空海様は怒って居られるのでしょうか。
「早く取り出せ!時間がない!」と。
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かごめかごめの唄は、千ヶ峰の山頂から空海様が、伊勢神宮の方角を向いて歌いましたが、実はもう一か所あります。播磨高野と言われる兵庫県加東市の五峰山光明寺から再度山、高野山の方角を向いて、「かごめかごめ・・」と歌いました。そしてその二か所共、後ろの正面は・・・、鶴と亀が大きく大きく山を使って造営されている生野です。
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空海様は縦の教理軸に即身成仏(私たちは、この世において仏の境地に到ることができる)を、横の教理軸に密厳国土(密教の仏たちの威力によって、この世を平和で豊かにする)をと、真言密教の基本構造を形成し、これらの教理を実現するために、本格的な布教活動を開始した翌年の弘仁七年(816)、嵯峨天皇に高野山を下賜されたい旨を奏上し、すぐに勅許を得て高野を開きました。・・が、「どうして高野山だったのか?」が、私の中では謎でした。 どうして・・?? 他の場所ではダメだったのか??と。
そしてもう一つの「どうして?!」が、六甲、再度山の大龍寺の亀石が向いてる方角と、大きな石に掘られた梵字の「阿」の謎でした。空海様が中国へ渡る前と、帰ってきてからも大龍寺へ再びやってきたので、再度山と言われているようですが、その謎が、空海様の生命の樹がうかびあがることで、「なるほどぉ・・!!」と腑に落ちたようですぅ。
(実は生命の樹はみんなで三本あります)
空海様は、どうしても高野山でなくてはダメだったようです。高野山以外では黙示録が完成し得なかったようです。
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今回の大雨の災害の意味を生命の樹から推測すると・・・、何かを私たちに告げようとしているようです。