かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

あさやん 3 そして最後に紹介を。

2006年04月12日 | あさやん
「ジャズで生きていかなきゃ。食っていけるかどうかは別。
 仕事はね、ラッパ吹いててね、ジャズしてなくてもさぁ。
 だからその意味では、挫折してないね。負けてないと思う。
 東京を離れたからって、負けたんじゃないし別に。
 日の当たる場所に出てとか、出世物語でいうと負けたんであり、挫折なんだろうけど
 やっぱりジャズの人生じゃないと。うん。」

 はにかみながら彼は語る。二十数年前の事だ。
 浅倉功一69歳。19歳でトランペットで生きていくことを決意し、故郷の兵庫県生野を離れ、京都、横浜、東京と移り、米軍のベースキャンプから新宿ピットイン、銀巴里、等々60年代のジャズシーンを駆け抜けてきた人である。
 あさやんの後輩世代にあたる山下洋輔氏は「プレイも人柄も一目置かれているという雰囲気があって、自分の音楽を好きなように追求する人だった。」と、敬意を持って当時の彼を語る。
 彼は突然東京を去り、各地を転々とした後、帯広に移り住み、新しく出会った仲間と共にジャズを演奏し続ける。40歳になった頃、指に力が入らないことに気づき、筋ジストロフィーという病であることがわかる。

「病気の名前を知らされたときは、うーん、まいったね。これはまいった。
 ただ、その時はまだ、なんとか吹けると思っていたから。
 でも、うーん、まいったねそれは。
 音楽が好きだ、ジャズが好きだ、ラッパが好きだというのと、
 うまいものが好きだ、酒が好きだ、オンナが好きだというのはちょっと違って、
 音楽とかジャズとかラッパとかっていうのは
 大事なんだよね。
 ‥‥‥もうちょっと大事なの。だから、
 こらまいったなと思ったけども、
 やっぱり、こんなことは人に言ってもしょうがないから。」

 指が動きさえすれば演奏できる彼の生き方であるトランペット。しかし彼はその指から力を失っていった。弱い力でも押せるようにバルブのバネを調整し、げんこつで、手の甲で、ゆっくりと、音を選んで、そしてやさしく心に染みる魂の音を、彼は奏で続ける。

 ライブ後日、病院に見舞いに行くと、彼の気力は確実に回復にむかっている気がした。再び、彼の演奏を聴けるような気がしてならない。

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