かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

百年の詩

2006年11月16日 | 見 聞
 北海道河東郡音更町字万年西1線37番地 に、古い木造の旧鎮錬小学校がある。

 北海道・十勝平野の一部、音更町は帯広のとなりまち。
大雪の山々から流れくる水があつまり、十勝川となり大きくゆったりと十勝平野を流れていく。この十勝川をはさんで帯広市と音更町に分かれている。十勝川を渡り北へ、音更町に入り悠々と広がる畑の風景の中を、然別の山々を目前に進んでいくと、万年という地域がある。さらに万年の地域は、万年、高倉、鎮錬という3つの地区にわかれており、象設計集団と高野ランドスケープは17年前、東京からこの鎮錬の古い木造の小学校に移った。現在象は隣町の小学校に移り、高野ランドスケープが今もここを拠点として活動をしている。

 その鎮錬が今年で開拓100周年であった。
 音更町の音更『オトプケ』とは、女性の長い髪の様を表すアイヌ語で、うねうねと平野を流れる小さな川々の様子を写している。そして鎮錬『チンネル』は鹿の皮を干す丘の意。ゆるやかに隆起した丘が連なり、美しいところだ。(残念なことに数年前に送電線の鉄塔が建ってしまったが。。)
 十数年前、私達が象に入った頃は、自分の車もなく、この畑の一本道をてくてく歩いて鎮錬小学校の事務所に通った。まわりは農家である。日の明ける頃から外に出て働いている中、太陽も真上にさしかかった10時頃にてくてくと歩いている若者はどう見てもあやしい。あ、あいつまたこんな時間に会社行ってるぞ。とか、収穫の季節には、ちょっと乗ってかないかぇぃ~?とおばちゃんにナンパされ、ジャガイモ収穫のトラクターに乗せられ、気づいたらトラクターの上で懸命にジャガイモ選別していたこともあった。(仕事はどうした?)

 そんな懐かしい故郷の鎮錬から、百年の詩という記念誌が送られてきた。百万個のじゃがいもやにんじんと共に。
 地元の若者衆(といっても、もうそろそろ40だけど)が2年をかけて完成したものらしい。歴史を調べたり慣れない編集をした様子が目に浮かぶ。開拓当時からの資料や農業の変革から、懐かしい面々、鎮錬全世帯の家族写真も載っている。
 自分達のフィールドであった『鎮錬』をゆっくり読み解いてみるのが楽しみだ。

 今日は、感謝と共にかめ棚(神棚?)にお供えさせて頂きます。礼。