には、中日相銀も小倉も、カモというにはほど遠かった。生活の糧さえ奪われて泣いた者は誰一人いない、いい加減なゲームだった。
 (「サンデー毎日」'95.10.15 p70)

☆しかしまた、人間の浮世は、あの秦野郁夫がある日突然電車に飛び込んでしまう程度のものなのだ。孫の孝之がわずか二十二で人生を終え、あの岡村清二が東北帝大まで出たのに失業し、そうかと思えば、しがない旋盤工の娘が女子大を出て歯科医の妻になり、連れ合いが死んだら億の遺産を相続する。金が天下を回っているのは、食うも食われるも常に入れ代わっているからだとすれば、人間は自分の口さえ養えば、あとの人生はゲームだと思えばいいのか、とも考えてみる。 (「サンデー毎日」'95.10.15 p70)

☆これまで、人生はゲームだというような発想を知らなかったために、自分はどこへも抜け出せなかったのかも知れない、とふと思った。よくよく考えてみれば、自分の身一つで動かすことが出来なかったのは、昔のあの空腹と、戦争だけだったかも知れない。《未来はあるのかないのか》ではなく、末来など誰にも保証されていないのが正解で、今の充足を末来という言葉で置き換えているだけではないか。要は、今の充足をいかにして得るかの問題なのではないか。そう考えない限り、ここにいる誰にも未来などなかった。 (「サンデー毎日」'95.10.15 p70)

☆物井はさらに考える。頭の中で泳いでいるカモという一語が、バシャンと跳ねて身を翻す。カモがカモでなくなるためには、搾取する側に回ることだ。今日のカモは、明日の搾取者。馬の駒子には出来なかったが、人間の自分には出来るはずだった。それが出来なければ、一生をカモで終わるしかない。
突然の発想の転換を、物井は腹の中で訝り、同時に奇妙なことに気分がわずかに軽くなっている自分に驚いた。
 (「サンデー毎日」'95.10.15 p71)

☆「物を作ってる企業は、金の何たるかを知っているからな。リベット一個、ネジ一本の原価計算をするところから物作りは始まるんだ。製品が出来たら今度は、一個売れて、いくら。粗利が二パーセントとか三パーセントの、血の滲むような世界だ」
「それで」
「金の重みを知っているから、金を搾り取られたら、一番苦しむ」
半田はちょっと返す言葉に窮した様子で、結局「血も涙もねえな、そいつは」と応えた。
「社会がそうなっているだけだ」と高は言う。
「ああ。そうかも知れない」
  (「サンデー毎日」'95.10.15 p71)


【雑感】

この回から、主な登場人物の紹介またはあらすじが、不定期に入ります。
でも紹介するのは第三章の、合田さんが本格的に登場するところだけ紹介させてください。いろいろとツッコめますから。

一番最初に取り上げたヨウちゃんがレディに披露した指のダンスは、サン毎版にしかありませんので、あえて選びました。
「サンデー毎日」'95.10.15号にも出てきますが、1度で十分でしょう。

物井さんの思考が、単行本・文庫とはいろいろ違っているように感じますね。そういうところからも、あえて選んだつもりです。

高さんが半田さんに講釈垂れるお金や経済の話は、ちょこっと台詞が違うところで気になった部分だけ選び、それ以外は無理には選びませんでした。私が分からないから。ははは。


第一章 一九九〇年――男たち (5)  (連載第13回途中~第15回)

2016-05-29 01:11:53 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第一章 一九九〇年――男たち  (「サンデー毎日」 '95.9.17~'95.10.1)


☆上昇志向とやらの正体が、結局いい生活をし、贅沢なものを身に着けることだったのなら、それは父親が与えてやれなかったものだということにほかならない。まるで当てつけのような贅沢品を見せられて、物井は自分の人生のすべてを否定されたような気がしないでもなかった。 (「サンデー毎日」'95.9.17 p106~p107)

☆生きるのが上手だとは決して思わないが、自分なりに働いた結果の人生を、自分では少しは慈しむ気持ちはあった。それを、外の世界の幸運や才覚と比べられたら、物井には返す言葉もなく、自分の小さい自信や自己満足すら消えてしまうのだ。美津子も、息子を亡くしたばかりだから気が立っているのだろうとと慮ってもなお、長い間の習慣で物井の顔はやはり下を向き、娘の顔を見ようと思っても見る気がしない。歳を取るというのは、忍耐がなくなることだ。 (「サンデー毎日」'95.9.17 p107)

☆芳枝との縁は、戦後間もない時期に、多くの男女が生きていくためにとりあえず一つ屋根の下にもぐり込まざるを得なかった、無数のいい加減な結婚の一つだった。しかしそれも、金さえあれば、互いにもっと静かに生きてこられたに違いない。物井が今悔やむのは、ただ、金がないばかりに穏やかな精神的充足を知らなかった自分の人生だった。 (「サンデー毎日」'95.9.17 p109)

☆思えば、生来身にしみついた生活の不安がいつもつきまとい、現実に金が詰まると、その不安は先鋭な恐怖の針になって襲ってきた。東京へ出てきて以来、生きるだけで精一杯だった自分の周りで、社会は何やら恐ろしい速度で変わっていき、いっこうに増えない自分の収入を前に、いつも少しずつ周りから取り残されていく気がした。家庭の中にも寄る辺はなく、口を開いたら甲斐性なしと言う芳枝を前に、心底安らいだという経験をしたことがない。歳とともに、不安や焦燥などの生臭い感情は錆びついたが、それで自分の精神が落ちついたのかというと、それも違う。芳枝が亡くなって五年、表面上は起伏のない静かな生活になったが、それを充足と呼ぶには、六十五年の人生の正負のバランスが、狂いすぎているような気はした。
すでにもう別の人生を歩んでいる娘のことを、物井は、昔のようには案じることが出来ない自分を感じていた。今はもう、娘より、自分自身の残りの人生を惜しむ気持ちの方が明らかに大きいのだ。
 (「サンデー毎日」'95.9.24 p74)

☆六十五になった人間が、昔の思い出を無為に掘り出すのは残された時間の浪費だった。それでもあれやこれやと甦ってくるのが老年なら、振り払う努力こそ必要だった。 (「サンデー毎日」'95.9.24 p75)

☆「在日の奴。曰く、金なんか働いて貯まるもんじゃないって。天下を回ってるんだから、要は誰がふんだくるかだ、ってよ。立ち食いソバを食いながら、そういう話をする奴」
「ワルだね」
「自分でそう言ってる」
 (「サンデー毎日」'95.10.1 p70)

☆子馬を産めない牝馬は食用にするしかないが、駒子を肉にして食うのも、肉を売った金を手にするのも自分たち小作農ではないのだと、あらためてぼんやり考えたりもした。 (「サンデー毎日」'95.10.1 p72)

☆二十で終戦を迎えた後の心境を一口に言えば、一夜にして崩れた城からちりぢりになって這い出した蟻だ。才覚のある蟻はさまざまに工夫して肥え太り、そうでない蟻は、行く先もなくうろうろするばかりで餌一つ確保出来ずに死に瀕する。物井は才覚のない蟻だったが、それでも否応なしに働いてきた工場を自分が再建しなければ、という覚悟はあった。 (「サンデー毎日」'95.10.1 p72)

☆衝動は、誰に対する恨みや怒りでもなく、強いて言えば、村の家の煤けた土間から始まってここに至るまでの、自分の人生すべてが孕んできた希望のなさや、ひもじさそのものだった。 (「サンデー毎日」'95.10.1 p73)

☆「辛抱も良し悪しだ。辛抱しすぎた結果が、このじじいの人生だからな。運命の不公平は不公平だ。もっと起こればいい」 (「サンデー毎日」'95.10.1 p74)

☆しかし、だった。あの日から四十三年。数万杯の飯を食い、数万回の糞を出してきたこの自分は、いったいどこへ抜け出したというのか。それを考え始めるといつも、半世紀以上の月日が一挙に空洞にかえり、身体中を風が吹き抜ける。自分はどこへも抜け出せなかったという控えめな結論は、もう久しく物井の頭にあったが、新しく出直す時間はないところまで来た今、自分が故郷にいたころよりもっと深い虚空に立っていると感じることも、なきにしもあらずだった。
出口のない遠心分離機の中で半世紀も回り続けたら、どんな複雑な液体もばらばらに分かれるだろう。そこから一つ一つ、少しずつこぼれ落ちてくる戸来村の生家の土間、稗畑、炭焼きの煙、皺深い父母の顔、頭を垂れた駒子、寒大根、八戸の鋳造所のもろもろがあり、それらにへばりつくやませの冷たさや草の青臭さがあり、それにそれらすべてが入っていた自分の身体一つがあるだけだった。ついぞ末来を知らなかった自分の身体一つの、御しがたい重さを感じながら、物井は羽田の交差点まで辿り着き、商店街の方へ折れた。
 (「サンデー毎日」'95.10.1 p74~p75)


【雑感】

半田さんとは別の感覚で、物井さんの過去にも悲哀や悲憤、その他諸々が描写されていて、辛いんですよねえ。

妻や娘にバカにされ、罵倒される物井さん。お金を工面して成人式の着物を買っても、あまりにも安物感があるために着てもらえず、遠足のお弁当を作っても持っていってもらえず・・・父と娘の気持ちが分かるから、涙こぼれそう。
よかれと思ってやった行為が、裏目に出ることって、よくあることだから。

長年勤めていた工場も追い出される羽目になり、火をつけそうになった気持ちも分からないではないし、ホントに何ひとつ報われなかっんだなあ・・・物井さん。

すべて取り上げられませんけど、物井さんとヨウちゃんの会話も、単行本・文庫でかなり変更されてましたよ。


第一章はこれで終わりです。お付き合いいただきまして、ありがとうございます。 次回から第二章に入ります。

ちなみに昨日までは第三章の(1)の途中、根来さんが地検へ電話かけて加納さんと話す、その手前くらいまで読了。
「読了まで約2週間」とにらんでいましたが、無理だ。もう1週間プラスして、合わせて約3週間はかかりそう。

ゆっくり味わえるので、それはそれでいいんですけれど、義兄ならびに義兄弟のアレコレを、早く取り上げたいですわ。
サン毎ではあるのに、単行本・文庫でカットされたところ、逆にサン毎にはなく、単行本・文庫で増えたところなどがありますので。


第一章 一九九〇年――男たち (4)  (連載第10回途中~第13回途中)

2016-05-28 21:37:46 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第一章 一九九〇年――男たち (4)  (「サンデー毎日」 '95.8.20・27~'95.9.17)


☆下から上がってくる靴音があり、すれ違いざまに「失礼」というひと声が降ってきた。半田は目だけ上げて、階段を駆け上っていく男の足元の真っ白なスニーカーを見る。
捜査本部に出てきている本庁の若い警部補だった。名は、合田といったか。何ということもないスーツとダスターコートの恰好はともかく、いかにも軽くて履き心地のよさそうな白いスニーカー一足が、半田の目の中でちかちかした。急にグッチもバリーも色あせ、半田はちょっと戸惑う。いったい、スニーカーを履いてスーツを着るというのはたんなる無神経か、よっぽど自分に自信があるのか。どっちにしても好かんなと思ったとたん、背筋にぶるっと来た。
 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p77)

☆半田は、やっと引き抜いたガラス片を投げ捨てて靴を履き、日本の脚で立ちなおした。と同時に顔が上がったら、今しがた上がっていったスニーカー男が、二階の踊り場に立ってこちらを見下ろしていた。しばし真空に落ち込んだような相手の無色の目は、半田の判断を拒絶して、ほんの一秒ほど頭上にあった。そして、すっと逸れていったかと思うと、男は姿を消した。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p77)

☆一瞬の出来事で、頭は結局事態に追いつかず、半田はそのまま残りの階段へ踏み出した。そうした日常のリズムが寸断された一瞬の溝に、半田はいつもある夢想をたぐり寄せるのだ。そうでもしなければ、溝は瞬時に深い地割れを作り、自分を破壊しかねない憤激の奔流になる。それを未然に防ぐために、いつの間にか身につけた自己防御の夢想の中身は、ある日自分が捜査幹部捜査幹部の寝首をかいて一本取る、というものだ。
捜査会議でおもむろに挙手する。官僚面をした本庁の天狗どもを前に、決定的物証を突きつけて「ホシは○○です」と言う。とたんに場は騒然となり。泡を食った幹部連中がひそひそやり出す。その瞬間の、目の眩むような快感は、きっと恍惚のあまり小便を漏らすほどのものだろう。
想像するだに隠微でぞっとするが、そのおぞましい快感を夢見て、警視庁四万人の警察官は憤死寸前の鬱屈を生きているのだと半田は思い、最後のオチをつけて自分を納得させるのだ。
 (「サンデー毎日」'95.9.3 p64)

☆それでも、毎朝毎夕、捜査会議で何か目ぼしい話が出てこないかと、思わず耳をすませ続けたのは刑事の性だ。 (「サンデー毎日」'95.9.3 p66)

☆地どりから逸脱したのがばれたのだな、と半田はあらためてぼんやり考えてみた。いずればれるのは分かっている脱線を決心したとき、自分が後先のことをどう考えていたのか、もう記憶になかった。多分、何も考えていなかったのかもしれない。
また、この時点でばれたということは、端的に誰かにサされたということだったが、そのこと自体にも実感はなかった。出し抜こうとした自分の足を、まんまとすくった奴がいるということ。この自分がやられたということ。まだ芽も出ないうちにほじくり出され、叩き潰されたということ。この自分が敗北したということ。そんなことはすべて、そうと認めたとたんに自分が粉砕されるような、彼方の出来事だった。
 (「サンデー毎日」'95.9.3 p67)

☆釜石の製鉄所の社宅で生まれ育った半田は、東京の大学を出たとき、明るい光の入る場所なら勤め先はどこでもいいと思った。民間の会社をいくつか受けたが、技術系だったので勤務先は工場になることが分かり、それならまだ警察のほうがましかと考えて警官になった。なってみて分かったのは、白々しく明るいのは桜田門の本庁だけで、ほかはたいがい、キノコが生えるかと思うほど薄暗く、湿っているということだ。 (「サンデー毎日」'95.9.3 p67)

☆釈明の余地がないのではなく、釈明という行為が警察では許されないだけだ。上から黒だと言われたら、下は「はい」と言い、白だと言われても「はい」と言うのが警察だ、と半田は腹の中で考えた。目の前の二人とて、本庁の一課長の前では同じことだった。
そうして、形ばかりの「はい」を一つ吐くたびに、自分の尊厳が一つ破壊される。それにもすでに慣れかけてはいるが、近ごろは自分の知らないもうひとつの人格が、自分の中に出来上がりつつあるのを半田は感じていた。
半田は頭を垂れたまま、叱責を浴びているもう一人の自分を傍観することで、当座の激情を抑え込むことに成功した。
 (「サンデー毎日」'95.9.3 p68)

☆すべては、あの何十日もの無為のせいだ。半田はとりあえずそう結論を出したが、その無為が、この先何十年もの無為につながらないという保証はない。ほじくり返された芽への当座の悔恨より、半田は自分の足元に広がっている沼の感触、立っているだけで足が沈んでいくような無力感にとらわれ、これはいつもよりひどいな、と思った。いつもならやって来るはずのあの夢想さえ、もはやどこかで死んでしまったかのようだった。 (「サンデー毎日」'95.9.3 p69)

☆その間、ふと眼下の踊り場から下へ降りていく一人の男の頭が見え、その足元の白いスニーカーが見えたのは、きっと何かの運命だったに違いない。
突如、自分でも抑えられない勢いで何かが噴き出したかと思うと、半田は階段を駆け降り、二階の踊り場からさらにさらに数段下って、片手を伸ばした。
「おい、あんた。さっき、俺を見ただろう。あれは何だ。何で俺を見た……!」
警部補は、歳はせいぜい三十くらいだろう、爬虫類のひんやりした冷たさを湛えた切れ長の目を、半田の顔面に据えた。それから、やっと相手の発した声が聞こえたとでもいうのか、半田の手を払い、「音がした」と一言いった。
自分の靴に刺さったガラス片一つ。それを投げ捨てた小さな音一つ。いったいこの世界の落差は何なのだと半田は困惑し、だめ押しの一撃を食らったような目まいを覚えた。
「それがどうした! 何で俺を見た!」と半田は呻く。
「見た覚えはないが」
それだけ応えて警部補は踵を返した。続いて降りてきた本庁の刑事らに、半田は押し退けられた。「他人の畑を荒らして、まだ文句あるのか」「クビがつながっているだけありがたいと思え」といった罵声を飛ばして、男らは階段を降りていった。
それを見送った数秒の間に、半田は自分の足元の沼がさらにずしりと沈んだのを感じた。自分の足だけが地球にのめり込んでいる、と思った。
 (「サンデー毎日」'95.9.3 p69)

☆半田には、警察で鍛えられ、焼きを入れられたもう一人の人格がいる。そいつが耳のそばで〈このままではすますものか〉と罵声を上げ続けていた。 (「サンデー毎日」'95.9.10 p74)

☆秦野という人物を見た半田の第一印象は、一言で言えば標本箱の中の蝶だった。姿形は優美だが、もはや静物で、触ると壊れる。実際、脂気のない深窓の令息がそのまま中年になったような無頓着さと、知能指数だけで出来ているような無機質さと、かなりこみ入った思考回路を窺わせる陰気さなどが合わさった外貌はしんと静寂で、さらに、息子を亡くしたせいだけでもなさそうな、空疎さも感じられた。眼球の動きに、ちょっと普通でない落ちつきのなさもあった。 (「サンデー毎日」'95.9.10 p75)

☆この歯科医は、もともとどこかに自己破壊の願望や精神的傾向があったに違いない。小さなきっかけをとらえて、まんまと自分の世界へ逃避したのではないか。すでに一線を越えてしまって、今はむしろせいせいしているぐらいではないのか。半田は所在なくそんなことを考えた。 (「サンデー毎日」'95.9.10 p75)

☆刑事は、個人の裁量が当たり前なのだとしたら、まんまとサされる奴がアホウなのだ。 (「サンデー毎日」'95.9.10 p78)

☆半田は燦然と輝く高層ビル群を仰ぎ見る。どこも、所詮は一円でも多い売上を上げるために靴の底を減らしている社員の総体だとはいえ、自分に身近なものは何ひとつないような気がし、また一つなにがしかの疎外感を持って、半田は目を逸らす。
歩くうちに、〈このままではすませるものか〉とまたあの声が呻いた。背中に張りついているもう一人の自分は、威嚇や牽制ばかり覚えて中身の伴わない、欲望と執念のかたまりだった。実際、このままでは吠えまくるしかない能のない負け犬になるのか、ならないのかの瀬戸際だったが、挽回の道があるぐらいなら、ここまで追い詰められることもなかったと半田は思う。冷静に自分の能力を眺めれば、挽回ではなくせいぜい代償を探すのが精一杯で、明日からまたとにかく働くしかないのが現実だった。
 (「サンデー毎日」'95.9.10 p78)

☆その昔、いったい俺は何を望んでいたのだろう、と半田は思う。明るい光の差す事務机に座ること。そこそこ安定した給料を得て、まっとうな人生を送ることだけだったのではないか。情けないほど平凡な希望一つを胸に警察に入った男が、今はどうだ……。
飲み残した缶を車道へ投げ捨てると、それはたちまちトラックのタイヤに音もなく踏みつぶされた。ああ、あれが俺なのだなと思ったとたん、〈このまではすますものか〉ともう一人の自分が呻いた。
 (「サンデー毎日」'95.9.17 p105~p106)


【雑感】

木・金は眠気に負けてしまい、記事作成ができませんでした。すみません。

この辺りの半田さんは取り上げるところが多くて、悩んだ末にマークしたところは全部引用しました。そのため、恐ろしく時間がかかってしまいました。

半田さんの悲哀や悲憤が、どうにもこうにも身にしみましてねえ・・・。下っ端で働く人間の割り切れない想いや、やりきれなさが、ひしひしと伝わってくるので。

自分の割り当ての地どりから離れて捜査するというのは、母がしょっちゅう観ている刑事ドラマでは結構あるような気がするんだが・・・。

〈質屋だ〉とひらめいた半田さんは、なかなか優秀な刑事さんではありませんか? ただ、相手が合田さんたち七係だったというのが不運。お気の毒な半田さん。
(後の城山社長誘拐事件で「警察関係者がいる」とすぐに合田さんに見破られたのは、半田さんの読みと詰めが甘かったから)

半田さんの足に突き刺さったガラス片は「≒合田雄一郎」の比喩ではないかと、今ならば思える。
それならば、第五章のクライマックスで半田さんが合田さんにした行為は、もうしゃあないな、と。「やられたらやり返す」ではないけれど、「お前が刺したんだから俺も刺す」みたいな半田さんの心境も一理あるのでは、と。

ここで取り上げた半田さんが警察に入ったきっかけも、後に出てくる布川さんの自衛隊に入ったきっかけと、似たり寄ったりですね。「なんとなく」というやつだ。
対する合田さんも、司法試験に2回落ちて、生活するために警察へ・・・と、端から見ればこれも「なんとなく」の部類になるのかな?

第一章と第二章の合田さんは、ドラマや映画でいうところの「友情出演」「特別出演」ですね。全て、半田さん視点から語られる合田さんなので。

上記に挙げた、半田さんがつっかかって合田さんが受け流す場面。つっかかった半田さんも悪いが、合田さんもあんな物言いしたら、「こいつケンカ売ってんのか」と半田さんはより怒りを増幅されるほかないだろう。知らぬが仏、合田さん。

しかもダメ押しに、七係の面々が半田さんに罵詈雑言を浴びせたのが、サン毎版だけにある描写。単行本・文庫は、つっかかる半田さんを周りの人間が止めに入ってたよね?

そうそう、上記で取り上げませんでしたが、罵詈雑言といえば

「お宅は昼寝が出来るだろう」

ですね。単行本・文庫で巡査部長の表記がありますが、サン毎版でも巡査部長の表記があるだけで、発言者は不明です。残念。

肥後さんか、又さんか、雪さんか、お蘭か。はたまた私たちの知らない、この当時に七係に所属していた人なのか。(数年毎に入れ替わりがあるから)
名を挙げた面々も、これくらいの発言は普通に呼吸するように吐きそうだから。
巡査部長でなくても、警部補のペコさんも合田さんも、こんな発言は普通にやってそうですけど。


第一章 一九九〇年――男たち (3)  (連載第7回途中~第10回途中)

2016-05-26 00:59:15 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第一章 一九九〇年――男たち (3)  (「サンデー毎日」 '95.7.30~'95.8.20・27)


☆日之出ビールに入って三十二年。その三分の二を営業の第一線で過ごした性根は、六月に新社長に就任した今も、消えはしない。ビールはほかの酒類と違って、時代の感性や市民の生活感覚を一番敏感に反映するが、十分なマーケティングを重ねて送り出す新製品が当たるか当たらないかの、自分なりの直感を、一人の日之出社員として最後まで持っていたいと城山は思うだけだ。もはや、一つの製品の出来に対する自分の直感など、口に出す立場ではなく、責任者以下大勢の知恵や感性を認めるのが仕事だが、それでもなお、だ。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p95)

☆社内のどこにいようと、昔から、社員全部を足して頭数で割った風体だと言われてきたその姿は、髪が灰色と化した今も変わらず、まったく目立たない。常務時代、社内を歩いていて、すれ違った社員に「あの人、誰」と囁かれたのは一度や二度ではないし、営業をやっていた若いころは、得意先に顔を覚えてもらえずに苦労した。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p96)

☆日之出の顔になった今、さすがに「あの人、誰」は聞こえなくなったが、経団連でも商工会議所でも、基本的状況は同じだった。要するに、顔のない経営マシンが営々と働いて、いつの間にか、そのまま経営のトップに上りつめる時代になったのだ。大正ロマンティシズムの洗礼を受けなかった昭和二桁生まれの経営者が誕生してくる時代の先鋒を、城山恭介は担いでいるのだった。経済誌の巻頭を写真入りで飾る企業人の代表でもなく、経営哲学の手本でもない。ただ、端的に日之出の全株主と全社員の利益を守る責任を負っており、顔はないが周到な実務能力とそこそこの統率力を備えて企業を率いている経営マシンが自分だ、と城山は自認していた。それだけのことだ。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p96~p97)

☆九時の始業まで半時間弱。毎朝のその半時間の積み重ねが、城山のささやかな矜持だった。各報告書と中間財務諸表の四つを同時に開いてデスクに並べ、一緒に目を走らせ始める。数字は毎日毎日見ていなければ、勘が働かない。会計処理の細かな点をつつくつもりはなく、経営会議でも自分の口からは一切数字に触れることはないが、会社が毎日進んでいる道が順当なものか、歩みに異変はないか、広範囲に数字を見ておれば、諸々の判断を下す際の決断力の一助にはなる。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p82)

☆一方、白井誠一の方は名実ともに役員であり、十把一からげで〈阿吽の呼吸〉と言われた保守的な日之出経営陣の伝統に終止符を打ち、日之出を変えてきた男だった。風体こそ城山と五十歩百歩で目立たないが、三十五人いる取締役のうち、将来を見抜く慧眼と実行力にかけては右に出る者はいない。 「サンデー毎日」95.8.6 p84)

☆単純な利潤追求でも散文的理念でもなく、企業活動をシステムの総体としてマクロに評価する白井の考え方は、ある意味では経営マシンの最たるものだ。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p84)

☆城山はときどき窓から眼下を眺め、企業を統括する経営者の目とはおおむねこんなものかとなと思うことがあるのだが、白井の目にはさしずめ、この地上三十階の風景はすみずみまでもっとも効率よく機能すべきラインそのものに映っているに違いなかった。そこにあるものはシステムであって、人間でも物でもない。
翻って、城山自身は、日々重たかったり軽かったりするこの自分を動かして、二十年以上この手で物を売ってきたという感覚がまだいくらかあるせいか、私情を言えば、白井とは少し感覚的には合わないのだった。
 (「サンデー毎日」'95.8.6 p85)

☆白井というのはフグだ、と城山はよく思う。本人は、何があっても自家中毒を起こすことがなく、理路整然と言うべきことを言ってくるが、しばしば周りの人間が毒にあたる。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p86)

☆筋を通すために、周囲に一本一本ピンを刺して、道を確保していく白井のやり方は、論旨のまともさに比べて、毒が強すぎると感じることはあった。今も、人事への采配の一件で倉田の羽根にまずピンを刺し、縁戚関係にある杉原と姪の話を持ち出して、この自分の羽根をピンで止めたつもりかな、と城山はちらりと思った。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p70)

☆「信義を言われると、返す言葉もないが。しかし、明らかに縁の下でマッチを擦ってる者がいるのに、放っておくのはどうかと思う。実を言うと、ぼくは何かしらいやな予感がして……」白井はそんなことを言い、腰を上げた。
「予感とはまた……」
「根のない予感などない。祈りを知らない者に啓示は訪れないのと同じだよ」
城山がクリスチャンで、自分は無宗教であることを白井はときどき引き合いに出すのだが、そういうとき白井はまるで観念の議論に疲れた青年のような表情になる。
 (「サンデー毎日」'95.8.13 p72)

☆大量消費の金満の時代が終わった後に来る時代を、一言で予想すれば、おそらく《小市民的潔癖》だというのが城山の勘だった。節約、小型化、簡素、個人主義などのキーワードでくくられるだろう市民の心理は、物質的豊かさを諦めて精神的充実へ向かい、社会に〈潔癖〉さを求めてくる。潔癖な時代には、政界や銀行や企業の体質もそれに合わせて問われることになる。企業が、利潤追求より先に、社会的義務や倫理性を問われる時代は、たしかにもうそこまで来ている。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p73)

☆倉田は、城山や白井と正反対の偉丈夫だが、体躯と反比例した静けさ、口数の少なさは、役員の中でも際立っている。城山や白井以上に顔がなく、実績だけがある。しかし倉田の場合は、顔がないというより、消しているといった方が当たっているだろう。ビール事業本部を支えているその実体は、精巧なジャイロスコープ付きの魚雷だが、先月の社内報に載った戯画では、ぬうぼうとした牛に描かれていた。ちなみに城山はペンギン、白井はキツツキだった。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p74~p75)

☆倉田とはビール事業本部で四半世紀半、一緒にビールを売りに行った仲だから、それこそ阿吽の呼吸で、互いの歩幅まで知り尽くしている。倉田は魚雷と言われてはいるが、その無言の呼吸には、実は相当に振幅があること、感情の突沸を防ぐために自分の口を閉じているのだということも、城山は分かっているつもりだった。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p72)

☆「(前略) しかし今は、決算が先だ」そう言って、やっと倉田の顔は上がった。その顔に、エレベーターホールのガラス窓から入る日差しが当たった。倉田の目に映る地上三十階の景色は、白井や城山のそれとはまた違っている。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p73)

☆「そういえば、ビールの方。最低限前年の数字はクリアしてほしい」と城山が言うと、倉田は即座に「あと〇・一パーセント。二十七万ケース」と応えた。
「ラガーがもう少し伸びればね」
「伸ばします。この二週間の数字は、頭に来た。全支社に来月の目標数値を立て直させて、全体で何とかプラス二十七万を確保するよう、はっぱをかけますから」
 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p73)

☆そう言いながら、城山は自分の卑劣な論理を反芻し、その一方でそういう論理を並べる自分を冷静に眺めつつ、ああ俺はこういう人間なのだなと考えていた。被差別の件を口にしないほうがいいというのは、自分ならそうするということだったが、そうした判断の根には《岡田》の卑劣な手や世間の誤解を避けなければならないという会社の理屈がある。その矛盾した言い分を、杉原はもちろん察したに違いない。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p76)

☆受話器を置いたとき、城山はしばし無意識に、窓の外に広がる夜景に目をやっていた。朝、無機質に秩序立った工場のラインのように見えた市街の広がりは、今はただの茫漠とした灯火の海だった。それを眺めながら、城山はふと、自分が眼下の夜景から拒絶され、虚空に一人放り出されたような、ほんの一瞬の心もとなさを感じた。そんな感じがどこから来たのかは分からない。ただ、不運はこういうふうに降ってくるのかな、と突然根も葉もないことを考え、放心した。
もちろん、そんな放心は数秒も続かなかったが、代わりに、たった一つの言葉で揺らぐ、この社会生活の脆さに、あらためて身震いも覚えた。
 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p76)


【雑感】

日之出ビール経営陣の顔見世ですね。

何が驚いたって、白井副社長が城山社長と、ほとんどくだけた口調で喋っていたこと。丁寧に喋っていることもありますが、数えるほどしかなかったかな。

城山社長も相槌一つからして、違う。 単行本・文庫で「はい」や「ええ」だったのが、サン毎版では「うん」ですよ。
今風の言葉を借りれば、二人とも「キャラが違う」のですよ。

白井さんが1歳年上であっても、地位は城山社長の方が上ですから、書籍にまとめるときは喋り方を変えざるを得なかったんでしょうね。

そして日之出ビールの経営関連のこと。『LJ』を読むときは、そのときそのときの経済状況や、企業の不祥事等を思わずにいられないのですが、例えば倉田さんの数字の話でも、「ああ、こうやってごまかしを考えたり、操作したりするのかなあ」 と思いをめぐらせてしまいます。

あ、倉田さんはごまかしませんね。本気でその数字を確保しようとしている。

ただ、上の人間があまりに突拍子もない「数字」を打ち立てると、現場で働いている人間が困る、という図式は、何年、いや何十年経っても成り立つのですね。1995年から1997年の連載でしたが、未だに「変わらない」ように感じるのが、逆に恐ろしい。

こういう日本型の経営方式は、とっくに破綻・崩壊していると思うのですが、「変わる」あるいは「変える」ことは、すぐに成果を求められるのが今も主流の体質であるからには、天地がひっくり返らなきゃ無理なんでしょうな・・・と素人ながらの感想を述べずにはいられない。

あれ、眠気で何を入力してるのか、わからなくなってきた。こんな時間だもんな。では、おやすみなさいませ。