古賀氏のことがあったので、「モーンングバード」の「そもそも総研」の存続が心配になってサイトを見たら。なんと、コメンテーターが3人から2人に減っていて、松尾貴史氏の名前がない。ええ~っ(なお、他の曜日を担当していた岩上安身氏もいない。私は木曜日しか見ていなかったが、昔の「日本ダンディ」を思えば、外されるような発言をしていたんだろうな、と想像できる)。検索しても情報は見つからず。ご本人はサイトもツイッターもやっているのに、そういうことは書かれていないのだった。
だが、次のブログが出てきた。省略なしに転載するので、とても長いです。このカテゴリーに関わるので書いてみる。
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http://www.as-mode.com/blog/2015/01/deth-kenpou-tamakawatooru.html
ITジャーナリスト宮脇睦の「マスコミでは言えないこと」
みやわきぶろぐ
日本国は憲法は死んでいる。からの結論に迷走する玉川徹
2015年01月09日(金) at 11:56 AM 左翼警報, 時事コラム.
パステルカラーの「サンデーモーニング」といった趣のテレビ朝日「モーニングバード」。つまりは反日ということで、今年も「闘争」を隠しもしない『玉川徹 そもそも総研たまペディア』。選挙が終われば絶賛、偏向報道中です。
ただし、いま気がついたのですが、コーナーの正式名称「そもそも総研たまペディア」の「ペディア」が「ウィキペディア」からのインスパイアなら、「嘘もあるよ」という暗喩なのかも知れません。
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この口数の多さ、羨ましい(本気ですよ)。私は、ブログを書く時に「長いと読んでもらえる率が下がりそうだな」と怯えていたりする(でも長くなっちゃうんだですけどね)。
さて。
私は「モーニングバード」の「玉川徹 そもそも総研たまペディア」は録画して見ていて、これはと思った回はダビングして保管するほど好きなコーナーです。
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さて、昨日(2015年1月8日)は「日本国憲法はすでに死んでいる!?」と題して、なにを報じるかと思えば、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者 矢部宏治(@yabekoji)氏の「説」を中心とした、一種の「番宣(正確には記事広告、もとい書籍宣伝)」。
嘘だらけとは言いませんが、事実誤認と選択的情報開示が多く、まるで福島第一原発において「撤退」と報じた「朝日新聞」です。親会社のカルチャーをいまだ死守しているということでしょうか。
文化人類学的というか、歴史的にも本家より分家が過激に走り、原則に固執するのはよくあることです。
その主張を簡潔に述べれば
“「砂川判決」により憲法よりも日米条約が上位にあると判断してから日本国憲法は機能していない。すなわち現在も占領状態である」
ということ。その通りじゃんと膝を拍つ、「保守派」も「右派」も「極右」だっているかもしれません。
忸怩たる思いから、激高まで振れ幅はありますが、日本が現実問題占領下に置かれていることに真っ向から反論するのは、むしろ左派です。だからこそ「改憲」を求めいるのですから。
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うう・・・。長いわ。ここらはあまり関係ないのでパス。
書いてもいいけど。書きたいけど。
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そもそも話題の軸となる矢部宏治氏を調べてみると、ほとんど情報がでてこない不思議な人物。陰謀論の泰斗 孫崎享氏や、琉球新報の論説委員まで務めた 前泊博盛氏の書籍に絡んでいる人物で、思想的背景は明らかながら、それ以上の「素性」が見えないところは不思議です。例えば純文学や、ミステリー小説などの「作家」なら、背景に作品の以上の意味はありませんが、論考ならば不可欠ながら、番組内でもこれに触れることはありません。
矢部宏治氏を怪しい人物と断定するものではありません。人物像もまた、情報を精査する上で重要なファクト(事実)になるからで、「報道」においては当然のことで、新聞報道がいまだに妙齢の女性まで括弧付きで「年齢」を添える理由も同じです。
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矢部氏は出版において黒子として活躍してきた人ですが、経歴として不十分だろうか? 実は、私は逆にこの宮脇睦氏を検索してみたのだが、同じく情報がほとんどなくて、困っている。いえ、しゃれで書いているのではなくて。
ただ、引用したこのブログ記事のページを見る限りきっぱりと「右」な人なのでしょう。引用記事は検索結果上位に出てきたのだから、閲覧数が多いブログなのだろうか? それとも、宮脇氏は専門家なので検索上位に表示されるような作り(ちょっと前は「CEO対策」という言葉が氾濫していたような時代だった)なのだろうか?
が、「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」は、右も左も関係ないテーマを示している・・・と私は考えています。だから宮脇氏のスタンスの左右はどうでもいいのだ。
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玉川徹氏の論理の主張の偏向さは、冒頭から遺憾なく発揮されます。
矢部氏の結論として
「日本国憲法はGHQが書いた」
とします。これはリベラルと左翼以外にとっては「常識」ですが、その上で、改憲派と護憲派の対立を「ねじれ」として、こう区分します。
改憲派:日本国憲法はGHQが書いたから変えよう(人権について削ろう)
護憲派:当時の日本人には書けないような素晴らしい内容だった(人権について)
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本を読んだ時も途方にくれたのだが。初めて現憲法を習った頃から、GHQが作ったことは知っていた私。それを教えたのは、小学校の教師なのか私の父だったのか本だったのか。私が受けた義務教育の時代では、教科書・教師情報・親他の大人情報・子供経由の大人情報・本・テレビからの知識が入り乱れていたなあ・・・。相反する「事実」の混在が当たり前だと思いながら成長してきたわけだが、今時は違いそうだなあ。
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まず、前提条件で「主義主張」をいれこみ、間違った前提のまま議論を薦めるのがリベラルや左翼の得意とするプロパガンダです。
改憲派とは、GHQが書いたことが気に入らないと「幼稚さ」をアピールしマシ(甘楽注;原文ママです)が、これは、当然というか、独立国として当然で、そもそも敗戦国の憲法を戦勝国が作ることは国際法の重大な違反で、矢部氏の結論を遵守するのであれば、避けては通れないことを無視するのは流石という卑怯のなせるわざです。
ましてや、改憲派のだれが人権を抑圧しろといっているのでしょうか。玉川徹や松尾貴志らの日頃の発言から推察するに、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を指すのかも知れませんが、人権が守られるためには、国家の主権が維持されるのが大前提で、その為に一定の人権が抑圧されることはやむを得ないことで、平時と戦時とを同レベルで語るのは狂気の沙汰か、幼児のバカに過ぎません。
つまり、原則を踏みにじり、ありえない条件設定で「改憲派」が語られているのです。
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1行目、「リベラルや左翼の得意とするプロパガンダ」と書かれていますが。これは冤罪。
1段落飛ばした、「(・・・)改憲派のだれが人権を抑圧しろといっているのでしょうか。玉川徹や松尾貴志らの日頃の発言から推察するに、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を指すのかも知れませんが、」・・・と書く前に、自民党のサイトででも憲法改正案を一目見ていただければ(また、TPPが実施されたら、その方面からも制限事項が増えそうな予感もします)。
番組を見ても、玉川氏と松尾氏が指しているのは「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」ではなくて、自民党の憲法改正案だとわかる。この放送で、松尾氏は「草案なんていうのはよく出ますよね、ま、深く読み込んではいないんですけど、どうもその、基本的人権が後退する方向のものが多いように感じます」と言っているのだから(・・・・・・まあ、私自身が、読むのも聞くのもそそっかしく反応してしまうので。宮脇氏は慌ただしく書いたせいで誤認した記事になっている、という可能性が大きいと思う)。
「改憲派とは、GHQが書いたことが気に入らないと「幼稚さ」をアピールしマシ(甘楽注;原文ママです)が、」について。録画を見た限り、私には「「幼稚さ」をアピール」は感じなかった。これは「例のドレス」現象か。
その続き、「これは、当然というか、独立国として当然で、そもそも敗戦国の憲法を戦勝国が作ることは国際法の重大な違反で、矢部氏の結論を遵守するのであれば、避けては通れないことを無視するのは流石という卑怯のなせるわざです。」は、どうかと思う。本も番組も、現行憲法の成立については詳しく説明し、法学界が的外れとも言える論争に燃え続けたことを惜しんでいる。
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つぎに、護憲派の推奨するように、すぐれた人権を盛り込んだ、それは「日本人には書けない内容」だったのであれば、その後、追随する国が現れても良いはずですが、現実にそんなことは起きていません。
なぜなら、米国の赤軍・・というかリベラル派による「社会実験」だったからです。いまだに人種差別の色濃い米国を想像すれば分かるように、人類史に残る人権実験を黄色いサルの国で実験したのが日本国憲法なのです。
ところがそれが意外と機能しているのは、日本は世界に類を見ない「人種差別の窮めて少ない文化」をもっていたからで、ほぼないといっても過言ではないのですが、これは余談。
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この3段落については、あまりにあまりなのでパス。番組にも本にも関係ないし。
以下、そのまま転載しますが、私のコメントを書くのはここまでにします。番組の感想であって、本(「日本人は、なぜ「基地」と「原発」を止められないのか」)は読まずに書かれたようなので。また、番組も1度ながら見した程度だと思われる。なのに、私が録画を見てねちねち書くのも気がとがめてしまう。
うう~。読んで考えてほしい。 下に載せた引用の終わりの方で、「国際法の専門家ではありませんが、欧米的な「常識」で考えれば、国家観で結ばれる条約は、国内の同意を得たものと考えられます。つまり憲法の制約を踏まえた上でと考えるものなのです。」と書いていますが、この点は私も含めて多くの人がそう信じてきたことです。
なのに、日米行政協定と憲法の関係をどう判断するのか? 「左」や「リベラル」をがんがん批判するような人と、ここで見解が一致するのかどうか知りたかった。
しかし。「民主政治を採用している我が国には「選挙」という手段こそが「最後の砦」です。」と締める人なので、憲法と国家の関係については、安倍首相と同じなのかな。憲法の重要な役割の1つは国家権力から国民を守ることである・・・という見解を共有できないと、議論は進められないだろうな。
やっぱり、私は時間をどう配分するかを考えなければならない。反省だ。
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玉川徹自身が「お花畑」と紹介する、戦争と武力の放棄を謳った
「憲法9条」
についても、
「当時は国連軍の創設を念頭に置いていた」
としてお花畑論を否定しますが、本当に正味のバカと断じます。国連軍が機能しないことは、現実が教えてくれ、山本太郎のゆかいな仲間に成り下がった小沢一郎が提唱した自衛隊を「国連軍」へが仮に実現していれば(甘楽注;原文ママ)、尖閣の海で、小笠原の海で、我が日本の海上自衛隊や報道陣に、銃口を向けるのが国連軍を名乗る日本人だったのですから。
しかも玉川徹は、国連軍が実現しなかった理由を、ソ連の台頭に求め、こう言い垂れます。
「権力者は共産化を怖れた。ソ連により指導者が追い出されるから」
つまり、己が保身のために、憲法をそのままとして、米軍の駐留を容認したということです。
その進駐軍=米軍のなかでも、赤化を防ぐために、占領政策を大転換したことにはまったく触れません。
すてべに突っ込みをいれる時間がないのは残念ですが、「憲法論」を持ち出して議論を強引に薦めます。それは
“憲法の下にあるはずの条約が、憲法の上位にある。すなわち憲法は死んでいる”
ということで、これを「常識的な見解」といいます。
これは「国際法」と「国内法」で意見が分かれ、一種の「神学論争」になっているテーマで、
「TPP」
では逆のことをいっていたとはうろ覚え。
つまり、一旦締結した国際条約は、憲法よりも優先されるので、TPPが妥結されれば、日本人の権利が侵害されるというもの。
国際法の専門家ではありませんが、欧米的な「常識」で考えれば、国家観で結ばれる条約は、国内の同意を得たものと考えられます。つまり憲法の制約を踏まえた上でと考えるものなのです。
企業間で考えれば、契約書を交わした取引は、社長の決裁、社員総会の決議を得たものか、それに準ずるというもので、あるいは家族ならば、家の売買を契約した後に、長老である祖父が反対したからといって、
「わが家の長老が反対したので契約は無効です」
が認められるワケがないことを考えれば明らかです。
国内法における序列において、憲法が最上位にあったとしても、相手のある国際条約においては、実際的に条約が上に来るもので、日米同盟(条約)に問題あるのなら、それを改訂する努力をすべきで、さらに憲法に問題があると考えるのなら、
「憲法改正」
こそ正しいということで、安倍政権を批判するつもりが、ゴールが同じなるという珍妙な結論。難癖を得意芸とする松尾貴志も困る偏向ぶりでした。
事実をふまえ論理的に考えれば「憲法改正」は当然のことであります。ただし、もうひとつだけ珍説を指摘しておきます。
「国民を守る最後の砦の憲法」
とは嘘。民主政治を採用している我が国には「選挙」という手段こそが「最後の砦」です。
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