2015年12月1日(火)
11月29日(日) 神河町にある為信神社跡へと行かされました。
無意識のうちに誘われ、見せられたようでした。
それはそれは、神河町の人でもその場所へはほとんどの人が行かれたことはないのではないでしょうか。
現在の為信神社の境内でピンクの十字架の写真や亀甲紋の光が投影された写真を見せつけられた体験を持つ私ですが、今になってやっとその意味が分かりました。
間違いなく為信神社には凄い素晴らしい神様が宿っています。
大国主命=イエス・キリストの陵墓と、その人の直系である女王卑弥呼の陵墓とを結んだライン上に平安時代末期まではそこに為信神社はあって、
その周りには大きな集落が形成されていたということです。
現在の為信神社は、元あった場所にキッチリと向けて造られていました。
そしてそこから、方位磁石で真北0°の方角の長谷という集落に、見事に大国主命=イエス・キリストの墓と、女王卑弥呼の陵墓まで同じ距離の場所にお寺が配置されていました。
そしてその真南に位置して、そこから西のメノラーを拝む場所に八十八体の石仏を祀る最明寺さんが位置しています。
見事な設計の上にお寺や神社が配置されています。
・・でも、長谷にある重要なお寺さんは現在は廃寺になっているということで、またまた残念至極です。
案内板には鳴門権現発祥地跡・・・成卜(字)1568番地と書かれていましたが、この字は、聖都と私には響いてきます。
鳴門とは、成卜 ・・ 聖都 であると・・・。 徳島の鳴門の地名と、この場所とに大いに秘密が隠されているようです。