トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

コメントをお願いいたします。

矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

(5)日米合同委員会vs.小沢・安倍・石原・浜田ー「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

2015-03-31 18:47:46 | 日本人はなぜ基地と原発を止められないのか
本を読んだ直後に勢いに任せて書いてしまった文章だが、載せる。

<1. vs.小沢一朗議員と沖縄>
民主党が与党になった頃、そういえば小沢議員の言葉が私には印象的だった。1つは、アメリカばかり重視しないで、アジアとももっと密接な関係を築くこと。もう1つは、沖縄から米軍基地を減らす交渉についての、「アメリカは、自分の正義をしっかり主張する相手を、意外に尊重するものだ」というようなこと。
1つめについて。シンガポールが「ルック・イースト」と言っていた時代を知るせいか、古代から交流してきたアジア諸国と日本は、もっと親密になれるはずだ、とずっと思っていた。日本とベトナムとの経済的な関係(市場としても生産現場としても)も始まっていたので、現実味も増していた。2つめは、この本でアメリカ人の価値観についての記述(p.13)を読んでいて、思い出した。「インテグリティ」。小沢議員は、アメリカ人(たぶん権力者階層)がこれを重視することを知っていたから、あの発言をしたのかもしれない(インテグリティ、それは「アメリカのポチ」とは対極的な態度です)。
(アメリカで留学や仕事をしていたような人達には、「アメリカ人は「お前は何のチャンピオンか?」というようなことを尋ねる」と語る例がある。それを思い出した。「お前は何者か」に対して「あなたに従順な者です」では、対等に付き合う相手としては見てくれないのだ、たぶん)
この本を読んで、政権交代後、小沢議員の活動が検察との戦いにほぼ終始していたのが、残念でならない。民主党政権の中で唯一人、与党経験が豊富な小沢議員。やっぱり検察そして日米委員会はそれを阻止していたのね、と書きたいところ。でも、検察が放免したのに検察審査会が許さなかった、という記憶がある(あの市民団体は、どういうものだったのだろう)。また、民主党を出た後の新党の代表として参加した公開討論で、小沢氏は、全くぱっとしなかったんだよね・・・。

<2. vs.安倍首相>
このカテゴリーの1つめ(はじめに)にも書いたように。短く、あまりにしりすぼみな第1次のときはともかく、好き勝手にやっているような第2次以降も、安倍政権の国内政策は、ちんまりしているような気がしていた。
外交(外国への営業)と安保法制(日本周辺よりもアフリカ大陸方面に熱心)は、規模が大きい。これは、日本というよりはその筋のアメリカの発想による政策だからだ、と考える。それに対して、「賃金上げろ」「残業代つけない制度を作れ」など、企業と労働組合の現場に口を出す「アベノミクス」は、変に細かい(そういうのは企業内の人の「自治」みたいなものじゃないでしょうか)。そういえば地方創生も、本来は地方政府がやるべきようなことに、中央政府が参加しているように見える。
安倍首相の資質(能力や人柄)がネックになっているのか、と思ってた。哲学みたいなものが感じられない。
しかし、それは「安倍首相だから」ではなく「日本の首相だから」かもしれない。日本の政治は活動範囲が狭く設定されているのだ。

<3. vs.石原慎太郎氏と浜田こういち氏>
思いがけない成り行きだが、ここで、石原慎太郎氏のことを思い出さずにはいられない。「Noと言える日本」だっけ? 自民党の政治家でありながらアメリカに噛み付いていたのは、日本人政治家には稀な資質だったのね。横田基地のNightLandingPracticeを減らせとか、よく主張したもんだわ。引退前の中国や韓国への好戦的な態度が印象的だったが、アメリカに物申していた時期とはだぶるのだろうか? それとも、アメリカに主張しなくなってから、矛先を中国と韓国に向けたのだろうか? それならそれで裏はありそうだが。
浜田こういち(漢字を忘れてしまった)氏については、「TVタックル」で、「アメリカに逆らえますか?」とよく凄んでいたが。あれはわりと深い意味だったんだなあ・・・と理解して、良いのだろうか。

本を読んでから、ベテランの政治家が気になるようになった。それで、「時事放談」という番組に気付き、できるだけ見るようにしている(時間がいくらあっても足りない。困った・・・)。

(4) 宮脇睦氏のブログー「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

2015-03-31 18:47:20 | 日本人はなぜ基地と原発を止められないのか
古賀氏のことがあったので、「モーンングバード」の「そもそも総研」の存続が心配になってサイトを見たら。なんと、コメンテーターが3人から2人に減っていて、松尾貴史氏の名前がない。ええ~っ(なお、他の曜日を担当していた岩上安身氏もいない。私は木曜日しか見ていなかったが、昔の「日本ダンディ」を思えば、外されるような発言をしていたんだろうな、と想像できる)。検索しても情報は見つからず。ご本人はサイトもツイッターもやっているのに、そういうことは書かれていないのだった。
だが、次のブログが出てきた。省略なしに転載するので、とても長いです。このカテゴリーに関わるので書いてみる。



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http://www.as-mode.com/blog/2015/01/deth-kenpou-tamakawatooru.html


ITジャーナリスト宮脇睦の「マスコミでは言えないこと」
みやわきぶろぐ

日本国は憲法は死んでいる。からの結論に迷走する玉川徹
2015年01月09日(金) at 11:56 AM 左翼警報, 時事コラム.


 パステルカラーの「サンデーモーニング」といった趣のテレビ朝日「モーニングバード」。つまりは反日ということで、今年も「闘争」を隠しもしない『玉川徹 そもそも総研たまペディア』。選挙が終われば絶賛、偏向報道中です。

 ただし、いま気がついたのですが、コーナーの正式名称「そもそも総研たまペディア」の「ペディア」が「ウィキペディア」からのインスパイアなら、「嘘もあるよ」という暗喩なのかも知れません。
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この口数の多さ、羨ましい(本気ですよ)。私は、ブログを書く時に「長いと読んでもらえる率が下がりそうだな」と怯えていたりする(でも長くなっちゃうんだですけどね)。
さて。
私は「モーニングバード」の「玉川徹 そもそも総研たまペディア」は録画して見ていて、これはと思った回はダビングして保管するほど好きなコーナーです。


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 さて、昨日(2015年1月8日)は「日本国憲法はすでに死んでいる!?」と題して、なにを報じるかと思えば、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者 矢部宏治(@yabekoji)氏の「説」を中心とした、一種の「番宣(正確には記事広告、もとい書籍宣伝)」。

 嘘だらけとは言いませんが、事実誤認と選択的情報開示が多く、まるで福島第一原発において「撤退」と報じた「朝日新聞」です。親会社のカルチャーをいまだ死守しているということでしょうか。

 文化人類学的というか、歴史的にも本家より分家が過激に走り、原則に固執するのはよくあることです。

 その主張を簡潔に述べれば

“「砂川判決」により憲法よりも日米条約が上位にあると判断してから日本国憲法は機能していない。すなわち現在も占領状態である」

 ということ。その通りじゃんと膝を拍つ、「保守派」も「右派」も「極右」だっているかもしれません。

 忸怩たる思いから、激高まで振れ幅はありますが、日本が現実問題占領下に置かれていることに真っ向から反論するのは、むしろ左派です。だからこそ「改憲」を求めいるのですから。
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うう・・・。長いわ。ここらはあまり関係ないのでパス。
書いてもいいけど。書きたいけど。


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 そもそも話題の軸となる矢部宏治氏を調べてみると、ほとんど情報がでてこない不思議な人物。陰謀論の泰斗 孫崎享氏や、琉球新報の論説委員まで務めた 前泊博盛氏の書籍に絡んでいる人物で、思想的背景は明らかながら、それ以上の「素性」が見えないところは不思議です。例えば純文学や、ミステリー小説などの「作家」なら、背景に作品の以上の意味はありませんが、論考ならば不可欠ながら、番組内でもこれに触れることはありません。

 矢部宏治氏を怪しい人物と断定するものではありません。人物像もまた、情報を精査する上で重要なファクト(事実)になるからで、「報道」においては当然のことで、新聞報道がいまだに妙齢の女性まで括弧付きで「年齢」を添える理由も同じです。
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矢部氏は出版において黒子として活躍してきた人ですが、経歴として不十分だろうか? 実は、私は逆にこの宮脇睦氏を検索してみたのだが、同じく情報がほとんどなくて、困っている。いえ、しゃれで書いているのではなくて。
ただ、引用したこのブログ記事のページを見る限りきっぱりと「右」な人なのでしょう。引用記事は検索結果上位に出てきたのだから、閲覧数が多いブログなのだろうか? それとも、宮脇氏は専門家なので検索上位に表示されるような作り(ちょっと前は「CEO対策」という言葉が氾濫していたような時代だった)なのだろうか?

が、「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」は、右も左も関係ないテーマを示している・・・と私は考えています。だから宮脇氏のスタンスの左右はどうでもいいのだ。


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 玉川徹氏の論理の主張の偏向さは、冒頭から遺憾なく発揮されます。

 矢部氏の結論として

「日本国憲法はGHQが書いた」

 とします。これはリベラルと左翼以外にとっては「常識」ですが、その上で、改憲派と護憲派の対立を「ねじれ」として、こう区分します。

改憲派:日本国憲法はGHQが書いたから変えよう(人権について削ろう)
護憲派:当時の日本人には書けないような素晴らしい内容だった(人権について)
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本を読んだ時も途方にくれたのだが。初めて現憲法を習った頃から、GHQが作ったことは知っていた私。それを教えたのは、小学校の教師なのか私の父だったのか本だったのか。私が受けた義務教育の時代では、教科書・教師情報・親他の大人情報・子供経由の大人情報・本・テレビからの知識が入り乱れていたなあ・・・。相反する「事実」の混在が当たり前だと思いながら成長してきたわけだが、今時は違いそうだなあ。


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 まず、前提条件で「主義主張」をいれこみ、間違った前提のまま議論を薦めるのがリベラルや左翼の得意とするプロパガンダです。

 改憲派とは、GHQが書いたことが気に入らないと「幼稚さ」をアピールしマシ(甘楽注;原文ママです)が、これは、当然というか、独立国として当然で、そもそも敗戦国の憲法を戦勝国が作ることは国際法の重大な違反で、矢部氏の結論を遵守するのであれば、避けては通れないことを無視するのは流石という卑怯のなせるわざです。

 ましてや、改憲派のだれが人権を抑圧しろといっているのでしょうか。玉川徹や松尾貴志らの日頃の発言から推察するに、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を指すのかも知れませんが、人権が守られるためには、国家の主権が維持されるのが大前提で、その為に一定の人権が抑圧されることはやむを得ないことで、平時と戦時とを同レベルで語るのは狂気の沙汰か、幼児のバカに過ぎません。

 つまり、原則を踏みにじり、ありえない条件設定で「改憲派」が語られているのです。
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1行目、「リベラルや左翼の得意とするプロパガンダ」と書かれていますが。これは冤罪。
1段落飛ばした、「(・・・)改憲派のだれが人権を抑圧しろといっているのでしょうか。玉川徹や松尾貴志らの日頃の発言から推察するに、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」を指すのかも知れませんが、」・・・と書く前に、自民党のサイトででも憲法改正案を一目見ていただければ(また、TPPが実施されたら、その方面からも制限事項が増えそうな予感もします)。
番組を見ても、玉川氏と松尾氏が指しているのは「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」ではなくて、自民党の憲法改正案だとわかる。この放送で、松尾氏は「草案なんていうのはよく出ますよね、ま、深く読み込んではいないんですけど、どうもその、基本的人権が後退する方向のものが多いように感じます」と言っているのだから(・・・・・・まあ、私自身が、読むのも聞くのもそそっかしく反応してしまうので。宮脇氏は慌ただしく書いたせいで誤認した記事になっている、という可能性が大きいと思う)。

「改憲派とは、GHQが書いたことが気に入らないと「幼稚さ」をアピールしマシ(甘楽注;原文ママです)が、」について。録画を見た限り、私には「「幼稚さ」をアピール」は感じなかった。これは「例のドレス」現象か。

その続き、「これは、当然というか、独立国として当然で、そもそも敗戦国の憲法を戦勝国が作ることは国際法の重大な違反で、矢部氏の結論を遵守するのであれば、避けては通れないことを無視するのは流石という卑怯のなせるわざです。」は、どうかと思う。本も番組も、現行憲法の成立については詳しく説明し、法学界が的外れとも言える論争に燃え続けたことを惜しんでいる。



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 つぎに、護憲派の推奨するように、すぐれた人権を盛り込んだ、それは「日本人には書けない内容」だったのであれば、その後、追随する国が現れても良いはずですが、現実にそんなことは起きていません。

 なぜなら、米国の赤軍・・というかリベラル派による「社会実験」だったからです。いまだに人種差別の色濃い米国を想像すれば分かるように、人類史に残る人権実験を黄色いサルの国で実験したのが日本国憲法なのです。

 ところがそれが意外と機能しているのは、日本は世界に類を見ない「人種差別の窮めて少ない文化」をもっていたからで、ほぼないといっても過言ではないのですが、これは余談。
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この3段落については、あまりにあまりなのでパス。番組にも本にも関係ないし。
以下、そのまま転載しますが、私のコメントを書くのはここまでにします。番組の感想であって、本(「日本人は、なぜ「基地」と「原発」を止められないのか」)は読まずに書かれたようなので。また、番組も1度ながら見した程度だと思われる。なのに、私が録画を見てねちねち書くのも気がとがめてしまう。

うう~。読んで考えてほしい。 下に載せた引用の終わりの方で、「国際法の専門家ではありませんが、欧米的な「常識」で考えれば、国家観で結ばれる条約は、国内の同意を得たものと考えられます。つまり憲法の制約を踏まえた上でと考えるものなのです。」と書いていますが、この点は私も含めて多くの人がそう信じてきたことです。
なのに、日米行政協定と憲法の関係をどう判断するのか? 「左」や「リベラル」をがんがん批判するような人と、ここで見解が一致するのかどうか知りたかった。

しかし。「民主政治を採用している我が国には「選挙」という手段こそが「最後の砦」です。」と締める人なので、憲法と国家の関係については、安倍首相と同じなのかな。憲法の重要な役割の1つは国家権力から国民を守ることである・・・という見解を共有できないと、議論は進められないだろうな。

やっぱり、私は時間をどう配分するかを考えなければならない。反省だ。




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 玉川徹自身が「お花畑」と紹介する、戦争と武力の放棄を謳った

「憲法9条」

 についても、

「当時は国連軍の創設を念頭に置いていた」

 としてお花畑論を否定しますが、本当に正味のバカと断じます。国連軍が機能しないことは、現実が教えてくれ、山本太郎のゆかいな仲間に成り下がった小沢一郎が提唱した自衛隊を「国連軍」へが仮に実現していれば(甘楽注;原文ママ)、尖閣の海で、小笠原の海で、我が日本の海上自衛隊や報道陣に、銃口を向けるのが国連軍を名乗る日本人だったのですから。

 しかも玉川徹は、国連軍が実現しなかった理由を、ソ連の台頭に求め、こう言い垂れます。

「権力者は共産化を怖れた。ソ連により指導者が追い出されるから」

 つまり、己が保身のために、憲法をそのままとして、米軍の駐留を容認したということです。

 その進駐軍=米軍のなかでも、赤化を防ぐために、占領政策を大転換したことにはまったく触れません。

 すてべに突っ込みをいれる時間がないのは残念ですが、「憲法論」を持ち出して議論を強引に薦めます。それは

“憲法の下にあるはずの条約が、憲法の上位にある。すなわち憲法は死んでいる”

 ということで、これを「常識的な見解」といいます。

 これは「国際法」と「国内法」で意見が分かれ、一種の「神学論争」になっているテーマで、

「TPP」

 では逆のことをいっていたとはうろ覚え。

 つまり、一旦締結した国際条約は、憲法よりも優先されるので、TPPが妥結されれば、日本人の権利が侵害されるというもの。

 国際法の専門家ではありませんが、欧米的な「常識」で考えれば、国家観で結ばれる条約は、国内の同意を得たものと考えられます。つまり憲法の制約を踏まえた上でと考えるものなのです。

 企業間で考えれば、契約書を交わした取引は、社長の決裁、社員総会の決議を得たものか、それに準ずるというもので、あるいは家族ならば、家の売買を契約した後に、長老である祖父が反対したからといって、

「わが家の長老が反対したので契約は無効です」

 が認められるワケがないことを考えれば明らかです。

 国内法における序列において、憲法が最上位にあったとしても、相手のある国際条約においては、実際的に条約が上に来るもので、日米同盟(条約)に問題あるのなら、それを改訂する努力をすべきで、さらに憲法に問題があると考えるのなら、

「憲法改正」

 こそ正しいということで、安倍政権を批判するつもりが、ゴールが同じなるという珍妙な結論。難癖を得意芸とする松尾貴志も困る偏向ぶりでした。

 事実をふまえ論理的に考えれば「憲法改正」は当然のことであります。ただし、もうひとつだけ珍説を指摘しておきます。

「国民を守る最後の砦の憲法」

 とは嘘。民主政治を採用している我が国には「選挙」という手段こそが「最後の砦」です。
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農水省が沖縄基地建設問題に参加

2015-03-31 18:46:56 | 政治や経済
新米軍基地用の工事について、農水省が沖縄県の命令を停止させたという。

<1. 安倍政権の使い分け>

この場合、行政不服審査法の使い方が妥当であるかが、少なくとも学者レベルでは疑問があるそうだ(2015年3月30日朝日新聞)。そんな気もする。
(20世紀に、行政法の薄い本を2・3冊読んだだけですが・・・。国民があの分野の法で権利を行使しようとしても、原告適格が認められにくいという壁でなかなか使えないのが、行政法の法律群だ。その道の大家が書いた基本書とされるものだったが、行政法分野は整備の途上という意見だったように覚えている。ろくに使われないなら、判例もあまり生まれない。で、自民党が提案している憲法改正案が成立したら、日本の国民の人としての権利はどこまで後退してしまうのだろうか?)

政府のやり方が法的におかしいものであるかどうかは、私には判定できないけど。
もし、妥当だとしても。
防衛大臣・官房長官・農水大臣が「法に従ってるから勝ち」みたいなことを言うと、イラッとする。特定秘密保護法や防衛分野では「自分達が判断するから間違いない」と「人」を担保にするのに、沖縄のこの県では「法」を担保にしている。
沖縄の米軍基地の問題については、「選挙結果の使い方」も違っている。昨年の衆院選については、の信任を得ているという根拠にし(選挙制度のマジックのくせに)国民、沖縄県の知事選・地方選・衆院選の結果を根拠にしている翁長知事の主張に対しては、敬意を払おうともしない。


<2. 県外の1票と県内の1票の、重さの違い>

防衛は国全体の問題だから、地方選より国政選の結果を優先するべきだろうか?
でも、沖縄以外の選挙区で国政選の争点ではなかったし。また、争点とされても、沖縄以外の有権者が重視したとは思えないし。また、沖縄以外の有権者に、防衛問題についての判断力があるとも思えない。
沖縄の問題は政府に任せれば良し、という姿勢の人達は多いだろう。だが、考えてみれば、それは、(A)政府は沖縄よりも正しく判断できる(B)沖縄が防衛で犠牲になるのはやむを得ない・・・という2つの前提から判断されるものだ。

(B)はさらに、(B1)沖縄の位置・(B2)反対する沖縄県人を軽視・・・の2要因が考えられる。
(B2)は、反対する沖縄県人について、「プロの運動家」「中国人か韓国人、または帰化した人」といった推測をベースにしたもの(「そもそも総研」はこの推測を確認するべく取材し、これを否定する結果を得ていた。某駅での脱原発の住民投票を求める署名集めでは不当解雇を訴えるのぼりが目印だったことを思い出すと、難しいものがある)だけではない。国連レベルでは、「琉球民族への人種差別」がポイントになり得るという。

沖縄に限らず、知識は県ごとに偏っている。福島県人は戊辰戦争・広島県人と長崎県人は原爆に詳しい率が高い(推測と実感。いや、長崎県人とはあまり話したことがありませんが)。
第2次大戦の地上戦・米軍による「占領」下での日常生活の記憶。平均的沖縄県人は、平均的県外人よりも、防衛問題に敏感であり詳しいのではないか(この考えの延長上には、当然、この米軍基地移設に賛成する沖縄県人の判断の方が優れている、という可能性もある)?
こういう問題においても「傍目八目」というのはあるだろうか? だが、沖縄県外の有権者のほとんどは碁盤を覗いてすらいない、と私は思う。

ここで、(A)に戻る。政府は沖縄県庁よりも「正しく」判断できるだろうか?
福島の原発事故はどうだったか。あの原発について、その設置から今日まで、政府は正しく判断してきただろうか? 技術的(例えば、設置の段階で、敷地の海抜をかなり下げてしまった。コストダウンとして正しい判断だったのだろうけれど、事故原因が地震でなく津波というのであれば、安全面では誤りだった)に人災的(「原子力村」と書くと強烈だが、既得権益が政治を歪めるのは日本に限らず課題となっているのは事実だもんね)な要因はある。
反政府とか反権力とか以前に、政府の判断力について点検したい・・・と考える人達がもっと増えてもいいと思うのだが。国の活力の無さが、こういうところにも出ているような。
また、今日の羽田空港と成田空港のこともある。政府が自信満々で推進したのに、成田空港建設って何だったんだろう?・・・と思うこのごろなのだ。(成田空港にこだわらず)羽田空港を充実させる方が良かったのではないか、という地点に到達するまで何十年もかかっている。


<3. 対象は、中国と韓国?>

去年、出雲大社が話題になったが。大国主命の時代、出雲にとって身近だったのは、大陸か東日本か?
文化の発達方向と地理的要因(物資運搬を含む移動では、当時なら山を越えるくらいなら海を渡る方がましだっだのでは?)から想像するに、大陸だったのでは?

大昔に見た「路(ヨール・・・だったかな?)」という映画は、ちょっと前に話題になっていたクルド人が主人公。民族・文化・社会構造を基盤にしない国家分けというのは、当事者にとって暮らしやアイデンティティーの破壊そのものだった。
時間の経過や世代交代で、そういう被害の記憶は微かになる。が、もともとの文化が高度に発達していれば、教育や記録が充実しているせいで、微かになる速度が遅いのかもしれない(で、何千年か後にパレスチナ地方にイスラエル国家を作ったりする)。

沖縄県で琉球王国が精神的にどういう位置にあるのか、私は知らない(「琉球の風」も見たことないし)。
だが、地理的に、日本の島根・京都・東京よりも中国・北朝鮮・韓国と近いのだから、人的交流も後者と盛んだった時代があったのではないか?   現状は、長い日本の歴史からすればほんのひと時、という感覚が私にはあるのだが。戦後、アメリカにべったりになっている日本ではあるが、もっと長い目で見て考えるべきだと私は思う。
白色人種が黒色人種と黄色人種を見下して支配下に置いた時代は、長い。それを思うと。「アジア」という「未開の地域」を、中国・韓国・日本という「異民族」同士を争わせて支配するというのは、アフリカがそういう目に遭ってたんじゃない?と類推できる事態なのだが。経済力で評価され「名誉白人」扱いされているからといって、あまり油断するものではない、と私は考える。
(もちろん、そういう白人ばかりではなかったはずで・・・と。ある国について、その国の政府とその国の多数派と少数派を一緒くたに扱うことへの抵抗感がどんどん強くなるこのごろ。ええ、「I am not ABE」ですよ)
「右な」(私基準で)人達への民族や人種へのこだわりを読んでいて思う。経済的な成功者や人気が高い芸能人に対しても、彼らはなんらかの落ち度を攻撃している。こういう日本人がいるのだから、日本人への差別意識を残すアメリカ人などもいるんだろうな、と想像する。

戦争・外交といった国家が主体のレベルではなく、生活圏的にたまたま国外地域が含まれているために発生する一般人レベルの自然な国際交流。そういうの、平和の基礎だと思う。基礎であり、どう育てるかで良し悪しは決まる。が、「右な」(私基準で)人達なら、外国からの支配として警戒すべき・阻害すべきものだと考えるだろう。簡単に書くならば、私ならロミオとジュリエットの恋愛を応援するが、「右な」人達は反対し攻撃するのだろう(例えば、イスラエル人とパレスチナ人の夫婦もいる。恋愛には「反社会的」「反国家的」な場合でも起こってしまう、興味深い・・・としみじみする。神様が人類に与えた融和の道具なのかも)。


<4. 植民地関係の経験の貧しさ>

G7の国々を考える。その中で大国とされる国々のうちで、日本ほど植民地を支配した経験が貧しい国はない(琉球王国に対する薩摩藩の経験は私は知らないが)。それは、美点ではあるが。そういう経験が豊富な国々に対しては弱点でもあると思う。そういう国々では常識であろう、植民地支配の技術についての知識が日本には足りない。だから、今日のアメリカ追従状態に無批判なのだと思う。
また、植民地として支配された経験も貧しい。私は中国に興味を持ったことはほぼないのだが(親やその同年輩の人達には、漢文・墨絵で培われた興味で旅行したいと言う人達はわりといた。話が弾まなくて困った。そして、年下は「三国志」に妙に詳しかったりする。いや、私の教養不足が問題か)、それでも、イギリスに植民地支配された経験を持つ国ならではの知見は日本に勝る、と想像する。また、現在ウィグルなどの自治区の支配での知見もある。それらは疵であるが、どんな経験にも学ぶべき点はある。
そんな中国からすれば、今の日本のあまりの「アメリカのポチぶり」は、評価できないだろう。外交の相手、交渉相手として不足している。外交で重用するのが経済力そして軍事力・・・というあり方が、日本の可能性を狭めているのではないか?



沖縄の米軍基地問題を考えれば考えるほど、日本のいろんな側面が浮かび上がってくるようだ。

あまりに嬉しかったので

2015-03-31 18:46:34 | このブログについて
いや、こういうことは書かない方がいいのかもしれないけど。
編集画面を開くと嫌でも目に入ってしまう「人気ブログランキング」での順位の十の位が見慣れない数字だった。ランキング表を見たら、先日に書いた自分の投票だけではない票が入ってた。
ありがとうございます~!

無料なのでブログのアクセス解析は見られないのだが、閲覧者の大半(100%だったりして)がbot君達なんだろうな、と推測している。でも、「人気ブログランキング」はbot君のクリックでは加算されないシステムだ。人間も見てくれたのね。

模様替え一段落?

2015-03-29 10:41:36 | このブログについて
やったのは昨日ですが、時間切れのため、メモできなかった。


<オリジナルモジュール2つ追加・プロフィール文変更>

最上段に常に表示したい記事があったら? 昔からよく見かけていたのは、投稿日時をできる限り未来のものして、常に最新記事として表示させる方法。そうするしかないんだろうな、と思いながら何年たったことか。
だが、この「オリジナルモジュール」を使えばいいんだ。前の記事で「フリーモジュール」と書いてしまっていましたが、間違いです。すみません。
やってみたら、記事のスペースとは地色が違っていた。嬉しい。しかし。記事ごとに表示させると、オリジナルモジュールを使った記事は表示されないのであった。
左側にも置くことにした。上の自己紹介文が目に入る。内容を変えなきゃ。

・・・とまあ、楽しかったです。オフラインのファイルで、自分でスタイルシートを書いてみたことはあるが。位置関係ががたがたになって嫌だったんだよな・・・。こうしてみると、あれはストレスになってた。
ちょこっといじるとがらっと変わるし、用意されている色合いもきれい。楽しかったけど、癖になってしまいそうなのでこれから当分の間はいじらないつもり。政治や社会の状況が変わり、プロフィール画像を青空にできる日まで・・・ってことはないけど。