秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大被告 判決文要旨 東京地裁 村山浩昭裁判長 2011/3/24

2011-03-25 | 秋葉原無差別殺傷事件

東京・秋葉原殺傷:加藤被告に死刑 判決要旨
 毎日新聞 2011年3月25日 東京朝刊
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、加藤被告に死刑を言い渡した東京地裁判決の要旨は次の通り。
《責任能力》
 被告は事件を計画し準備を行い、計画通りに実行しており、意識障害があったと疑わせる事情は認められない。被告は携帯電話の掲示板上での嫌がらせをやめてほしかったと動機を供述するが、周囲に対する不満や強い孤独感などがあったと思われる。性格やものの考え方なども総合すれば動機は十分了解可能である。
 被告は事件以前にも自分の意思を暴力的または自暴自棄的な行動で示そうとしたことが度々あった。事件は被告の本来の性格傾向を基盤としたものと理解することができる。被告は事件前に3回もしゅん巡しているし、逮捕後は警察官と話して涙を流した。一連の経過をみれば、被告の善悪の判断能力や行動制御能力に疑問を差し挟む余地はない。
《量刑の理由》
 事件の遠因には、成育過程で受けた母親による不適切な養育を主な原因とする被告の人格のゆがみがある。しかし、被告は事件当時25歳を過ぎていたし高校卒業後の生活状況も考慮すると、成育歴等が与えた影響は限定的で、刑事責任を大きく減じさせるものとは評価できない。
 被告は審理の最終段階になって個々の被害者や遺族に向き合い、被害の深刻さに多少は思いを至らせている。被告なりの反省の姿勢をみてとることはできる。しかし、事件を思いついた発想の危険さ、犯行態様の残虐さ、次々と殺害行為を重ねた執拗さ、冷酷さは、いずれも被告の人格に根差したものであり、根深さや逸脱の大きさからみると更生は著しく困難であることが予想される。
 現在28歳と比較的若く、前科前歴がないことや、反省の姿勢を考慮すると、更生可能性が全くないとはいえないが、これらの事情を総合しても、死刑を選択せざるを得ないとの結論に至った。
 ◎上記事の著作権は[毎日新聞]に帰属します
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〈来栖の独白 2011/3/25 〉
 常々「公判で事件の真実を明らかにすることが、義務」と加藤智大被告は言っていた。罪を認めてもいた。が、私の僅かな経験則は、事件の真相が正しく認定されることの困難を感じさせてもいる。
 「困難」とともに、被告人の強い謝罪と悔悟の念が、上訴を断念させるのではないか。加藤被告のこれまでの佇まいを見ていて、そんな気がしてならない。控訴せず、1審で確定させてしまうのではないだろうか。死刑を心から受け入れている。そんな気がしてならない。
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東京・秋葉原殺傷:加藤被告に死刑 被害男性「何が真実だったのか」 内面見えぬまま
 毎日新聞 2011年3月25日 東京朝刊
 白昼の秋葉原を恐怖と混乱に陥れた加藤智大(ともひろ)被告(28)に極刑が言い渡された。法廷で謝罪の言葉を重ねる一方、心を閉ざすかのように親友や被害者の面会を拒絶してきた被告は、身動きしないまま判決を受け止めた。「何が真実だったのか」。事件を語り継いできた被害者の元タクシー運転手、湯浅洋さん(57)は判決後、やるせない思いを募らせた。
 「この上なく重い刑です。理解できましたか」。24日午後3時過ぎ、東京地裁104号法廷。判決を読み終えた村山浩昭裁判長に問われると、加藤被告は「はい」と小さく答え、いつも通り傍聴席の被害者に向かって深々と一礼した。「死刑判決を受け入れる気持ちになっているのか」。湯浅さんはそう感じたが、被告の内面はうかがえなかった。
 被害に遭った後、湯浅さんは事件を考える集会に参加した。若者たちが「加藤さん」と被告に共感を持つ様子が気になり、事件をもっと知りたいと思った。
 被告は自身の3人の子供と同年代。被告に死刑を求めるのは「割り切れない」とも思うが「法の最高刑が死刑である以上、死をもって償うべき事件。死刑以外は考えられない」という。
 10年1月から30回に及んだ公判の多くを傍聴した。無表情で淡々と話す被告の姿が印象に残った。「君の人となりが見えない」。今月、被告に手紙を出し、東京拘置所に2度足を運んだが、被告に拒否されて面会はかなわなかった。
 被告に刺された右脇腹の約15センチの傷が今も時折うずく。しびれは一生消えないと医者に言われた。「分からないことがたくさんある。第2、第3の加藤被告を生まないために、いろんな人に考えてもらいたい。今後も経験を語り続け、加藤被告本人の話も聞きたい」。傷とともに歩み、事件を考え続けるつもりだ。
■被告父「見守るしかない」
 「何であんなことしたのか本人にも分かってないのでは……」。加藤被告の父親(52)は青森市内で7日「私らとしては見守るしかない」と心境を語った。被害者に対しては「ただただ申し訳ない」と沈痛な表情で謝罪した。
 加藤被告は法廷で、事件の背景として「小さい頃の母の育て方が影響した」と語り、24日の判決も「母親の虐待とも言える養育によって人格にゆがみが生じた」と指摘した。
 だが父親は被告の発言について「後付けの理由のように思う。よそさまと比べて教育がそれほど違っていたとは思いません」と述べた。自身は仕事で忙しく、被告の教育にほとんど関与しなかったといい「子供のことは妻がやると決めていて、口を出すのは良くないと思った。ただ、どこの家庭にもあることでは」と話した。
 判決後の対応は「本人が決めること。私らがどうこう言う筋合いではありませんので」と言葉少なだった。被告は弁護人以外との面会に応じておらず、両親も事件後、本人に会っていないという。【伊藤直孝】
 ◎上記事の著作権は[毎日新聞]に帰属します *リンクは来栖
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「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大被告 母親との関係〈母親に対する証人尋問 2010.7.8.要旨〉
秋葉原17人殺傷事件 第16回(2010.7.27 東京地裁) 加藤智大被告人の父母に対する証人尋問要旨
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「秋葉原」判決 孤独と残虐 晴れぬ疑問
 北海道新聞 社説(3月25日)
 2008年6月に東京・秋葉原の歩行者天国で起きた無差別殺傷事件で、東京地裁は加藤智大(ともひろ)被告に死刑判決を言い渡した。
 アキバと呼ばれる若者が集まる街に白昼トラックが突入、通行人らがナイフで次々と刺された。7人が死亡、10人がけがをした。
 偶然その場に居合わせただけで突然、命を絶たれた被害者や遺族の無念はいかばかりか。判決が「人間性の感じられない残虐な犯行だ」と断じたのも当然だろう。
 犯行の動機も社会に大きな衝撃を与えた。被告は日ごろから携帯電話サイトの掲示板を利用していた。自分の名前を使った投稿など嫌がらせがあり、それをやめさせるのに事件を起こした、などと述べている。
 そんな理由で人を殺すとはにわかには信じがたい。理解できない。多くの人はそう感じるだろうが、社会がどう奇異に受け止めようが、それは彼にとっては真実なのだろう。
 掲示板は自分が自分でいられる場所であり、帰れる場所だ。そこに書き込みで答えてくれる人は家族同然だ。被告はそうも述べている。
 短大卒業後、派遣社員などで各地を転々とし、掲示板に仕事の不満などを書き込んでいたという。
 本心を打ち明けられる唯一の相手が、家族でも友人でも職場の同僚でもないネット掲示板だった。現実社会とつながりが持てない孤独な若者像が浮かび上がる。
 「幼少期に母親から虐待と思える不適切な養育を受け、他者と信頼関係を築くことができなくなった」
 判決はそうした境遇が被告を掲示板に向かわせた一因とし、人間性にも触れた。だが、事件の全体像を明らかにするには、ネット社会や不安定な派遣労働などとの関係にも踏み込む必要があったのではないか。
 被告は犯行当時25歳だった。ネットの普及と足並みをそろえるように育ってきた世代だ。IT化時代の典型的な若者と見る専門家もいる。
 格差社会の広がりが、人と社会とのきずなを薄めていく。不安定な労働環境で追い詰められ、世の中と向き合わずにネット掲示板だけを居場所と感じる若者は、加藤被告に限らないとの指摘も少なくない。
 職場の同僚だった男性は、被告は決して特異な人間ではなかったと証言する。仕事にも一生懸命で、アニメやゲームに熱中する普通の若者だったという。証言がすべてとは思わないが、事件の再発防止を考える一つのかぎとなるかもしれない。
 監視カメラやパトロールの強化といったハード面に偏るのではなく、格差や孤独、ネット、仮想現実など社会が抱える問題と真摯に向き合っていく必要があるのだろう。
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秋葉原事件 死刑 居場所なき心のうつろ
 中日新聞 社説2011年3月25日
 死亡者七人、負傷者十人。東京・秋葉原で無差別に殺傷した加藤智大(ともひろ)被告に宣告されたのは、死刑だった。「居場所がない」というだけで、なぜ暴走したのか。その飛躍への不可解さは残る。
 「自分の居場所はどこにもない。事件を起こさないと掲示板を取り返せないと思った」と加藤被告は公判で語った。携帯サイトの掲示板のことだ。
 被告はしきりに書き込みをし、誰かからの返事を待つのが楽しみだった。だが、別人が被告になりすましたり、無意味な書き込みが横行する「荒らし」が頻発したりして、被告が書き込んでも、返事は掲示板に来なくなっていた。
 だが、これが引き金になったにせよ、凶悪犯罪の動機らしき動機ではありえない。被告は原因の一つに「ものの考え方」を挙げた。
 これは母親からの厳しい教育と切り離せない。九九の暗記ができないと、風呂の中に頭を入れられた。食事がチラシの上にまかれ、食べさせられたこともある。罰はエスカレートした。
 言葉での反論を許されぬ被告は、不満を行動で示すようになった。「ものの考え方」とは、そのゆがみのことを指すようだ。
 青森の名門高校に入学したものの、人生の歯車はきしむ。自動車関係の短大から、警備会社や運送会社などに勤めたが、どこも長続きしなかった。例えば上司が気に入らないと、辞めるという行動に出て、不満の気持ちを示すわけだ。キレやすいのもそのためだ。
 自動車工場で働いたが、「派遣切り」の通告を受けた。後にその対象から外れたものの、「自分がパーツ扱いされている。腹立たしかった」と受け止めた。
 「一人の食事ほど虚(むな)しいものはない」「いつも悪いのは俺だけ」などと書き込んだりした。孤独な心のうつろさがにじむ。事件当日は「秋葉原で人を殺します。みんな、さようなら」。最後の書き込みは「時間です」だった。
 だが、実際には職場でも郷里にも友人は何人もいた。被告は「現実の方が大切なものがたくさんあったし、居場所もあった」と法廷で吐露していた。日曜日の歩行者天国で、アクセルでなく、なぜブレーキを踏まなかったのか。現実に居場所はあったのだ。気付くのがあまりに遅かった。
 残虐、執拗(しつよう)、冷酷…。判決が並べた言葉に尽くせぬ非情な犯行は、「アキバ」の街を深い悲しみに沈めてしまった。
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秋葉原事件加藤智大被告謝罪の手紙要旨「同様の事件が起きないよう(公判で)真実を明らかにしたい」
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