かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

新たな世を創造しなさい!と・・

2012-05-09 22:49:31 | かごめかごめの真実とは

             地上絵大発見

           新たな邪馬台国説とは

私は4つの生命の樹(カバラ)を描かされましたが、桓武天皇が平安京遷都(794年)にあたっての生命の樹と、嵯峨天皇時代816年に朝廷より空海様が高野山を賜って広めた真言密教の生命の樹に、中国の長安へ渡る遣唐使船に突然乗船するまでの空海様の空白の7年を埋めるカギが隠されていると思っています。

平安京の生命の樹で、京都御所と高野山金剛峯寺の位置関係が見事に設計された位置であり、でも平安京が遷都された時、まだ高野山は開かれていません。

どうして空海様は遣唐使船に乗れ、しかも2年で帰ってこれたのか。

どうして空海様は嵯峨天皇に「高野山を賜りたい」と言ったのでしょうか。

そしてまた、どうして嵯峨天皇はそれを受け入れたのでしょう。

政治的にであれば、だれがどう考えても京都の近くの場所を選ぶはずです。

それが、遠く不便な山奥の高野山なんですね。 伊勢神宮から物部氏を祀る石上神宮(いそのかみ)を通って、兵庫県高砂市の生石神社(おうしこ)を通り、ダビデ王と秦氏を祀ると言われる大避神社を通って、その延長上に位置する鳥取県大田市にある物部神社への一直線のラインに信貴山空鉢護法堂から直角に等距離に京都御所と高野山金剛峯寺があるのは偶然でしょうか。

平安京遷都にあたって、桓武天皇、和気清麻呂、阿刀大足氏の命を受けて、秦氏らがスクラムを組んで、空海様が隠密行動をとって大事な大事な仕事を成し終えたので遣唐使船にも乗れ、2年で帰国したのも、高野山を賜ったのも当然の一貫した計画であったと私は考えます。

「大事なものを剣山から生野へ移し替えよ!」と桓武天皇が詔をだしたんですね。

そして「高野山からこの国の平安を祈れ!」と天皇に言われたのでしょう。

いえいえ、天皇に、平安京遷都にあたっての国造りの設計図を旧約聖書に基づいた生命の樹(カバラ)を示して、それに忠実に皆が協力しあったのです。ここで、キッチリと過去の争いや過ちを清算し、仕切り直しをして新たな世を創造したのでしょう。

空海様は全てを知っていたようです。 そしてその秘密を私に教えました。

肉体を持っていないものの苦しみが分かるか!!」とも言ってらっしゃいます。

一刻も早く生野の御林から神宝を取り出し、歴史の真実を周知のものとして明らかにしなさいと言っています。 そうしないと、「どんどん取り返しのつかない方向へと行きますよ」と、自然災害など天変地異を起こしてまでも教えているようです。

空海様は悲しみ、怒り心頭のご様子です。

「どいつもこいつも自分の身を守ることしかやらん人間になりおって!!」と。

・・・

かごめ唄の後ろの正面には鶴と亀の地上絵が山を使って大きく造形されています。

鶴は イエスキリストです。 亀は モーセです。

ですから、聖杯とアーク、共にこの場所にあります。

このことは、邪馬台国の女王卑弥呼も空海様もご存じでした。

そしてこの秘密を、夜明けの晩になったら表に出すようにと私に託したのでした。

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