それでも原子力か/核を制御できるのか/酸性雨となり、森を枯らし、川の魚を死なせた/高レベル放射性廃棄物

2012-04-30 | 政治

それでも原子力か 週のはじめに考える
中日新聞2012年4月30日
 どうしても原子力か、という問いがかつて発せられていました。ある物理学者の問いです。今もなお、それでも原子力か、とやはり問わねばなりません。
 手元に一冊の本がある。
 武谷三男(たけたにみつお)編「原子力発電」(岩波新書)で、一九七六(昭和五十一)年第一刷発行。日本の商業用原子炉が本格稼働し始めたころで、経済的な軽水炉時代の幕開けといわれたものです。
 編者の武谷は福岡県出身、京大物理学科卒の一物理学者です。素粒子モデルで世界的に知られる坂田昌一らと研究し、それと同時にビキニ水爆死の灰事件や原子力について発言してきました。
■物理学者武谷の警告
 本を開くと、被爆国日本の物理学者が研究に誇りをもちつつも、いかに悩んできたのかがわかります。武谷は広島で被爆者への聞き取りを重ねています。科学の現実を知ろうとする学者なのです。
 本は原子炉の仕組みに始まり、続けて、その無数の配管が高温高圧の蒸気に耐えられず肉厚が薄くなることや、腐食、疲労の危険性を指摘します。
 人間のミスも取り上げている。例えば試運転中の玄海原発1号機で放射能レベルが上がった。調べたら、炉内に鋼鉄製巻き尺の置き忘れがあり、それが蒸気発生器の細管を傷付けていた。だがそれはむしろ幸運な方で、もし炉心側に飛び込んでいたら大事故になっただろう、と述べている。
 人間の不注意を責めているのではありません。原発ではささいなミスがとんでもない惨事に結びつきかねないと言っているのです。
 原発の立地集中化についても当時から心配していました。日本では人口密度が高く適地がなかなか見つからない。とはいえ、日本ほどの集中例は少なく、地域住民にとってこれほどひどいことはない、とも述べています。
■昔も今も変わらない
 さらに大物の学者が原子力推進計画に乗って、政府から多額の研究費を得ようとしたという、学者の弱みも明かしています。
 四十年近くも前の、今と何と似ていることでしょう。何だ変わっていないじゃないかというのが大方の実感ではないでしょうか。
 それらを列挙したうえで、武谷は「どうしても原子力か」という力を込めた問いを発しています。
 彼はノーベル賞物理学者朝永振一郎らとともに、公開・民主・自主の三原則を原発の条件としています。公開とは地元住民らによく分かる説明をすること。民主とは原発に懐疑的な学者を審査に参加させること。自主はアメリカ主導でなく日本の自主開発であることです。それらの不十分さは福島の事故前はもちろん、事故後の今ですらそう思わざるをえないことが残念ながら多いのです。
 加えて今は地震の知見が増えました。危険性は明らかです。
 本は二十刷をこえています。しずかに、しかしよく読み継がれてきたというところでしょうか。
 ではその長い年月の間、日本はどう変わってきたのか。世界を驚かせるほどの経済成長を遂げたけれど、中身はどうだったか。
 欧州では、持続可能性という新しい概念が提出されました。資源と消費の均衡、また環境という新しい価値に目を向けたのです。大きな工場は暮らしを豊かにしたけれど、排出する汚染物質は酸性雨となり、森を枯らし、川の魚を死なせたのです。
 放射能の恐怖もありました。東西冷戦で核搭載型ミサイルが配備され、チェルノブイリ原発のちりは現実に降ってきたのです。
 欧州人同様、私たち日本人ももちろん考えてきました。
 水俣病をはじめとする公害は国民的自省を求めました。しかし原子力について、私たちは過去あまりにも楽観的で(欧州もまた同様でしたが)警戒心を欠いてきました。放射能汚染はただの公害ではなくて大地を死なせ、人には長い健康不安を与えるのです。
 原子力の研究はもちろん必要です。医療やアイソトープ、核物質の扱い方は核廃棄物処理でも必要な知識です。その半面、核物質が大量に放出されれば、人類を永続的に脅かすのです。
■核を制御できるのか
 だからこそ「どうしても原子力か」という問いの重さを考え直したいのです。物理学者らには原爆をつくってしまったという倫理的罪悪感があるでしょう。人類が果たして核をよく統御、制御できるのかという問いもあります。
 被爆国であり技術立国である日本は、その問いにしっかりと答えるべきです。大きく言えば人類の未来にかかわることなのです。新エネルギー開発や暮らしの見直しは、実は歴史を書き換えるような大事業なのです。そういう重大な岐路に私たちはいるのです。
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高レベル放射性廃棄物、危険性が消えるまでには十万年/文明転換へ覚悟と気概2011-05-09 | 地震/原発
 文明転換へ覚悟と気概 週のはじめに考える
中日新聞【社説】2011年5月8日
 東日本の巨大地震からまもなく二カ月。連日の余震となお遠い復興への道のり。私たちが問われているのは、文明転換への覚悟と気概のようです。
 なかば義務感にかられて、北欧フィンランドに建設中の放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」を題材にしたドキュメンタリー映画「100、000年後の安全」を見に出かけました。
 多くの国際賞受賞のこの記録映画の配給元は「アップリンク」。今秋公開の予定でしたが、四月、東京・渋谷の自社劇場で上映したところ連日の行列と満席、全国各地の五十館以上での上映へと広がっていったそうです。前例のない反響、福島第一原発事故で国民が原発問題に真正面から向き合うようになったことがわかります。
 高レベル放射性廃棄物は世界に二十五万トン、危険性が消えるまでには十万年。「オンカロ」はフィンランド語で隠し場所を意味します。廃棄物を凍土奥深くの岩盤に埋め込む世界初の試みです。管理可能か、明快な回答を持ち合わせる専門家はいませんでした。
*人間支配が及ばない
 日本列島が現在の形になったのは一万年前、人類が文明をもったのはたかだか五、六千年前です。十万年は人間のリアルな思考や言葉が及ぶ時空域ではありません。人間が制御できないという絶望感。静かな画面は、人類が手にしてしまった原発の恐怖と不気味さを伝えていました。
 続いて、菅直人首相が浜岡原発の全炉停止を要請しました。法的手続きではない政治判断でした。
 東京から百八十キロ、名古屋から百三十キロ。東海地震想定域の真上の浜岡原発は「世界で最も危険な原発」と呼ばれてきました。事故の場合の被害は福島原発の比ではなく、首都圏の一千万人の避難や首都喪失も想定されました。
*やむをえぬ浜岡の停止
 マグニチュード9・0の巨大地震は、日本列島を東西に数メートル引き伸ばし、首都直下型や東海、東南海・南海地震誘発が憂慮されます。浜岡原発停止はやむをえぬ判断でしょう。全原発に及ぼすべきかどうか、そこが問題です。
 浜岡を含め日本の原発は五十四基、電力の30%を占めるようになっています。すでに原油枯渇の兆候があり、太陽光や風力のクリーンエネルギーへ転換させるにしろ、先行きはなお不透明です。電力の安定供給のためには原発は不可欠という状況です。
 原発停止による生活レベルの一九七〇年代への後退は許容できるにしても、グローバル競争の落後者になる恐怖に打ち勝てるかどうか。私たちは無限の成長を前提にした近代世界の住人。文明転換の勇気をもてるかどうかです。
 地質学の石橋克彦神戸大名誉教授は、地震と原発が複合する破局的災害・「原発震災」の概念や言葉を提唱、浜岡原発の廃炉を訴えるなど警告を発してきました。
 「世界」や「中央公論」の誌上には「日本列島全域が今世紀半ばごろまで大地震活動期」「原発は完成された技術ではない」「人間の地震に関する理解は不十分」「地震列島に五十基以上の大型原子炉を林立させることは暴挙」とも書いています。警告通り、福島原発の大損傷が発生してしまいました。
 「原発震災」は人間存在への問いかけだったのでしょう。教授が提言したように原発総点検、リスクが高い順の段階的閉鎖・縮小が現実路線のように映ります。世界観を変えるには覚悟と決意、気概がいります。
 日本を代表する東北の農漁業。その被害も甚大でした。食料問題も原発に劣らない不安で重大な問題。世界の食料品価格が高騰、二〇〇八年のリーマン・ショック時を上回っているからです。
 食料価格高騰は投機と「将来の供給不足懸念」が要因とされるだけに深刻です。コメと野菜こそ90%台と80%台の自給率を保っているものの、小麦は10%台、大豆やトウモロコシはほとんど輸入しています。命にかかわる問題です。農業の復興と立て直し、食料の自給は急務です。
*新しい幸せと充実が
 失われたコミュニティーの復元や修復も大切なテーマ。震災は、私たちがそれぞれが独立しながらも、結局は支え合い、助け合って生きていくものだ、ということをあらためて気づかせてくれました。それは、ボランティアに向かう若者の行動にも表れました。
 極限状況にあっても、人間はなお優しさや思いやり、勇気や忍耐を示す存在でした。献身や自己犠牲も。それは私たちの未来へ向けての大きな希望でした。
 経済的繁栄や快適な生活とは別次元の幸せと充実。それが追い求める内容かもしれません。私たちは歴史の転換点に立っているのかもしれません。 *背景色着色は来栖
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映画「100,000年後の安全」地下500㍍ 核のごみ隠すオンカロ/原発から出た放射性廃棄物を10万年後まで保管 2011-06-01 | 地震/原発/政治

           

【特報】中日新聞2011/5/26Thu.
地下500㍍ 核のごみ「隠す」
 大惨禍を引き起こすまで「思考停止」に陥っていた原発政策。「推進」「脱」を超えて、目をそらさないでほしいのが核燃料廃棄物の最終処分問題だ。最終的には地下深い岩盤に埋めるが、受け入れ先は決まらず、「地震大国」ゆえに半永久的に安全管理する適地も多くない。原発を稼動し続ける限り、危険な放射能の害はたまり続ける。先々の世代にまで核の後始末を押しつけていいのか。

                

フィンランド最終処分場
 雪が降り積もった凍土を、トナカイがゆったりと歩く。壮大な自然の光景に見とれていると、カメラは洞窟のような工事現場に移る。地下500㍍まで強固な岩盤を掘削して建設される、フィンランドの高レベル放射性廃棄物の最終処分場だ。
 今、話題のドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」は、世界初の最終処分場がテーマ。原発から出た大量の放射能が無害になるとされる10万年後まで、果たして廃棄物を銅と鉄の特殊な容器に入れて安全に保管し続けられるのか。マイケル・マドセン監督が政府関係者や専門家にインタビューを重ねる。
 処分場は首都ヘルシンキから北西240㌔、オルキルオト原発から東に約1㌔の場所にある。名前は「オンカロ」。フィンランド語で「隠し場所」という意味だ。現在は調査施設を造り、2020年から操業予定だ。
 放射能の危険から未来の人類を守るにはどうすればいいか。映画の中で専門家らは「隠し方」を大真面目で議論する。
無害になるまで“10万年”
 「10万年後は次の氷河期をへて別の人類がいて、危険標識の言葉は通じないかも」「恐怖感を感覚で伝えるのにノルウェーの画家ムンクの絵『叫び』を使っては」・・・。
 配給元のアップリンク(東京都渋谷区)によると、福島第1原発の事故で4月の上映開始から東京など17館で約2万人が鑑賞した。今後、シネコンも含めた全国60館で上映が予定され、自主上映の問い合わせもひっきりなしだという。
 中部地方でも、名古屋市千種区今池の「名古屋シネマテーク」で28日から6月17日まで、浜松市中区田町の「シネマe-ra」で8月13日から3週間上映予定など主要都市で公開される。
 映画の中である専門家は「原発への賛成、反対は関係ない。放射性廃棄物という、現存する危険に取り組む必要がある」と語る。政治的なメッセージはない。伝わるのは「十万年」という永遠と同等の時間の重みだ。
 「廃棄のリスクがあまりにも大きすぎることを知り、呆然とした」などと、配給元には観客の感想が続々と寄せられている。
 フィンランドは人口540万人。同国在住のジャーナリスト、靴家(くつけ)さちこさんは、「電力の約3割を原子力で賄う原発推進国。今、5基目となる世界初の160万キロワット級新型炉を建設中」と話す。
 福島の事故への反応はどうだったか。「チェルノブイリ事故の記憶から『恐ろしいことが起きた』と瞬時に反応した。薬局からは安定ヨウ素剤が消えた。でも、地盤が固く地震も少ない国で、ドイツのような脱原発の動きは出てきていない」
 それでも情報隠しが次々と明らかになる日本とは異なり、「情報公開を徹底して、透明性を保とうとしている」と靴家さん。事故があると、地元住民の問い合わせ先として、担当者と携帯電話の番号まで公開される。
 最終処分場の存在はほとんどの国民が知っているはずだというが、注目されていない。
 建設中のオンカロは「日本の原発立地事情と同じく人口が少ないへんぴなところにある。地元は雇用が増えると賛成した」と話す。
「サイクル路線」日本 行き詰まり
 なぜフィンランドが、世界で初めて最終処分場の建設に着手したのか。
「将来起りそうな問題を予見し、事前に処理する。放射性廃棄物についても万全の対策を講じようとした」と語るのは、北欧諸国の事情に詳しい「スウェーデン社会研究所」の須永昌博所長だ。
 フィンランドは、独自技術で原発を推進する隣国スウェーデンと連携してきた。最終処分場も、計画自体はスウェーデンのほうが先行していた。同国での着工予定は13年だ。原発は世界30ヵ国に432基あり、フィンランドは4基(世界18位)、スウェーデンは10基(10位)だ。須永氏は「産業を振興していくためには原発が必要と判断した」と解説する。
 それでも国民からは未解決の最終処分問題に疑問の声が上がり続けた。両国政府がいち早く処分場の選定に取り組んだことが、国民的議論を巻き起こしたともいえる。
 スウェーデンは1980年、国民投票で原発の是非を問い、条件付き賛成が6割、反対は4割。反対の主な理由が処分問題だった。当時の国会は、10年までに全廃する方針を決めたが、09年、現状の10基体制の維持へと転換。フィンランドも、5基体制で行くことになっている。
 一方、日本では使用済み核燃料の処分方法が確立されないまま、54基もの原発が立っている。使用済み核燃料から核物質のプルトニウムとウランを取り出し、燃料として再利用する「核燃料サイクル路線」を推し進めてきたものの、行き詰まっている。
 青森県六ヶ所村の再処理工場はいまだに稼動していない。六ヶ所村と全国の原発施設には、使用済み核燃料が福島第1原発の事故前で約1万6千300㌧もたまっている。
 仮に再処理ができたとしても、高レベルの放射性廃棄物が残る。再処理せずに捨てる「直接処分方式」のフィンランドと同様、最終処分の問題はついて回るわけだ。

                  

 処分事業を担う「原子力発電環境整備機構(NUMO)」の計画では、まず放射性廃棄物をガラスと混ぜて金属容器に流し込み「ガラス固化体」(高さやく1・3㍍、直径約0・4㍍)を作る。
 これを30~50年間冷やした後、300㍍以上の地下の岩盤に埋める「地層処分」とする。その際、鉄製の容器や粘土固めなど「4つのバリアー」で閉じこめて「ガラス固化体と地下水が少なくとも千年間は接触しないようにする」という。
地下水、活断層・・・適地探しは困難
 だが、豊富な地下水と活断層に覆われた日本で適地を探すのは難しい。
 今、六ヶ所村などに貯蔵するガラス固化体は千7百本。国内の使用済み核燃料をすべて再処理すると約2万4千百本に上り、さらに年間で千3百~千6百本増えていく。
 原発大国の米国でも、使用済み核燃料は行き場を失っている。ネバダ州ユッカマウンテンで処分場建設が決まったが、地元の反対などでオバマ大統領が白紙撤回した。
 舘野淳・元中央大学教授(核燃料化学)は「米国は原発の敷地が広いから貯蔵する中間処理施設を造ってためておけるが、日本では地元の理解を得るのは難しい。最終処分場選びはもっと困難だ」と指摘する。
 須永氏は「福島の事故を機に原発をやめるのかを徹底した情報公開によって国民に問うべきだ」とし、こう促す。「もし脱原発に向かったとしても、既にたまった放射性廃棄物の処理の問題は残る。日本は技術面、情報公開のあり方などをフィンランドから学ぶべきだ」 *強調(太字)は来栖
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