トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

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矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

文系は?

2009-11-27 19:21:32 | 政治や経済
「事業仕分け」の結果について、ノーベル賞受賞者を含む理系学者が異議を表明した。細かな点(削減の余地と判定されたのは官僚の既得権だったりする場合があった。また、スパコンについては、説明担当者がその意義を内在化しておらず討論ができなかったという、省内での詰め方の不足の問題。大金を投入するからにはもっと親身になる習慣をつけないと)はあるが。大筋ではこの異議が受け入れられるのだろう。経済政策の前段階という面もあるし。日本の知の没落阻止として、他にも多方面(ほんっとに多方面)が支持するだろうし。
国内に飢えた人がいるのに、予算を研究や開発に回すのは正当か? アポロが盛んに打ち上げられていた頃のアメリカでさえ、こういう議論はあったと昔読んだ(『アメリカ合州国』。「合衆国」の間違いではないです)。でも、日本人は頑張って支えるだろう。なんとなく、そう思う。「1位を目指した結果、なんとか3位はとれた」っていうのもさほど批判されないだろう。頑張ったけど及ばず、それもok。また頑張ろうってことで。いいよ、飢え死にとかしないで済む程度なら。高度な医療も世話する家族がいない年代なら受けられなくてもいいんだ。少なくとも、私はそう思うだろう。くれぐれもくれぐれも、無駄遣いはしないでね!

理系の特にこういった分野と、文系の扱いの差を思う。
倒産と唐様で書く三代目・・・だっけ? 文系の、教養部門ってこの「唐様」として扱われる。湯川博士はノーベル物理学賞をとったけど漢文もなかなかのものだ・・・と文「理」両道が更に尊敬の念をかきたてたものだけど、今はどうだろう?
文系では、法学・経済学・(実用的な)語学(・教師の修士号必須化が唱えられている教育学)はともかく。「教養」寄りの他分野はどうなんでしょうか。
IT化はコスト削減になるけど、パソコン1台より会社員1人の方が消費を拡大するから巡り巡って経済状況を改善できるのでは? 医療技術は進歩するけど人間のあり方とのバランスは? ・・・とか。ブログなどで素人によって表明される「感覚」とか「感想」とかではなくて、四方八方から深く深く検討する作業には、何千年の人類の知の蓄積は役に立たないのか?

もし文系の予算が理系に回ることになっても、広く一般社会ではこの度のような「それはやばいんじゃないの?」という声は湧かないだろうなあ。

偏見どころか空想や妄想もあるかもしれないけど。法学は、裁判員制度が必要なほどずれているそうだし、経済系の仕事をする弁護士なら国際的な教育を受けないとやっていけない時代が来るんじゃないでしょうか。経済学は、実用的なのか今すでに疑問だし。(実用的な)語学は、芯になる他の分野がないと頭打ちになりそうだし。こういった分野の文系学問の質や量の現状はムラがありそうだ。
他の、実用的でない文系学問はこれらの基盤であって、それなりに役割があると思っているんだけど。

5年ぶりくらいに入った書店で平積みされた本をながめて、驚いた。
このブログには本について詳しく書かかないつもりだし、ちょっと立ち読みしただけなので書くのも気がとがめますけど。

上野千鶴子を批判的に書いた章をざっと。彼女が、父への私怨のために社会学をやってきた(こういう表現ではないですが、こんな感じ。手元にないのに、すみません)、と明言していることをあげて呆れ返ったというのだ。上野千鶴子は古いのを1冊・新しいのを1冊・他は鼎談の抜粋や雑誌などのインタビューくらいしか読んでいない私ですが。社会学とは何かということについては講義を受けたし何度か考えたことがある。
父への私怨がスタート地点って、社会学では王道の1つでは? 
例えば父の家庭内暴君ぶりに恨みが募って、子の親殺し。あるいは、家出や放蕩。または、ひたすら忍従。選択肢はいろいろあるけれど。「この家庭の状況や自分の違和感はなぜもたらされているのか?」と客観的に考えてもっと客観的になり歴史や心理や多くの分野をも調べて分析する。自分の家に限らないと気付いて改善策や理論もたててみたり。そういう克服もある。
これが、家庭でなくて社会でのことならば。テロや革命ではなくて、最も穏便な順応でもなくて、社会学などの学問(マルクスは経済学に新分野を作り、トクヴィルは政治学他に貢献)に向かう。それが政治や法などに吸収されたり淘汰されたり発展したりするものでは? 世界も生き物みたいなものだし。

ま・・・。あの本は、一方的なドッジボール(ドラマ「結婚できない男」の夏川結衣の終盤のせりふ参照)であって、批判された人達は反応しないだろう。
ただ。大学の教官の著作だったから驚いた。大学の教官というか学問というものは、現状の社会や知識や学問について少なからず改善や改良の必要性を確信しているからこそ研究が行われるものだと思ってきたけど、それはあくまで私の感覚だったの?

教養面の強い分野の文系の高等教育は、日本では戦前に、お金儲けはできないけど自分は敢えて選んだんだ、文句ある?という気概を持った男子(女子は高等教育を施されない率高し)を集めたという。彼らの世代は滅びつつあるが、その影響大な人達は先細りかもしれないけど次世代にもいて、どちらなのかと無理矢理いえば私もその部類(自分自身の能力の低さはともかく。実用性の低い教養というものにも価値を感じるから)だ。
こういう感覚って、徐々に消滅するものなんだろう。ある世代の消滅時点までではなくて。しかし、不景気が続くと衰退は激化。切り詰められるから(私は高度経済成長期の生まれ)。気が付くと消えているんだ、きっと。
外国はどうなんだろう。10年ほど前、アメリカのHP(だったかな?)の女性CEOに大学で中世史と哲学を専攻したという経歴があって驚いた。他にも、実用性低そうな学問履歴がある人達の例(ちょっと前のオックスフォード大出身者とか)は浮かぶけど、なんとなく記憶があるだけだ。曖昧。だから日本と外国を比べるのはやめておく。

実験設備はいらないし。町にも図書館がある。だから、その気があれば独学でも成果は得られるかもしれないのが、こういった分野の強み(マルクスなんて図書館で研究していたんそうだし)。でも、就職に有利ではないと思われる。だめだよねえ。
この種の分野の予算確保を主張する説得力ある理屈は、私には浮かばない。それでも、未練がましく考えるのを繰り返すんだろうなあ。思考回路が、壊れたレコード状態に陥っているかも。
大学の教官などの、当事者はどうしているんだろう。

今クールのドラマ追加

2009-11-27 19:21:06 | テレビのドラマやCM
「ギネ」。話が、無理に作られた感じでない。藤原紀香ってぶっきらぼうな役がとても合うのね。松下由樹は、本当に何でもできるなあ。中間管理職でもあるこの医者の現実的な存在感は、分野は違う(医者でなく俳優)けど着実に仕事をやってきた成果かも。「男のいない女の世界」がこんなに自然に描かれる時代が来ていたんだね。その他、何回かで退院してしまう患者役も含めて、そしてもちろん男優も、はまり役ばかり。「女王の教室」に出ていた女の子(だよね?)も静かな勇気を示す患者役を演じていた。将来どんな女優になるんだろう。楽しみ。緩急が激しいドラマだが、リズムに乗せてくれるので、集中したまま無事観ていられます(「グラチャンバレー」に予定を乱されても負けないぞ!)。病院ものとしてだけでなく、連続しているドラマとして、忘れられない作品になりそう。あの、歌詞がほぼききとれない主題曲も、合っている。
「外事警察」。警察ドラマはもうネタ切れかと思っていたのに、制作の余地がまだあったんだ! とことんハードな無愛想な作り。これも、音楽が効いていると思う。そして、俳優陣をじ~っくり写す。それに耐える演技。

ああ、ほんと。好きな作品については書くことが尽きない。

「坂の上の雲」もみてしまうんだろう。司馬遼太郎が語る番組の再放送が最近あった。「魔法の森」と表現された昭和史のポイントになる解釈に驚く。私、日本史は中学までしか習わず、大学では東洋史をとってしまった(そしてほとんど忘れている。社会人になって読むのは他地域の歴史ばかり)。司馬遼太郎は短編を1つ(名文の例として)読んだだけで、残りは老後の楽しみのつもりだった。だって、まだ生々しいというか、覚悟ができていないというか・・・。早く読んだ方がいいんだろうな。

・・・って。ドラマが毎週8本ってちょっと・・・。水曜木曜の9~11時がうまく噛み合ってくれて良かった、なんて浮かれている場合じゃないよ。観たいものが皆無なクールもあったんですけどね。

サービス

2009-11-18 20:07:42 | 政治や経済
何ヶ月も前ですが、役所に行きました。玄関すぐに窓口があって小さな部屋が見える、そんな部署に用事が。机が5個くらいあったけど、在席者は2人のみ。1名は二十代らしく、もう1名はもしかして定年後の再雇用かもしれない年配者。若者は電話中で私に何度も頭を下げる。年配者は、デスクトップパソコンに夢中。見たことないくらい高速なブラインドタッチ。
いいでしょう、若者よ。担当も順番もあるのだから、待ちましょう。時間に余裕はあるわ。
和やかな気持ちだったけど、あまりに暇なので、年配者のテクニックを鑑賞していた・・・ら。
いや、同じキーを一本指で数分間打っているけど、何をしているのかしら? もしかして、仕事しているふり? そういえば、昼休み直前よねえ。
若者からのごめんね光線が強まる。申し訳ございませんがお待ちくださいと言われているように感じる。これがなければ年配者に声をかけるんだけど。年配者は窓口のごく近く、私にとって最寄りの位置。気が付いていないはずはない。手を休めなくても何か言うもんではないかい?
世の中、過労死した人もいて、その人が払った税金からもあなたの給料は払われているのよ。でも・・・。この年配者みたいなタイプと働いたこともある。だから、若者を気の毒に思う気持ちが勝り、怒りは感じない。・・・というか、なんか、もう、失笑。

これは数年前のことだが。入院中の父の脳細胞を活気付けたかった。梗塞を生き残った神経回路をうまく使えば、その分希望が増えるもの。だから、朝から晩までそばにいたかったけど。病院の決まりで午後だけが面会時間。面会時間めいっぱいを共にできるのでもなかった。看護作業のために退室しなければだめだとか、本人が眠っていてこちらは見ているだけとか。
初めて実感したけど、看護師って個人差が大きいのだ。廊下で男女が騒いでいて、前にもあったし父もうるさがるので注意しに行ったら男性看護師(リーダーと紹介された)が女性看護師の首を抱えようとしていて、互いにはしゃいでいたという・・・。時間があれば父に話しかけたりしてくれたありがたい看護師もいた。この人は他病院から転職してきたばかり。3人で体位交換の際、なんかひと手間かけようとしたら、他の2人が「うちではそれはしないのよ!」とすごんでやめさせていた。
担当看護師さんに指名制があれば、お金が続く限り指名したいよね、と家族で語り合ったものだ。

去年のこと。年に何度か行く喫茶店が変わった。
落ち着く店内で、昼食でもお茶でも、味や料にしては安いし、なんかお腹がほっとする味。そして、何よりも、お店の人達。何度目かで確信したのだが、喫茶店というよりもシティホテルみたいな物腰。でも、恐縮させるものではない、絶妙な感じ。
それが・・・。変わったのだ。味は、作る人が変わったと思う。作る人以外も、なんか、普通の喫茶店になっていた。値段も建物も家具も同じなんだけどね。人なんですよ~。

同じような商品・値段なら、間違いなく感じのいいお店に行く。でも、最終的には値段で選ぶことが多い。残念がながら。だから、サービス向上をあまり強くは言えない。でもね。

同じ仕事でも、人によって違う。
海外旅行ではチップの作法に悩んだけど、チップ社会である国は21世紀でもそうなのでしょうねえ。今なら前向きに取り組める。明らかに良いサービスを受けたら、対価の支払いではなく1票投じるつもりで払えばいいんじゃないでしょうか?
人事評価とか売り上げアップとか、サービスを提供する側が意識する指標はあるけど。同僚の目の前で、サービスを受ける側がはっきり意思表示したらいいと思うんだけど。だって・・・。「お礼の言葉」だけだと社交辞令と思われたり、もともとやる気のない人のうちにはお礼を言われるのとさぼれるのでは後者のメリットが大とみなすタイプが多いのでは?
まあ、現実的には。袖の下めいたりして、うまくいかないか。

・・・と、いうようなことを、「事業仕分け」を報じる番組を見ながら考えた。国立女性教育会館の所長(?)が、蓮舫議員に物言いを一方的だ、と反論する場面を使った局は多い。
この施設やその運営団体のあり方の仕分け結果も根拠も知らないけれど。どんな職場でも、たとえ、「廃止」と判定されるような職場でも、やりがいをみつけてサービスを磨いている人達はいるんだろう(そうでない人達もたっぷりいるんだろうけどさ・・・)。
仮に、存在意義のない職場でも、配置された人によってはできるだけの意義を探したり作ったりして、ベストを尽くす。予算を引っ張ってきてとコネを作って、というのではなくて。訪れた人の使い心地を改善する努力とかね。与えられた業務だけでは不十分なサービスなら、改善する。
学生時代の単発バイトで、封筒にパンフレットを入れるだけの2日間を過ごしたことがある。初日、封筒とパンフレットの壁を見てうんざりしたけど。どうせやるなら1時間前の自分より速く・・・とか、頑張っちゃったよ。つまらないと思っても工夫して、誰より自分のためにやりがいを作ろうとする。人類が環境に適応するには、こういう「自分で洗脳」みたいな行為は役に立ってきたと思うんです。

事業仕分けは、日本が倒産しないための努力なのだから、殺伐としても当然だろう。それは気にしない。
だけど。誰かの仕事のプライドが否定されるのを見るのはつらいな。もちろん、バブル崩壊の20年もの間、民間ではずっとずっと繰り返されてきた出来事である。

政権交替のタイミングもあって、今年の事業仕分け作業では質も量も足りない。だから、来年もみっちり行う必要がある。
来年には完全にやってほしい。こんな、出血が続いているような状態は、さっさと終わってもらいたいよ。
若い世代には多額の借金を負わせることになっているのなら、せめて殺伐とした状況は今の世代でかたをつけるべきなんだ。そして、こういうもののたねはもう蒔かないでくれよ。

・・・と書いていてちらつく疑問がある。
アメリカではまたファンドが活気ついてきた、と前に読んだことがある。サブプライムがこけた今、自然災害の発生を材料にした商品が開発されているとか。彼らが好調な間は、また「景気が良く」なる?
仕事とか社会的地位・評価って何なのだろう。金融商品やその材料の評価分析をする人だけでは財は何も生まれないのに。

まあ。事業仕分けにしろ八ツ場ダムにしろ社会の不思議にしろ。この時代に生まれ合わせたのだから、根気よく付き合おう。・・・って、ほとんど何もしないんだけどさ。次から次に忘れていくより良いと思うの。




八ツ場ダム

2009-11-18 20:07:20 | 政治や経済
松本清張の映画の宣伝を見ていて、「砂の器」を思い出した。小説も映像作品も、5年以内にはみたい。
あらすじくらいはいくらか知っているが(知らずにみたかったよ)、中居君のドラマは原作と同じ設定ではなかったろうとふと思った。
で、検索したら、やはり。主人公と父親が村を出て殺人をした理由は原作と異なり、ダム建設のせいだった。
それほどまでに、地域社会をめためたに破壊する場合があるのだろう。八ツ場ダムにおいては半世紀以上前に始まったというのだ。

それでも建設中止の方がましならば。
(半世紀あれば治水技術だって変わっていて、ダムがベストではなくなっているかも。ダムを作れば完了というものではなく、更に工事が必要であり続けるという話も聞く(真偽は知らず)。長期の工事においては、作業に入ると見積もり工費がどんどん増えるのもまれでないから、今把握されている工事費をもとにして、「ここまで作ったなら完成させた方が低額で済む」というのは鵜呑みにしたくない)
中止の方がましならば。国の借金が少しでも減らせるなら、地元の方々には、国民の名において譲ってもらうしかないのでは。

国、この場合、「私達」のために、あの人達を犠牲にするのだ。国民の大半は八ツ場ダムなんて存在すら知らずに半世紀を過ごし、その間に多くの選挙が行われ、無理に考えると建設を支持してきたことになってしまうのだが、そんな責め方をする人はまずいない。でも、もしも、建設中止が決まったら。中止によるメリットは「私達」のものだ。あの人達にはデメリットの方が遥かに大きい。