久しぶりにみた「TVタックル!」で、大竹まことさんが尋ねていた。「60年間今の憲法で戦争なしにやってきたのに、なぜ今(憲法第9条を)変えなきゃならないの?」それまで、北朝鮮問題を中心に集団的自衛権について熱く語り合っていた総研の人・国会議員達(「元」含む)・政治評論家・ジャーナリスト・大学教授(考え方がちょっと変わったように思えた。何らかの研究的進展があったのか?)…といった他の面々は一瞬沈黙。後、口々に(あの番組ですから)説明(私の語彙に置き換えてしまっていますよ)。冷戦時代の米ソ2大国は、対立していたものの、他国の狼藉を抑えていたのだ。その体制が崩れた今、例えば北朝鮮のような国がちょろちょろっと原爆をみせつけたりするようになった。だから、日本も変わらなきゃ。ここ何日かでたまたまテレビで知った情報と昔の記憶がより合わさったので書いておく。大竹発言で一瞬虚を突かれたように見えた。その時に浮かんだのは。昔読んだ『クラウゼヴィッツの暗号文』。東西冷戦中・イギリスがアルゼンチンと交戦…という頃だった。マルクスを始め、欧州の政治家や学者達はクラウゼヴィッツの『戦争論』を読み込んでいて、それに沿った動きをしている。そんなふうに私は読んだ(間違っているかもしれない)。当時、囲碁の「定石」のことを連想した。両者が囲碁をちゃんとわかっていると、一方の1手に続く両者の石の置き方は決まってしまうのだ。詳しくない人にはあちこちに置ける場所があるように思えるのだが、詳しい人達は最善の場所をわかっているから試行錯誤はしない。いわゆる指導者(当時ならサッチャー首相とか)は『戦争論』をルールにして動いているのか? 世界がそんなに単純なら、あの本はもっとメジャーになっただろう。だから、私は読解を誤ったのだろうなあ、と思っている。しかし、昨晩は。「『戦争論』ルール(比喩です、念のため)」のプレイヤー同士で盛り上がっているところに、「そんなゲームをする必然性はあるの?」という一言が乱入したように見えてしまったのだ。囲碁がわかっている人達がそうであるように、国際政治などがわかっている人達にとっては、第9条改正が自明なのかも。だが、囲碁という限定された世界なら「わかっている」はあるけど、国際政治や情勢といったことが「わかっている」はあり得るのか? 経済学者が現実の不景気を扱えたとは思えない(事後の分析はともかく)。仮に、理論的には完璧だとしても、誰かの反対とかの理論外の要因からの作用は受けるわけで。それをひっくるめて扱えないなら、経済学では不足ということだ。なのに、国際政治や情勢や法律や軍事の分野なら、専門家達が正しい判断を下せるのか?世の中に専門家は多いけど。全知全能ということはないし。理系分野でさえ多くのことが覆されるのに、真空世界が対象でない文系分野で永く効力が続く理論だか思想体系ってあり得るのか? 専門家達は、それまでの理論だか思想体系が劣化した時点ですぐに反応できるのか?わからない。開戦というのは。アクシデント(真偽は怪しい)がきっかけになった例(日中戦争とか第1次大戦とか)も有名だと思う。専門家達にはだいたい予想がついているものか?…というのが、昔の記憶とつながった部分。最近のニュースと結びつけたのは、ノルウェーのこと(えーと、「ニュースステーション」だったかもしれない)。ノルウェーは今、クラスター爆弾禁止に持ち込もうと国連で動いている。かつてカナダが地雷でやった「オタワ・プロセス」の手法を使って。それは、アメリカ・ロシアといった大国が反対しても、まず他の国々が賛成してしまうことから始まるらしい。ノルウェーは集会に20だか30だかの国を招いたが、50カ国が出席したとのこと。多くの国が興味を持っている。いや…。日本ってば。こればっかりはアメリカに逆らってくれてるよね? 「日米同盟だから」とか「北朝鮮から守ってもらえなくなるから」とかではないよね?仮にアメリカの「反対だ」の理屈が軍事的には正しいとしても。米・ロ・中・イスラエル・日本以外がみんな賛成したら、あんまりだと思う…。外交上の「一人前」を考えるなら、集団的自衛権方面だけでなく他にも増強すべき面があるんではなかろうか…。話は変わるが。この番組をみていて、大竹まことさんの賢さ(知識豊富というのではない頭の良さ?)を感じない人はいるのだろうか…?曖昧な知識をもとに長々と書く(今回も、長いこと…)のは恥ずかしいから。書きたい(このブログは記録が主目的だから)気持ちをそそるような番組はみたくない、と最近思っていました。だから「TVタックル!」はやめておきたいけど。なんと、来週は田嶋陽子さんと片山さつき議員が同席するらしい! どちらか1人なら興味はないが、この組み合わせだと気になるなあ…。でも、変な空転が始まったら、がっかりなんだけどね。