光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】 第1 事実誤認について / 第2 検察官の上告理由について

2007-08-13 | 光市母子殺害事件

光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】  『光市裁判』(インパクト出版会)資料
第1 著しく正義に反する事実誤認について
第2 検察官の上告理由について(量刑不当)
第3 公正な裁判を求めて(公正な裁判とは何か・・・理性が支配する裁判である)
第4 被告人の現在・・・被告人が反省を深めている事実を正当に評価すべきである
第5 結論

光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】
平成14年(あ)第730号
弁 論 要 旨  補 充 書
 最高裁判所第3小法廷 殿
  被告人FTに対する殺人等上告事件につき、以下のとおり、弁論をする。
2006年5月18日
弁護人 安田好弘
  同   足立修一
 記

 第1 著しく正義に反する事実誤認について
1 Mさんに対する殺害行為及び殺意の不存在
 (1) 第1審判決及び原判決の事実認定の内容
   第1審判決及び原判決は、Mさんに対する殺害について、被告人が背後からMさんに抱き付き、仰向けに引き倒し、馬乗りになった上、殺意をもって、
    1) Mさんの喉仏を両手の親指で思い切り押さえつけるようにして首を絞めたところ、
    2) 更に激しく抵抗されたため、Mさんの頚部を両手で全体重をかけて首を絞め続けて窒息死させて殺害したと認定し、Mさんに「対し、殺人罪が成立すると判示する。
 (2) Mさんの喉仏を両手の親指で思い切り押さえつけるようにして首を絞めたか否かについて
  しかし、上記の第1審判決及び原判決の事実認定は誤りである。この点については、上の正彦医師作成の鑑定書(資料1)に「死亡者M氏(以下「本人」と略す)の前頚部及び左右側頚部には、甲9号証の鑑定書の写真に示すような赤褐色を呈する拇指頭大の表皮剥脱と、圧痕様の蒼白帯と赤褐色の鬱血帯が交互に4条存在していることが、甲5号証の実況見分調書と甲6号証の実況見分調書に記載されているが、添付写真はやや不鮮明で明確には見えていない。
   そこで判りやすく図示し、異常所見をA・B・Cと表示する。
   Aは加害者の左拇指(第1指)掌面の圧迫による表皮剥脱と見なせば、残る第2、3、4、5指掌面による圧迫が蒼白帯で、その指と指の間が鬱血や溢血点となって、赤褐色に変色した4条の手指による圧迫帯Cを形成したと思われる。
   次に、Bは両手親指で喉仏付近を絞めたとされるので、右第1指の圧迫による表皮剥脱の可能性が高い。
   このBはAに比べ表皮剥脱はやや弱く、赤褐色を呈している。残る右第2、3、4、5指掌面は、当然本人の左側頚部にあって、頸部を圧迫したと思われるが、その圧痕は出現していないので、右側頚部に比べ外力は弱かったものと思われる。
   左手掌による圧迫はAとCで、外力は下顎部中央から右側頚部に強く作用し、右手掌による圧迫はBと左側頚部に作用したと思われる。
   したがって、前頚部中央上方に位置する舌骨、甲状軟骨などへの外力はあまり強くなかったので、骨折は起こしていない。
   そのために扼頸による両手掌面の圧迫外力は前頚部中央に集中していないので、致死的効果は力のわりに弱かったものと考えられる。
   これらのことから、両手親指を喉仏付近にあてて、力一杯首を絞めたという死体所見にはなっていないので、この状況は否定される。」(3頁。理解の便宜のため、鑑定資料等を甲○号証等と書き換えた。以下同じ)とあるとおり、被告人は、Mさんの喉仏付近を親指で思い切り押さえつけたことはないのである。
 (3) Mさんの頚部を両手で全体重をかけて首を絞め続けたか否かについて
  この点についても、上野正彦医師作成の鑑定書(資料1)に「加害者は仰臥位になった本人の上に馬乗りになって頚部を両手で(左手が下で、右手が上になって)全体重をかけて絞め続けたというが、もしもそうであるならばAは左第1指で、残る左第2、3、4、5指は右側頚部のCにあったと思われる。
   その左手の上に右手がのっていたというのであるから、Bの表皮剥脱は何によって形成されたのか説明がつかない。やはり右手は左手の上にのせずに、Bは右手第1指の圧痕と考えるべきで、右第2、3、4、5指は、左側頚部に位置していたと思われる。
   あるいは左手の上に右手をのせようとした際、左第1指の圧痕Aが左前頚部Bに移動していたのかもしれない。
   内部所見を見ると、体重をかけて両手で前頚部を圧迫したならば、気管の後ろ側にある食道は外からの圧迫と頚椎の間に強圧され、食道外膜出血を生ずるのが一般的であるが、そのような所見は見当たらない。
   これらのことから、加害者の供述内容と死体所見は一致しないので、Mさんの頚部を両手で全体重をかけて首を絞め続けたという状況下での犯行ではなかったことは明白である。」
  とあるとおり、被告人は、Mさんの頚部を両手で全体重をかけて首を絞め続けたことはないのである。
 (4) 事案の真相(被告人は、何をしたのか)
   この点について、被告人は、弁護人に対し、
   「捜査段階での供述は、捜査官に強要され、虚偽の事実を認めさせられたものである。仰向けに引き倒したこともなく、馬乗りになったこともなく、両親指で被害者の喉仏付近を押さえたこともなく、また両手で被害者の頚部を絞めたこともない。
   真実は
  1) 被告人が、座椅子に座っている被害者に背後から抱き付いたところ、被害者に騒がれ、そのまま重なった状態で一緒に仰向けに後ろに倒れた。被告人は、そのまま自分の体の上で仰向けになっている被害者の背後から左腕を回して首にかけ、プロレスの技であるスリーパーホ-ルドの形で絞め付けたところ、被害者は気絶した。なお、その時、被告人は、長袖の作業服を着ていた。
   2) 被害者が気絶したため、被害者を横に動かし、被告人は上半身を起こしてしばらく呆然としていたところ、いきなり被害者からキラリと光るもので殴られた。このため、被告人は、被害者を仰向けに押し倒しその上に自分の頭が被害者の胸あたりの位置で、被害者に重なるように覆い被さり、左右の手で、被害者の左右の手を広げるように押さえ付けた。しかし、被害者が大声を上げ続けたため、右手の逆手で相手の顎付近を押さえ付け、そのまま手がずれて首辺りを押さえ付けたところ、被害者はぐったりして動かなくなったものである。」(資料3)と述べている。
   上記の被告の供述が事案の真相であることは、上野正彦医師作成の鑑定書(資料1)に、「本人の背後から加害者が左腕を回して首にかけスリーパーホールドの形で絞めつけたところ、気絶したという。
    肘関節を屈曲して首を絞めれば、左右側頚部に強い圧迫が加わり、そこを通る動静脈とくに静脈の流れが止ったり、停滞し、脳の酸素欠乏状態から意識を失うことは容易に考えられる。
   また、頚部神経叢の圧迫によって、心停止を生ずることもある。
    しかし、前頚部での気管の圧閉は少ないので、一時的に気絶することはあっても、窒息死するようなことはない。
    本人は間もなく意識を回復した。加害者は本人を仰臥位に押し倒し、覆い被さるような姿勢で左右の手で本人の両手を広げるように床に押さえつけた。
    本人は大声を上げたので、加害者は右手を逆手にして右第1指をAに押しあて、残る右第2、3、4、5指を声を封ずるために口の上にのせた。そのとき加害者は仰臥位の本人の左半身前面の上に覆い被さり、顔は左乳房付近にあったから、右手は順手ではやりにくい姿勢であったので、当然のことながら逆手になって口を塞いだものと思われる。
    本人は抵抗して顔を右上方に傾けたので、Aの右第1指はBに移動し、口封じの右第2、3、4、5指は口からCにずれた状態になりながら、右手に力を入れて圧迫を続けた。
    その間、加害者の左手は本人の右手を床に押さえ続けていたものと思われる。
    このような口封じの行為が強く持続した結果、頚部圧迫による窒息死を招いたと考えられるのである。
    このときの圧迫は本人の左前頚部Bと右前頚部Cにかけた外力が主であったから、舌骨や甲状軟骨骨折は生じなかったと思われる。
    このように考察すると、状況と死体所見はほぼ一致する。
    前述のように、扼頸の手段方法を種々検討してきたが、本人の死体所見に最も適合した状況は、やはり、加害者が右手を逆手にした、口封じのための行動が適切であると思われる。その手がずれて首を押さえ絞め続けた結果、死亡させてしまったと判断される。
    何故そのように考察するかといえば、Cの手指による4条の蒼白な圧迫痕を見ると判るように、1番下の蒼白帯が11,0×1,3cmと最も長いからである。これは右第1指と右第2指の手掌面が連携して丸い首回りに密着して圧迫したためで、他の指より長さが長くなっている。したがって、1番上の蒼白帯は3、2×1、0cmと最も短いのは、右第5指による圧迫と思われ、指の長さから当然の紋様となったと判断されるから、右手の逆手であったことが判るのである。」(4頁)
    「このように扼頸の手段方法は種々あるが、被害者の死体所見に最も合致した状況を考えると、加害者は右手を逆手にして、口封じのための行動をとったが、抵抗にあい、手がずれて、首を押さえる結果となって死亡させた考えるのが、最も死体所見に合致した状況である。」(5頁)
   と指摘されているとおりである。すなわち、被告人は、被害者が大声を上げるのを止めさせようとして右手の逆手で口を封じにいったところ、手が下にずれて、頚部を圧迫するに至り、被害者を窒息死させるに至ったものである。
  このことは、甲9号証の鑑定書に、「例えば加害者が左手を被害者の右方に向けてあてがい、強く圧迫したために生起されたものとして、特別矛盾はない」(10頁)として、右手か左手かについて、また逆手か順手かについて誤認があるものの、第1審判決及び原判決が認定するような「両手」ではなく「片手」による扼頸であるとしていることにも裏付けられているのである。
 (5) 被告人に殺意があったか否かについて
  被告人は、現在、「口封じをしようとしていて死亡させてしまったものであって、殺意はなかった」(資料3)と述べている。このことは、今になって言い出したことではなく、既に、第1審の第4回公判で、「問:あなたのその時(首を絞めたとき)の心理状態、頭の中はどんな感じですか。 答:最初は考える力はありましたが、やっぱりすごく抵抗されるし、大声を出されるので頭の中が真っ白になるというか、何も考えられないというか、とにかく声だけを止めようというようなことしか考えられなくなって、声を止めるにはどうしようかなという感じも、その時には冷静に判断ができなくて、首を絞める羽目になりました。」(質問115)と、大声を出されるのを止めようとしただけであって、結果として、首を絞める羽目になってしまったものであって、殺害する目的は無かったと供述しているのである。
  しかも、本件の真相は、既に述べたとおり、口封じをしようとしたものであって、決して殺害しようとしたものではなく、しかも手がずれて結果として扼頸になってしまったものであって扼頸を意図したものでもなく、しかも、その扼頸行為は、右手逆手1本による扼頸にとどまり、扼殺行為とは程遠いものであって、そこに殺意を認めることはできないのである(もし被告人に殺意があったとしたら、当然に、最初から、端的に、両手でしかも順手で扼頸しているはずである)。
  よって、被告人に、殺意が無かったことは明白である。
  この点についても、上野正彦医師作成の鑑定書(資料1)に「本件は、殺意をもって、両手で前頚部を圧迫したような定型的扼死の所見にはなっていない。」(4頁)「頚部の内部所見も定型的扼死の所見を呈していない。」(5頁)「殺意をもって両手で前頚部を圧迫したような定型的扼死の死体所見になってない。」(5頁)と指摘されているとおり、法医学的な見地からも、本件の扼頸行為に殺意を認めることは困難なのである。
 (6) 小括
   以上の通り、被告人には殺意はなく、本件行為は傷害致死にとどまる。しかるに第1審判決及び原判決は、誤って事実を認定し、本件が殺人に該当するとしており、それが著しく正義に反する事実誤認であることは明白である。

第2 検察官の上告理由について(量刑不当)
1 検察官の上告理由は、第1審判決及び原判決が認定した事実を前提としており、その前提から して失当である。
  なお、ここで注意を喚起する必要があるのは、第1審判決及び原判決が事実誤認をしたのは、検察官が、鑑定書、実況見分調書等の客観的証拠を無視して、被告人をして虚偽の自白をさせて事実をねつ造したことによるものであるということである。
  すなわち、検察官は、事実をねつ造して、被告人の悪質性をでっち上げ、そのでっち上げた事実をもって、第1審判決及び原判決に死刑を求め、これが失敗したとみるや、今度は上告までして最高裁に対して死刑を求めていることである。これは、明らかに犯罪であって、およそ許されないものであり、かような違法行為がなされないためにも、本件の検察官の行為は、厳しく非難されかつ断罪されてしかるべきである。日本の司法において、かようなことが許されるならば、それは、およそ司法という名に値せず、自ずから瓦解せざるを得ないのである。
  検察官は、弁護人の主張が、第1審判決及び原審の事実認定を愚弄するものであると主張したが、同人もまた、証拠はもとより記録さえも目を通すことなく平然と裁判に臨もうとする司法を冒涜する輩に過ぎず、自らの不徳を恥じるべきであろう。
  手抜きの輩によっては、公正な司法が実現されることはないのである。
2 検察官の死刑の量刑基準に関する主張の誤りについて
 検察官が上告趣意書で主張している死刑の量刑基準は、全くの誤りであるばかりか、その主張は、裁判所をして誤って死刑を適用させるほど危険である。そのような弊害がないよう、以下に、その誤りを詳述する。
 (1) 死刑適用に関する検察官の考えは、既に永山判決によって否定されている。
  ① 検察官の上告趣意の要約
  検察官の上告申立ての趣意を要約すると以下のとおりである。
  i) 永山判決は、死刑選択の判断上重要な量刑要素と判断方法についての一般的な基準を示し、その後最高裁判所で確定した死刑判決のみを集積した別表1「永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」から、永山判決とこれを確認した一連の最高裁判所の判決で示された一般的基準が、今や死刑の適用に当たって指針となるべく定着していること
 ii) この一般的基準を前提に本件について検討すると、犯行動機が卑劣極まりなく、結果が重大で、殺害態様には人倫にもとる比類のない悪質性が認められ、その罪質は誠に重大であって、死刑を適用すべき事案であるにもかかわらず、原判決は、この一般的基準ではさほど重要視されていない量刑要素である前科、前歴の有無、犯罪的傾向、改悛の情等の主観的・個別的事情及びこれを集約した被告人の更生可能性を不当且つ過大に評価し、永山判決及び別表1の判決によって示された最高裁判決の判例を実質的に相反する判断をしたこと(以上検察官上告趣意書 第2)
  iii) また、永山判決以降の最高裁判所の判決などが、特に重視すべき量刑要素としての罪質、犯行の動機、態様の悪質性及び結果の重大性を挙げ、そのうち、いずれかが特段に悪質重大と評価される事案では死刑を選択し適用しているという累次の事例の量刑と比較すると、原判決の量刑判断は、著しく正義に反すること(以上検察官上告趣意書第3)
  この検察官の上告申立ての趣意の特徴であるが、i)、ii)の主張はすでに永山判決(昭和58年7月8日)によって退けられた主張であり、iii)は、i)、ii)を踏まえてさらに死刑選択の枠組みを不当にも拡大する主張である。
  ② 永山判決及び死刑求刑検察官上告5事件の最高裁判例の意義
  1) 死刑選択の謙抑的アプローチを説いた永山事件控訴審判決(いわゆる「船田判決」)を検察官が判例違反として批判したときも、検察官は、上告趣意書末尾に、死刑制度の合憲性に関する最高裁大法廷判決「昭和23年3月13日)以後の最高裁確定事例37例を掲げ「被告人の個別的・主観的な事情よりも一般予防・社会防衛の見地を重視している」「死刑の選択につき裁判所に限定的な基準を設けていない」と論じ、上記の①、②と同じ論調で上告していた。
  しかし、永山判決は「所論引用の判例はいずれも所論のような趣旨まで判断しているものではない」として「判例違反」の主張を排斥し、船田判決が示した死刑適用の謙抑的なアプローチに対し、「死刑を選択するにつきほとんど異論の余地がない程度に極めて情状が悪い場合を場合をいうものとして理解することができないものではない」と述べて死刑適用に慎重な姿勢をとるべき方向性を基本的に支持している。当時の解説(1099号判例時報149頁)をみても、「本判決は、原判決が死刑を選択できる場合の基準として示した見解の趣旨は、要するに極めて情状が悪い場合(その程度はほとんど異論の余地がなく死刑の選択を相当とする程度)をいうものと解し、さらにその内容、程度を具体的に敷衍して判示したものである。」と評価されている。
  したがって、永山判決は、検察官の主張する客観的な事情を重視し、主観的・個別的事情を軽視すべきとの考えを否定していることは明らかなことであって、それにもかかわらず、現時点において、同様の主張を永山判決に求めることは背理といわねばならない。
  2) この永山判決によって確認されたことは、実は、その後無期懲役とした控訴審判決について検察官が上告した5事件の際にも最高裁判例によって確認されている。
  検察官は、上告5事件の際にも判例違反を主張し、それは「永山判決によって示され、その後の累次の最高裁判所判決の集積を通じてその内容が敷衍・明確化された死刑適用に関する一般的基準に著しく違背し、・・・・実質的に相反する」というものであり、その論拠を永山判決とその後の最高裁判所の確定判例に求めている。ここでも永山判決後の判例の集積から「罪刑の均衡、一般予防の両見地から死刑を選択するに当たり、犯罪のもたらした結果や影響を含め犯罪行為自体の客観的な悪質性に主眼を置くべきであり、前科がないことや反省していること等といった主観的・個別的な事情はさほど重視すべきではないという形で敷衍・明確化され裁判上の指針として定着している」と論じている。
  しかし、最高裁は、1件の破棄事案を含めて5件すべてにつき、検察官の上告趣意の中心であった「判例違反」の主張を「実質は量刑不当の主張」であるとして排斥し、刑訴法411条2号に基づき個別の量刑判断を職権で行っている。
  このことは、永山判決が定立した死刑適用の一般的基準、即ち客観的事情と主観的・個別的事情を総合的に評価するという枠組みに変更はなく、その前提にある死刑を極めて限局されたされた例外的に位置づける姿勢にはなんらの変更もないことを意味する。
  したがって、この点を、死刑求刑検察官上告5事件の最高裁判例の意義として確認されなければならないと同時に、本件の検察官の上告趣意 i)、ii)は再々度の最高裁への挑戦であり、完全な背理といわねばならず、ましてやiii)の主張は言語道断以外の何者でもない。
(2) 検察官の量刑不当の主張について
 ① 検察官による死刑上告に対する従来の最高裁の運用
  量刑不当を理由とする破棄には最高裁は極めて慎重であり、破棄事例は刑訴法施行以来永山判決に至るまでわずか19件しかなく、それら破棄事例のほとんど全て破棄自判であり、その内容はすべて原判決よりも被告人に有利な内容の自判である。
  永山判決は、最高裁が検察官の上告により量刑不当を理由に原判決を破棄した初めての事例として話題となったが、その後、検察官の上告により量刑不当を理由に原判決を破棄した事例は、死刑求刑検察官上告5事件のうち、福山市独居老人殺害事件(被告人において前刑が強盗殺人による無期懲役刑で仮出獄中に再度強盗殺人を犯した事案・最高裁第2小法廷平成11・12
・10判例時報1701号166頁)だけである。
  本件が永山判決事案や福山市独居老人殺害事件と同様に果たして、『原判決の刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる』のかどうか検討されなければならない。
  そして、本件のように無期判決に対する検察官による上告事件である以上、411条2号の解釈論として、上記永山判決の意義とそれ以降の裁判例(下級審確定事例も含む)からして、『原判決が無期判決としたことが妥当なもの』、『死刑にしても不当とまではいえないが、無期判決を覆さなければ著しく正義に反するとまではいえないもの』は、411条2号に該当しないことに注意しなければならない。
  ② 最高裁の破棄差し戻し事例の分析
  上記のように検察官による死刑上告に対し、最高裁判所が411条2号を適用して破棄差し戻しとした事例は、永山判決事案と福山市独居老人殺害事件のみである。
  前者は、犯行当時19歳余の少年が窃取したけん銃を使用して、東京、京都、函館、名古屋の各地で警備員、タクシー運転手ら4人を次々と殺害し、「連続射殺魔」として世上を騒がせた強盗殺人等被告事件であり、被告人が未成年者であるがため、死刑の是非、適用を巡って大きな問題となったが、先例からしても、死刑制度がある以上、死刑判決にしなければ正義に反するものといえる事案であった。
  後者は、強盗殺人罪で無期懲役に処せられその仮出獄中であった被告人が、1名と共謀のうえ、87歳の女性を山中で絞殺してその預金通帳等を強取したとされる強盗殺人事件である。この事案が上告審において破棄差し戻しになった主な理由は、過去10年間に死刑が確定した事例で、無期懲役に処せられ仮出獄中に強盗殺人を犯した者は全て死刑に処せられるという事例があり、この事案も被告人が強盗殺人罪で無期懲役に処せられ、その仮出獄中に再び同種の強盗殺人の犯行に及んだという事情が特に重視された結果であることに異論はない(判例時報1701号166頁~170頁)。
  このように最高裁判所が411条2号を適用して、破棄差し戻しした事例は、先例からして無期判決のままでは正義に反するといえるほど質的に明確に指摘することができるものでなければならないといえる。
  ところで、本件では、これら2つの事案と同様に考えることができるであろうか。以下、検察官上告趣意書末尾添付の別表1で掲げられる事例との比較、そして確定した無期判決事案との比較を通じて検討する。
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光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】 第1 事実誤認について /  第2 検察官の上告理由について
光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】 第3 公正な裁判を求めて(・・・理性が支配する裁判)
光市事件最高裁弁護人弁論要旨補充書【1】   第4 被告人の現在  第5 結論
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