トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

コメントをお願いいたします。

矢部宏治著「日本人はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」を読んだ方からの、憲法改正についてのコメントをお待ちしています。 コメント受付用記事 のアドレス http://blog.goo.ne.jp/kanra-toriko/e/a08c500525a4ba2e568012c53edbaa6f

「おじさん」達の反抗

2012-01-17 22:42:36 | その他ニュース関連
清武氏が「ナベツネ」氏を告発する会見をしてからのもろもろ。この既視感は何かしら? ともやもやしていた。そして、海保職員(当時)が中国漁船が海保の船に体当たりする映像をYouTubeに投稿した去年の出来事に思いあたった。
ある件が所属組織内でまかり通りつつあるのが納得できず。少なくとも世間には自分に賛成する人もいよう、と明るみに出す。まだ組織に(良くも悪くも)染まりきっていないような若者ではなくて、とっぷり漬かっていても自然な「おじさん」層(告発内容がだいぶ異なるし、清武さんとsengoku38さんとには年齢差があるのだが)がこのように動く。
清武問題については、巨人が勝てないからトラブルが出てくるという王さんのコメントに、良い意味で大人を感じた。だが、もっと掘り下げて考えたら、社会とか価値観の変化とかの節目が見えてくるような気もしている。いや、もっと個人的で。「とっぷり漬かった」おばさん年齢にある自分がまだ浅はかな反抗期でも許されるかしら?・・・という甘えかなあ。
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大阪の「君が代」問題

2012-01-17 22:42:19 | 政治や経済
橋下氏が大阪府知事だった頃。「君が代」の扱いが急に出てきて面食らった。そういうことにこだわる人だったのか、と。選挙運動中に明言していたの? 弁護士としての経験を活かして財政再建を果たす・・・というのと抱き合わせで投票を迫られたら、私なら困惑する。
教師が起立・斉唱を拒むのと、公務員なんだから職場の命令に服従せよと迫るのは、次元が違うように思う。
「レベル」でなく「次元」の違いだ、というのが自分基準内での言葉の定義に過ぎないという自覚もあるが~。

私の世代なら当然だが。小学校から大学まで、出征経験のある教師が最低1人はいた。その人達(愚かなこと・繰り返したくないこととして戦争を語った)が、君が代や日の丸に関して、例えば私には見えないものや聞こえないものを感じていたなら、それは時空を超えた異次元のもの。人生の何もかもがそれに吸い取られそうになった瞬間が彼らにはあった。ポンと叩けば香る柔軟仕上げ剤のように、君が代と日の丸が、彼らをその瞬間に連れて行く。
日本人の中には、第2次大戦をそのように自分の身体に封じ込めて怒ったり恐れたりしている人々もいて、そういう人達は国歌と国旗に対して警戒心があり敬愛などの気持ちを発揮できない。それは、そんなに悪いことだとは私には思えない。
そういう人達の体験や気持ちに共感して自分の身に置き換えて反応しようとしたりすることだって悪くはないと思う。時間や空間を超えて、何らかに共感して閃いたり協力したり。消化できないことを自覚していて、こだわってみる。
物理学とか現代芸術とかなら、この次元を超えた連なりのようなものを扱っているのではないだろうか。「水玉」とかさ。

公務員の服従のシンボルとして使いたい程度なら。大阪府の歌(あるのか?)と大阪府旗とかでいいんじゃないの? 地方公務員なんだし。地方分権を唱えているんだからなおさら適している。

「面従腹背で無難に流せばいいじゃん」という、自分内の二重基準okという感覚の拡大が嫌だ。互いの相違点を並べるんじゃなくて一致点をあげていけないものか?
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報道されないといって「ない」と決まったわけではない。

2012-01-17 22:42:03 | 政治や経済
オリンパスの事件の登場人物には、社外の元証券会社員がいるんだそうだ。新聞とそれに載る週刊誌の広告で読んだことがあるのに、テレビでは言及されていないような(NHKでは1度は出たような気がしている)?
オリンパスの件そのものより、テレビだけ扱いが違う理由が気になる。

家族が買った雑誌(週刊誌ではない)の読者投稿欄に、変わった形のクローバーの葉の写真があった。四葉探しが好きな人からのもの。胸騒ぎがしてその人の住処を示す欄に視線を戻したら、福島だった。放射能の害を知らせる目的の投稿ではなかったので、誌名は敢えて書きません。
クローバーの葉は、ハート型の葉3枚が1点から伸びているものだ。が、その写真のものは1点からではなく各々が各々の点で軸から伸びている(植物の葉の付き方としては、むしろありふれているかもしれない)。
原発事故の放射能の影響なの?
子供の時の1シーズンに、四葉のクローバーをたくさん摘んだことがある。空き地に生えているクローバー地帯の20センチ四方くらいに集中してあった。遊び仲間と一緒に何日か通った。4,5,6,・・・13枚(いや、もっとかな)葉まで揃っていた。父(趣味は園芸)が、その辺りに薬品か何かがこぼれたせいでクローバーが奇形化したのでは、と困惑気に言った。去年騒ぎがあった世田谷の一軒家のように、管理されていないラジウムが放置されていてもあまり驚かない時代ではあった。が、父の想像のように薬品だったかもしれないし(工事資材だか建築廃材だかの置き場への途中の道端だったので。また、公害も動物も満ちた地域だったので、ルートはいろいろ想像できる)。
植物の突然変異の原因の1つに天然の放射能があるという(品種改良のために放射線をあてているかどうかもその本で読んだはずだが、覚えていない)。また、人工的な要因として、化学物質だってあり得る。だから、あの雑誌のクローバーの奇形が、福島の原発由来かどうかなんて私にはわからない。

わからないんですけどね。
福島にとどまっている人々がさらされている放射能の害の程度が、わからない。今の日本でもこんなに情報が与えられないものなのか。ハワイ(遠く、海外である)に行ってる芸能人の情報はたっぷり与えらたというのに。
与えられるのを待たず得る方法として簡単なのは、ネットで検索すること。ちょっとやってみただけでも大量の被害を読める。その中には、偽り(残念ながらネットにつきもの)・誤り(ストレス由来の状態もあると思われた)も含まれる。が、私のような者にさえ判断がつくそれらを除いた、残りのものはどうなのか。
そういう情報に対する姿勢は人さまざまで、日本国内に分裂があるという考えもある。それなら、日本の今後を動かす力は、この分裂で弱まるわけで。
専門家達はどうなんだろう? 科学する心は作動しないのか? 福島で体調の不良を訴える人々を治したいというのではなく(そういう専門家はいるようだ)、原発事故との因果関係の有無を調べあげたいという専門家は行政機関にあまりいないのだろうか。それは人々をモルモットとして扱うことだ・・・という批判はあるのか? でも、真実を見極めたいという意思を阻むほどだろうか? 敢えて見極めてほしくないという生き方も当然ある(原爆や水俣病の被害者における分裂を思い出している)、と思うが、多数おられるのか? 農産物における暫定基準ひいては経済などの、他方面との整合性の問題? または、福島に入ることは自分の健康が心配? いずれにしろ、ふだん見ている新聞・テレビでは私は見かけていない。

わからないことだらけの私だから思うのかもしれないが。こんな時、現地調査も含めてきちんと調べるべきは、政治家なのでは?
マスコミなんてしょせんは営利企業なのだから、金銭的に割の合わない取材はない(もちろん、理想は違うけど)。国会議員達は、かねてから悪評の、調査関係の特権(交通費とか手当とか)をこういう時に活用すればいいんじゃない?
「ある」と訴える人々がおられる。万が一、それがストレス由来の錯覚だとしても(そんな錯覚ばかりではないと思っていますが)、その要因への対処だって、今の日本の制度なら政治家の役割だと私は思う。原発の推進派廃絶派どちらの議員であれ、真実を知るべきではないのか。
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ばば抜き

2012-01-17 22:41:45 | その他ニュース関連
実家の庭は元は10センチも掘らないうちに石だらけだったのだが。落ち葉や花びらが長年積もり、今はふかふかの土に覆われている。が、昨年は原発の事故があった。高い数値が報告されている地域ではないけれど、小鳥や近所の猫(仔猫の時からよく来る)のためにもホットスポット化はできるだけ避けねば。それで、建築以来初めて、落ち葉をゴミ回収に出した(福島では。なんと、500年分の土をはがすべしとされた森があるそうだ)。
完璧な自然界の循環を台無しにしているようで、とてもうんざり。たぶん農民だったご先祖が見たら怒りそうだ。人間なんて何ほどのものだと言うのだろうか。
また。結局は、この庭にたまるはずだった放射能がよそに飛んでいくようにしているだけだ。無害である程度に薄まるように。しかし。「無害」の基準すら正確ではないし、飛んでいく先にいる人は「こっちに飛ばすな」という気持ちだろうなあ。

がれき処分を受け入れたくないという人達もいる。汚染地域を広げる可能性を減らすために。被災地から離れた地域の放射能をできるだけ増やさないようにするために。
別件(「トイレの神様」。紹介されている詩が印象深い)を検索して偶然みつけた「千田有紀のTokyo日記」(http://yukizoudesu.blog44.fc2.com/)で、汚染地域の人にとっても、汚染の度合いが軽い地域が確保されていることそのものがメリットだ、と読んだ。

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瓦礫も腐葉土も海洋汚染も、日本の国土全てに放射能を撒き散らすにじゅうぶんでした。これを「福島の痛みを分かち合う」と表現するひともいますが、福島のひとたちからも安全に食べられる食物や水、そして移住しようと思ったときの安全な土地を奪うことになったんじゃないかなと思わずにはいられないのです。

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確かに。例えば、日本にはチェルノブイリ事故の汚染地域から子供が招かれている(「放射能を抜く」という表現がつかわれていたと記憶している)。国内でそれが可能であるのは安心できる。
ただし。日本国内他地域や近くの国での原発事故があったらどうなんだろう、とは考えてしまう。その時に、2011年に被災した地域の立ち直りの度合いが鍵にならないだろうか。その時に、福島の放射能汚染度合いがゼロでなくても新たな被災地よりは低い、というのがせめてもの幸いであるとか。原発事故じゃなくても、核兵器が投下されちゃうとか、国土の大部分が沈没しちゃうとかさ・・・。
あの震災の前までなら、「『憂慮』じゃなくて『妄想』のゾーンに入ってんじゃないのかね?」と自分に突っ込みを入れていたことだろうけど。
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橋本市長と「文系大学教授」

2012-01-17 22:41:25 | 政治や経済
橋下市長をヒトラーにたとえる人達がいるそうだが。政治家になるまで画学生だか無職だか、たいした実績がなさそうな(私が知らないだけ?)ヒトラーを支持した当時のドイツ人と、スポーツマン・早大の看板学部出身・弁護士・多くの子供に恵まれた家庭・・・という経歴を持つ橋下市長を支持する現在の日本人は違うよなあ。「ホリエモン」が一世を風靡した時期があったが、彼はその時既に六本木で当時は勢いがあると思われていたIT企業の社長だった。一時期続いた総理2世3世の就任(安倍・福田・麻生・鳩山)の時を思い出してみても、現代日本人は、成功した人や一族の人に対して「ついていきます感」を持つのではないでしょうか。「勝ち馬に乗る」とも言う。

橋下市長が「文系大学教授」には発言権がないかのようにtwitterで述べているのを見た。「文系大学教授」は、現場を知らないし、税金で養われているくせに世の中の役に立っていないという。
現場を知っていても成功体験がなければ、能力があると証明されない。橋下市長は本人の能力が実効性を発揮する年齢に達してから今日までの間に数々の実績を残してきたから、この点で自信があるだろう。
彼からすれば、経済や行政などの分野の大学教官は、専門家ではないのだ。竹中平蔵教授のように行政経験を積んで初めて、専門家として扱えるという。
発言内容そのものではなく、「専門家扱いできるかどうか」を判定することで第三者の賛意を募る手法。

現場を知らない大学教授、税金で養われている(私立大学にも税金は投入されているのだから私立大学も同じだ、と市長は述べた)くせに、社会の役に立っていないくせに上から目線。こういった言葉でスイッチが入る人達は多いのか少ないのか? 多いのなら、「文系大学教授」達は、世論が勝敗を判定する(最終的には、選挙結果で明示されるが、アンケートやら何やらでもっと頻繁に確認されるのでしょう)討論では勝ち目がないだろう。そういう土俵での論争に時間やテレビ電波他のマスコミ資源を遣うのは、第三者にとっても無駄である。
例えば、政治・行政・学問の3分野において、ルールというか価値観というか、私にはあてはめる言葉がわからないものが、だいぶ異なっている。国会の動きが国民の願いとあまりにもかけ離れていることからも、それがわかる。
言葉も文化も、世界標準的には生活水準もさほど差がない日本人同士において、「議論して合意を形成すること」が機能しないったら。悲惨な現実。

「文系大学教授」達が橋下市長をどう論じているのかを読んでいないので。橋下市長が「文系大学教授」をtwitterでどう非難しているのかをざっと読んだだけの感想になる。
1.髪を紫色に染めていることなど女性の外見を非難材料にするのは反則だからと妻にに指摘されたからやめる。・・・「税金で養われて」いない染料メーカーやら販売者やら(もしかして美容師も?)の売り上げにつながっているのだが。 例えば研究用の本を買うならokで髪を染める消費行動はだめなの? 「有意義な消費や生産」を言い始めたら、いろいろ行き詰まりそうだけどな・・・。
2. 税金が投入されている職場で働いている人は、大学教官に限らず「税金で養われている身」? 大学の事務の人とかさ。
3. 「世の中の役に立っていない人」の例をもっとあげてみてほしい。その内容によっては、真剣にヒトラーとの比較を考える。
4. 文系でも理系でも、世の中に役に立っても立たなくても、大学教官は真実を追究してほしいな。そしてその真実が社会で台無しにされそうになったら、守ってほしい。知識人の義務(サイードが亡くなって長くたち、私はこの言葉を忘れかけていたが)だそうで。橋下市長がたいした意見でもなしと罵倒しているのは、この義務を反映した「危惧」なんだろうな、とは思う。市長は、具体的な対案が提示されないから不満なのかもしれないし、イメージダウンさせられたら公務の遂行上支障を来すから阻止したいのかもしれないし。
5. メリット・デメリットを検討した上で例えば原発受け入れるのが政治。そういう決断をした政治家は、「地元経済のために、他にどんな方法があったのか?」と思ってはいないだろうか。「経済上のメリットよりも優先すべきことがある」と、税金で養われていて世の中の役に立たない文系大学教授なら言いそうだが。
6. 私は、型にはめるというのが、とにかく嫌なんだ。ひとごとでも耐え難い。

何年前になるか。ワイドショーで橋下氏が、身体障害者(「障害」という表記を使うなという意見があることはうっすら知っているのに使い続ける私にも問題があるかもしれない)を放送禁止用語と思われる言葉で呼んだことがある。弁護士もこんなものなのか、と軽くショックだった。しかし、誰にも失言はあるし、言葉より実態が重要だし。何より、まだ若い人なのだから今後への期待の方が大きいと思った。
しかし。もう、「テレビにも出る弁護士」ではなくて、今や勢いのある政治家なので、考えてしまう。この人物の言葉を知るたびに、「聞き流せば良い程度の仔細な失言(私基準で)なのか、それとも、この人の思考回路が(私基準で)危ないという兆しなのか」と、考え込んでしまう。もし後者なら、上にメモしたような程度では済まず、もっとよく調べて考えるべし。

まあ、とにかく。現時点で歩み寄るべきは、「文系大学教授」の方だと思っている。
日本のために受け入れられるべき意見を持つなら、橋下市長を説得してほしい。上の方に書いたが、研究者同士の学術論争のルールで決着をつけるという考えは捨て去るべし。おだてたりなだめたり、それこそ、「税金で養われて」いない仕事の人々のように動くべし。高い支持率を誇る小泉総理が後ろ盾になっていた竹中平蔵教授のようにはいかないのだから。手段と目的を整理することにも知性を発揮してほしい。大阪に限らず、今の日本はだいぶまずい状態なのだ。
不慣れなんだか能力が低いんだかの政権であるのがわかっていたくせに、超重大な緊急事態においても、分掌だの規則だのを優先してSPEEDIを活かすべく動かなかったのに平然としている原子力行政の専門家のような無責任で愚かで恥ずべき振舞いを、文系大学教授までがやらかしたら。日本において良心や理性や知性の破壊がいっそう進んでしまうと思うのだ。そう思いませんか?
人々が放射能を避けるにあたり示されたのが、原発を中心とした同心円を描いた地図なのを見た時のショックは大きかった。震災のせいで何らかのシステムが使えなくなったのか、それとも、まさかこの日本であんな原始的な資料しかもともと用意できないのか? 
だが、実際は、役に立つものがあるのを知っていながら、ベストを尽くさなかった人達が多くいたのだ。
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