Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
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本日深夜サイマルラジオ「鴻池薫とアネラのミッドナイトハワイアン」第197回放送

2014-02-28 22:29:00 | ミッドナイトハワイアン
本日2月28日(金)

FM西東京84.2MHz「鴻池薫とアネラのミッドナイトハワイアン」
第197回放送  深夜0:00~0:30 

2月最後の放送です。もう少しで始まります!


FM西東京のサイマル放送は下記URLのインターネットサイマルラジオJCBAに移行しました。 
こちらをクリック↓↓

インターネットサイマルラジオJCBAホームページ






レッスン備忘録2/27 高田馬場St. 南砂町カルチャーセンター

2014-02-27 23:00:00 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
kirakira22月27日(木)

1高田馬場St.
S藤さんUkulele個人:KimoHula:前半基礎練習。基本ストロークを時間かけて練習。後半曲練習メロデイの歌い方のタイミングを整えました。良くなりました!

2南砂町カルチャーセンター:HonoluluCityLights:前半基礎練習。後半曲練習。後半CDを聴き、英語の発音と歌のタイミングを合わせてみました。ウクレレソロも良く弾けています。

2月のレッスンは無事全部終了いたしました。生徒の皆様、お疲れ様でした。
明後日からもう3月(弥生)。
また楽しくレッスンしましょう!!





レッスン備忘録2/26上大岡アグリ 事務局の藤澤さんありがとうございました!

2014-02-26 23:00:00 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
2月26日(水)
ライフカレッジア・グ・リ・上大岡:Ku'uLeiHoku:良く歌えています。ウクレレソロをゆっくり練習しました。次回全体的につなげて練習しましょう。

事務局の藤澤さんが「今月で退職するのです。」とレッスン終わった時に言われびっくりしました。慌ててアグリの近くにあるお花屋さんでお花束を買い、またアグリに戻って花束を渡しました。

先日の穂坂さんと同様、来月からいらっしゃらないと思うと本当に寂しいです。
本当に長い間お世話になりありがとうございました!
ゆっくりなさって下さい。
感謝をこめて。


【アグリの藤澤さんと初のツーショット】


レッスン備忘録2/24 高田馬場ST.

2014-02-24 22:00:00 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
kirakira22月24日(月)

高田馬場ST.

1KukuluOlino:Kanohona Pili Kai:実はこの歌はCD通りのタイミングで歌うのが非常に難かしい曲です。今日は歌い方のリズムをみっちり練習して大分スピード感が良くなり、CDの歌のリズムに近くなってきたと思います。次回はウクレレソロも練習しましょう。

2N田さんUkulele個人:BlueHawaiian Moonlight:イントロ、ウクレレソロ、エンデイングのTab譜を歌におりまぜて全体的に練習しました。歌のタイミング、音程はすごく良くなりました。ウクレレのメロ弾きと歌の流れも良くなっています。

3S藤さんukulele個人:Waikiki:この曲はコード進行が難かしいです。コード等ベストポジションで左の各指を確実に押さえる練習をして、大分良くなりました。

皆様お疲れ様でした。いい練習が出来たと思います。

明日はオフ。でも自宅で譜面作成やギターの練習をみっちりやろうと思っています。



2月22日は竹島の日

2014-02-23 10:00:00 | 日本を思う
flag12月22日(土)

今日2月22日は島根県の「竹島の日」
また今年は竹島の島根県告示から109年目にあたります。来年は110周年。
【明治38年(1905年)島根県告示第40号】
韓国の不法占拠から61年経過しています。

日本の竹島の知見は江戸時代にさかのぼります。
1618年鳥取県米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、幕府から渡海免許を得て 毎年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、樹木の伐採に従事しました。
両家は竹島近海の開発を進め、多くの海産物を遠く江戸まで届けていました。

この点からも、日本人が先占し、わが国固有の領土である事は疑いの余地がありません。
もっと言うならば、朝鮮名すらなかった島なのです。

何でこのような問題が起こったか?
日本が大東亜戦争に負け、GHQが戦勝国側として入って来ました。
GHQは戦後、沖縄、小笠原とともに竹島を日本の行政権から外しました。
これが原因で今にいたる竹島問題が起こっているのです。
もしGHQがこのような処分をしていなければ竹島領有問題など起こっていなかったでしょう。

しかしGHQの発令は竹島への行政権の停止であって、領土権を日本から取り上げたものではありません。現に沖縄、小笠原は領土権が復帰しています。

1947年から1949年にかけてアメリカの対日講和条約草案が6度作成されました。
最初の草案では、竹島は韓国に領有権をとされていたが、最終的に1905年のこの島根県編入が決定的であり、当時の朝鮮から領土主張されていなく、また、それまでの朝鮮の一部として取り扱われた事もない、という調査結果により、

1951年9月8日にサンフランシスコで講和会議が開かれ、日本は平和条約を締結し、
翌1952年4月28日に発効しました。
このサンフランシスコ平和条約の第1条では戦争の終了、主権の承認に関する文章、そして第2条では領土権の放棄が書かれてあります。
GHQの最終決定により、竹島が朝鮮領から除外され、代わりに巨文島が含まれました。
つまりサンフランシスコ平和条約をもって竹島が日本領であると確定したのです。

・・・以下、日本が敗戦して、その後の事実を追っていくと、こうなっている事を知ってもらいたいです。・・・

1952年・李承晩ライン:
ところが、韓国初代大統領・李承晩は、サンフランシスコ講和条約が発効する3ヶ月前に突如「李承晩ライン」を一歩的に設定し、1952年9月軍事占領しました。
ようするに、条約発令されると竹島が取れないとあせり、「戦後のドサクサ」にやったわけです。

竹島の近くで操業する漁船に銃撃を加え、わが日本国同胞23名を殺し、拿捕された漁船が300隻に及び、
4000人の乗組員が抑留され、収容所では容赦のない虐待を受けました。
これに対し、韓国は現在に至るまで、何ら謝罪をしていません。

日本政府は李ラインが引かれた直後、韓国の不法占拠に対し、国際司法裁判所への付託提案を
しました。
しかし韓国は裁判への付託を拒否、沿岸警備隊の配属、灯台、無線電信所設置など実力行使をして現在にいたっています。

最初に書きましたが、韓国の不法占拠から今年で61年経過しています。

韓国人の市民団体や国会議員、韓国メデイアは何を血迷ったのか、2月22日になると、日本大使館に常軌を逸する抗議活動をし、島根県の式典への反対運動を展開するために日本にやってきます。

考えてみたら、不法占拠している側が、不法占拠されている側に抗議するとはどういう事か?
日本の国旗は踏みにじり、焼き、まさにやりたい放題。
これは由々しき問題であり我々は激怒しなければいけません。
常識で考えて、抗議活動は、不法占拠された側(日本の国家と国民)がやる事です。

人の弱みに付け込んで、ドサクサに人の先祖代々の宝物を盗んだドロボーが、
「これは自分のものだ~!」と泣き叫んで被害に合った側に抗議していると同じ事になります。

何でこういう馬鹿な事がまかり通っているのでしょう??


今年の竹島の日の式典は松江市内で開かれ、政府派遣の亀岡内閣府政務官は「竹島は歴史的事実に照らしてもわが国固有の領土だ。政府としても地元の思いを重く受け止めている。」と国の立場を表明しました。また式典では島根県の溝口善兵衛知事が「政府が取り組みを強化し、竹島をめぐる問題は新しい局面に入った。」と安倍晋三政権の姿勢を評価し、韓国の不法占拠の既成事実化の動きについたは「決して容認出来ない。」と批判しました。
さらに国際司法裁判所(JCJ)への単独提訴や竹島の日の政府制定、政府主催の式典開催など7項目の要望書を亀岡氏に渡しました。(2月23日産経新聞より抜粋)

安倍政権に変わってから、明らかに日本は外交上毅然としてきて、非常にいい方向に変わってきています。(大方のメデイアは逆の事を言っていますすが。笑)

しかしながら今日の産経新聞が指摘しているとおり、安倍政権の韓国に対する「ソフト戦略」はもう限界に来ています。
国民感情も同じです。

日本政府はぜひ国際司法裁判所に単独で提訴し、世界にこの問題を広く認知するための行動を早急に起こしていただきたいです。