国立大学も入試が始まっていたのね。今更しつこい、と思うだろうけど。まあ、おばさんの感傷だと思って見逃してください。高校の履修問題で、私の母校も登場。驚いた…。でも、公立高校の「校風」なんて、ひとときの蜃気楼のようなものだ。進学校になることを期待された新設校だったが、私が入った頃はまだまだ難関ではなかった(だって私が合格した程度だ←謙遜ではない)。それでも、地域の学力差(内申点に影響)・交通機関の関係(交通不便な地域に住む難関校合格可能者がなんとか電車通学できる立地。なお、私は自転車通学生)で、進学校要員が確保されたのがその後の礎になった模様。受験勉強には役立ちそうにないマニアというかコアな特別授業(毎週)・突如開催される球技大会(「2年生が修学旅行中なら体育館と校庭が空いている」と気付いた人がいた)・学祭に一番頑張るのが3年生…。悪く言えば「無駄」・良く言えば「遊び」が、毎日詰まった高校生活だった。担任団は微妙な表情で生徒達を見守っていた。「受験勉強中心というのは物足りないからいろいろやらせよう」みたいな申し合わせがされていたが、どこまで自主性に任せるべきか話し合いを重ねていたようだ(卒業の数年後に作られた10周年記念誌で読んで初めて知りました…。社会人になってから当時の教師陣のことを思うと、大人達の深く広く暖かな懐で暮らした日々が惜しまれてならない)。いや。私は勉強も含めて消極的な生徒だったから、関係なかったんですけどね。大学で他地域の、それも同じく公立高校の出身者達の話を聞いて驚いた。クラス分けが文系理系だけじゃなく、国公立私立別だったって(センター試験の前身であったテストでは、9科目11教科-?-が義務。併願はかなり苦しかった)? 2年生になる時点で既に進路別にクラス替えされたって? うちってのんびりしてたのね…。10年以上前に同期生の一人が電車で後輩達(制服でわかる)の会話に私達の代のことが出てきた、と話してくれたことがある。勉強はもちろん、高校生活全般に頑張った「幻の*期生」と呼ばれていたそうだ(上にも書いたが私はそのカラーを濁すようなぼんやりした高校生だったので、残念ながら晴れがましさは感じない)。本物の進学校になった学校が昔の卒業生に良い称号を与えていてくれるということが、意外だった。担任団の志が生きていたのかも。その時はまだ、ね。今年の年賀状では、元同級生達が昨年発覚した履修問題のことを書いてきた。ほんと、驚いちゃったよね~。今は昔、でございます。今の在学生達は、私の時代とは違う今の高校で生活していて、そこには昔とは違う良いことも悪いこともあるのだろう。昔と同じ「晴れた日」でありますように。私みたいに「干草を作」りそびれずに、高校生活をちゃんと満喫していますように。自分が高校生だった「あそこ」がなくなっているのを実感するのは寂しいけれど。心の中にずっと当時の自分を飼っておいて。自分なりに高校時代の続きを生きていくだけだな…。