ツイッターが大人気とのこと。サイト>ブログ>ツイッター・・・というように、人気の変遷があったらしい。ながめても説明を受けても、私にはその良さがわからないのだけれど(と、言うか。書いている人がオバマ大統領でももともとの知り合いでも今すれ違った見知らぬ人でも、書き込んでいたりリツイートしたりするさまを想像すると、「どうもご苦労様です」と、なんだか疲れちゃう。ポケットベルから携帯まで、「常に連絡が取れる」状態を窮屈に感じてしまう性格だからだろうか。たぶんこういう私は高度情報化社会(という言葉すら古臭い)に適していない)。
ブログはやらないけどツイッターなら、という人は多いのだろうか? 書くのも読むのも文字数が少ないところがいい、という人もいるそうだし。ああ、携帯で扱い易いからいいかもね。
つまりそれは、電子化される情報が増えたということで。
機密と呼ばれるものだけでなく、公開された情報の収集や分析も、外交や諜報においては重要だ(自衛隊による給油の遣われ方が米軍の公開サイトでわかった例が記憶に新しい)。更に、ツイッターという手段でデジタル情報と化した個人レベルのつぶやきまでが、得られる。
ドイツ統一の頃、東独人があれだけ東独に不満を持っていたこと・東独があれほど経済破綻していたことが、西側もわかっていなかった、と読んだ(『顔のない男』で引用されていた。もともとの本はブッシュ・ジュニア政権についてのものらしい。この政権のことは興味ないけど、読むべき?)。もしツイッターがあれば、NSAかどこかが東独の人々の「気分」みたいなものまでも収集・分析できていたりして。また、もしツイッターがあれば、東独の崩壊はもっと早かったかもしれない。
ツイッターなんてきいたこともなかった頃に、ブログの分析で研究している大学教官の記事をみかけた(なんか、性別によって嬉しいことが違う、というような文章を新聞で読んだような覚えがある)。ブログよりも手軽で気軽だからということで、電子化された個人の思いなどは当時より質量とも増えているはずだ。例えば今、民主党の代表選についての日本人の気持ちの一端が、ネット上で飛び交っている。
妄想? しかし、アメリカ政府上層部の、イラク戦争の戦争や戦闘のプランの説明などを思うと。アメリカやどこかの国には、デスク上のパソコンを通してデータを収集し机上で検討する・・・というスタイルに乗り気なタイプはいると思うんだ(えーと。やはり、ブッシュ・ジュニア政権についての本は読むべきかなあ)。