2017年7月11日(火)
「瀬織津姫はいつの時代の人ですか」と、司会役のハリー山科さん。
「瀬織津姫は神武天皇の時代の人です」とOさん。
「ヘェ~~神武天皇の時代の人なんですかぁ」とハリーさん。
ここからいろいろ議論は面白くなって行きましたが、私はやっぱりそうなんだと確信しました
隠された歴史、でも反面、本当のことを教えている歴史。
謎解きの材料を先人達は沢山用意していてくれました。
そして私を導く神様は、大国主命=神武天皇=イエス・キリスト。
私達に教えている神武天皇のスタートは、BC722に崩壊した北イスラエルの人達が日本に帰ってきて、本格的スタートをしたのが第二ウガヤ王朝で紀元前660年としています。
これを説明するとながくなりますのでここではカットします。
イエス・キリストは、キルギス生まれで日本の王になり、世界中の人達からも偉大な王と呼ばれる活動をしています。
でも、99年11月17日、102歳で備前で亡くなり、現在の兵庫県神崎郡神河町の835m地点の陵墓に埋葬され、それから3年経つと、この国は倭国大乱となり、78年間、戦場となります。
そして、それではいけないと言うことになり、イエスの血を引いた姫巫女がイエス王家の陵墓を守り、国事国体を卑弥呼に託します。
卑弥呼22歳の時です。 政治政体は現在の奈良です。
国事国体と政治政体を分けての国造りでした。
瀬織津姫とは、この女王卑弥呼のことでした。
「やっぱりそうだったのか」と私。
・・・
石川県金沢市別所に瀬織津姫神社があるということで、いつもながらに地理院地図にポイントすると、おもしろいほどに綺麗な図形が画けました。
なんと、卑弥呼が暮らした場所と、その神社とを結んで、二等分線の直角ラインに琵琶湖に浮かぶ弁財天を祀る竹生島がピタリと位置しています。
瀬織津姫は竹から生まれたかぐや姫であり、弁財天であると教えていますね。
そうそう、竹から生まれたとは、古代竹野と呼ばれていた、香住の庵月山で生まれたことを教えていましたよ、卑弥呼さんは。
そうでしたそうでしたねぇ、卑弥呼さんは椿をこよなく愛していました。
神社の彫り物で椿が彫ってあったら、おおいに卑弥呼のことを教えていますよ。
そうそう、椿と言えば、椿大神社がありますが、この椿大神社は、琵琶湖に浮か竹生島の弁財天に手を合わせるように造営されていますよ。
その椿大神社と卑弥呼が暮らした場所と、瀬織津姫神社の三点を結ぶと、綺麗な直角三角形を描きます。 偶然でしょうか・・。
偶然などでこれらのことはできませんよ。
そしてそしてまだありますよ。
卑弥呼が暮らした場所と、瀬織津姫神社で手を合わせる先には、沢山の神々が集まる島である神津島があります。
そうなんです、そうなんですよ! 瀬織津姫神社で手を合わせると、この島に手を合わすのです。
本当は、神集島なのです。
これらの三点を結ぶと、これまた綺麗な直角三角形を描きます。 偶然でしょうかねぇ。
そんなことはあり得ませんよ。 これらの事象が重なる確率は・・どれほどなのでしょう。
これらは綿密なる計算の上に成り立っています。
まだまだ たくさ~~ん、これらの位置には多くの図形が重なります。 つづく・・