東京府中市の税理士 金成祐行の日々の気付き

税理士法人の経営、強度行動障害の自閉症の息子との生活、悪戦苦闘の毎日で、日々気づいたことを書いていきたいと思います。

震災後初めていわきに行ってきました!

2011-04-25 22:26:00 | 仕事
震災後、初めていわきへ行ってきました。
朝、7時半のフレッシュひたちに乗り、勝田で乗り換えです。

終点の勝田で降り、
数十分、各駅停車を待ち、4両編成の各駅停車でいわきへ向かう。
いつも特急で通過する区間を、生まれて初めて各駅停車で行く!

日立を過ぎ、高萩につく頃から、
瓦がはじき飛んだ家や、壁が落ちたり、
建物自体が傾いたりしている建物が目に入ります。

岡倉天心の六角堂が流された五浦がある、
大津港を過ぎ海沿いを各駅停車がゴトゴトと走ります。




津波で1階を流された建物の無残な姿を横目に徐行運転。


そしてついにいわきに入り、私が生まれ育った植田の町を通り過ぎる。

 
植田は、岩間の火力発電所が津波の被害を受け、
鮫川と渋川が津波により決壊したということで、
川沿いは、津波につかったようなあとが見える。

印象は、やはり、「被災地」そのものでしたhorori

今は立ち入り禁止となっている岩間町の状況は次の動画の通りです。




いわき駅(平)に着き、徒歩で顧問先の三國屋さんへ。

街中は、道路が地盤沈下しているのか、道路沿いの建物と段差が大きくなって、
タイルがはがれて散乱しているのがわかります。

また、道路がうねっていたり、建物が傾いているのか、
何か、町全体がゆがんで見えるような感じでした。


夕方、処理が終わり、帰宅。


植田の家に着くと、目に入ったのが、崩れた塀。

私が子供の頃、私が道路へ飛び出さないようにと、祖父が作ってくれたという、
塀が見事に崩れていました。







家では、原発の避難区域である富岡から避難している叔母と、母が
ご飯を作って迎えてくれました。

避難生活も、二人だと、何かと力強いようですが、
富岡で会社を経営している叔母は地元に帰れるか、帰れないか不明な状態が
心配のようで・・・
会社の移転、再開について、ご飯を食べながら打ち合わせをしました。


就寝後・・・日付が変わる頃、

突如耳元に「ゴ~~~」という地鳴りが聞こえ、
地鳴りが近づいてきたと思ったら、ゴゴゴゴゴと大きな揺れ!

これが噂の直下型の余震

地鳴りが伴う地震なんて初めてで、
何とも恐ろしいものだということが解りました。

震度4ですが、大きく感じました。


ちなみに、うちの母と叔母は寝たままぴくりともせず・・・・hi

震度6の余震3連発を経験した方々はもう慣れてしまったようです。
これはこれで危険ですね・・・



翌日は、泉と湯本を訪問。


地震後の体験話で話が尽きることがありません。
話の中では、断水が大変だったそうです。


しかし、皆さん、口をそろえて心配しているのは、やはり「原発」


今後の状況次第では、避難することになるのだろうと、
覚悟しているようでした。

そんな事態にはならないで欲しいです。



いわきに来て思ったのは、高校生達はいつものように、笑顔で笑っているし、
店は普通に営業しているし、街中も、おおむね正常に戻ってきているなぁということでした。

皆、とにかく、震災前の日常に戻りたい・・・
その一心で頑張っていました。


来月は、スーパーひたちも復旧していると思うし、
さらに日常に近づいたいわきになっていることと思います。



また戻ってくるからね~。

がんばっぺ!!いわき


コメント
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