2021年3月28日(日)
出口王仁三郎は、聖武天皇の生まれ変わりだった!と先日ブログに書きましたが、聖武天皇陵と大本の綾部の本部禁則地とを結んだライン上の中間点に王仁三郎の生誕地である京都府亀岡市曽我部町穴太があり、26歳で岩窟に籠って修行したという高熊山(丁塚山)がピタリと位置しています。
実は、綾部の禁足地は、聖武天皇の本当のお墓なのです。
偶然にしてはあまりにも・・、なのです。
あなたは信じれますでしょうか。
空海コードは凄すぎるのです!
『霊界物語』には、高熊山の由来について「高熊山は上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、後に高座(たかくら)といい、次で高倉と書し、ついに転訛して高熊山になったのである。
丹波穴太の奥山にある高台で、上古には開化天皇を祭りたる延喜式内 小幡神社の在った所である。
・・・(中略)・・・また、この高熊山には古来一つの謎が遺っている。
『朝日照る、夕日輝く高倉の、三つ葉つつじのその下に、黄金の鶏、小判千両いけおいた』
昔からときどき名も知らぬ鳥が鳴いて、里人に告げたということである」(第一巻・第一章)と示されている。
『丹波郷土史』の記載によれば、天平8年(736年)高熊山に小幡神社の奥の院が勧請されたとも伝えているが、古来より信仰と歴史と伝承に包まれた霊山である。
山全体もうすぐミツバツツジが一面に咲き誇るでしょう!