かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

あさやん 《浅倉功一》

2006年04月10日 | あさやん
 メシを食ってるから生きているのか。
 酒がうまいから生きているのか。

 彼はジャズがあるから生きている。

 4月8日、あさやんのCD本出版記念ライブが帯広で行われた。彼は病気の進行と共に体調を崩し、3月から入院し寝たきり状態となっていた。ライブの日にあわせて彼の熱いジャズ魂が動いたのだろう。ライブの3日前から車いすに乗る練習をはじめ、前日には、フォークも持てなくなっていた彼の手がゆっくりとラッパを持ち上げ、動かない指でバルブを押した。この力はいったいどこから湧いてくるのか。

 ライブ当日、会場の客席数を超える大勢の客で会場は溢れた。当日まで来れるかどうかわからない彼の分までと、道内各地から集まったジャズの仲間達による熱い演奏が3ステージにわたって続いた。そして本当に最後の最後に、彼は病院から到着し、車いすごと抱えられてステージにあがった。
 ラッパを持とうとしたが、持てない。。顔をゆがめて痛みをこらえ、呼吸を整え、そして体中の力を振り絞り、彼は両手の平でマイクを支え、歌い始めた。彼のマイファニーバレンタインを。

  今日はこれで勘弁。。

客席から、
  来てくれただけでうれしいよ!ありがとう!
 
そして最後のテネシーワルツ。
 どこからこんな力強い声がでてきたのか。。仲間達と共に帯広でジャズを生きてきた彼らと、それを見守る大勢の観客とが、熱い音楽と心で一体になった。突然涙が溢れてきてとまらない。。

  もう少し元気になって、またやります。

と言い残し、介護の人に付き添われて彼は会場を去り病院にもどっていった。

 彼を見てるといつもこれが本当に最後かと思う。だが彼の力はジャズしている時が最大なのだ。メシを食う時よりも、酒を飲む時よりも。この彼の軸はぶれることはない。彼の生き方がジャズそのものなのだ。

  去りにし夢  あのテネシー・ワルツ
  なつかし愛の唄
  面影しのんで 今宵も歌う
  うるわしテネシー・ワルツ

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