トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

コメントをお願いいたします。

矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

2月の引退から

2007-02-28 21:45:11 | その他ニュース関連
落語家の三遊亭円楽師匠。子供時代。日曜日の夕方から始まるテレビタイムの1番目が「笑点」。歌丸さん・小円遊(こういう漢字だったかなあ?)さん、そして円楽さんが私にとって必須メンバーだった。最年長だと思っていた歌丸さんが最後の一人になろうとは(歌丸さんは、容姿が年月のわりに変わっていないみたいだ)。子供時代の生活の構成要素が減っていくなあ。いや、まだずいぶん残っていることが驚きかも。「引き際」かあ…。直接の知り合いじゃない人達がそれを決めてしまったら、もうどうしようもないのね。

大竹まことさんに頼りた~い…

2007-02-27 21:02:12 | 政治や経済
久しぶりにみた「TVタックル!」で、大竹まことさんが尋ねていた。「60年間今の憲法で戦争なしにやってきたのに、なぜ今(憲法第9条を)変えなきゃならないの?」それまで、北朝鮮問題を中心に集団的自衛権について熱く語り合っていた総研の人・国会議員達(「元」含む)・政治評論家・ジャーナリスト・大学教授(考え方がちょっと変わったように思えた。何らかの研究的進展があったのか?)…といった他の面々は一瞬沈黙。後、口々に(あの番組ですから)説明(私の語彙に置き換えてしまっていますよ)。冷戦時代の米ソ2大国は、対立していたものの、他国の狼藉を抑えていたのだ。その体制が崩れた今、例えば北朝鮮のような国がちょろちょろっと原爆をみせつけたりするようになった。だから、日本も変わらなきゃ。ここ何日かでたまたまテレビで知った情報と昔の記憶がより合わさったので書いておく。大竹発言で一瞬虚を突かれたように見えた。その時に浮かんだのは。昔読んだ『クラウゼヴィッツの暗号文』。東西冷戦中・イギリスがアルゼンチンと交戦…という頃だった。マルクスを始め、欧州の政治家や学者達はクラウゼヴィッツの『戦争論』を読み込んでいて、それに沿った動きをしている。そんなふうに私は読んだ(間違っているかもしれない)。当時、囲碁の「定石」のことを連想した。両者が囲碁をちゃんとわかっていると、一方の1手に続く両者の石の置き方は決まってしまうのだ。詳しくない人にはあちこちに置ける場所があるように思えるのだが、詳しい人達は最善の場所をわかっているから試行錯誤はしない。いわゆる指導者(当時ならサッチャー首相とか)は『戦争論』をルールにして動いているのか? 世界がそんなに単純なら、あの本はもっとメジャーになっただろう。だから、私は読解を誤ったのだろうなあ、と思っている。しかし、昨晩は。「『戦争論』ルール(比喩です、念のため)」のプレイヤー同士で盛り上がっているところに、「そんなゲームをする必然性はあるの?」という一言が乱入したように見えてしまったのだ。囲碁がわかっている人達がそうであるように、国際政治などがわかっている人達にとっては、第9条改正が自明なのかも。だが、囲碁という限定された世界なら「わかっている」はあるけど、国際政治や情勢といったことが「わかっている」はあり得るのか? 経済学者が現実の不景気を扱えたとは思えない(事後の分析はともかく)。仮に、理論的には完璧だとしても、誰かの反対とかの理論外の要因からの作用は受けるわけで。それをひっくるめて扱えないなら、経済学では不足ということだ。なのに、国際政治や情勢や法律や軍事の分野なら、専門家達が正しい判断を下せるのか?世の中に専門家は多いけど。全知全能ということはないし。理系分野でさえ多くのことが覆されるのに、真空世界が対象でない文系分野で永く効力が続く理論だか思想体系ってあり得るのか? 専門家達は、それまでの理論だか思想体系が劣化した時点ですぐに反応できるのか?わからない。開戦というのは。アクシデント(真偽は怪しい)がきっかけになった例(日中戦争とか第1次大戦とか)も有名だと思う。専門家達にはだいたい予想がついているものか?…というのが、昔の記憶とつながった部分。最近のニュースと結びつけたのは、ノルウェーのこと(えーと、「ニュースステーション」だったかもしれない)。ノルウェーは今、クラスター爆弾禁止に持ち込もうと国連で動いている。かつてカナダが地雷でやった「オタワ・プロセス」の手法を使って。それは、アメリカ・ロシアといった大国が反対しても、まず他の国々が賛成してしまうことから始まるらしい。ノルウェーは集会に20だか30だかの国を招いたが、50カ国が出席したとのこと。多くの国が興味を持っている。いや…。日本ってば。こればっかりはアメリカに逆らってくれてるよね? 「日米同盟だから」とか「北朝鮮から守ってもらえなくなるから」とかではないよね?仮にアメリカの「反対だ」の理屈が軍事的には正しいとしても。米・ロ・中・イスラエル・日本以外がみんな賛成したら、あんまりだと思う…。外交上の「一人前」を考えるなら、集団的自衛権方面だけでなく他にも増強すべき面があるんではなかろうか…。話は変わるが。この番組をみていて、大竹まことさんの賢さ(知識豊富というのではない頭の良さ?)を感じない人はいるのだろうか…?曖昧な知識をもとに長々と書く(今回も、長いこと…)のは恥ずかしいから。書きたい(このブログは記録が主目的だから)気持ちをそそるような番組はみたくない、と最近思っていました。だから「TVタックル!」はやめておきたいけど。なんと、来週は田嶋陽子さんと片山さつき議員が同席するらしい! どちらか1人なら興味はないが、この組み合わせだと気になるなあ…。でも、変な空転が始まったら、がっかりなんだけどね。

ウィルスソフトの違い と あれのインストール完了

2007-02-27 21:01:52 | コンピューターやインターネット
<メモ>2代目を養生させるために、3代目をネットにも使うことにした。ウィルスソフトは両者で異なる。2代目(更新期限はまだ)はノートンで3代目(試用期間中)はマカフィー。購入時に入っていたものをそのまま使っているだけだ…。性能の違い(新種に即対応してくれるとか?)は全くわからない。ただ、マカフィーの方が確かに好きな点が1つある。それはウィルス定義の自動更新の経過が表示されることだ。頻繁にハードディスクのランプがばしばし点灯する。たぶん自動更新してるんだなあと想像してきたけど。「ノートンじゃなくてスパイウェアが入り込んでいるのを今私は見守っているのかもしれない…」と不安な日もあった。ニュースで見た後などに。マカフィーは、更新の進捗状態を示すアイコンが出てくる。この瞬きはマカフィーね、と安心。2代目は、耐えられる費用なら修理して使い続けるつもり(だってメモリも増設してあるし・もともとまだ使いたかったし。愛着があるので未練が~)。ウィルスソフトは1パッケージを何台かに入れて良かったような記憶がある。試用期限が切れるまでに調べなくては。一番楽しみにしていたソフトも、カスタマイズした事柄ともども昨日移し終えました。もう引越しは終わったようなもんよ。隠しフォルダがあるのはわかってたけど表示させようなんて考えたこともなかった…。周辺機器接続でBIOS画面から入る設定が必要なんて、想像もしなかった…。そして、サポートの人々って、ほとんどが冷静で言語能力が高そうだなあ。それから、4年前に比べて女の人が増えたかもしれない。

高校の未履修問題

2007-02-26 19:05:50 | その他ニュース関連
国立大学も入試が始まっていたのね。今更しつこい、と思うだろうけど。まあ、おばさんの感傷だと思って見逃してください。高校の履修問題で、私の母校も登場。驚いた…。でも、公立高校の「校風」なんて、ひとときの蜃気楼のようなものだ。進学校になることを期待された新設校だったが、私が入った頃はまだまだ難関ではなかった(だって私が合格した程度だ←謙遜ではない)。それでも、地域の学力差(内申点に影響)・交通機関の関係(交通不便な地域に住む難関校合格可能者がなんとか電車通学できる立地。なお、私は自転車通学生)で、進学校要員が確保されたのがその後の礎になった模様。受験勉強には役立ちそうにないマニアというかコアな特別授業(毎週)・突如開催される球技大会(「2年生が修学旅行中なら体育館と校庭が空いている」と気付いた人がいた)・学祭に一番頑張るのが3年生…。悪く言えば「無駄」・良く言えば「遊び」が、毎日詰まった高校生活だった。担任団は微妙な表情で生徒達を見守っていた。「受験勉強中心というのは物足りないからいろいろやらせよう」みたいな申し合わせがされていたが、どこまで自主性に任せるべきか話し合いを重ねていたようだ(卒業の数年後に作られた10周年記念誌で読んで初めて知りました…。社会人になってから当時の教師陣のことを思うと、大人達の深く広く暖かな懐で暮らした日々が惜しまれてならない)。いや。私は勉強も含めて消極的な生徒だったから、関係なかったんですけどね。大学で他地域の、それも同じく公立高校の出身者達の話を聞いて驚いた。クラス分けが文系理系だけじゃなく、国公立私立別だったって(センター試験の前身であったテストでは、9科目11教科-?-が義務。併願はかなり苦しかった)? 2年生になる時点で既に進路別にクラス替えされたって? うちってのんびりしてたのね…。10年以上前に同期生の一人が電車で後輩達(制服でわかる)の会話に私達の代のことが出てきた、と話してくれたことがある。勉強はもちろん、高校生活全般に頑張った「幻の*期生」と呼ばれていたそうだ(上にも書いたが私はそのカラーを濁すようなぼんやりした高校生だったので、残念ながら晴れがましさは感じない)。本物の進学校になった学校が昔の卒業生に良い称号を与えていてくれるということが、意外だった。担任団の志が生きていたのかも。その時はまだ、ね。今年の年賀状では、元同級生達が昨年発覚した履修問題のことを書いてきた。ほんと、驚いちゃったよね~。今は昔、でございます。今の在学生達は、私の時代とは違う今の高校で生活していて、そこには昔とは違う良いことも悪いこともあるのだろう。昔と同じ「晴れた日」でありますように。私みたいに「干草を作」りそびれずに、高校生活をちゃんと満喫していますように。自分が高校生だった「あそこ」がなくなっているのを実感するのは寂しいけれど。心の中にずっと当時の自分を飼っておいて。自分なりに高校時代の続きを生きていくだけだな…。

道路:渋谷の親父達による注意はいいと思う

2007-02-25 14:34:30 | マナー違反?
渋谷の、「親父」という言葉がぴったりのおじさん達(商店主など)が、繁華街で違法(条例など)行為を注意して回っているそうだ。逆切れした人とのやりとりの映像を見た。おじさん達に対し、「言葉遣いが悪い」「警官でもないのに注意できるのか」と反論していた。まず、公共ルールやマナーを破っている自分、という立場がわかっていない。それは周囲に無法者である旨を宣言した状態なのである。この地域の掟(条例とか法律とか礼儀とか)を公然と破って見せているのだから、掟を守ることで保障される安全を自ら放棄している。もちろん、現代の日本では、この無法者を簀巻きにして川に投げ入れたりはしない。まずは、厳しい言葉でとがめるだけだ。言葉が厳しいところに青年は反応していたが、戦いのゴングは彼が鳴らしたようなものである。敵は、まずびしっと威嚇する戦術を選んだ(だいたい、このおじさん達は迫力で若者達との危険な戦いを重ねてきたのだ)。「失礼だ」なんて寝ぼけた反応はやめておけ。それから、この種の注意は警官しかできないと思っているのか? 18歳以上の日本人のうち、20人に1人(念のため、適当な数字)は警官にならなければ足りないんじゃないの。彼が巨額の税金を納め続けて財源を確保してくれるなら、それもいいわよ~。観光旅行でモスクを見学した時。服装とかに(イスラム教上の)誤りを犯しているのに気付かない私→周囲のムスリムが怒って注意する→言葉がわからずジェスチャーで意思の疎通を図ろうとする私→そのジェスチャーがアラブ的には失礼な動きにたまたま似ている→燃え上がる怒り…という空想をしてしまった。緊張しました~。まあね。今の日本ならね。おじさんに悪態をついても無傷でいられるからね。でも、だだっ子みたいだ。