うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

太平記

2010-01-16 02:35:58 | 読書
先日本屋さんに行ったら、タイムリーに角川の「ビギナーズクラッシック日本の古典」
シリーズの「太平記」が平積みになっていました★

夢中になって、3日で読み切りました(^^)

実に分かりやすい!

全40巻を、あらすじ抜粋で書いてあって、
しかも名場面的な部分は、口語訳と原文もあるので、本当に分かりやすく
全体を把握できるし、原文も楽しめるのでかゆい所に手が届く感じです。

目次を読むだけで、20分時間をつぶせました(笑)

後醍醐天皇の倒幕計画から物語は始まり、40巻目は、細川頼之が管領になって3代将軍義満を補佐するところで終るのですが…全然「太平」になっていない感じの幕な印象です。

冒頭からして「君主」とは「臣」とは…ではじまり、
その主題は作中に何度も繰り返されます。

正直、書き手が朝廷側の意識なのか、武家(幕府)側の意識なのか、
読んでいて分からなくなりますね。

楠木正成の忠義や、信じられないくらい多数の鎌倉幕府軍(八十万騎って…)との戦いっぷりや、北条一門の末路、大塔宮をはじめとする後醍醐天皇の皇子を手に掛けた足利直義の悲惨な最期などを読んでいると、なんとなく朝廷側なのかな…と思ってしまいますが、
驚くべきは非業の死を遂げた大塔宮や、倒幕の悲願達せぬまま、吉野で亡くなった後醍醐天皇が、後半で怨霊になって登場し、朝敵幕府の失脚を論じたりするところ。

日本史観的には、天皇は神様の子孫(天照)なので、こういうのはあってはならないはずなんですね、とはいえ、醍醐天皇は地獄に落ちましたし(菅原道真を左遷した罪を自分が地獄に落ちることで償っているとのことで、民の代表として苦難をしょってくだっさたらしい)、保元の乱で敗れた崇徳院は大魔王になりましたし、平安朝あたりから「天皇」は藤原氏の手によって「政治の道具」的扱いをされてきてしまったので、このころになると、
かつての天皇観はなくなっているようなんですが…
(それを取り戻そうとしたのが、この後醍醐天皇だったんですけどね^^;)

どうやら、中立の視点のようです。
つまり、冒頭にあったように、君主と臣下のあり様、政治のあり様を記しているようです。
だから、うまくことが運ばないのは、臣下の礼に背いているから。
また、君主としての徳に適っていないから(天皇に対しても容赦ない…)
親子の礼に反しているから…
という儒教的思想と、前世の行いの報いであるという因果応報の原理が一貫しているようです。

以前、北方さんの太平記モノを読んだ時にも書きましたが、やっぱり悲しいです。
悲惨です。
正直、ここまで原文も生生しいとは思っていませんでした。

武士の戦いっぷり、潔さ、集団自決、本当に、気分が悪くなるほど生生しい描写が多いです。
抜粋のこの本だけでそうなのだから、原文全部読んだらどうなんだろうとブルブルします。

他にも驚かせるのは、引用などの多い点。
古典、漢文は言うに及ばす、楠木正成が天王寺で聖徳太子の未来記を読むところや、
さりげなく出てくる和歌の一節、驚くほど、雅な王朝文学のような表現。

もちろん作者は一人ではありませんが、作者陣の知識の集大成といった感じでしょうか。

作者といえば、成立について…

全巻成立は、1370年ごろらしいです。

ちなみに参考までに、目安となる年代ですが、こんな感じ。
建武の新政が1333年から。
楠木正成戦死が、1336年。
後醍醐天皇崩御が、1339年。
足利直義の毒殺が、1352年。
足利尊氏死去が、1358年。
足利義満が義詮を継いだのが、1367年。

驚いたのは、「太平記」の原型は、律宗僧恵珍が、足利尊氏の弟直義に、三十巻を
持参したこと。
そこで直義は、不適切な個所を修正させ、のちに書き足しがなされて、現在の四十巻本に
なったそうです。
…かといって、決して足利びいきになっていないのは、面白いと思いました。

足利も最初は鎌倉幕府軍でしたが、後醍醐天皇方について六波羅を滅ぼし、
(正成とは同僚)、その後幕府を開いて、再び朝廷と対立する形になったので、
かつて日本書紀が為政者を正当化するために、都合のいいように書き換えられた…
なんてことはないでしょうが、後半部の幕府内の確執や、怨霊跋扈のあたりは、
間違いなく後年でしょうね。

それにしても、本当に長い闘いです。
鎌倉倒幕から始まり、北条氏の残党との戦い、南朝と幕府の戦い…これが一番
長いですね、義貞や正成が死んでも、その兄弟とか、子供とか、本当に果てしない。
そして、讒言、裏切り、寝がえり。
尊氏も、死ぬまでずっと戦いつづけたような。

そして、当たり前のように、天変地異や、怨霊や天狗の跋扈が語られるのが、
面白かったです…。
太平記の中での怨霊は、天狗になっていますね。
仁和寺の六本杉に集まった大塔宮たちの霊も、羽が生えていて天狗だったし、
愛宕山の頂上で山伏が見た後醍醐天皇や大塔宮も天狗。(ここの段のあらすじで、
「…日本の魔界の御霊サミットだった…」と書かれていたのがウケました^^)

怨霊は、羽のあるもので書かれるのかな?
関係ないけど、物部守屋→キツツキ、聖徳太子→鷲ですね。
太平記には、崇徳院→鳶で登場していますが、崇徳院こそ天狗だっだような(^^;)

正成は、霊になっても朝敵殲滅のためにがんばっていました。

それにしても、この戦乱が、よく収まったものと思います。
世の中が変わるときって、本当に大きな苦しみを伴うものですね…
(毎回戦記ものを読んで思うのですが、日本の人口よくキープできたな…
何十万という兵は、本当の数字なんだろうか…三国志では、大陸だしそれくらい
いるだろう…ってアバウトに考えていましたが…)

ちなみに、南北朝の統一は1392年のことでした。

内容が内容だけに、今夜の読書ネタはかなりディープになってしまいました…orz



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