2015年12月8日(火)
6日(日)は葦嶽山へ行くのに、養浩荘 さんの駐車場脇にある空海様に手を合わせて、二つ目のトンネルを抜けて橋を渡り、三つ目のトンネル入り口手前を左手に曲がって、細い道を少し行って右カーブするあたりに車一台分の駐車スペースがあります。 そこで車を降りるとそこが、帝釈峡の龍神湖を見降ろす火の首瑠璃山薬師堂への登り口です。
今から5年前の2010年10月23日(土)帝釈峡の龍神湖を見降ろす火の首瑠璃山薬師堂の裏の断崖に行かされました。
その日の朝、携帯に一通のメールが入っていて、「帝釈峡に行って龍神を解放してください。着いたらそこから記載の方に電話を入れてください」と言う簡単な予期せぬメールに、
「なんで私が行ったこともない帝釈峡に行かなくてはならないんですか」とメールの主、得津輝子に電話をかけても出ないので、・・でも気になり、ぷりぷりしながら「帝釈峡も広いでしょう。帝釈峡のどこに行くんですか」とメールすると、
「あなたならちゃんと行けるでしょう」と素っ気ないメール。 それでも気になり・・シブシブ カーナビをセットして行ったものでした。
それが・・、行ってみるとここしかないという場所に導かれて行かされたことがほどなくして理解できました。
そしてそこから指示された富士山の麓に暮らすNさんに電話しました。
すると、「・・待っていました。では電話を切らずに2分ほどそのままにしていてください」と。
そして、「ありがとうございました。今まで見たこともない龍神が解放されました。龍の背びれといいますか、コブと言いますか、その一つ一つが虹色の龍でした」と。
そして電話を切って振り返って小さな祠の方を見た瞬間でした。
それは未だかって見たこともない情景が私の目に飛び込んできました。
5cmほどの無数のレンズのカーテン状の膜を通して景色が映し出されていました。そのレンズの一つ一つが虹色になっていました。あまりにも不思議すぎる光景に私の頭がどうにかなったのでは・・と思いました。
その時に、カメラを持って行ってなかったのを今でも悔やむ私です。 その後、もとの神龍湖の方を見ると今度は、今まで垂れこめていた雲が虹色に輝きだし、一瞬にして雲の形が人の顔になりました。
その時、携帯電話があることを思いつきあわてて携帯電話で撮影しました。 雲は急激に動きだして、風小僧みたいな顔を現しました。
余りにも不思議な不思議なあの時の情景と感動を忘れることができません。
この帝釈峡の場所は、私が最初に描かされた三本の十字架の一番大きな十字架の腕と言いますか横と言いますか、その大事な場所にあったのでした。